特急宗谷に乗って宗谷線の今後を考える

新型コロナウイルスの移動自粛も解けた2020年6月29日の週、1週間の休暇を取って礼文島に滞在してきました。
札幌から稚内までは鉄道利用、稚内から礼文島まではフェリーによる礼文島入りとなります。
その旅行初日、札幌から稚内まで特急宗谷を利用しました。今回はその乗車記と、宗谷本線の今後について思ったことを綴ってみました。


 ◆ 6月29日(月)礼文島へ向けて出発

出発日の朝、天気予報は全道的に雨。
宗谷地方の週間予報も、昨日までは概ね晴れマークだったのに今朝になって週半ばに雨マークが付いてしまった。
どうもこの時期の宗谷地方は天気が安定せず、天気には悩まされる。

札幌はというと、この日は朝から雨。7時半発の特急宗谷に乗るために7時過ぎに自宅を出たが、この頃が雨が一番激しく降っていた。
傘など持っていきたくないが仕方ない、百均のビニール傘を差して家を出る。

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 札幌駅から特急宗谷に乗車。

今日は特急宗谷で稚内まで行き、稚内からフェリーで礼文島に渡る予定である。。

所持しているきっぷは指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)で、札幌市内〜稚内間が特急指定席利用で往復13,310円となっている。この区間を通常の乗車券と特急券で乗ると、往復22,180円となるので、割引率は40%にもなるというお得なきっぷ。裏を返せば、それだけ高速バスや車との競争が激しいということである。

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 稚内往復に使用した指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)。

実はこの特急宗谷に乗るのは10年ぶりになる。前回は2010年の稚内から往復フェリーで行ったサハリン旅行の行き帰りだった。
たまに特急列車を利用することがあるが、それは本州への行き帰りで乗る北斗系統だったり、お酒を飲むためにやむなく利用するカムイ・ライラック系統くらいなもの。

車社会の住人になってからは、道内特急そのものがすっかり縁遠くなってしまっている。
その間に車内販売が無くなり、稚内と網走へ向かう特急列車は一部を残して旭川発着に短縮され、だんだん寂しいことになってしまった。

今回は稚内港の駐車場代プラス往復のガソリン代と、往復割引きっぷの値段を比較してもさほど差がないことがわかり、たまには鉄道の旅もいいかなと思って車を置いてJR利用としたのだった。


 ◆【特急宗谷】札幌 7:30発

今朝は朝食を抜いて出てきた。久しぶりの鉄道旅なので駅弁を食べながら優雅に行こうと思っていた。
改札を入ってキヨスクでビールを買った。月曜の朝だが、こちらは休暇中。車の運転があるわけでなし、とりあえず稚内までの5時間は車中の客となる。たまにはいいんじゃない・・・

続いて別の売店で駅弁を買おうとすると閉店中。別の売店は開いていたが店員がいない。
これは困ったな、弁当を買って乗らないと稚内までの5時間以上、車内販売もないので何も手に入らない。
キヨスクで売ってる弁当を買うしかないのかと思ったら店員が戻ってきた。

何だかんだでホームに上がったのが発車5分前。
特急宗谷はすでに入線している。所定の4両編成だが指定席の車内は案の定がら空きだった。1両だけの自由席は通勤客らしい人が結構乗っていた。
いくつか撮影してから車内に入る。

なぜか指定席のデッキには立ち客がいる。自由席からあぶれた人だろうか。
指定された2号車指定席の客はビジネス客と思しき人ばかり。コロナの移動禁止は解かれたが、まだ観光客は少数のようだ。
座席は半分の列も埋まっていないのだが、なぜか自分の周りだけゴソっと固まって座っている。
ソーシャルディスタンスで、もうちょっと分散して席を売ればいいのにと思うのだが。

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 朝の札幌は完全に雨だった。

窓ガラスは水滴だらけ。雨が降る暗い空の下列車は発車する。
さてスマホと充電コードを取り出して・・・
あれっ?あるはずだと思っていたものが無い。
コンセントがどこにもなかった。以前183系の『サロベツ』に乗ったときにあったのだから当然あると思い込んでいた。

