2004年9月22日
◆ クバンをチェックアウト
朝方、夢を見る。日本で生活をして、普通に言葉を話してという、ごくつまらない夢を見る。普段ならば、目覚めて数分も経たないうちに忘れてしまうような内容だ。
夢から目覚めるとそこは、遥か遠いロシアの地だった。
1人きりで不安ばかりの現実に戻る。
部屋の窓から見たホテルの玄関。
窓をみるとすでに明るくなっており、相変わらず殺風景な風景が広がっている。天気は良いが、特に予定も行くところも決まってないので、またひと眠りする。
すっかり寝坊して9時頃目がさめる。
顔を洗いに洗面所へ向かう。他の客たちはとっくにホテルを出て行ったようだ。
今日はどこへ行こうかと地図を開く。
今日の列車の時刻は17:20発なので、それまでどこかへ行かなければならないのだ。
ガイドブックは役に立たないので、市内の地図だけが頼りだ。昨日は中心部まで行くのにいったん駅へ行き、そこからバス通りを歩いて1時間近くかかったが、駅とは反対方向の軽便鉄道の線路を歩いていけば、半分くらいの距離で行けるようだ。
ノグリキ市内略図(2004年筆者作成)
それより、チェックアウトもせねばならず、バウチャーもまだ渡していなかった。パスポートに宿泊の証明も記入してもらわねばならない。ある程度の会話を想定して、会話集と辞書で“予習”する。
10時近く、荷物をまとめて1階に降りる。やはり誰もいない。何といって呼べば良いのか。
「すいませ〜ん」
日本語で呼んでみる。やはり誰も出てこない。困ったなと思っていると、奥のほうから主人らしい人が現れた。
バウチャーを見せ、「チェックアウト」と言うと通じたらしく、こっちへ来いと言われてついて行く。鍵を開けてドアを開けると机と電話が置いてあった。事務室のようだ。
主人はバウチャーを見ながら何やら書類をめくり始める。パスポートに証明がほしいと言ってみる。主人はウーンとうなり何か言い始めた。何か不備があったのか。不安になるが、言われてもこちらも理解できない。しばらくやりあった後、主人は頭に来たのかバウチャーを指差し「ノーマネー!」と叫んだ。
どうやらまだ宿泊代を受け取っていないと言いたいらしい。そんなバカな。またしばらくやりあった後、バウチャーに何やら書き込んで、「これをもって行ってユジノサハリンスクで証明をもらえ」とバウチャーを返した。
これで良かったのか悪かったのか、私の会話能力ではこれ以上はどうすることもできない。部屋の鍵を主人に返して、チェックアウトとなった。
たった今トラブルがありながら、「5時の列車に乗るので、それまで荷物を預かってくれませんか」と頼んでみる。我ながら図太いというか、図々しいと思ったが、意外にも快く承諾してくれた。
「5時の列車ならば4時に荷物を取りに来い」と言われ、「スパシーバ(ありがとう)」と言ってホテルを出た。
ひと晩世話になったクバンホテル。
◆ ノグリキの郊外を歩く
今日も晴れで良かった。こんな町で雨に当たったらどう過ごせばいいのだろう。
軽便鉄道の土手に登り、線路を駅とは反対の方向に歩いてみた。
クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並んでいる。駅から来れば廃材置場の中にあるようなホテルだったが、反対側からはダーチャ村の中だったわけだ。
クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並ぶ。
線路脇に信号機が建っていたが使われていないらしくソッポを向いたままだった。そのまま歩いていくと踏切があり、右の方へ行くとオハまで延びる州道に出る。線路を歩けるのはここまでのようだ。
軽便鉄道の線路とソッポを向いた信号機。
オハへと続いている軽便鉄道の線路。
線路は230km北のオハへと延びている。草の間から踏面をのぞかせているだけの線路は、原野の中に消えてしまいそうに、頼りなく見えた。
少し町外れまで歩くと、立ち枯れ木が目立つツンドラ地。
ここが過酷な地であることを思わせる。
ノグリキは北緯51度、ここまで来れば北極圏からの寒々とした空気を感じる。
サハリン南部の北海道に近い空気とは別物だ。
川に架かる危なっかしい木橋。これでも車が通るようだ。
町の郊外は過酷なツンドラ地が広がる。
オハへ続く州道の『ノグリキ』の標識。
トゥイミ川に架かる新しい鉄橋。鉄道と道路の共用となっている。
◆ 急行1列車ノグリキ駅到着
12時近くになり、駅に行ってみる。
ちょうどユジノサハリンスクからの急行列車が12:06に到着したところだった。
昨日はこの列車で降り立ったわけだが、今日は出迎えるほうの立場となる。ホームにも出迎えの人がたくさんいて、昨日と全く同じ光景が繰り返される。
日本人の乗客はいないかと探して見たが、いないようだった。
ユジノサハリンスクからの急行1列車が到着。
駅前広場にはオハ行のバスが停まっていた。オハ行きは週3回のみユジノからの列車に接続して運行される。
オハへはユジノから飛行機が飛んでいるので列車からバスに乗り継ぐ人は少ないようだ。
オハ行の切符を売るのは珍しく男性の車掌だった。
バスの車内では、珍しく男性の車掌が切符を売っている。3年前にチャーターバスで悪路をオハまで走りぬけた記憶がよみがえる。
次のサハリン旅行は、あれに乗ってオハまで行ってみるか・・・
オハ行きのバスが出発。
12:20になるとバスは15人程の乗客を乗せて、オハへと発車していった。次第に駅前も閑散としてくる。
◆ 中心部への近道と壊れかけた橋
