国道230号 定山渓〜中山峠の旧道

旧道マニアという人がいて、私もその一人だったりする。
地図にこれは旧道だという道を見つけて、グーグルマップの衛星画像や旧空中写真を見て往時を想像したりするのが好きだ。

私がずっと前から気になっていた旧道があって、それは国道230号線の中山峠越えの道路。
これだけ旧道に関するブログや動画が公開されているにも関わらず、この旧道を取り上げているのは喜茂別側ばかりなのである。
喜茂別側は車も通れるし、通り抜けができるというのが理由だろう。
反対の定山渓側は車の進入が不可となっていて、しかも定山渓寄りが廃道となっていて通り抜けができないのも理由の1つと思われる。

そこで今回は、国道230号線の定山渓〜中山峠間の旧道についてのお話です。

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 晴れていれば羊蹄山がきれいに見える中山峠(2018年5月筆者撮影)

国道230号線の中山峠越えの道路は、明治4年に東本願寺が主導となってが札幌と伊達の間に幅9尺(約2.7m)の道路を開削したのが始まりで、『本願寺街道』と呼ばれるようになった。これが中山峠の前後にある国道230号の旧道である。

戦後になると自動車が増え始め、拡幅工事や一部道路の付け替えなどの改良工事が始まり、昭和24年には札幌〜中山峠〜洞爺湖間にバスの運行も始まるなど今度は自動車の時代となる

札幌側の薄別から中山峠までの区間は、道幅も狭いうえに九十九(つづら)折りの急カーブが続いて見通しも悪いことから転落事故が後を絶たないことから『魔の山道』とか『魔の断崖』と呼ばれ、ドライバーから恐れられたという。

そんな本願寺街道も昭和28年には国道230号線に昇格。
昭和32年から始まった改良工事は大掛かりなもので、中山峠への道路は札幌側も喜茂別側も完全に新ルートの道路に切り替えるというものだった。
このうち喜茂別側の新ルートは特に険しい地形ではなかったのか昭和38年に完成している。

地形が複雑で地質が悪い定山渓から中山峠までの区間は特に難関だった。
この改良工事についての概要はWikipediaからの文章を引用させてもらいます。

“ “ “
定山渓から中山峠にかけてのルート選定は、当初予定していた豊平峡経由の案は豊平峡ダムの建設により困難となった。また、旧道を改良する案では元々険しい道路を改良するには多数の橋梁とトンネルを作る必要があり、工事費用が高くなるので却下された。最終的に現在の薄別川から無意根大橋を経由する「薄別峡ルート」に決定した。
” ” ”

昭和38年から工事が始まり6年の工期を経て、昭和44年10月に完成する。定山渓から中山峠までの国道が現在のルートとなったわけである。
日本初のクロソイド緩和曲線が採用された無意根大橋、眺望を妨げることなく雪崩や落石を防ぐ片持ちの覆道など、当時最新の技術が採用された新しい道路に生まれ変わったのだった。
それまで『魔の山道』と恐れられた旧道は林道として使われることになった。

ところで、採用されなかった豊平峡案と現道案がどこを通るはずだったのか気になったので色々調べてみたら、興味深い資料が見つかった。


上記の論文によりと、定山渓〜中山峠間の改良工事は、豊平峡案、現道案、薄別案の3つのルートが選定された。
論文内に『二級国道札幌虻田線(定山渓国道)定山渓―中山峠間工事計画図』というのが掲載されており、それを元にWebの地形図にそれぞれの計画ルートを引いてみた。

nakayama202.jpg
 豊平峡案、現道案を地形図に描いてみると。(地理院地図より筆者作成)

Wikipediaにあった通り、一番有力だったのは豊平峡案だった。
豊平峡から駅逓の沢に入り、そこから2つのヘアピンカーブを経て北斜面沿いに中山峠に至るというもの。
工事費用が3案の中で一番低く、また観光路線という使命からもこれが最適ということになったが、時を同じくして豊平峡ダムの建設が決定により、工費や防災の面から不利とされた。

現道案とは現道(現在の旧道)と同じように薄別川の谷の山腹を登り、登った先からはほぼ平坦な現道をそのまま改修するというもの。
これは並行や交差箇所が多い現道の交通を確保しながらの工事が難しいということから却下となっている。

最終的に採用されたのが薄別峡案で、これが今の国道230号である。

DSCN1222.JPG
 豊平峡案だとここを国道230号が通っていた(2019年9月筆者撮影)

札幌から道南方面へ高速道路を使わずに行くには国道230号線中山峠経由が最短距離となるため、この山越えルートは大型車・小型車問わず交通量が結構多い。
私も、仕事でもプライベートでも車で道南方面へ行く際はここを通りことが多く、年に4〜5回は中山峠経由の国道230号の世話になっている。