この宗谷の261系車両は2000年(平成12年)の宗谷本線高速化時に登場した車両。車内外に古さは感じないが、乗車して車内に収まっているとやはり古さは隠せない。
車内販売が廃止されて久しいが、車内に自販機もないし、途中停車駅で買い物できる駅も無い。
スマホも満タンに充電し、食べ物や飲み物も事前に用意して乗らないと、稚内までの5時間は無い無いづくしの旅になってしまう。

高速バスでも標準となりつつあるフリーWi-Fiなんて、何それおいしいの?と言わんばかりに無いし、付けるような話も聞かない。
人的サービスが無理ならば、せめて世の中で標準となりつつあるサービスくらいはしてほしいのだが。
今のJR北海道に期待しても無理か。

発車すると車内アナウンス。
落ち着いた男声で車内や停車駅の案内。そのあと女声で英語のアナウンス。続いて中国語。
これが脳天にキンキンに響くような甲高い声。なぜそこだけボリュームを上げる?
終点稚内まで、車内放送の旅にこのキンキン声に悩まされることになる。

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 幕の内弁当いしかり(850円)とサッポロクラシック。

まあいいや。
車掌の車内改札が済んでから駅弁タイム。
売店で買ってきた『幕の内弁当いしかり』とビールをテーブルに出す。

じゃあ朝から1杯やらせていただきます。
プシュッと音をたてないように栓を開ける。周りはビジネス客ばかりなのでね。

まずは弁当の中身を一瞥。
この弁当を買ったのは、もう10年以上ぶりだと思う。
登場したのは青函トンネル開業の年だった気がする。当時は700円だった。もう30年以上変わらず続くベストセラー商品。
前に食べたときは経木折に紙のラベルだったが、いつの間にかスチロール容器にボール紙の上蓋になっていた。おかずは登場時からほとんど変わっていない。

デパートの催事を狙ったような目立つものは見当たらないが、鮭やホタテといった海鮮や、ご飯は道産米といったところにさりげなく北海道らしさを出しているところが大変に好感を持つ。
容器以外に変わったところといえば、おかずが全体的に薄味になっている。あとご飯が格段に美味しくなっているような気がした。
これで今どき850円なのだから大したものだ。

 ★★★★★

味、量、コスパ、これは文句なしに5つ星をつけさせていただきます。


 ◆ 【特急宗谷】岩見沢 7:56発

岩見沢では4号車自由席から20人ほどの下車客があった。札幌から岩見沢通勤する『かよえーる』の客だろう。
ホームの向かいに停車中は滝川行普通列車。こちらも意外と通勤客らしい人で座席が埋まっていた。
岩見沢ではなぜか指定席の2号車から2人降りて行った。たった1駅で指定席を買っていたのか。さっき車内改札があったので自由席の客ではなさそうだが。

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 岩見沢。自由席の4号車から通勤客が多く下車した。

停車中に、
「ただいま車掌がお客様対応を行っております、発車までもうしばらくお待ちください」とアナウンス。
2分ほど遅れて岩見沢を発車。

いつの間にか雨は上がっている。それでもまた降り出しそうな厚い雲の下を石狩平野の水田を見ながら走る。
かつては通過していた美唄、砂川にも律儀に停車する。その度に自由席から何人かの下車がある。

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 空席だらけの2号車指定席。

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 こちらは半室グリーン車と普通車指定席の1号車。

261系の加速は電車並みに早い。実現することはなかったが、当初は札幌〜旭川間を電車特急と併結して走ることを想定して設計された車両だからだ。
最高速度は130km/hだが、今は120km/hに抑えられている。そのせいか乗り心地も静寂さも電車に近いものがある。
かつてのスーパー北斗やスーパーおおぞらのような、振動や揺れの激しい走りっぷりに比べたら、多少遅くてもこっちの方が余程良い。

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 車内誌『THE JR Hokkaido』に載っていた稚内駅の駅弁。

