11月8日(日)
石垣島2泊3日の中日、今日はフェリーで波照間島へ日帰りで行くことになっている。
天気はというと、昨日の天気予報の通り文句なしの 晴れ!
カーテンを開けると外の庭には南国らしい植物がたくさん。その中にハイビスカスの花が咲いていた。
南国らしい植物が多い前庭。
フェリーの時刻は8時発、波照間島まで往復フェリーと島内のレンタサイクルがセットになった安永観光の『波照間島サイクリングコース』というのを申し込んであった。
案内に7時40分までに観光受付カウンターに来るようにあったので、7時15分に宿を出る。
ここから離島ターミナルまで歩いて10分ほど。
2泊3日世話になった石垣島宿はればれ。
今日も朝から蒸し暑い。
空は青空が広がっているが、水平線の方は不安定そうな雲が立ちこめている。夕方くらいにザーッと夕立でも来そうな雲だ。
ユーグレナ石垣島離島ターミナル。
離島ターミナルは朝早くから各離島へ向かう人たちで混雑している。
と言ってもこれでも少ない方なんだろうな。去年あたりはここは日本か?と思うくらい群れを成していただろう外国人客も今は皆無だ。
ほとんどはGoToトラベルで来たような観光客ばかり。
安永観光の乗船券売り場には10人ほどの列ができていた。その隣のツアーカウンターで波照間島サイクリングコースの支払いとチケットを受け取る。
代金はGoToトラベルキャンペーン適用で4,980円。石垣から波照間までの往復フェリー代(5,990円)より安い。
支払いに昨日受け取った地域共通クーポンは使えるのか聞いたら使えるいうことだった。
クーポン4枚と980円を支払うと、別の地域共通クーポンが1枚付いてきた。
クーポンの支払いでまたクーポンが来るとは思いもしなかった。キャッシュバックのような恰好。
ただし、日帰りツアーなので有効期限は今日のみとなる。
ツアーのチケットと地域共通クーポン。
カウンターの人に帰りの13時15分発の便は欠航になるかもしれないと念を押される。その次の16時20分発の便は運航が確定しているとのこと。
運航するかは11時ごろ決定するので、HPで確認してほしいと言われた。
旅行会社が並ぶ離島ターミナルのコンコース。
ここはフェリーターミナルだが、正面に出た所にはタクシーが並び、まるで駅のようだ。
港側は島式になった桟橋が頭端式ホームのようになっていて、1番のりばから10番のりばまで並んでいる。
離島ターミナルのコンコースには各観光のカウンターが並び、奥の方の売店が並ぶコーナーは昔のステーションデパートみたい。
もうこの時間から弁当やおにぎりが並んでいて、沖縄らしいおかずやおにぎりは見ているだけで楽しい。
売店に並んだポーク玉子おにぎり。
◆ 波照間行大型高速船ぱいじま2
波照間行きは一番端の10番のりば。ぱいじま2という双胴船が停泊していた。
桟橋の入口では全員検温があるのはコロナ渦が収まっていないことを思わせ緊張する。
石垣港と波照間島を結ぶ『ぱいじま2』。
昼の便はまだ運行未定となっている。
駅のホームのようでもある桟橋。
タラップのところで往きのチケットをもぎ取られて船内へ。
まだ空席だらけだが、窓側の席は全部埋まっていた。高速船のためか自由に出入りできるデッキはないようだ。2階席は1000円の追加料金がかかる。
せっかくだから景色を見ながら行きたい。船室後尾の入ってすぐのところにロングシートのように並んでいる席があったのでそこに陣取る。
ぱいじま2の船室。
波照間航路は揺れると聞いていたが、各座席にはシートベルトもあって物々しい。船に弱い人は地獄を味わうとか、ゲロ船だとかネットの旅行記などを当たると体験記が見つかる。
今日は風もないし、港から見る限りでは波もほとんどなく静かに見える。
私は船には強いと思っているのでそれほど心配はしていない。
後部のロングシートと波照間島行きの荷物。
