今どきの時刻表はつまらない

最近、昔の時刻表を眺めては、ため息をつくことが多くなった。

うちにある時刻表で、復刻版を除くと一番古いのは交通公社の時刻表1972年5月号になる。
その次が同じく1976年9月号1980年8月号1983年3月号と続く。

いずれも東京に行ったときに、神田神保町の古本屋で手に入れたもの。

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 手持ちの時刻表。

実際に当時手に入れたもので一番古いのは青函トンネルと津軽海峡線が開業した1988年3月号

さすがに毎月は買わないが、主要なダイヤ改正があったり、旅行計画を立てるたびに購入していた。

時刻表は基本捨てないで取っておいたのだが、溜まる一方で、段ボール箱3個くらいになったものだった。
使い込んでボロボロのものが多く、またカビが生えたりして、10年ほど前に泣く泣く処分してしまった。

一番新しいのは、JR時刻表2017年3月号
これはたしか北海道新幹線に初めて乗るから買ったんじゃなかったかな。

同じ年の秋に山陰方面へ旅行しているが、その時のプランニングでもこの時刻表を使った。
大まかなプランを考えるのだったら、少しくらい古い時刻表でも構わない。

正確な時刻や運転日は、ネットで調べればいいのである。
そんなわけで、もう10年以上前から時刻表を買うことは、ほとんど無くなった。

時刻表の用途は列車の時刻を調べるだけではない。

そう、読み物としての時刻表である。
これは一般の方々には理解しがたいところだろうが、好き者にはこの数字の羅列が物語になるのである。

大きなダイヤ改正があると、時刻表の発売日が待ち遠しかった。
発売になり入手すると、ダイヤ改正号の時刻表を食い入るように読んだものだった。

  

私が記憶として持っている中で一番印象に残っているダイヤ改正は、国鉄最後の白紙大改正となった1986年11月1日改正である。

この改正で多くのローカル急行や特急北海などが廃止となったが、特急『おおぞら』や『北斗』それにL特急『ライラック』や『ホワイトアロー』の増発やスピードアップ、札幌のほか都市近郊の普通列車の大増発が行われた。

もう確定事項となっていた分割民営化を先取りし、従来の国鉄型ダイヤからの脱却ともいえる画期的な改正だった。
その大筋はJRになっても長きにわたり引き継がれることになる。

その次に印象深いのは1988年3月13日改正

青函トンネル開通により、津軽海峡線が開業したダイヤ改正だ。

上野〜札幌間に寝台特急『北斗星』、青森〜札幌間に急行『はまなす』、青森〜函館間に快速『海峡』が運行を開始した。
特急『はつかり』は2往復を函館まで延長、大阪からは寝台特急『日本海』が1往復函館まで延長された。

国鉄から引き継いだ余剰車両の有効活用とはいえ、急行列車や昼行の客車列車の新設はこの当時でもかなりユニークなものだった。

一方で、永らく津軽海峡の主役だった青函連絡船は、この日が定期便としては最後の運航となった。

今まで本州と分断されていた北海道の鉄道にとっては、一大エポックの出来事だった。
そんなダイヤ改正号の時刻表読みながら、子供だった私は、まだ行ったことのない東京より先や、さらに遠い九州や四国に思いをはせていた。

この時刻表は表紙も無いくらいボロボロになっているが、これだけは捨てないで取ってある。

  

今の時刻表はつまらなくなった。
つまらないといっても、別に時刻表や出版社が悪いわけではない。

時刻表を読んでも、ダイヤに面白いと思える要素がすっかり減ってしまったことだ。

2000年代初頭までは、細々とながらも運行していたブルートレインをはじめとした夜行列車が走っていたし、JR各社の在来線の特急列車は新車投入やスピードアップなどを競っていた。

夜行の普通列車や快速列車も健在だったし、青春18きっぷのシーズンとなると、時刻表を基にその夜行列車を軸にして普通列車の乗り継ぎプランを立てるのに熱中したものだった。