これも滅多に目にすることがない車内誌『THE JR Hokkaido』。
めくると、稚内駅の駅弁が紹介されていた。
どっさりうに弁当(1,380円)というのが写真付きで載っている。帰りの列車に乗るときに買ってみようか。
でも残っているかな・・・

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 旭川市内は曇り空だが雨は降っていない様子。


 ◆【特急宗谷】旭川 9:00発

9:00、旭川着。定刻は8:58着なので、岩見沢での遅れを回復することはできなかった。
旭川で少し客が入れ替わるのかと思っていたが、2号車は1人増えたほかは動きなし。自由席はホームに並ぶ客も見えたが、指定席3両は相変わらずがら空きのまま旭川を発車する。

天気はずっと曇り空だが、空は少しずつ明るくなっては来ている。

旭川からはかつての急行礼文のスジを追う。

 1994年2020年
 急行礼文特急宗谷
旭川 発8:499:00
 
稚内 着12:4512:40

下り礼文は、旭川発8:49、稚内着が12:45だった。札幌7:05発の特急オホーツク1号が旭川で接続していた。
宗谷線急行のうち『(スーパー)宗谷』『サロベツ』『利尻』の愛称は特急に引き継がれたが、『礼文』だけは消えてしまった。
その後利尻は夜行列車の廃止で消滅、急行宗谷とサロベツだったスジは、旭川短縮となってしまった。現在残っている札幌直通の宗谷のスジは、実はかつての急行礼文のものである。
名前こそ消えてしまったが、今となっては礼文が一番出世した列車といえるのかもしれない。

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 日本最北端の貨物駅、北旭川貨物駅を通過。

急行時代は旭川を過ぎると途端にローカル線ぽくなったものだが、旭川運転所が今の場所に移転してから途中北旭川駅の手前までは複線電化区間となって見違えるようになった。
道北のコンテナ基地であり、日本最北端の貨物駅である北旭川を通過する。
しばらくして永山で運転停車。信号方式がここで変わるので、下り列車だけはここで必ず停車する。

急行時代の90年代の半ば頃までは通過していた。
ソースは?と聞かれても困るが、手元にある1994年と1999年の時刻表を見比べると、下り列車の旭川〜和寒間で急行サロベツが1分、急行宗谷が2分所要時間が伸びているので、この間に運転停車が始まったんだろう。

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 下りは永山駅で運転停車がある。

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 宗谷線に入っても最高速度120km/hを維持。

旭川からは宗谷本線に入る。名寄までは高速化されていて、旭川から蘭留までは直線区間も多いので最高速度の120km/hを維持して走る。
複線区間では感じなかったが、単線区間で、車体脇まで草が生い茂っている中での120km/hはスピード感が半端ない。

速度はスマホの速度計アプリからの測定。

蘭留からは塩狩峠越えと連続カーブのため速度が落ちる。
20‰(パーミル)の上り勾配は、普通列車のキハ40形ならば30キロ台のスピードにまで落ちてしまうが、この261系はグイグイと登る・・・といいたいところだが、速度計を見ていると50キロ台にまで落ちてしまった。
この区間は勾配だけでなく半径250mの急曲線も連続し、最小195mという最小曲線も現れる。(数値は小学館 日本鉄道名所 勾配・曲線の旅より)
いくら優れた足回りを以てしても泣き所の難所。
塩狩駅が頂点となり、ここからは和寒駅まで一気に下る。この辺りからまた雨模様になってきた。
和寒では乗客が1人あった。下車は無し。急行礼文時代は通過していた。

和寒〜名寄間は再び直線区間が多くなり、列車も快調に走る。
士別着は9:42、若干遅れが目立ってきた。ここで4〜5人の下車客が見えた。

ここで上りサロベツと交換する。チラ見だが、あちらの車内は悲惨なほどに人がいなかった。
6/30まではコロナ対策のためサロベツ1往復が運休中。昼の上りと夜の下りが無くなってしまったので、稚内方面から道央への日帰りが難しくなったために、これらの利用客が激減しているものと思われる。


