2007年急行はまなすと東北新幹線旅行記1

◆ この旅行記は新型コロナウイルスによる外出・旅行自粛のため、筆者が家で旅行気分になるために作成しました。
今は2020年ですが、当時の画像と記憶をもとに、2007年当時の視点で書き起こしたものです。記憶違いなどがあるかもしれませんがご容赦ください。



12月22(土)、23(日)、24(月)の3日間は天皇誕生日の振り替え休日があって3連休だった。
今年はどういうわけかあまり旅行しておらず、お金も少し貯まっていた。だからというわけではないが、この年最後の連休でどこかへ行きたくなった。

急行はまなすで札幌を22:00に出発すれば、青森と八戸で乗り換え、東北新幹線『はやて』に乗り継げば東京には午前中に着ける。
東北新幹線は2002年に八戸まで延伸開業し、同時に『はやて』号が登場した。途中盛岡、仙台のみ停車の最速の列車が朝一番の2号に充てられたため、何と午前10時前の9:51東京に着くのだった。
新幹線が盛岡までだった頃は、『はまなす』で出発しても東京着は11時を過ぎていたので、八戸延伸と『はやて』の効果は大きい。

もう1つは『札幌・東京フリーきっぷ29,500円の存在。これは特急と東北新幹線の乗継か、北斗星等のB寝台を選択できる。飛行機の早割などと比べると安くはないだろうが、飛行機ならばかなり前に購入する必要があるのに対し、こちらは直前でも値段は変わらない。

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『北斗星』でとも考えたが、もう年末にさしかかっているし、あまり混んでいる列車に長時間乗るのもつらい。それに、新しくできた東北新幹線の盛岡〜八戸間と『はやて』乗って見たいというのもあって、往復『はまなす』としたのだった。

東京では、今年の秋に埼玉にできた鉄道博物館に行きたい。せっかくなので、あれこれ行きたいところもあるので、東京で1泊し、24日の夕方初の『はやて』で向こうを出て再び『はまなす』で札幌に戻ることにした。連休明けの25日早朝に札幌着となるので、そのまま出社ということになる。

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というわけで22日土曜日の夜、札幌駅へ。きっぷは昼のうちに買っておいた。必要な指定券もまとめて揃えておいた。
札幌から東京までの乗継ぎスケジュールは以下のようになる。

12/22 札幌 22:00【はまなす】5:35 青森
12/23 青森 5:52【つがる2号】6:48 八戸
 〃  八戸 6:55【はやて2号】9:51 東京

急行はまなすは指定席ドリームカー、『つがる』と『はやて』は普通車指定席の利用となる。
帰りのはまなすはカーペットカーにした。これについては後述します。

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昨日の夜ならば忘年会シーズンでこの時間でも人がたくさんいるのだろうが、土曜日の夜とあっては人も少ない。
はまなすの自由席を待つ人の列もそれほど多くない。まだ帰省シーズンには早いのと、苫小牧や室蘭方面の客は21:34発の特急すずらん10号利用のためだろう。

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21時40分頃『はまなす』入線。凸型のDD51機関車が先頭にやってくる。
多客期はこれ単機で12両もの客車をけん引するのだから頼もしい。

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14系客車の青に白線の車体、ホームに響くディーゼルエンジンの唸り、急行の文字がこれから乗る夜行列車の旅情をかきたてる。

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この日の編成は、B寝台車が1両増結の8両編成だった。

この急行はまなすが登場した当初は座席車の指定席と自由席だけの編成だった。
それが寝台車がつくようになり、指定席車はドリームカーとなり、カーペットカーがつくようになり、JR化後に登場した急行列車でこれだけ出世した列車もほかにないのではなかろうか。

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5号車と6号車の指定席『ドリームカー』には談話室も設けられている。

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ドリームカーのシートは特急183系のグリーン車からの発生品が並ぶ。
元々は急行『まりも』で使用されていた客車。同列車の特急格上げ、気動車化に伴って『はまなす』に回ってきた。
また、かつては昼間の運用間合いで、快速『海峡』の一部の列車で使用されていたこともある。

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元々グリーン車の座席だけあって座り心地は抜群。背ずりも145度まで傾斜する。

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ひっくり返すとじゅうたんが張ってある足置き。

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車内は5割に満たないほどの乗車率。
混んでいるわけでもなく、ガラガラというほどでもなく、程よいくらいの乗り。

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旅のお供に乗る前に買ってきたビールとつまみで1杯やる。
夜行列車では寝る前のこのひとときが楽しい。

流れる夜景を見ながらお酒をチビチビやっているとトロ〜ンとなってくる。
外の世界のことも、昼間の嫌な出来事もここでは関係ない。ここは夜行列車に身をまかせる異次元空間なのだ。


2007年12月24日

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翌朝青森到着。朝5:35着は寝台車ならばもう少し寝ていたいところだが、座席車の客ならばやれやれやっと着いたかといったところ。

