2004年ロシアサハリン旅行記4

 ◆ 夜のユジノサハリンスク駅

ラーダホテルで入口に立っていた兄さんに預り証を見せると、また何やらトランシーバーでやり取りを始める。
トラブル発生か?
トランシーバーで言い合いをしながらあちこち走り回る。

しかしこれ、どうやら鍵をもっている人を探していたようで、無事荷物室を開けて荷物を受け取る。

セキリュティーが厳重なのは結構だが、重たいばっかりでたいしたものが入っているわけでなし、フロントの隅にでも置いといて貰えればとも思うが、そういうわけにもいかないのだろう。
礼を言って、ホテルを出る。

再びホテルから20分以上、荷物をかついで駅へ歩く。駅に着いたのは7時半ごろ。
まだ明るいが、もうじき日が暮れる。ノグリキ行急行列車の発車時刻まで2時間以上もあるが、駅で待つしかないようだ。

この先の行程は、車中で1泊、ノグリキで1泊、ティモフスクで1泊し、ユジノサハリンスクへ戻ってくるのは4日後の夜10時近くということになっている。

宿泊先はまた同じラーダホテル。
バスやタクシーの乗り方など知らないし、駅からホテルまで夜道を歩いても大丈夫なんだろうか。
また心配事が1つ増える。

駅に隣接して建つユーラシアホテルは2000年にツアーで来た時に宿泊したホテル。ここなら良かったんだけどな。
懐かしくもあるが、今日だけは何だか苛立たしい。

PICT0109.JPG
 夕暮れのユジノサハリンスク駅。

駅コンコースの一番奥にカフェがあったので、ハムをはさんだサンドイッチを2つ買った。
コンコースにはノグリキ夜行を待つ人たちが既にたくさんいて、座るところはなかった。大きな荷物をいくつも持った人が多い。

店じまいした新聞の売店の机があったので、そこに荷物を載せて寄りかかる。立ったままビールを飲みながらサンドイッチをかじった。

PICT0111.JPG
 薄暗いコンコース。

日が暮れるとコンコースも薄暗くなる。
天井には照明はあるが点灯しておらず、切符売り場前の照明とキオスクから漏れる明かりが、ぼんやりとコンコース全体を薄明るく照らす。

駅というより劇場か映画館の雰囲気で、シックなムードと言えないこともないが、1人旅ではなんとも心細い。

PICT0119.JPG
 キオスクから漏れる灯かりが照明代わり。

PICT0115.JPG
 ノグリキ行の夜行列車を待つ人々。

ところで、ビールを飲んでトイレに行きたくなった。
トイレと表示のあるので、階段を下りて地下のトイレに行くが、鍵がかかっていて入れない。

トイレの向かいはゲームセンターになっているようで、スロットマシーンがたくさん並んでいるのが見えた。

サハリンの町中には公衆トイレというものがほとんど無く、デパートなどにも一般客が使用できるトイレは無いので、見つけたらとにかく済ませておくように習慣付けるしかない。

じっとしているとつらいので、歩いてホームに出てみる。
列車は既にホームに横付けとなっているが、車内は真っ暗だ。編成は長く10両以上あるが、食堂車はついていないようだ。

我慢できないのでホームの隅でしようかと思うが、もう一度地下に行くとトイレが開いていた。有料トイレのようで、入口の机にちり紙を並べて係りの女性が座っている。

お金を払って紙を受けとり、使用するシステムのようだが、そのまま通り抜けても何も言われなかった。ただ、ちり紙を売っているだけなのだろうか。トイレは新しくきれいだった。

駅前のコンビニで水を買う。「ビス・ガーサ(ガスなし)」と言うと、奥からポリタンクのような巨大なボトルを出してきた。そんな大きいのはいらないと言うと、ガスなしの水はこれしか無いと言う。仕方なしに炭酸水を買う。

PICT0113.JPG
 柱に取り付けられたタッチパネル式インフォメーション。 

また駅に戻って、タッチパネルの案内板をいじったりして過ごす。


 ◆ ノグリキ行 急行1列車

ノグリキは、サハリン鉄道の北の終点である。ユジノサハリンスクからの距離は約613km。
定期旅客列車は毎日1往復運転され、サハリン鉄道の看板列車ともなっている。

寝台車は4人相部屋のコンパートメントで、ロシア人ばかりの中に1人放り込まれるのは、出発前は何だか不安でしょうがなかった。
今では、自分で選択したことなので、もうどうにでもなれという心境でもある。

何やら天井から放送が始まった。質の悪いスピーカーから聞こえる放送は何を言っているのか分からない。
コンコースの人たちが席を立ち、ホームへ向かったので、「今から1列車の改札を始めます。乗車の方はホームにおいで下さい」とでも言ったのだろう。