そのつまらなくなった原因は、1番は新幹線であり、2番はL特急によるパターンダイヤだろう。

新幹線が開業したりスピードアップしたり便利になることはとても喜ばしいことだ。

新幹線やL特急のはパターンダイヤは利用者にとっては便利だ。
毎時何分発のは〇〇号で、どこ行きで、停車駅はどこでとほぼ決まっている。

時刻表が無くても決まった時間に決まった列車が発車するのでわかりやすい。
利用者サイドからすれば大歓迎である。

しかし、時刻表好きからすれば、それでは物足りない。
1つの線路上を、多種多様な種別や行先の列車が抜きつ抜かれつして行き交う様を読み取るのが、時刻表を読む醍醐味である。

パターンダイヤは利用者にはわかりやすいが、複雑なダイヤを読み解く楽しさは無い。

それでも、ギチギチに詰め込んでいる感がある東北・上越新幹線の東京口のダイヤなんかは読み解くと面白いのかもしれない。
しかし、スジ屋さんの職人技に感心こそすれ、読んでいて旅情めいた感情が沸き起こることはないだろう。

  ★

例えば、交通公社の時刻表1980年8月号を本棚から出して開いてみる。
国鉄時代のもので、東北・上越新幹線はまだ開業前の時刻表だ。

東北本線上野発のページを開くと、特急あり急行あり普通あり夜行あり。

まだ東北新幹線などなかった時代、上野発の特急列車がそこのけそこのけと言わんばかりに幅を利かせ、そしてその脇を急行列車が並行して走る。
このページだけでは見えないが、上野〜大宮間は高崎線の列車も同じ線路を走っていた。

普通電車などはその間を遠慮がちに入れさせてもらっているような存在で、中には上野駅へ乗り入れさせてもらえず、大宮発着の列車もある。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、東北本線下りのページ。

様々な列車が抜きつ抜かれつ走る様を時刻表で読んでいると、私はこの時代は子供だったので実際の列車に乗ることはなかったが、何やら往時の列車や光景が目に浮かぶようだ。

昼間は電車の特急や急行が主役だが、19:00発仙台行L特急『ひばり29号』が出ると、19:08発青森行急行『八甲田』から始まって夜行列車の発車時間帯となる。

最終が23:55発の会津若松行急行『ばんだい11号』と仙台行『あづま3号』の併結列車。
その間に夜行急行列車は7本、寝台特急列車が4本、臨時列車を含めると全部で21本もの列車が19時過ぎから23:55までに上野駅を発車して行くのである。

この頃が、上野駅に発着する在来線列車の最盛期であった。
この2年後には東北・上越新幹線が大宮発着ながらも開業し、在来線の特急・急行は大幅に縮小されることになる。

これが現在の東北本線(宇都宮線)のページを見ると通勤電車ばかり。
高崎線はまだ在来線の特急が残っているが、これとて特急が通勤電車に遠慮して走っている感がある。

  

ダイヤ改正の度に時刻表がつまらなくなるのは新幹線開業である。
新幹線が開業すると、並行する在来線の特急列車や夜行列車が廃止になる。
また最近は並行する在来線を第三セクターへ移行することも増えた。

第三セクターは基本的に通勤通学のための鉄道で、ダイヤとして見るとつまらない。
快速電車を走らせて新幹線と競争すれば面白いと思うが、そういうことをしたがる鉄道会社はあまりないようだ。

もう1つは、これは北海道に限った話だが、ダイヤ改正の度に列車本数が削減され、スピードもダウンする傾向がここ10年ほど続いている。

JRになってからスピードアップや増発をしてきたが、車両や線路のメンテナンスが追い付かないために事故が頻発するようになってから、このようなことになっている。

2013年11月1日のダイヤ変更”は、JR北海道の運命を象徴するようなものだった。
主な内容は、特急列車の減速による所要時間の増加というものである。

もはや”ダイヤ改正”と呼べるものではなく、JR北海道自ら”ダイヤ変更”と呼ぶほどだった。
183系気動車のエンジントラブルから、特急『北斗』と『サロベツ』が長期運休中のなかでのことであった。

この後も、ダイヤ改正ごとに特急の減速や運転区間の短縮、不採算のローカル列車の削減、駅の廃止が相次ぐことになる。

ローカル線の廃止は、JR化後に上砂川支線や深名線が対象になったが、それ以降は落ち着いていた。
しかし、JR北海道の経営悪化が叫ばれるようになり、不採算路線の廃止が始まった。