そんな中山峠を通るたびに気になって仕方がない存在があった。
それは中山峠の旧道。
地形図や空中写真から旧道が現存しているのは知っていた。
中山峠側は林道として使われているらしく、国道から旧道の入口とゲートを見ることができる。反対に定山渓側は廃道となっているようで、国道からは旧道の存在を確認することができない。

『魔の山道』と恐れられていた旧道時代がどんなものだったのだろうか。
この国道230号の旧道時代の画像をネット上に探してみたが全然見つからなかった。

色々検索していたら、喜茂別町内の商店に嫁いでトラックドライバーとして中山峠の旧道をよく通っておられた方の聞き書きを見つけ、その中に旧道時代の記述があったのでここに箇条書きで抜粋させていただきます。
昭和30〜40年頃の話だが、読んでいるだけで『魔の山道』と呼ばれた理由がわかる気がする。

  • 未舗装で道幅も狭く峠の途中には待避所もあったが、バスなどが来るとそこまで行かないと交差できなかった。
  • 交差は普通の自動車でもぎりぎり、トラックどうしのときは大変だった。
  • 途中で車どうしが行き会ったら交差できないからどっちが譲るかでにらめっこになることも。
  • 一応登り優先ということで、下っているほうは待避場までさがって譲ることになっていた。
  • 譲ったときは、お互いクラクション鳴らしてあいさつしていく。
  • 馬車で通る人もいて、合図のためのクラクションでびっくりした馬が馬車ごと谷に落ちる事故もあった。
  • いろんな事故を見てきたが、下へ落ちて転がった車は助けたくてもどうしようもなかった。

 喜茂別町教育委員会発行 
  〜上記リンクより筆者抜粋〜

さて、この旧道はどのようなところを通っていたのだろうか。
一応地形図上に旧道のルートを確認することはできるが、これは平面上でしか見ることができず、等高線を見ながら想像するしかない。
ところが今は便利な時代となったもので、ネット上の地理院地図を3Dで見ることができる機能がいつの間にか加わっていた。
標準の地形図に陰影起伏図を重ね立体的に表示したのが下の画像。

nakayama102.jpg
 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。定山渓側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。中山峠側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

こうして見ると、なかなかシビレる山越えではないか。
特に薄別から定山渓トンネル上部までの道は山腹にピタリと寄せて九十九折で登る様子がよくわかる。
すれ違うのも困難な狭い道をバスやトラックも走っていたというのだから驚く。

旧道についていろいろ探したり、3D地図の作成に熱中しているうちに、旧道がどんなだったのかを実際に見てみたくなってきた。

nakayama201.jpg
 今回中山峠から旧道を歩いたルート。(地理院地図より筆者作成)

9月4日、まずは比較的歩きやすいと思われる中山峠側の旧道を訪れてみた。
中山峠までは車で行き、道の駅の駐車場に車を置いて歩くことにする。

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 道の駅望羊中山の駐車場入口。奥に見える山は尻別岳。

道の駅からは旧道の入口まで国道を歩く。
車を運転していると気が付かないが、谷側の眺めは結構いい。豊平川の谷の向こうに連なる山々は空沼岳だろうか。
歩道はなく大型トラックが多いので歩いていると怖い。それでも5分ほどで旧道の入口に着いた。

DSCN7801.JPG
 中山峠から600mほど札幌寄りにある旧道入口。

いつもは車で通るたびに気になっていた旧道入口。
ここはよく車が駐車してあるのを見かけるが、山菜取りの人の車なのだろうか。今日は車はいなかった。

少し奥まったところにゲートがあって、一般車の進入はできない。
一般車両の通行禁止と監視カメラ作動中の文字がやたらとあるので、禁を犯して入ってくる車が後を絶たないのだろう。
ゲートのかんぬきにはカギが取り付けられておらず、開けようと思えば開けられるのでは・・・

DSCN7803.JPG
 旧道入口のゲート。

看板と張り紙に石狩森林管理署と林道の文字があるので、この旧道は今は林道という扱いになっているようだ。
熊鈴をしっかりと付けて、ゲートの奥へと進んで行く。

DSCN7808.JPG
 しばらくは藪に挟まれたような道が続く。

しばらくは登り坂となる。
車1台分の幅だけの道で、両脇は藪や小枝がせり出していた。
朝は雨が降っていたようで地面は濡れている。新しいタイヤの跡がいくつかあったので、しょっちゅう車は入って来るようだ。
入口から2kmほどは国道と並行していて、林の向こうから車の通る音が途切れなく聞こえてくる。

DSCN7818.JPG
 新しいタイヤの跡。

国道から入った辺りは葉っぱや枝が車体を擦るような道だったが、次第に道幅が広くなってきた。
藪の中に側溝があって、現役時代は側溝までが車道だったと考えると、この辺りは普通に車がすれ違えるほどの道路幅はあったとわかる。