 ◆【特急宗谷】名寄 9:56発

名寄着は9:57、3分遅れ。
このくらいならば定時運転といえるのかもしれないが、秒単位を旨とする日本の鉄道なのだからもうちょっと頑張ってほしいところ。

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 札幌から2時間24分で名寄駅に到着。稚内へはここがほぼ中間点。

下車客は自由席からを中心に10数人といったところ。
駅前には自衛隊の車が待っていた。名寄は自衛隊の町でもある。JRにとっても安定した利用者だ。

この2号車も2人ほど降りて行ったが、意外なほど動きは少ない。みんな稚内まで行くのだろうか。

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 最北の水田が広がる名寄盆地。 

名寄を過ぎると名寄盆地も終わり。天塩川の谷ぞいを行く。
線形も悪くなり、半径400m台の曲線だらけではスピードも上がらない。
名寄までは高速化工事が行われて、また直線区間も多かったので快調に走っていたが、名寄から先は従来からの線路なので最高速度は85km/hとなる。

この先は幌延まで天塩川の蛇行に付き合うように曲線区間が続く。
まとまった直線区間は、美深〜初野間と豊富〜兜沼間くらいなもの。

仮に名寄〜稚内間で高速化工事をしても、連続した曲線区間ばかりでは速度制限が続いて、大幅な時間短縮が難しいだろう。
また路盤も脆弱で、気動車こそ最高速度85km/hだが、DD51の牽引する14系客車時代は音威子府〜稚内間で最高70km/hまでに抑えられていた(鉄道ジャーナル社 懐かしの国鉄列車PART3より)。

それでも、この列車は健気にも短い直線区間を見つけては最高速度の85km/hまで加速して、カーブが近づくと減速するを繰り返す。
さすが261系の威力と思いたくなるが、かつてキハ54形で運行していた急行礼文時代と名寄〜稚内間の所要時間を比較するとで2分しか違いがない。急行礼文時代も何度か乗ったことがあるが、こんなに飛ばしていた印象はなかったが、現実にはほとんど変わっていないことになる。


 ◆【特急宗谷】音威子府 10:41発

音威子府着10:44着。3分遅れ。もう3分遅れが固定になったようだ。
ここで下車は2〜3人てところ。

かつてはオホーツク海側の旧天北線や枝幸へのバスが接続し、特急発着時はそれなりに駅もホームも賑わったものだが、音威子府〜枝幸間を結ぶバスは無くなって、枝幸からは札幌や旭川へ、旧天北線の鬼志別からは浜頓別を経て旭川へ直通する都市間バスが運行しているので、かつての賑わいを見ることはなくなった。
また、朝の上り、夜の下りといったビジネス列車の時刻が大幅に変わってから、天北線のバスはこれらの列車との接続を取らなくなってしまった。

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 音威子府駅ではかわいい出迎えが。

乗り換え客で賑わったのも過去のこと。今は北海道で1番小さな村の駅である。
改札口の前では、新十津川駅の真似事なのかは知らないが園児たちのの見送りがあった。

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 音威子府からは青空も見え始めた。

音威子府からは青空も見えるようになった。ここからは天塩川に沿って行く。宗谷本線の見どころのひとつ。
景色はいいのだが、谷川沿いの崖っぷちに線路が敷かれているわけだから急曲線だらけで速度制限ばかり、また保線上も大変な区間だ。

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 音威子府からは天塩川が車窓の友。

対岸を並行するのは国道40号線。あちらも似たように谷にそって道路があるが、一部はトンネルになったりして改良されている。
以前に国道40号線を車で通った旅行記で、天塩川の眺めは国道からより鉄道の方が良いと書いた記憶があるが、この鉄道からの眺めも昔より悪くなった感じがする。
線路沿いの木々や草が茂って視界を遮っているからだ。
天塩川はチラチラ見え隠れするか、茂った葉っぱ越しに見えるだけで、写真に撮ってはっきりと川が写る区間は数えるほどしかなかった。
草刈りや剪定を行う余裕もないのだろうか。線路沿いの林や草は伸びるに任せてほったらかしというのが増えた。