ダイヤ改正の度に時刻表が寂しくなってゆく。
昔のように、ダイヤ改正の度にワクワクする感はとうに忘れてしまった。

  

道内で、最近の大きなダイヤ改正といえば2016年3月26日ダイヤ改正だろう。

北海道新幹線新青森〜新函館北斗間の開業である。
暗い話題ばかりつきまとうJR北海道にとっては、久々の輝かしいダイヤ改正であった。

同時に函館〜新函館北斗間は電化され、快速『はこだてライナー』が運行を開始し、特急『北斗』系統はキハ261系の新車が投入され、過去最高の12往復体制となった。

新幹線に並行となる木古内〜五稜郭間は、第三セクターに移行となり、道南いさりび鉄道と名を変えた。
地域密着ダイヤとなり、若干増発されている。

しかし肝心の新幹線のダイヤでは、目を引き付けるようなものはなかった。

要は、新青森止まりの『はやぶさ』をただ新函館北斗まで延長しただけで、これといって目新しい要素は見当たらなかった。
開業前は期待していた所要時間や本数も、新しいダイヤでは落胆するものでしかなかった。

その華々しく開業した北海道初の新幹線も、蓋を開けてみれば低い乗車率や年間100億円近い赤字など、散々たる営業成績となってしまった。

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 道民の期待を背負って開業した北海道新幹線。新函館北斗駅に入線する『はやぶさ』。

その後のダイヤ改正では、東京〜新函館北斗間の所要時間が若干短縮されたものの、基本的には変わらない。
東京口の過密ダイヤを優先せざるを得ないという事情もあるのだろう。

そのほかにも、東北新幹線は単線区間を持つ在来線にミニ新幹線として乗り入れていたり、福島駅でのホームの制約、北陸新幹線も乗り入れるようになった東京〜大宮間の線路容量など、他社区間の北海道新幹線まで手が回りませんというのが見て取れる。

まだまだ先の話だが、2031年春を予定している札幌延伸開業が待たれるところだ。

その時は、北海道の鉄道にとっては青函トンネルの津軽海峡線開業以来の一大エポックとなるはずだ。
華々しいダイヤ改正となるのだろうが、そこに新ダイヤ改正号の時刻表を読みふけるような魅力は期待していない。

引き換えに、並行する函館〜小樽間の在来線は第三セクターに移行することになっている。
特急『北斗』系統は、長万部〜札幌間に短縮され、本数も大幅に減ることだろう。
三セクは普通列車しか運行しないだろう。そんな時刻表はつまらない。

そもそも、その頃に北海道の鉄道が、鉄道網として存在しているのかも怪しい状況だ。

  

在来線の特急列車はダイヤ改正の度に縮小する一方だ。

これは全国的な傾向で、都市間列車の主力は新幹線へ、在来線は通勤通学輸送をメインにするという流れは止まらないようだ。

年々拡充する高速道路網。それに新幹線のライバルともなる存在になったLCC(格安航空)の台頭。
また、ひところは凍結状態だった整備新幹線の建設も現実のものとなった。

まとまった需要のある都市間輸送は新幹線へ、投資をしても発展の見込みがない在来線特急は合理化へというのが今の流れであろう。

大都市周辺の電車だけはダイヤ改正の度に充実するし、経営的にもそれが正しいのだろうけど、時刻表はそれではつまらない。

  

私は、今の時刻表に面白さや将来を求めるのはやめることにした。
過去の時刻表を入手し、そこに物語や旅情を求めることにしたのである。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、連絡早見表 東京から北海道方面へより。

私は北海道の人なので、どうしても東北や北海道のページに目が行く。

上野を特急で発つと青森駅では青函連絡船に乗り換える。
函館駅からそれに接続して、道内各地への特急が接続するのだった。

上野から青森までの所要時間は、一番早いのが特急『はつかり11号』の8時間43分。他の『はつかり』は9時間前後となっている。
このはつかり11号は青森で青函連絡船の夜行便に接続する。函館には、ほとんどの時期ならば夜明け前の4:25着。

函館駅では海線経由で札幌へ、さらに滝川経由で釧路まで行く特急『おおぞら1号』。それに山線経由で札幌・旭川まで行く特急『北海』が待ち受けている。そのあとは山線経由の札幌行になる急行『ニセコ1号』。