乗船したときはガラガラだったが、出航時刻間際まで乗船客がぞくぞくとやってきて、船内の座席はそこそこ埋まったようだ。
客室の方を見ると半分くらいの席はふさがっている模様。
座っている席の向かいの壁際には島行きの荷物が置かれている。新聞の束も置かれているあたり、いかにも生活路線という感じがする。
船員が乗船客に何かを配っている。貰うと黒いビニール袋。要はゲロ袋。
私は冬の荒れた日本海を行くフェリーでも平気だったほど船には強いが、これを見てなんだか不安にも思ってきた。
8時になり出航。
高速船なので岸壁から沖合までスタートダッシュと思っていたが、以外とゆっくりな出航だった。
港を出るとすぐに竹富島が見えてきた。
竹富島と水路の灯標。
『竹富南水路』『海上保安庁』と書かれた赤い灯台のような柱がいくつも続いて立っている。
これは何かと後で調べたら、このあたりの海底はサンゴ礁の浅瀬が続いているので、座礁しないように船が進む水路を示しているものだった。
西表島、小浜島、石垣島などの島々を見ながら進む。
竹富島が遠ざる頃から外海に出たのか揺れるようになった。
ここは船室の最後部で揺れが少ないとされる場所だが、座っているとそうでもないが、立っているとふらつくほど揺れる。
トイレに出入りする人が増え始めたようだ。
後ろの窓から見ると、スクリューから物凄い勢いで水しぶきが上がるのが見えた。しかし、景気よく上がる水しぶきの割に船の速度はさっぱりという感じ。
スマホの速度計で見ると34km/h(約18ノット)くらい。これじゃ普通のフェリーと変わらないよ。
最後部のスクリューが豪快に水しぶきを上げる。
前の船室から来て、ここで座り込む人も出てきた。
フェリーの時刻表には石垣〜波照間間の所要時間は60〜80分とあり、石垣港を出てから1時間経つのでそろそろ島が見えてきてもいい頃だと思うが、一向に着く気配はない。
あと20分で波照間港に着くとは思えないほど船はのんびりと進む。
船に弱い人は地獄がまだまだ続くのだろう。
防波堤の『波照間島にようこそ』のペイントを見ながら入港。
波照間船客ターミナル。
ようやく波照間島が近づいてきたのは石垣港を出港してから1時間40分近くが経過していた。
時刻表に60〜80分とあるのは高速船の場合で、ぱいじま2のような大型船の場合は1時間40分ほどかかるようである。
◆ 波照間島、日本最南端へ
港に立派な桟橋があったのでそちらに着岸するのかと思っていたら、ターミナルを挟んで反対側の何もない岸壁に船は着いた。
石垣港での乗船口は使われず後部のデッキにタラップが掛けられてそこから下船となる。
岸壁に降りると9時45分になっていた。
着いた人と乗る人でにぎわう桟橋。
下船するとまずは観光カウンターで聞いていたレンタサイクル屋へと向かう。
坂の途中にそれらしい小屋があって自転車やバイクが並んでいるのですぐに分かった。
中にいたおっちゃんにチケットを渡すとこれに名前を書いてくれと紙を渡される。
紙を渡すとおっちゃんは自転車を指さした。あの中から好きなのを選んで乗ってってくれということらしい。
どれも似たようなママチャリで、いちおう変速ギアも付いていた。
電動機付きのもあって、そちらを借りる人が多いようだ。
安永観光の波照間島サイクリングコースだと普通の自転車となるようである。
いま着いたフェリーの客が続々とやってきた。
さっさと出発する。
坂の途中にあるレンタル屋。
この自転車はカギが付いていないが大丈夫なんだろうか。
島には自転車泥棒なんて不届き者はいないということなのか。
それにしても自転車のペダルを漕ぐのは何年ぶりだろう。
少なくとも車を運転するようになってからは一度も無かったはずだ。
自転車を漕ぐ筋肉は完全に衰えてしまっているようで、レンタサイクル屋そばの上り坂で早やバテてしまった。
何とか体勢を持ち直してペダルを漕いでいたら島中央の集落までやってきた。
ここはまた戻ってくることにして先へ進む。
目指すは日本最南端の地!
