2004年ロシアサハリン旅行記3

 ◆ カフェ・カラボーク

レーニン通りでバスを降り、昼食はどうしようかと思っていると、昨日ガイドのSさんに聞いたカフェ『カラボーク』があった。中に入ってみると、昼時は過ぎているが、結構混んでいる。

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 レーニン通りにあるカフェ・カラボーク。

どうするのかとほかの人を見ていると、セルフサービスでカウンターで注文した料理を受け取り、レジでお金を払う仕組みのようだ。カウンターの上にメニューと値段が書いてあるのだが、何がなんだかさっぱり分からない。

メニューの中に何とか理解できる料理を見つけ出し『ボルシチ』『ジャガイモのピロシキ』『サラダУТЕС』『チャーイ(紅茶)』と紙に書き、カウンターのお姉さんに渡す。
トレーの上に次々と料理が置かれ、レジでお金を払う。しめて112Р。

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 カラボークの店内。ロシア版ファーストフード店というところ。 

空いているテーブルを見つけ、席に着く。まずボルシチをひと口。

ボルシチとはロシアを代表する料理の一つだが、日本で食べられるところは少ない。赤い色は赤ビート(砂糖のビートの一種)の色で、食べてみるとあっさりとした塩味の野菜スープである。真ん中の白いのはスメタナといってサワークリームのこと。これを混ぜながらいただく。

『サラダУТЕС』とは、よく分からなかったが、サラダには違いないだろうと頼んだのだが、サラミとチーズを細切りしたものにマヨネーズがたっぷりとかかっている、かなりジャンクな品だった。

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 唯一理解できた、ピロシキ・ボルシチ・サラダ。

ほかのテーブルを見ると、フライドチキンやプリヌイ(ロシア風クレープ)なんかもあるようだ。

授業が終わった時刻なのだろうか、学生らしい客で混んできた。まあまあのロシア料理を堪能して店を出る。


 ◆ バスでコルサコフへ

時刻は2時過ぎ。今度はどこへ行こうかと考えながら再び駅前に戻る。

バス乗り場にはちょうどコルサコフ行のバスが停まっていたので、コルサコフに行ってみようとバスに飛び乗ると、これが超満員だった。

何とか車掌からコルサコフまでの切符を買う。50Рであった。学校帰りの高校生らしい若者は定期券を見せている。他の乗客も回数券を持っている人が多い。
運転手も車掌も私服なので、乗客と区別がつかないが、車掌はそれらしいカバンを提げているので分かる。

これもやはり女性の車掌は切符の販売と車内の整理に大わらわ。
「切符をお持ちですか〜」
「もっと中に詰めてくださーい」
(とロシア語で言ってたようだ・・・)

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 ユジノサハリンスク〜コルサコフ間のバス切符。

 14:20、満員のバスは駅前を発車し、レーニン通りを南へ進む。天井のつかみ棒につかまって窓から街を眺めていると、ユジノサハリンスクの市民になったような気がしてくる。
ドリンスクからのバスと同様に、市内は快速バスとなる。

高速道路のような立派な舗装道路が真っ直ぐに通っているがアップダウンが激しい。バスは坂を登ったり下ったりを繰り返す。エンジンのパワーが無いのか、坂を上るときはドン亀のようにスローペースになり、エンジンをめい一杯ふかして、喘ぎ喘ぎ進む。

バス停のあるところには横断歩道もあるが信号は無い。交通量も多く道路を渡るのも大変そうだ。道端に十字架をかたどった花が飾ってあるのを目にする。子供が交通事故にでも遭ったのだろうか。見ていて痛々しい。

途中の停留所で降りる人もいるが、乗ってくる人も多く、車内は混雑したままだ。コルサコフからユジノへ向かうバスとすれ違うが、あちらも混雑している。

コルサコフ〜ユジノ間の鉄道は現在は貨物専用となっている。旅客輸送は時々思い出したように再開するが、すぐに休止になってしまうようだ。
バスが満員になるほど行き来があるのだから、気動車列車をピストン運転すればユジノ市内の渋滞にも巻き込まれず、結構利用者があると思うのだが。

バスは坂をおりてコルサコフ市内に入る。
山側の市街地のほうへ行く道と、まっすぐ港のほうへ向かう道が分かれる。

日本時代は楠渓町といい駅もあったが、現在はただの交差点だ。ここのバス停で半分くらいの人が降りた。
まっすぐ行って鉄道の駅に向かうと思い込んでいたが、バスは山側の道へ入って行く。何の変哲も無い坂の上の住宅街でバスは停まり、全員席を立つ。
どうやらここが終点のようだ。

車掌に「ダズビダーニャ(さようなら)」と言ってバスを降りる。東日本海フェリー作成の地図を見ると、ここがバスターミナルだと記してあった。なんでこんな所がバスターミナルなのかと不思議に思う。バスを降りた乗客たちが中心部に向かってゾロゾロ歩き出す。