コンコースからホームへ出る。ホームには照明はなく、構内の照明塔の明かりがぼんやりと照らすだけで、まるで貨物駅か操車場のように暗い。

ほとんど真っ暗なホームの客車の入口には人だかりができている。客車のデッキから漏れる明かりで車掌は切符とパスポートを次々と確認してゆく。

PICT0121.JPG
 ノグリキ行 急行1列車の乗車風景。

自分の番が来て、パスポートを開いて、切符と一緒に見せる。2枚ある切符の一枚をもぎ取られて返される。ステップを登り車内へ入る。明るいのはデッキだけだ。客室内は非常灯が点るだけで、暗い。

切符に記された席番のコンパートメントに入ると、真っ暗な部屋の中、先客が2人窓側に向かい合って座っていた。この部屋であっているのだろうか。

ホームに立っている車掌にもう一度聞きにいく。車掌はため息をついて「ついといで」と言って案内してくれた。「あんたの席はここ」と言って指差すと部屋を出ていった。とりあえず言われたところに座る。

発車まぎわになってもう1人乗ってきて、向かいの席に座る。家族が送りに来てるらしく窓からしきりに手を振った。

21:40になり、列車は何の合図もなく静かに動き出した。列車が走り出してから通路の照明がいっせいに点灯する。乗客のひとりが電気のスイッチを入れると、部屋の蛍光灯が点灯して明るくなった。
サービスなのか天井のスピーカーからは音楽が流れ続ける。

2人連れともう1人はなにやら会話を始める。私は、進行方向に向かった通路側に座り、その隣は20代らしい兄さん。窓側の向かいは兄さんの連れらしい40代の男性。その隣、私の向かいは30代の男性だ。

「どちらまで」とか「どういった用事で」という内容だと思うが、何か自分だけ疎外感を感じる。そこへ向かいの30代男性の連れらしい男性が別の部屋から現れる。4人は意気投合してきたようで、ますます居づらくなってくる。

そのうち1人が英語で私に言ってきた。

「ジャパニーズ?」
「ダー・・・(はあ、そうです)」
「オー!イポーニェツ(日本人か)!」と一同驚く。
「ガバリーチ・パアングリースキー(英語は話せるか)?」

ロシア語で英語を話せるかときかれるのも妙な話だが、これは「ニェート(話せない)」と答える。

改めて全員自己紹介となった。3人ともサハリン油田プロジェクト関係のビジネスでノグリキまで行くという。向かいの男性とその連れの人は技師か何かだろうか。窓側の兄さんと向かいの男はビジネスというより出稼ぎというように見えるが・・・。

「仕事で来たのか」とか「いつ帰るのか」などとあれこれきかれる。

兄さんは鞄からビールの1.5Lのペットボトルを取り出した。
車掌からカップを借りてきて全員に振舞い全員で乾杯をする。
別の部屋から来た男性は日本語を勉強したことがあり、日本に行ったことがあるという。

「ワタシハ、日本に行きました。トーキョー、キョート、シンカンセン、ハッカター」
「博多?」「ソウデス、ハッカター」

ハッカターとはどうやら北海道のことらしい。たしかにロシア語で北海道と書くと“ハッカター”とも読める。

私の片言のロシア語よりは日本語がわかるようなので、彼がにわか通訳となってくれた。誰かが何かを言うと、彼が知っている日本語で一番近い言葉を私に伝え、何を言わんとしているのか想像し、私が片言のロシア語で返答する。なかなか相手のわかる単語が思いつかず2人して「ウーン・・・・」と頭を抱えることもしばしあったが。

ビールのペットボトルはまたたく間にカラになり、2本目をあける。ほど良くアルコールが回り、言葉はわからないが、気持ちはほぐれてくる。

「サハリンにはおいしい物がいっぱいある」
「クラーブ(カニ)」「クラスナヤイクラー(イクラ)」・・・・

「私の飲んでいるビールはワールチィカ」。
「バルティカ?」 「チッチッチ、ワールチィカ」。

サンクトペテルブルグで作られ、ワールチィカとはバルト海のことだと教えてくれた。・・・正しい発音を教えてくれたおかげで、後日にビールを買うとき店の人が一発でビールを出してくれるようになった。

車掌が「チャーイ?コーフィ?(紅茶かコーヒーはいかが?)」と現れるが、ビールを飲んでいるので「ニェート(いらない)」と答える。車掌はあきれたような顔をして行ってしまった。

兄さんは私に「フレンド!」と言って3本目のビールを開けた。「この日本人はなかなか酒が強いぞ」と少し気に入られたようだ。
兄さんは私の髪型を見て、「君は長髪だね、ミュージシャンみたいだ」と言った。別に伸ばしているつもりはないのだが、私の髪は襟足が長いので、長髪と思われたかも知れない。そういえばロシアの男性はヘアスタイルは、角刈りか坊主くらいまで短くした人が多い。兄さんはわりと長い方だが、裾はキチッと刈り上げている。