 ◆【特急宗谷】天塩中川 11:13発

天塩中川では2号車から1人下車があった。私の前の席の人で稚内までの券を持っていたが、札幌から往復だと稚内までのRきっぷを買った方が安いからだろう。

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 開業時の駅舎に復元された天塩中川駅。

逆に天塩中川からの人が札幌や旭川へ行く場合は厄介だろうな。
無人駅のために往復割引きっぷを買うことができない。車内でも買えるが、この場合は正規の乗車券と特急券の扱いのみとなるので、かなり割高となる。

JR北海道が近年販売に力を入れている『えきねっと』は、予約はWeb上で出来るが、発券はみどりの窓口か指定券券売機でしかできない。
飛行機みたいに予約を入れて発券も自分で出来るのならば、無人駅からでも特急の利用がしやすくなるし、極端な話、主要駅以外は全部無人駅にできるので人件費はかなり抑えられると思うのだが、JR各社はそういうことにあまり興味はなさそうだ。

チケットの販売方法だけでなく、駅員による切符の販売や、車内販売のような人手のかかるサービスが無くなるのは今の時代は仕方がないが、コンセントやWi-Fiのようにあって然るべきサービスまでがおざなりになっているのはいかがなものか。
乗客を増やす(あるいは逃さない)ためには、沿線観光のアピールやイベント列車の運行もいいけれど、まずこういったところからだと思うのだが。

話がかなりずれてしまったので戻します。

天塩中川からは天塩川は一旦遠ざかるが、秘境駅で有名になった糠南駅の物置待合室を見て通過すると再び天塩川が現われる。
天塩川が一番近くで見られる区間でもある。ここへさしかかると列車は徐行を始めた。
車窓の見どころなので減速してくれたのかと思ったら、45km/hの速度制限標識が見えたので違ったようだ。

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 糠南〜雄信内間が天塩川に一番近づく。

ここは山肌が天塩川に落ち込んで激流が洗っている箇所で、川の上に陸橋を架けて線路を通している。問平陸橋といって設備も古く、融雪期や台風での増水時の洗堀の恐れがある橋梁とされ、その対策に2億円を投じたところである。(JR北海道 宗谷線アクションプランより)

地図で宗谷本線の線形を見ると、天塩川の対岸に渡ることもせずただ川の流れに沿って線路が敷かれているのがわかる。

日露戦争勝利後の1905年(明治38年)にポーツマス条約締結によって南樺太(サハリン)が日本領に復帰すると、それまで名寄止まりだった天塩線を宗谷線と改称して北へ向けての建設が始まった。
音威子府からは浜頓別経由の旧天北線ルートが先に建設されて、稚内(現:南稚内)まで開通したのが1922年(大正11年)となる。その翌年には稚内と大泊の鉄道連絡船が就航して、函館〜稚内間に直通急行の運転が始まっている。
現在の幌延経由ルートは、1917(大正6年)に着工され、1926年(大正15年)に稚内まで開通すると、函館直通の急行列車も幌延経由となった。

とにかく1日でも早く全通させたかったのだろう。
トンネルも鉄橋も嫌って、ただひたむきに北へ樺太へと目指して設計され工事が行われたのが手に取れるような線形だ。
こんな路線だから、国鉄時代から保守管理が大変だった。さらに施設の老朽化ということも深刻になってきている。

函館本線や根室本線ならば、こんな危険個所は山側へ迂回してトンネルにするか、一旦対岸に渡ってショートカットした箇所も見られるが、樺太を失ってローカル線に成り下がった宗谷本線は、そのような改良工事はなされずに今に至っている。

問平陸橋を過ぎると天塩川はまた離れて行き、こんどはトンネルに入る。
全長1256mの下平トンネルで、宗谷本線で唯一のトンネルでもある。
元々ここは川の崖っぷちを陸橋で通していた区間だが、1961年(昭和36年)に雪崩によって鉄橋が全て転落する大災害が起こった。その後も何度も災害が起きるので、山側にトンネルを掘って1965(昭和40年)に完成したものだ。

