◆ ノグリキの町
何だかすっかり疲れきって、ホテルを出る。
ホテルの前には軽便鉄道の線路が通っていて、ノグリキ駅のほうへ伸びている。
なるほど、駅から道ではなく線路を歩いてホテルまで行けば良かったのか。
軌間750mmの軽便鉄道の線路。
ノグリキに限らないが、列車の少ないサハリンでは、町中に敷かれた線路は住民の通路となっているのをよく見かける。
さっきの泥んこ道と違って車も通らないし、快適な歩道だ。
とりあえず駅に来て見た。バス停の標識があって、路線バスがあるらしい。しかし、どのくらい待てばいいのか。
駅の向かいは市場になっていて数軒の食料品店が並んでいる。レストランがなくても、ここに来れば何か食べ物は買えそうだ。
地図を見ながらバス通りを歩き出す。急ぐ用があるわけではないし、ノグリキの町を歩いて見たかったというのもあった。
鉄道駅とノグリキ中心部を結ぶ道路。
ホテルとは反対の、駅を出て右手のほうへ歩いていく。こちらはずっと舗装道路が続く。しばらく行くとサハリンでは珍しい一戸建ての住宅街がある。ダーチャかもしれないが。
軽便鉄道の駅が見えた。3年前はここから途中まで機関車に乗せてもらったことがある。
南のカタングリまであったはずの線路は、道路との交差部分は線路撤去され、その先は草に埋もれてしまっていた。
方向標識。ティモフスク136km、町1km、空港2km。
10分ほど行くと空港の前に出る。ヘリコプターがたくさんとまっている。空港前の交差点を左へ曲がる。これがユジノサハリンスクへの国道のようだ。
油田開発の建設資材を積んだダンプやトラックが多い。太いパイプを積んだトレーラーも走っている。
市街地を二分するノグリキ川。
泥炭地特有の茶色い水。
駅から歩くこと40分、ようやく町らしいところに出た。
前回来て、見覚えのある場所だ。
前回来たときに宿泊したノグリキホテルを見つける。その向かいには文化会館があり、前に来た時はここで民族舞踊を見物したっけ。
文化会館の前は小さい公園になっている。旧ソ連の戦勝記念のモニュメントがあった。
3年前に宿泊したノグリキホテル。
中心の通りには店やキオスクが並び、結構人通りがある。道行く人々は地元の人ばかりのようで、旅行者やビジネスらしい人は見なかった。昼に列車で着いた大勢の人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
町中のキオスク。店員に商品を取ってもらう対面販売が標準。
メインストリートのソビエツカヤ通り。
砂地にできた町なのか、町中は砂だらけ。
ソ連型住宅と木造家屋。
木造やブロック積みの古い建物ばかりの町並みを歩いていると、中世ヨーロッパの小都市にでも迷い込んだような錯覚になる。
表通りは明るい感じだが、横の道に入ると木造の古いアパートが建ち並んでいて、仕事にあぶれたような人たちが昼からビールを飲んでいたりして、なんとなく暗い雰囲気だった。
戦前の匂いもしてきそうな古めかしい木造住宅。
歩いていると若者のグループから「ハイ」と声を掛けられる。
こちらも思わず「ハイ」という。
鉄道の終点のノグリキは、たまに私のような日本人がやってくるのだろう。
ブロック積みの高層アパート。
ガイドブックによると北方民族博物館があるとのことだが、地図も住所も記載はなく、全く役に立たない。
列車の長旅で疲れていたしホテルに戻ることにする。
停留所らしいところにバスが停まっていたので、乗客のひとりに「バクザール(駅)?」とたずねたが「ニェート(違う)」と言われ、あれだと前に停まっていたワゴン車を指差したが、ワゴン車は出て行ってしまった。
バスの表示をみればワール(ВАЛ)行きとあった。ワールとはノグリキからオハに向かって約70km北にある村である。
16:00になり、ワール行きのバスは満席の乗客をのせ発車していった。
ノグリキと北部の集落を結ぶ路線バス。
しばらくするとまたワゴン車が来て停まる。
車には何の表示もないが、停留所に立っていた数人が乗り込み発車していった。
どうやら乗り合いタクシーのようで、市内をピストン輸送しているのだ。料金は乗客全員で割り勘なのだろう。あまり乗る気はしなく、またバス通りを駅まで歩いて戻る。
途中で系統番号を出したバスとすれ違ったので路線バス自体は走っているようだが、本数も少なくいつ来るか分からないので、がら空きのようだった。
