突然現れた札沼線の臨時列車1

10月10日、JR北海道ホームページのお知らせ欄に、このような記事を見つけた。

“札沼線における臨時列車の運行について
札沼線において 10 月 12 日(土)に運行する臨時列車については、以下のとおりです。
〜運転区間 : 石狩当別駅 〜 新十津川駅
〜臨時列車は通常の乗車券でご利用いただけます。”

何だか以前から決まっていたかのような文面だが、プレリリースの過去記事を見てもそのような記事もなく、新十津川町など沿線町村のホームページを見ても、特にイベントは見つからなかった。

何のための臨時列車なのかの記載はなく、2日前に突如現れた臨時列車。
なぜかプレリリース欄ではなく、おしらせ欄の記載になっている。
 ※しかも運転翌日13日には削除されていた

下りは石狩当別9:30発、新十津川11:26着。
上りは新十津川11:36発、石狩当別12:44着。
 停車駅は石狩月形、浦臼のみ。

2020年5月の廃止が決定している札沼線の北海道医療大学〜新十津川間。
もう一度くらい乗るのもいいかなと思い、札幌8:29発北海道医療大学行普通列車で出発した。

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 学園都市線は快速エアポート編成が使用される。

札幌駅を発車した2549M
「次の桑園では本日臨時列車運転のため4番ホームに停車します。降り口は左側です」
とアナウンス。

本来下り列車が発着する3番線は、2両編成のキハ40が停車していた。
これがどうやら石狩当別からの臨時列車となるようだ。

しかしどうして桑園駅で追い抜きとなるのだろう。
この列車の後追いじゃダメなのか。いや、先について石狩当別駅で待っていればいいんじゃないか。
いやそれよりも、札幌から車両や乗務員もろとも回送するくらいなら、札幌始発で営業運転すればいいんじゃね?

次々と疑問の湧いてくる臨時列車なのだった。

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 3番線に停車中の臨時列車を4番線で追い抜く。

9:07に石狩当別着。
3番線には9:08発札幌行2544M、1番線は9:30発札幌行546M、2番線は今乗ってきた列車が到着して、3線あるホームがすべてふさがってしまうので、臨時列車が先に入線することはできないのだった。

臨時列車に着いて何かわかるかもしれないので、階段を上がって改札を一旦出ることにした。

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 石狩当別駅の改札口に表示された臨時新十津川行。

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 石狩月形駅に掲示の『お知らせ』。

待合室には今日の臨時列車が『お知らせ』として掲示されていた。JR北海道HPの『お知らせ』とは違う文面。
それによると、

“「月形町社会福祉協議会ボランティアセンターまつり」開催に伴い、臨時列車を運転します。”

とのこと。

この団体のホームページを見ると、『ボランティアセンターまつり貸切特別列車つきがた号』というのがあった。しかし時刻は石狩月形13:49発となっており、この列車とは別。

マイナーな(失礼ながら)イベントのためにわざわざ臨時列車を仕立てるだろうか。
それに公表されたのが運転の2日前とあっては、この列車を知っているのはJR北海道のHPを毎日チェックしてる人くらいなもの。

案の定、ホームにいるのは鉄分が濃いとお見受けするような方ばかりだった。いわゆる鉄ちゃんですね。いい歳した男ばかり。
そういうお前は何者なのだと言われれば、ハイ私もそうでした・・・

先に3番線に9:23着の浦臼からの5424Dが入って来る。
1両編成で車内の乗客は2〜3人。
土曜日とはいえ、午前中の上り列車がこの有様ということに、廃止もやむなしという現状を見てしまった。

ホームには「新十津川行臨時列車はあと4分でまいります」との放送がある。

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 浦臼始発の5424Dが入線。

臨時列車が入ってきたのは、結構ぎりぎりの9:28だった。
やはり桑園駅で見たキハ40の2連。

うっ、この車両は・・・

キハ40 330番台
電化前の学園都市線で通勤通学されていた方ならご存じだろう。
私は別の意味で感慨深い車両。

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 札幌方から桑園で追い抜いた臨時列車が入線。

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 キハ40 330番台でやってきた臨時列車。

車内は超ロングシートとでも呼びたくなるようなオールロングシート改造車。
デッキの仕切りも撤去され、腰掛はどう見ても711系電車のボックスシートからの発生品。

一応冷房車だが、かつて非電化時代の学園都市線でのラッシュ運用ならばともかく、ローカル線でこのような車両に当たったら相当落胆するような残念な内装だ。

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 オールロングシートの車内。

この車両、実はかつて急行『宗谷』や『サロベツ』に使われていたキハ400形のなれの果てなのである。

1988(昭和63)年11月のダイヤ改正で、宗谷線急行の気動車化でデビューした車両だ。
元々は一般型のキハ40形だったが、冷房化と化粧室の設置、客室の座席はリクライニングシートを設置、窓にはカーテンと特急列車同様にする大改造が行われた。

その後、編成の中に客車の寝台車を組み込んで、夜行急行『利尻』にも使用され、1990年代には宗谷線系統急行の主役として君臨する。

2000(平成12)年の宗谷線高速化による特急『スーパー宗谷』運行開始により急行としての役目を終えることになった。

で、出番のなくなったキハ400であるが、こともあろうにまた一般形に戻されることになった。
リクライニングシートもデッキ仕切りも取り払われ、座席はオールロングシートに再改造され、学園都市線の一員としてまた走ることになった。
オールロングシートと冷房車はラッシュ時は歓迎されたことだろう。

2012年に桑園〜北海道医療大学間が全て電車に置き換えられてからは余剰となり、海外に譲渡されてとっくに無くなったと思っていたが、まだ走っていたのだった。

ワンマン化改造もされていないので、通常の運用に就くことは難しく、出番はイベントや臨時列車専用ということになる。

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 数少ない非ワンマン車。この妻面自体他に現存しないのでは?