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 幌延町の負担で存続が決まった雄信内駅。

トンネルを抜けると左側に木造駅舎のある雄信内駅を通過する。
利用者が0に近いとして2020年度にはJR北海道から廃止の打診があった駅だが、幌延町の維持管理によって存続する方向になっている。
この駅は17年前の2003年に降りたことがある。その当時は、駅前は朽ちた廃屋が並ぶゴーストタウンのような駅前だった。
しかし、天塩川の対岸の国道40号線沿いには天塩町雄信内の集落があって、当時は中川商業高校に通学する高校生が乗り降りしているのを見た。同校が閉校になってから、日常の利用者はいなくなったのだろう。

雄信内を過ぎると天塩川ともお別れ、ここからは天塩平野が車窓の友となる。
このあたりからは空気が変わると言ったらいいのか、とにかく道央にはない日本離れしたものを感じる。
中川あたりで見かけた畑作地も姿を消し、どこまでも牧草地帯が続く。
行く手には雲の隙間から利尻富士が頭だけ姿を現していた。

青空が広がって道北は好天のようだが、雲を見ていると不安定な感じもする。


 ◆【特急宗谷】幌延 11:46発

幌延駅には1両のキハ54形が停車していた。幌延で交換する名寄行4326Dで、幌延〜音威子府間は3本しかない上り普通列車のうちの貴重な1本である。
こちらが発車したときに車内を見ると、3〜4人見えた乗客は鉄道ファンと思しき男性ばかりだった。

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 幌延着。名寄行4326Dと交換。

下沼を過ぎたあたりから左側はサロベツ原野が広がる。
雲がなければ、地平線の向こうに利尻富士が見えるのだが、さっきまで頭だけ見えていたが、北の方を覆う雲の中にすっぽりと隠れてしまった。

原野といっても車窓から見えるのは開拓の手が入った牧草地ばかりで、本物のサロベツ原野を見たければ豊富で下車して、バスかレンタサイクルでサロベツ原生花園まで行く必要がある。
今日あたりは黄色いエゾカンゾウが満開かなあ。

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 左手にサロベツ原野を見ながら行く。利尻富士は雲の中だった。

豊富から兜沼までは数少ないまとまった直線区間となり、列車も85km/hで快走。最高130km/hの261系では、それでも力を持て余している様子。


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 線路改良のされていない宗谷北線では、最高速度は85km/h止まり。

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 車窓からチラリと見える兜沼。

兜沼はサロベツ原野の北端で、ここからはゆるやかな宗谷丘陵越えにかかる。
木が少なく、低い笹ばかりのなだらかな起伏は、冬に初めて来たならば北極にでもやってきたかのような最果て感に陥るだろう。

やがて木造駅舎が残る抜海駅を通過する。
この駅も利用者が0に近いとして、JR北海道から廃止の打診を受け入れた駅。
まだ稚内市と地元住民が協議中ということになっている。

ここも先の雄信内駅と同様に17年前に降りたことがある。あの当時は稚内や豊富への通学生の利用が数人あった。
抜海の駅前は民家が1軒あるだけだが、駅から2kmほど離れた漁港が抜海の町になっている。
抜海地区は歩きや自転車でこの駅まで来て、そこから列車に乗るしか交通機関が無いので、駅の利用者が0ということは日常的に車以外の交通手段を使う人がいないということである※。
廃止後の代替交通はデマンドバスか乗り合いタクシーが町へ乗り入れることになるのだろうか。そうなれば町の人にとってはむしろ便利になるだろう。

※ 調べたら抜海・更喜苫内地区はスクールバスの運行があって、2013年度からは住民混乗も実施されている。このため町から2km以上離れた抜海駅の利用者は0人に近くなった模様。

個人的には車で稚内に行っても、抜海駅に大抵立ち寄ることにしているので多少の愛着はある。
しかし、廃止か存続かについては住民でも利用客でもないので筆者は意見する立場にはない。

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 今年度中で廃止の方向の抜海駅を通過。

余談だが、抜海駅の前後は数少ない直線区間となっているのだが、ここで85km/hまで加速してもすぐに抜海駅の分岐器による速度制限があって50km/hの徐行で通過しなければならない。
これが無くなればいくらかは時間短縮・・・・いや、何でもない。