★
再び歩いて駅前に戻ってくると、ちょうどユジノサハリンスク行列車に乗る人が駅に集まっていた。
駅前の市場も列車に乗る人たちが買い物をしてにぎわっている。
おかず売り場があったので、シャシリク(串焼き)とパンを買う。別に店で魚の缶詰とウオッカも買った。
駅前にあるスーパーも対面販売。
魚の煮付けも売っていて食べてみたかったが、一匹まるごとは食べきれないのであきらめる。先客のオヤジはこの魚の煮つけとウオッカを買っていった。魚で一杯やるのだろうか。とりあえず今日の夕食は揃った。
買い物していると突然にわか雨が降り始める。さっきまであんなに晴れていたのに。
雨は10分ほどでやんだ。17:20にユジノ行きの列車は発車していった。明日乗る予定の列車だ。
駅で雨宿りして外に出ると、駅前は大きな水たまりと虹が出現していた。
駅前広場から見た虹。
廃車体とノグリキ駅前に現れた虹。
駅の横に、多分軽便鉄道で使われていた客車の廃車体が物置代わりに置かれていて、虹と客車がメルヘンの国へ連れて行ってくれるように見えた。
ノグリキ駅から軽便鉄道の線路を歩いてホテルに戻る途中、後ろから貨物列車がやってきた。
この線路は、ノグリキから230km北にあるオハまで続いている軽便鉄道である。
昔は旅客輸送もあったようだが、現在は貨物専用の産業鉄道となっている。
後ろから現れた貨物列車。
汽笛を鳴らして線路の主は行く。
ディーゼル機関車に牽かれた貨車が何両も何両もノロノロと通過する。
線路を歩いていた人たちも列車に気づいて脇に避ける。
10年くらい前ならば、サハリン各地に軽便鉄道があったようだ。
それが自動車の急速な普及から、そのほとんどが姿を消し、残っているのはここノグリキからオハまでの鉄道くらい。
旅客輸送はバスに譲り、道路事情の悪いサハリン北部で、細々と貨物輸送を行っているのだった。
ゆっくり、ゆっくりと通過してゆく。
無蓋貨車にコンテナを積んだ6両編成の貨物列車は、汽笛を鳴らしながら通過して行った。
1日中のどかな郊外の、ほんのひとときの出来事だった。
◆ クバンホテルの一夜
クバンホテルの前に戻ってくると、昼に着いたときはやっていなかった店が開いていた。こんなところで商売になるのだろうか。
部屋にカバンを置き、1階の店に行ってみる。店内に入ると先客が2人いた。ビールと水を買う。1階で店が営業しているのは便利で、この点だけは『ノグリキホテル』よりも快適だと思った。
窓辺でビールを飲んで日が暮れる。
部屋の窓から見える風景。
さて買ってきた惣菜は冷たくなっている。窓の下の暖房管の上にのせておいたら温かくなった。
ビニール袋を開けてシャシリクをかじる。肉と玉ねぎを調味料に漬けて木の串に刺して焼いたもので、肉は結構固い。豚肉のようだが、羊肉のような気もする。
スーパーで買ってきたシャシリク。
窓辺のベッドに腰かけて、ビールを飲む。まわりは廃材置場。
瀟洒なクバンホテルの向こう側は、持ち主が自作で建てたのだろう、魑魅魍魎(ちみもうりょう)な小屋が立ち並んでいる。
クバンホテルの隣に見えるバラックのような建物には夫婦が住んで居るようだ。
こんな所だが、1階の店への買い物客が1人、また1人と現れる。近くの作業場から仕事帰りの人が立ち寄るのか。
廃材置き場の向こうに見えた入れ替えの機関車。
トラックがやってきて建物の前に駐車し、数人の運転手がホテル玄関から中に入っていった。しばらくしてからまた車が着いて、運転手がホテル玄関に入っていく。
宿泊客はロシア人ばかりで、外国からの旅行客なんてのは自分1人。ここはホテルというより、長距離トラックのドライバーなんかが宿泊する“商人宿”のようなホテルなのだろう。
ゆがんだ窓ガラス越しに、夕暮れの景色をぼんやりと眺めていると、はるばる国境を越えてロシアの地にいるのだと言う実感が湧いてきた。
部屋の電気をつけようと壁のスイッチをひねるが、つかない。天井から1本ぶら下がった裸電球をよく見ると球切れしていた。
1Fに降りていってホテルの人に頼めば電球を交換してくれるのだろうが、言葉も分からないし面倒なのでそのままにする。幸いベッドの枕元のスタンドは明るくなる。
ウオッカと炭酸水。
意外と美味しかったイワシの油漬け缶詰。
薄暗い部屋の中で他にすることもなく、黄昏れる荒れた風景を見ながら、イワシの燻製の缶詰をつまんで、ひとりでウォッカを飲んでいた。