このダイヤはのちに寝台特急『北斗星』や新幹線から急行『はまなす』の乗り継ぎダイヤに受け継がれる。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、千歳線・室蘭本線・函館本線・青函航路(上り)より。

上は札幌〜函館間の千歳線・室蘭本線・函館本線のページ。
千歳線はまだ電化前、千歳空港駅開業前のもの。

特急は基本的に函館駅で青函連絡船に接続し、青森からまた各方面への特急に接続するダイヤだった。
連絡船を介して、東京や大阪へと連絡するダイヤだった。
反面、道内だけ利用となると不便なダイヤだったと想像する。

もう1つは普通列車の少なさ。
札幌発でも基本的に1時間に1本。

この頃は、国鉄の列車のことをみんな汽車と呼んでいたものだった。
時刻表を見て、列車の時刻に合わせて家を出るのが、この時代の汽車の乗り方であった。

とりあえず駅に行けばすぐに乗れるようなものではなかった。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、池北線・釧網本線・名寄本線より。

北海道へ渡れば、ローカル線が普通にあった。
またちょっとした路線であれば急行列車も運行されていた。

札幌へ直通する列車ならばそれなりに利用価値はあったのだろうが、普通列車と車両も所要時間も大差ない急行も多数あった。このあたりは沿線の人たちのシンボル的な列車だったんだろうな。

自分の町に急行が止まるというのは、それなりに自慢になることだったろう。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、索引地図より。

石勝線開業前で、一番路線網があったころの路線図。

この当時私が大人だったら、毎週のようにどこかのローカル線へ乗りに行ったのかもしれない。
もちろん金曜日発の夜行列車で。

しかし改めて見るとすごいね。
よくここまでの路線網が出来上がったものだ。

人口希薄地帯にこれだけ鉄道を敷けばそりゃ国鉄も赤字になるわ。

過去の時刻表ながら、いい大人になってもワクワク感は止まらない。

しかし鉄道ファン、とりわけ乗り鉄(列車に乗ることを趣味とする鉄道ファン)にとって、列車は実際に乗ってこそナンボである。
時刻表を読んで、空想しているだけでは欲求不満になってしまう。

  

夜行列車や長距離列車に乗りたくても、現在の日本ではもう叶わない。

私はそれを海外に求めることにした。
いわゆる海外鉄というやつだ。

毎年私が海外に出ていくのは、日本ではもう絶滅危惧種になった夜行列車や長距離列車に乗るためである。

乗り鉄の欲求を満たすだけならばそれでも良い。
残念なことに、海外の鉄道には日本のような緻密な時刻表は存在しない。

鉄道時刻表が出版物として販売されているのは日本くらいじゃないだろうか。
トーマスクックの時刻表もあるが、海外の本屋で並んでいるのは見たことがない。

それはそうで、時刻表というものは自分が目的地に着くにはどの列車に乗って、どこで乗り換えればいいのかわかればそれで良いのであって、路線ごとにすべての列車が俯瞰できる時刻表など無くても何も困らないのである。

また日本と違い、海外の鉄道は1つの路線に列車が1日数往復だけというのがほとんどだ。
それどころか、定期列車が1日1往復も走っていればマシな方で、1週間に1日とか、貨物専用で旅客鉄道など運行していない路線も多い。

ヨーロッパは比較的緻密な旅客列車網が充実しているが、これも日本以上にパターンダイヤ化されていて、抜きつ抜かれつといった時刻表の面白さとは程遠い。

そんなわけで時刻表の面白さは、もう過去のものに求めるしかないのである。

  

過去の時刻表を読んでいると本当に面白い。
数字の羅列の中に、抜きつ抜かれつの物語を見ることができる。

これを小説化したのが松本清張や西村京太郎であり、エッセイとしたのが宮脇俊三である。

しかし、いくら物語といえども所詮は過去のもの。
存在しないし、実際に乗ることは叶わないのだ。

そんな物語を読んで空想にふけりながら、私は今夜もため息をつく。

タグ:鉄道

posted by pupupukaya at 19/06/09 | Comment(0) | その他
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