抜海を過ぎて5分ほどすると、日本海越しに利尻島と礼文島を望む高台を通る。
今日はどちらも雲の中に隠れてしまって見えなかった。
宗谷本線で一番の見どころだ。ここを通る列車は大抵は徐行してくれる。
島は見えなくても、下に見える草原のような砂丘やその向こうに広がる稚内半島が一望できる絵になる風景だ。

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 抜海〜南稚内間の唯一日本海を望む区間。利尻富士はやっぱり見えず・・・

ここを過ぎるとまた笹ばかりの丘陵地帯に分け入って、しばらくすると稚内の家々が見え始める。
南稚内で降りる人たちが降り支度を始めるころ。

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 荒涼とした宗谷丘陵の先に人家が見え始めると南稚内が近い。

南稚内では車内の半数が降りて行った。南駅(みなみえき)と呼ぶこちらの方が、地元の人の利用は圧倒的に多い。稚内市内の高校も大型商業施設もすべてこちらにある。がら空きの車内がさらにガランとなってしまった。
かつては稚内運転所として車両基地だった脇を通過する。いまは夜間滞泊用の車庫があるだけだが、運転の拠点はこちらで、折り返し車内整備もここで行っている。

それを過ぎると高架橋で国道40号線を跨ぐ。右側に一瞬だけ港が見えるとまもなく終点稚内に着く。



 ◆【特急宗谷】稚内 12:40着

かつては古びた島式ホームで、終着駅の貫禄たっぷりで出迎えてくれた稚内駅も2011年に建て替えられて新しくなった。
翌年には道の駅わっかないもオープンし、バスターミナルや映画館などが入る複合施設としてオープンした。

車では何度も訪れていたが、新しい駅になってから列車で着くのは今回が初めてである。
新しい上屋が設けられたホームは、やたらと最北端や終着駅を示す看板がある。逆にそうしないと札幌市内の近郊駅と変わらないのだった。

1面1線だけの簡素なホームだが、出口に立つ『日本最北端の駅』と書かれた標柱と、その奥の車止めに最北端と終着駅を感じた。

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 北と南の始発・終着駅と書かれた終点稚内駅に到着。

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 『日本最北端の駅』看板と最北端の車止め。

終着駅の風情こそ失われてしまったが、バスターミナルと一体化されて交通結節点となり、道の駅や複合商業施設が併設されて新たな集客施設として生まれ変わった稚内駅でもある。

一方で風情こそ残ってはいるが、駅の売店も撤退し、駅前にコンビニすらなく乗車前の買い物さえままならない始発駅もあったりする。
駅が列車に乗る用がない限り地元の人は寄り付かないような場所に成り下がってしまうよりも、こちらの方が余程良いに決まっている。

駅が新しくなっても、利用者の増加には結びつかないのは残念なところ。
ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にあったいくつかの駅も複合施設となるピカピカの駅に建て替えられたが結局廃止され、駅舎は道の駅として鉄道なんかなかったかのようになって繁盛しているのは皮肉な話。

とてもローカル線の終着駅とは思えないほどのガラス張りで明るいコンコースや隣接する商業施設だが、ここは紛れもなく存続で揺れている宗谷線の終着駅である。


 ◆ 宗谷本線の今後を考える

今年に入ってからJR北海道は宗谷線の無人駅29駅を廃止を沿線自治体に申し入れ、宗谷本線活性化推進協議会はそのうち13駅の廃止を受け入れた。これらの駅は2021年3月のダイヤ改正を持って廃止されることになる。

存続された駅の維持管理費用は1駅あたり年間100〜200万円、これは地元自治体の負担とするのが存続の条件だ。
そうまでして存続させるのはごく少数でも利用者がいるからという理由だが、中には秘境駅として観光資源になるという理由から存続決定としてしまった駅もあるようだ。

とりあえず存続する駅も、遅かれ早かれのような気もするが。
あと数年後には宗谷本線の路線図も以下のようになるんだろうか。

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 JR北海道が廃止したがっている駅を消してみると・・・ 
 (JR北海道HPの路線図より加工して転載)