道路は踏み固められた砂利道。この砂利は現役時代からのものかと思ったが、たぶん違う。
現在の道に付け替えられてから51年にもなる。その間に落ち葉に覆われれば土になるし、雨や雪解け水で流されもするし、これはきっと林道として手入れがされているためだろう。

DSCN7849.JPG
 緩やかな下りの直線が続く。

国道から離れるとしばらく直線が続くようになる。
緩やかな下り坂で、国道よりもこちらのほうがずっと穏やかな線形だ。
車の音もこの辺りまで来ると聞こえなくなった。
チリーンチリーンと熊鈴の音だけが響く。

地図で見るとわかるが、国道が豊平峡川の山腹にへばりつくようにして回り込んでいるのに対し、こちら旧道は連なる山の尾根にそって通っているのである。

この直線の途中辺りでスマホは圏外になってしまった。
スマホで国土地理院の地図を見ながら歩いていたので、ここからは地図なしとなる。

しかしクマが怖い。
歩いていると茂みの中からガサガサッと音がして心臓が止まりそうになる。
地面が濡れているので動物の足跡が残っている。シカが多いようだ、あとはキツネかな。クマのものはないようだ。見つけたら速攻で引き返す。

入口から約40分、距離にして3.5kmの地点で分岐点がある。
旧道は直進、左はどこかへ行く林道となる。

DSCN7874.JPG
 入口から3.5km、左へ分岐する道。

分岐するほうがメインのようで、砂利もむき出しになったまま続いている。
直進の旧道のほうへ行く車は少ないのか、草が生えて二条のタイヤの轍のところだけ土が出ている道になる。

DSCN8000.JPG
 左は国道時代からの側溝。普通乗用車同士ならば普通にすれ違えるほどの幅だったようだ。

草に覆われているとはいえ、元国道らしく道床はしっかりと2車線分あるのがわかる。
と言っても、旧国道とわかるのはそれくらいなもの。道路わきの石垣とか錆びた標識なんかあればグッとくるのだが、そういうものは見当たらなかった。

分岐点から少し行くとブルーシートが見えた。朽ちた木材が積んであって、その上にブルーシートがかけられてある。
その脇から、けもの道が下のほうに伸びて行ってる。
グーグルマップでは中山小屋と載っており、そこへ続いているのだろう。
そっちも見てみたかったが、脇道に入って迷ったら嫌なのと、クマが怖いのでこのまま進むことにする。

DSCN7886.JPG
 朽ちた木材にブルーシートがかけられていた。

中山小屋の入口からはさらに草むした道となった。
たまに木の枝に目印をつけたものを見るので、森林管理署の車はたまに入ってくるようだ。

DSCN7893.JPG
 草が生えているが歩きやすい。

さっきのブルーシートから300mほど進んだところにゲートがあった。
国道側入り口にあるのと同じ型のものだが、こちらのは壊れている。
これもまた国道側と同じ一般車乗り入れお断りの看板があった。

何のためにこんなところにゲートがあるんだろう。
もしかしたら過去には中山小屋までは車が入れたのかもしれないね。

DSCN7898.JPG
 国道入口から3.9km、使われていないゲート。

DSCN7901.JPG
 国道側のゲートと同じ看板があった。

ゲートの辺りからまた緩やかな登り坂へ。そしてまた緩やかな下り坂。旧道とは思えないほどの緩やかな道が続く。
しばらく行くと圏外から脱した。進むにつれ電波はバリ4へ。国道と交差するからだ。

国道と交差する辺りに来ると再び車の通る音が聞こえてくる。
国道はトンネルの中を、旧道はその尾根を通って交差する。

中山峠からここまで旧道が穏やかに最短経路で来たのに対し、国道は山腹をへばりつくようにしてまで南側をぐるっと迂回してきたのはなぜか。
その答えがここにあって、この場所の標高は810mに対し、国道のトンネル中山峠側の標高は650m。国道と旧道の高低差は約160mとなる。
旧道の国道入口の標高が835mとすれば、現国道は山腹を迂回しつつ185mも高度を下げていたのだ。
こっち旧道は800mあたりの尾根伝いにダラダラと25mしか下がっていない。どうりで道が穏やかなわけだ。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。新道は南側の山腹を迂回しながら高度を下げている。(地理院地図から筆者作成)

穏やかな地形はここで終わり。この先の山肌は豊平峡の谷か薄別川の谷へ一気に落ち込んでいる。まさに崖っぷちまで来た状態。
旧道はここまでほとんど下っていない分、この先『魔の山道』と恐れられた九十九折と急勾配の狭い道で一気に下ることになる。