 ◆ コルサコフを歩く

コルサコフは、日本時代は大泊(おおとまり)という町だった。
戦前は稚内からの鉄道航路であった稚泊連絡船が結んでいた、樺太の玄関口だった地である。

戦後長らく途絶えていたが、1998年から東日本海フェリーがアインス宗谷を就航させ、稚内〜コルサコフ間の定期航路として復活している。

戦前は港に近い一帯が中心部だったようだが、現在の中心部は高台のほうに移っている。

バス通りをしばらく歩くとレーニン広場の前に出た。かなりスモールサイズだが、銀色に輝くレーニンさんが立っている。

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 コルサコフのレーニン像。

広場はたくさんの人で賑やかになっている。どこに行こうかと地図を見ると、展望台が記されていたので、行ってみることにした。

アパートが立ち並ぶ坂道を歩いていく。港街コルサコフは平地がほとんど無いようで、山の斜面に建物が並ぶ様は、小樽の街を連想させる。

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 ソ連型アパートが並ぶコルサコフ市内。

途中から細い砂利道となり、どう見ても展望台に続く道路とは思えないのだが、地図を何度見てもこちらの方角で間違いない。ひと気の無い山道そのもので、だんだん不安になってくるが、途中で向こうから犬を連れた人が山を降りてきた。

犬の散歩をしているくらいだから、この道は展望台に続いているのではないかと思い、ずっと歩き続けると高台のそれらしいところに出た。道は間違いなかったようだ。

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 展望台への坂道を振り返る。

展望台といっても崖っぷちのところを柵で囲ってあるだけで何もない。ここからコルサコフの街と港が一望できる。

日本時代は神楽ヶ丘公園と呼ばれ、亜庭神社もあったところ。

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 柵があるのみの展望台。

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 展望台からの眺め。かつてコルサコフは軍港として外国人立入禁止だった。

車が1台停まっていて、車内の若者4人連れがこっちをずっと見ているような気がする。なんとなく気味が悪く、写真だけ撮って退散する。

さっき登ってきた道とは別の道を降りて見る。下る道なので、町へ下りる道に違いなさそうだ。右側にバス通りが見え、斜面を下る近道があったのでそこを下りる。

港のほうへ行って見る。交差点のところに旧拓銀大泊支店の建物があった。現在は空家のようで、手入れもされずかなり朽ち果てているようだ。

日本時代はこのあたりが繁華街だったのだろうが、現在は倉庫や工場などが立ち並ぶ港の一画となっているように見えた。

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 旧拓銀大泊支店の建物。かなり老朽化している。

旧拓銀横からソベツカヤ通りを中心部に向かって歩く。
途中から歩行者天国になっていて、道の両側には、ななかまどの並木が続く。

通りには商店やカフェが軒を並べているて、人通りも多くなかなか賑わっている。並木の下には自由市場となっているのか、露店で野菜なんかも売っていた。
道行く人々ものんびりと歩いていて、まるで日曜日のようだ。

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 ななかまどの街路樹が美しいソビエツカヤ通り。

通りを歩いていたら、マンホールの蓋に『話・〒』と書いてあるのを発見。電話の電の字はつぶれてしまっているが、かつて日本時代の遺物に間違いないだろう。
歩いていればこその発見をしてちょっとうれしくなる。

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 市内で見つけたマンホール。マークと文字はまさしく日本時代の遺物。

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  歩行者天国のソベツカヤ通り。両側には店やカフェが建ち並んで賑やか。

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 道端で自作の野菜を売る露店。

市内を一周して再びレーニン広場に戻ってきた。そろそろユジノサハリンスクへ戻ることにする。ここからバス通りを10分ほど歩いてバスターミナルに戻る。

ターミナルは意外と立派で、屋根がありその下にはキオスクがある。大勢の人が屋根の下でバスを待っているが、この人たちはどうやらトンナイチャ方面へ行くようだ。

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 コルサコフのバスターミナル。

ユジノサハリンスク行は何時に出発するのか、バスは20〜30分毎に出ていると分かっているが、何も掲示がないのでとにかく待つしかない。しばらく待ってバスが到着した。

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 115番ユジノサハリンスク行バス。

バスに乗り、車掌から切符を買う。
行きとは違い、帰りは空いてると思っていたら次々と乗ってきて混み始めた。

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 ユジノサハリンスク行バスの車内。

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 車内で切符を売る車掌。

17:00にバスターミナルを発車した。
次のバス停(楠渓町)でもたくさん乗ってきて立ち客も出る。

相変わらずバスはノロノロと坂を登って一気に下るを繰り返す。

『2Я‐パーヂ』『3Я‐パーヂ』という地名の表示が現れる。それぞれ『フタラーヤ・パーヂ』『トレチーヤ・パーヂ』と読むのだが、日本時代は『二ノ沢』『三ノ沢』という駅があったところで、日本時代の地名をそのまま訳したような地名だ。

バス停ごとに乗客は減って行った。トレチーヤ・パーヂには軍の建物らしい施設があり、軍人が乗ってくる。

18:05、バスはユジノサハリンスクの駅前に着いた。

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 ユジノサハリンスク駅に着いたバス。

夕食はどうしようか。あまり腹も空いていない。
それよりも、ラーダホテルに預けていた荷物をとりに行かなければならない。

レーニン通りのバス停に立っていると、次から次へとバスがやってくる。系統は何十とあるようで、どのバスに乗ればいいのやらさっぱり分からない。
しかもほとんどは、バスではなく普通のワゴン車に系統番号の板を表示しただけの車なのだ。乗っていいのか悪いのか・・・

やっぱり神社通りを歩く。勤め帰りの人だろうか、道端でビールを飲んでいる人が多く、道端にもあちこちビールの空き瓶が転がっている。再びラーダホテルに戻ってきた。

4へつづく


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