ただその思いだけで自転車を漕いでいた。
波照間の集落を通り抜ける。
いやあ暑い。ってか蒸し暑い。
ペダルを漕いでいると汗がドバドバ噴き出してくる。
集落を過ぎるとサトウキビ畑が続き、その中に真っ白い灯台がポツンと立っていた。
サトウキビ畑と灯台。
灯台を見ながら汗を拭いて一息つく。
噴き出した汗が止まらない。とにかく蒸し蒸しする。
真上は快晴だが、地表近くは雲がモクモクと立ちこめていかにも蒸している感じ。お盆を過ぎたあたりの蒸し暑い夏の日を思わせる。
小休止で地図を見てまた出発。自転車漕ぎも少し慣れてきた。
この辺りは行けども行けどもサトウキビ畑か荒地。
サトウキビも見た目はトウキビ(トウモロコシ)のでかいやつといった印象だ。
何となく最果て感が半端なく、今真夏の北海道の道を走っていると言われればそんな気にもなるほど北と同じような最果て感が半端ない。
そもそも波照間とは八重山方言ではパティローマと読み、これは果て(パティ)の島(うるま)という意味だ。
行けども行けどもサトウキビ畑が続く。
海へ下る道。
坂道を海へ向かって下って風に当たると心地が良い。そうしているうちに、最南端広場駐車場という場所に出た。
ああついにやって来たのか。
思えば今年の7月には最北端の島、礼文島へ行ってきた。同じ年の11月には最南端の波照間島へ。
何たる奇遇だろう。そう考えるとワクワクしてきた。
日本最南端平和の碑と後ろにある日本最南端之碑。
駐車場から歩いていくと『日本最南端平和の碑』というのがデンと鎮座しているが、これは竹富町が戦後50年を記念して建てたもの。その先に日本最南端の碑がある。
この碑は沖縄の本土復帰前の1972年に訪れた学生が自費で建てたと言われている。
その横の日の丸は聖寿奉祝の碑。神道青年全国協議会が建てたもの。
碑の裏側に、
“日の丸の下にわが民族が一体となり敬神愛国の美しき伝統を守り伝えることを祈念するものである”
の一文があった。
ここが日本最南端・・・のはずだが。
これで日本の最北端と最南端の地に立ったことになる。
宗谷岬から直線距離で2,890km。
思えば人生初にして最北端の宗谷岬に立ってから30余年、ついに念願の最南端の地にも立つことが叶ったわけだ。
目の前はフィリピン海、青い空、白い雲。
宗谷岬以来の感激がここによみがえる 。゚(つД`)゚。
もうここから見える島影は無い。
水平線の先は600km以上南にあるフィリピンのルソン島だ。
最南端の碑の先にも陸地が広がる。
高那海岸と呼ばれる最南端のこの辺りは岩場が広がっていて、さらに海に向かって下りていく踏み分け道があった。
先の方はゴツゴツした岩が露出していて、その先は急に切り立った崖を波が洗っていた。
岩場の先は切り立った崖になっていた。
波照間島にはこの島のさらに南(パイ)にパイパティローマ(南波照間)という島があるという伝説がある。
その昔、パイパティローマは飢えも差別も重税もない理想郷と信じられていた。
1500年頃から琉球王国の支配下となった波照間は政治犯の流刑地となり、また過酷な圧政と重税で人々は長いこと苦しんだ。人々からすれば、北から来るものにはロクなものは無いと思っただろう。
反対の南の方には理想郷のパイパティローマがあり、いつか神様が南からやってきて救ってくれるというのが人々の心の拠り所になっていた。
ところが救いの神様などそうそう来るはずもなく、琉球王国の重税から逃れるために役人の船を奪ってパイパティローマを探しに海に出て行く者も現れた。
しかし彼らは誰一人として再び波照間に戻ることはなかったという。
岩場が広がる高那海岸。
日本最南端のベンチとテーブル?
岩場の先まで行ってみたり、あれこれ写真を撮っていたらさっきフェリーで着いたらしい人たちがやって来た。
もう30分くらい居たような気がするが、まだ7〜8分しか経っていなかった。
だだっ広い日本最南端の地。
日本最南端は土産物屋の1軒くらいあるのかと思っていたが、すこし離れた所に東屋があるくらいで何もない。文字通り端っこの地であった。
うるさいほどに碑が乱立して土産物屋や食堂が観光客を呼び込む北の端っこと対照的なほどに最果て感のある最南端だった。
ところで、ここは本当の日本国最南端ではないということは知っている人は知っているし、そんな野暮な話は取り上げない。
しかし別の意味で最南端ではなかったと、このあと知ることになる。
ありがとうございます。
行きは大型高速船でしたが、帰りは・・・
つづく・・・