一番の希望の星は、やはり特急列車だろう。
宗谷本線は『国土形成や北海道の骨格をなす幹線交通ネットワーク』ということにされているが、これは札幌直通の特急が運行されているからこそで、これが無くなれば長大なローカル線に成り下がってしまう。

じゃあ特急の利用客を増やすにはということになるが、これがまた難しい。
沿線人口は減る一方、旭川を除くと最大の都市稚内市でも3万3千人まで減ってしまった。名寄は2万人台、士別は1万人台にまで減っている。
特急3往復のうち2往復は旭川までに短縮され、261系2編成で3往復体制を維持できるようになったのはいいのだが、朝と夜の列車が早朝と深夜に偏りすぎてしまい、逆に不便そうなダイヤになってしまっている。
これは利用者の動向よりも、車両運用の都合からこうなってしまったのだった。

観光客輸送にしても、さいはてや最北端を売りにしたツアーもあるが、逆に言うとそれ以外の売りが無い。
花が咲き乱れるサロベツ原野は大変素晴らしいが、時期を間違えればただの草原だし、冬は流氷観光で賑わう網走方面と違って稚内に流氷は来ない。利尻礼文も素晴らしい観光地だが、新千歳空港に着いてもそこから稚内までの往復がネックとなる。
旅行会社としても、回遊できる道東方面と違って、行き止まりの道北地方はどうしても単純往復になってしまうのも行程が組み辛いところだ。
古くから修学旅行や大型ツアーのルートに組み込まれていた道東方面と違い、大人数を収容できる宿泊施設が少ないという事情もある。

だからといって、これから大型リゾートの開発をやる?
自治体の投資で行った大型リゾート開発がどうなったかはここで論じるまでもない。
中国系あたりの資本は乗り気でやって来るかもしれないが。

そうこうしている宗谷本線に並行して、国道40号線のバイパスとなる高規格道路の延伸工事が行われている。
現在は音威子府村〜中川町間を結ぶ音威子府バイパスの工事が進んでいる。工事の遅れから開通が延期になっているようだが、これができると急カーブが続く国道40号線のボトルネックである区間が解消される。
そう、さっき通ってきた天塩川に沿った区間である。鉄道は相変わらず蛇行する谷川にへばりつくように走り続けるが、車は新しいバイパスをほぼ直線でショートカットすることになる。

そう遠くない将来には、道央自動車道の士別剣淵ICから稚内までの高規格道路が全通するだろう。
ますます鉄道の存在意義が薄れてくる。
それでも存続する大義名分は、僅かでも利用者がいるから。

JR北海道も慈善事業で鉄道の営業をしているわけではないので、民間企業であるうちは宗谷本線の特に名寄〜稚内間の存続は逆立ちしても不可能だ。
北海道も沿線自治体も、そんな鉄道を維持するために必要な億単位の投資をする余裕などあるはずもない。

誤解のないように申し上げておくが、筆者は別に鉄道の廃止推進論者ではない。
どういう形であれ、存続できるのならば存続してほしいと考えている。
しかし現状を見ると、あくまで一般論で考えても、宗谷本線の特に名寄〜稚内間については将来的に存続するのはかなり難しいと言わざるを得ない。ていうか、残念ながら積極的に存続させる理由がほとんど見つからない。

ただ1つだけ一発逆転の可能性があるとすれば、日本国政府が鉄道の維持管理にかかる費用は国が負担するという決定を下すこと。
要は国として、鉄道は維持すべしという政策に方向転換したならばという話。

宗谷本線に限って、国策としての鉄道存続理由としてあるとすれば、対ロシアの国防上の理由か。
だめだろうね。貨物列車も走らなくなって、軸重14トンのDD51が70km/h以下で走るのがやっとこさの路線にDF200が戦車積んだ貨車牽引して走れるのかね。
大陸側の規格に合わせるべく広軌化と重軌条化工事が進んでいるロシアのサハリン側の鉄道とはえらい違いだ。

沿線自治体が、秘境駅だ観光だと言っている今が花なのかもしれない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 20/07/11 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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