DSCN7929.JPG
 国道入口から5.2km、定山渓トンネルの真上。

定山渓トンネルの上からは下から登ってきた電線と電柱がしばらく続く。電柱は比較的新しく、古くからあったものではなさそう。

道の両側は背丈よりも高い藪がびっしりで、下を通っているはずの国道を見ることはできなかった。

DSCN7942.JPG
 しばらく旧道に沿って電柱が並ぶ。

旧道時代はこのあたりは安江峠と呼ばれていたようだ。
寒地土木研究所の『定山溪トンネルの施行について』という論文にその記載がある。

ここからまた緩やかな下り坂となって、400mほど進むと定山渓トンネル横から登ってきた道と合流する。電柱はこちらの道から運んできたようだ。

最初はこの辺りで引き返すつもりでいたが、もうちょっと進んでみることにした。

DSCN7944.JPG
 入口から5.6km、右の道へ行くと定山渓トンネル横に出る。

しばらく電線と電柱が続いていたが、途中でいきなり終わってしまった。
よく見ると電線は地下へ下りて行ってる。
地形図では近くに電波塔の記号があるので、そこへ伸びて行ってるのだろう。

もう少し進むと木の枝や葉っぱの隙間からだが、豊平峡ダムが見えた。
旧道は少しだけ豊平峡川の谷へ回り込んでいるのである。
現役時代は今ほど草木も生い茂っていなかっただろうし、ここは豊平峡を見下ろす景勝地だったことだろう。

DSCN7961.JPG
 生い茂った枝の隙間から豊平峡ダムが見えた。

豊平峡ダムをうまく写真に撮ろうとウロウロしていたら小さな石碑を見つけた。
『故二等陸曹内田民雄殉職之地/昭和三八年十月二十日』の文字が見える。
ググってみたが何の碑かはわからなかった。

もしかしたら転落した車を引き上げるのに自衛隊が出動していたのかも知れない。
木が茂って隠れているが、道路脇のすぐ下に豊平峡ダムの水面が見えるほどのそそり立つ場所。
ここで転落事故なんか起こされたら引き上げるのは難儀だっただろうなあ。

DSCN7967.JPG
 内田民雄殉職の碑と打ち捨てられたガードレール。

ここから先はいよいよ九十九折で薄別への下り道となるのだが、ここからは坂も急になっていた。
中山峠に車を置いてきているので、また中山峠に戻らなくてはならない。
体力的にも時間的にも薄別まで行けそうだが、そうすると歩いて戻ることは難しいからタクシーを呼ぶことになるのだろうか。

今日はここで引き返すことにした。

DSCN7956.JPG
 国道入口から5.9km、この先は勾配も急になっていった。

来た道をまた引き返す。
クマの恐怖さえなければ静かで歩きやすい道だ。

折り返し点から歩くこと1時間15分、また国道入口ゲートへ戻ってきた。
クマに遭遇することもなく戻ってこられてやれやれだ。

またトラックの通る国道を歩くが、クマの心配はないので安心感はある。
もうすぐ中山峠というところで突然喜茂別側からモウモウとガス(霧)が昇ってきた。
一瞬火事かと思うほどだった。
中山峠はあっという間に真っ白になってしまった。やっぱり山の天気ってのはわからんなあ。

DSCN8107.JPG
 中山峠まで戻ると完全にガスっていた。

中山峠越えの国道230号旧道の訪問はこれで終わり。
残る定山渓側の旧道も歩いてみたいところだ。そちらが『魔の山道』と恐れられた旧道なのだ。

でも実際行くとなると車がなあ。どこかへ車を置いてもまたそこまで戻らなければならないし。
何とかうまい方法を考えて、近いうちに再訪することにします。

〜続編へつづく

タグ:北海道 道路

posted by pupupukaya at 20/09/06 | Comment(4) | 旧道を行く
この記事へのコメント
中山峠の旧道はずっと気になってました。貴重な記事です。
Posted by 金属 at 2020年09月17日 22:06
金属様
ありがとうございます。
続編もありますのでお楽しみに。


Posted by pupupukaya at 2020年09月19日 15:11
こんばんは。
初めての書き込みです。
実は20年位前の一番最初のサハリン旅行記から読まさせて頂いていて、いつも更新を楽しみにしておる者です。
旅行好き鉄道好きお酒好き1人が好きといういい意味で独特な旅行記に共感を持ち、大変読みやすい文章でいつも楽しませて頂いております。
今はコロナ禍でなかなか話題も乏しい所であると思いますがこういう北海道ならではの記事も楽しいです。
これからも魅力のある記事をお待ちしていますねいますね。コロナに負けず頑張って下さい。
Posted by こおたん at 2020年09月20日 23:24

こおたん様
ありがとうございます。
絶賛コロナ禍ですが、それなりに行動させていただいております。
どうぞ楽しんでいってください。
Posted by pupupukaya at 2020年09月21日 20:18
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