青森では、接続する東北線特急と奥羽線特急も朝早い
これは青函連絡船の深夜便が函館を午前0時過ぎに出港し、青森に4時台に着いて上野行特急『はつかり』『みちのく』、大阪行特急『白鳥』に接続していた頃の名残りなのである。
その連絡船の深夜便に函館側で接続していたのが『おおぞら』『北海』といった特急だった。

急行『はまなす』は、その由緒あるスジを今に受け継ぐ列車なのだった。

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早朝の乗り換えは煩わしいが、それだけ早く目的地に着けるということでもある。
帰省シーズンともなれば跨線橋は各列車に乗り継ぐ人たちであふれる。

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青森からは特急つがる2号に乗り継ぐ。
最高速度130km/hで、当初は盛岡〜青森間『スーパーはつかり』として運転を開始した車両。新幹線八戸延伸に先立って登場した。

新幹線八戸開業時にそれまで『はつかり』だった列車名を八戸〜青森・弘前系統を『つがる』、函館行の系統は『白鳥』『スーパー白鳥』と分けている。

もともと『津軽』は上野〜青森間を奥羽本線経由で結ぶ夜行急行の列車名だった。由緒ある名前が本来の地で復活したことになる。

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急行はまなすを受けて最速のはやて号に接続する特急だが、車内はがら空きだった。
八戸までの所要時間は56分。6両編成のうち3両が自由席。完全に新幹線のシャトル列車といった位置づけだ。

八戸には2分遅れての到着となった。
たった2分と思われるだろうが、八戸でのはやて2号への乗り継ぎ時間が定刻でも7分しかなく、新幹線を遅らせると盛岡での『こまち』との併結にも影響が出るし、仙台や福島からは『やまびこ』や『つばさ』といった列車と抜きつ抜かれつとなり、大宮からは上越新幹線や長野新幹線と合流、東京駅ではそれらの列車を2面4線で折り返し発車させなければならず、この先はもうギチギチのダイヤなのだ。

八戸駅の乗り換え改札の自動改札機はすべて解放され、フリーで通れるようにされていた。これで少しでも新幹線の遅れを食い止めようというものだ。それでも通りかかった売店で駅弁を買う余裕はあった。

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階段を下りると指定された10号車はホームの一番端。それでも何とか乗り込んで、ほぼ定時刻の発車となった。
車内はこれも空いていた。

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青森からずっと慌ただしかった気がするが、ようやく八戸駅で買った駅弁で朝食とする。
イクラと蒸しウニ、まぐろのタタキが乗った『青森ぜいたく三昧』は朝から1杯やりたくなるほど豪勢だった。
しかし今日はお茶にしておく。

八戸から盛岡までは初乗車の区間となる。
しかしずっとトンネルばかり。窓の外を眺めていても楽しいものではない。
ようやく視界が開けてきたかと思ったらもうすぐ盛岡だった。

ここでは6分停車となる。秋田から来る『こまち』と連結するためだ。
ホームへ出て、連結作業を見ることにした。

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やがて『こまち』がゆっくり同じホームに進入してきて一旦停止。駅員がトランシーバーで誘導しながらゆっくりと進んでドッキング。これでおわり。

盛岡ではこっちの『はやて』も後ろの『こまち』も乗る人は少なかった。

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盛岡からはトンネル区間も少なくなり、車窓を眺めることができるようになる。
空は曇っていて薄暗く、寒々とした感じ。
ここからは最高275km/hとなり、線路や高架橋だけはものすごい勢いですっ飛んで行く。
眺めていると何だか疲れてくる。

次の仙台では、ホームにこれでもかというほど長蛇の列ができていた。
東京まで『やまびこ』ならば2時間以上、こちら『はやて』ならば1時間36分で着くのでは、そりゃこっちの方が人気だろうなあ。
東北新幹線は東京〜仙台間の旅客で持っているということになる。

仙台で乗ってきた人で車内の座席はほぼ埋まったが、隣の席は空いたままだった。

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仙台を発車すると次は東京。大宮も上野も通過するのは何となく気持ちが良い。
やがて通勤電車と並行するようになると東京に来たなと感じる。

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東京9:51着。

八戸から2時間56分。札幌を昨日の夜に発って、午前10時前に東京駅のホームに立っているのである。
早くなったもんだなあと実感したのだった。

飛行機ならば新千歳を7:50に出発し羽田に9:20に着くANA便が朝イチの飛行機だ。
しかし羽田からまた移動ということを考えると、どこが目的地かによっても異なるが、朝の到着時刻で競うならば『はまなす』と新幹線の乗継でも互角といえる。

朝イチの飛行機に乗るために朝イチの快速エアポートに乗り、そのために家を何時にでなければ、何時に起きなければと考えると、東京へ行くのに『はまなす』で出発するというのも、十分にアリではなかろうか。

2へつづく


posted by pupupukaya at 20/05/01 | Comment(0) | 東日本の旅行記
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