こんどは町の方へ行ってみることにした。
時間だけはたっぷりとある。
駅から線路を歩いてクバンホテルとダーチャ村を通り過る。今朝地図で調べた近道で中心部まで歩いて行くためだ。
橋の近くには廃船が棄ててあった。
トゥイミ川の鉄橋まで来れば中心部は目と鼻の先だと思っていた。しかし橋と中心部とを結ぶ道は池のような水溜りがあちこちで道をふさぎ、ほとんど廃道に近い状態になっている。
そんな道でも人が通るようで、水溜りの脇には迂回路ができていたり、木が渡されていたりする。
水溜りの脇は一応通れるように工夫してある。
橋の手前まで来てびっくり。今にも崩れ落ちそうな木造の橋が目の前に現れる。
さすがにこれを渡るのはちょっと・・・
と思っていると向こうから人が現れて、ひょいひょいと橋を渡りはじめた。
よく見ると、亀裂が入っている箇所には板が渡してあって、手直しで補修しているようではある。
町とダーチャ村を結ぶ朽ちた橋。
橋を渡る人。
どうやら渡っても大丈夫なようだ。恐る恐る歩き出す。橋が抜けてしまっているところは板が並べてあるが、隙間からは水面が丸見えだ。
足元に見える川面(かわも)を見ると、日本で掛けてきた海外旅行保険が頭をよぎった。
何とか無事渡り終え、坂道を登って行くと見覚えのあるところに出た。
今にも崩れ落ちそうな橋。
町から見たトゥイミ川と鉄橋。
◆ ノグリキ中心部
ソビエツカヤ通り。どこへも行くあてがないと、いつの間にかここに来てしまう。昨日と同じく人通りは多い。道を歩く人々はどこへ行くのだろう。
唯一きれいなロシア正教会。
パルク・ポページ(勝利公園)あたりは白樺の並木が並んで整っている。
あてもなく通りを歩く。一応商店街のようになってはいるが、通りに面した入口に店名だけ記した素気ない看板があるのみなので、どれが何屋さんなのかドアを開けて中に入ってみるまで分からない。
食料品店兼雑貨屋となっている店が多い。どの店も全て対面販売で、品数はさすがに豊富だが、なんかどの店も同じ物ばかり売っているような気もする。24時間営業の店もあった。
ノグリキのメインストリート、ソベツスカヤ通り昼下がりの光景。
ソベツスカヤ通りその2.
現役のボンネットバス。
以前にツアーで来た時に昼食をとったレストランを見つける。
ガイドブックにも載っていて、『オリムピック』という名前らしいが、入口にただ『バール(バー)』と表示してあるだけ。
表は食料品店。裏口のようなレストラン『オリムピック』入口。
中に入ると2組の客が食事をしていた。テーブルに着くとウエイトレスがメニューを持ってやってきた。また例によってわかる単語のものだけ書き出してて渡せばいいと考えていた。
メニューを開くと、親切にロシア語の下に英語も表記してある。これはありがたいと英語のほうを読むが、しかし英語もさっぱしわからなかった。これはもうお手上げだと思っていると、ウエイトレスが注文とりにやってきて何か言う。
ホットメニューとあるところをウエイトレスのほうに向け「ショームガ(鮭)?」と言ってみた。秋だから鮭くらい獲れているだろうと思ったからである。すると一番上の品を指差して「カルーガ」と言う。「エータ・ルィーバ(それは魚か)?」と尋ねると、そうだと言う。
それに「サラート(サラダ)」これは適当なのを指差した。それにパンにコーヒーを付けて注文した。
夜は賑やかになりそうなオリムピック店内。
店内で食事をする人。画像は中世の絵画にも思える。
店内は結構広く、入口に近い所はカウンターというかバーになっている。夜は酒場になるのだろう、薄暗い内装でカラオケ装置もある。
トマト、ジャガイモ、ゆで卵のサラダはマヨネーズがたっぷり。
サラダの後に出てきたのは、カルーガと言う魚に小麦粉をつけて揚げたもので、これが大当たり!
魚の身は柔らかくて脂がのっていて、わからないで食べたらウナギの唐揚げだと思うほどおいしい。この唐揚げが二切れも皿にのっている。それに玉ねぎとジャガイモのフライがつけ合わせになっていて、これだけでお腹一杯になってしまう。
・・・これは後で聞いた話だが、『カルーガ』とはチョウザメの一種で、このあたりで獲れるのだそうだ。
カルーガの唐揚げ。
食後に砂糖のたっぷり入ったコーヒーを飲んで204Р(約800円)。考えてみればサハリンに渡って初めてレストランでまともな食事にありついたわけだ。
外に出ると、この建物の通りに面したほうは食料品店となっていて、『マガジン(店)・オリンピック』と看板があった。カフェの入口はまるで裏口のように見える。昨夜宿泊したクバンもそうだが、ホテルやカフェは商店の副業でやっているのかもしれない。
食料品店オリムピック。ここも対面販売の店。
とある店にキャビアを見つけて一瓶買う。たった65Рなので本物かはわからないが、さっきのカルーガの卵かもしれない。店にいた客のおばさんが「あらこんなのあったのね」というように珍しそうに見ていた。
もう行くところもないので、ホテルで荷物を返してもらい、あとは駅で待つことにした。
板で補修されているものの、無茶苦茶怖い。
再び崩れた橋を渡り、巨大な水溜りの道を抜けて軽便鉄道の線路を歩く。この近道を行けば、町からクバンホテルまで歩いて20分くらいで着く。
荷物を預けておいたので、クバンホテルに寄る。中に入るが相変わらず誰もいない。
声を出すと隣の店の姉さんが奥から出てきた。
店員の姉さんが話は聞いてるよというふうに、事務室の鍵を開けてくれた。荷物を持って礼を言ってホテルをあとにする。何度往復したろうこの線路を歩くのもこれで最後になる。