この車両の何が珍しいのかというと、窓下に小物を置く連続した框(かまち)、窓上に連続するステンレスのカーテンレール覆い、座席番号のプレートが貼ってあったパイプ式荷棚の帯などに、もと急行型の名残を感じるといったところ。

やたらとデッドスペースが多いのは、急行時代の冷房用の機器室や化粧室が撤去されたから。
機器室だった場所はロングシートが設置されて、はめ殺しの窓が増設されている。

天井は急行時代は冷房ダクトと蛍光灯が一体化されたカバーで覆われていたが、再改造後は蛍光灯は剥き出しになり、冷房のダクトが中央に残る恰好となっている。

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 急行用キハ400時代の内装(鉄道ジャーナル1989年1月号からの引用)

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 急行用キハ400の図面(鉄道ジャーナル1989年1月号からの引用)

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 鉄道ファンには珍しい車両だが一般客からは不評だろう。

しかし、よりによってなんでこんな車両を残したんだろう。
テーブルを置いて、お見合い形式で飲食パーティーするにはいいのかも知れないが、通常の運行では明らかに不評と思われる。

話は変わるが、先月創成川通りの高架上を走る785系電車を見た。
かつて特急スーパーホワイトアローで使われていた車両だが、2017年に789系の『ライラック』運転開始と同時に引退と思っていたが、今でもたまに『すずらん』に使われることがあるという。

で、その先月見た785系というのが、もと付属編成だった2両1組の編成でuシートの500番台を挟み込んだやつ。
いわゆる魔改造車などと呼ばれている車両ですね。

そのときに、なんでよりによってコイツを残したんだろうと思ったわけですよ。

このキハ40 330番台もそうだけど、JR北海道ってゲテモノ車両を残したがる傾向にあるようだ。
そういえば最後まで残った711系電車も3扉改造車だったしなあ。

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 臨気9523Dの運転士時刻表。

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 乗務員室のドアにある窓から見た本中小屋駅。

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 ボロボロの貨車駅がある中小屋駅を通過。

まあとにかく来年にはなくなる札沼線を堪能する。
沿線はあちこちに撮り鉄たちの姿も見える。

ワンマン機器を搭載していないこの列車は、当然運転士と車掌のツーマン列車。
さらにイベント系臨時列車でよく見かける、営業担当らしき人。スーツ姿でJR北海道の腕章をつけ、書類を挟んだ画板を持っているのでわかる。

この列車は石狩当別を出ると、途中石狩月形と浦臼しか停車しない。
北海道医療大学も通過するのである。

線内の最高速度は65km/hで、この列車もそれを忠実に守る。
並行する国道を走る車に次々と抜かれるのは見慣れた光景。

石狩月形は9:54着、石狩当別から24分で着いたことになる。
普段の各駅停車ならばこの間の所要時間は32分。
えっ、もう着いたのという感覚だった。

石狩月形の発車時刻は10:52で、ここで58分も停車する。

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 石狩月形駅に到着。ここで58分停車する。

これも意図がよくわからない長時間停車だが、とりあえず外に出ることにする。
駅や列車を撮影したり、廃止になる駅の情景を眺めながら過ごす。

もっとも町のほうに歩きだしても、特に見るものがあるわけじゃなし。国道にコンビニがあるくらいだ。

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 数少なくなった木造駅舎が現役の石狩月形駅。

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 ストーブと改札口。

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 改札口に掛かる改札案内の札。

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 待合室に出ていた臨時の売店。

石狩月形駅の駅名標の謎。
ホームに駅名標の支柱が2つあり、片方は駅名表示の板がはめられているが、もう片方は枠だけが立っている。
この枠だけの駅名標はなあに?

ここから顔を出して記念撮影用?

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 石狩月形駅の駅名標。隣の空の枠は・・・?

正解はもう一つの枠はかつて名所案内だった。

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 名所案内と駅名標。(2007年10月8日撮影)

上画像は名所案内の表示があった頃。
2010年の画像では枠だけになっていたので、その間に無くなった模様。

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 石狩月形駅のホーム全景。4両編成までは停車できそう。

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 駅南側の踏切から。

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 駅の裏側から。廃止後はここは道路になってしまうんだろうか。

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 キハ40 331+キハ40 336の2連。

何もない駅での1時間停車は長い。
どこからどう見ても田舎の長閑(のどか)な駅だった。

10:48、新十津川からの5426Dが着くと長閑な駅は一変することになった。

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 新十津川発石狩当別行5426Dが到着。

新十津川からの1日1本の列車だからか混んでいる。
増結して2両で来たが、それでも混んでいる。

停車してドアが開くと、ぞくぞくと人が降りてくる。
そしてまた新十津川行の臨時列車に乗り込んで行くではないか。

どこかの団体さんなのだろうか。
何だかよくわからないまま再び臨時列車に乗り込んだ。

そんな中、赤い帯の制帽をかぶった助役さんがタブレットの輪を臨時列車の運転士に渡す。
正式にはスタフというが、こういう光景が見られるのは石狩月形駅が最後となる。

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 長閑だったホームはしばしごった返す。

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 出発合図を出す助役さん。

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 石狩月形からは大盛況となった車内。

折り返し乗車の団体さんで車内は大盛況。
それにしても、もうちょっとマシな車両はなかったのかよと思いたくなるような車内だった。

石狩月形からは立ちんぼうとなった。

2へつづく


posted by pupupukaya at 19/10/13 | Comment(0) | 道央の旅行記
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