   

夜も更けて12時を回った。そろそろ寝支度をはじめる。兄さんたち二人は梯子も使わず上段寝台に這い上がった。向かいの男性は「彼らはニンジャだ」と冗談を言った。みんな器用にベッドメーキングを始める。私も教えてもらったがあまりうまくできない。教えてもらいながらベッドが完成する。

ベルトにつけたウエストポーチを見て、「その中には金が入っているのだろう。車内には悪いやつがたくさんいるから見えないようにして寝ろ」と言った。ベッドに横になり毛布をかぶると彼は扉の鍵を掛けて照明を消した。

暗闇の中にレールの音だけが響き、列車は順調に北上を続ける。

sakhmap3.jpg
 ノグリキ行急行1列車のルート
 (地理院地図より作成)


 ◆ 寝台車の朝

ぐっすりと眠り、翌朝目覚めると8時になっていた。窓からは眩しい朝日が差し込んでくる。今日も快晴のようだ。同室の人たちはまだ眠っている。上段の男性が降りてきたので起き上がると、いいからまだ寝てろと言う。言われるままにまた眠ってしまった。

9時近くようやく起き上がると列車は駅に停車した。ティモフスクに着いたようだ。

時刻表では9:00着、9:30発となっている。
30分停車なので、外に出てみる。

PICT0010.JPG
 ティモフスクに到着。 

後ろの方の車両からは大勢の人が荷物を抱えて下車してきた。列車の乗客たちもホームに降りてタバコを吸ったり、駅のキオスクで買い物したりと思い思いに過ごしている。

下車する人と買い物などに出る乗客たちでホームはしばし雑踏になる。駅舎内にあるキオスクをのぞいてみるが、朝食になるようなものは置いていなかった。

PICT0003.JPG
 乗客たちも外の空気を吸いに出てくる。

PICT0008.JPG
 30分停車のホーム。

駅前には出迎えの車がたくさんいて賑やかだ。1台のバスが停まっていて人だかりができている。
日本海側の町、アレクサンドロフスク=サハリンスキーとを結ぶ連絡バスだ。
戦前は略して亜港(あこう)と呼んでいたこともあり、北サハリンの中心地でもあった町だ。

PICT0006.JPG
 アレクサンドロフスク行のバスが連絡する。

PICT0007.JPG
 列車から大勢バスに乗り継いだ。

大勢の立ち客を乗せてバスはアレクサンドロフスクへ発車していった。

ホームで客車の数を数えたら10両だった。
編成の後ろの方では4両の客車を切り離す作業が行われている。

PICT0013.JPG
 ティモフスクでは後ろの4両を切り離す。

ホームをぶらぶらしているうちに発車時刻が近くなったので車内に戻る。

車内の空気はどんよりとしている。車窓には北サハリンの荒涼とした風景が広がっていた。通路に立ち、流れ行く風景を眺める。

PICT0022.JPG
 寝台車の通路。デッキには湯沸かし器も見える。

部屋に戻ると兄さんがチョコレートと紅茶をすすめてくれた。
あまりに良い天気なので外を指差し「パコーダ・ハラショー(天気・良い)」と言ってみた。「ハロゥーシィ・パコーダ(良い天気)」と言うのだと教えてくれた。

PICT0025.JPG
 寝台車のテーブルは大きい。

ノグリキに着くのは正午過ぎ。まだまだ先は長い。

行けども行けども同じような北の果ての風景が続く。車内は次第に退屈でけだるい空気が重たく包みはじめる。兄さんたちは上段の寝台でゴロゴロと横になり本を読みはじめる。

下段の私と向かいの男性は時の過ぎ行くのをただ待っているかのようにボーっと窓の景色を眺める。どこまでも続く林や湿原を眺めていると1時間や2時間はものの数ではなく、あっという間に過ぎてゆく。

PICT0023.JPG
 針葉樹の森がどこまでも続く。

車掌がシーツの回収に現れる。やがてまもなく終点ノグリキだ。部屋の人たちも降りる身支度を始める。

train4658.jpg
 車掌がくれたシーツ代の領収書。図柄がなぜか100系新幹線。

ユジノサハリンスクを発車してから14時間もの寝台車の旅はそろそろ終り。定時の12:06に列車はノグリキ駅のホームにすべり込む。

PICT0028.JPG
 北の終着駅ノグリキに到着。

同室の人たちと握手をして別れを告げると、彼らはあっという間にそれぞれに散って行った。



この記事へのコメント
コメント
ニックネーム: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

Powered by さくらのブログ