さようなら石勝線夕張支線2

さようなら石勝線夕張支線1 からの続き

 ◆ 清水沢駅その2

2004年までは列車交換施設があって、タブレット交換を行っていた。
また道内で最後まで腕木式信号機が使用されていた駅でもあった。

ホームは駅舎から離れた所にあるのは、何本も貨物線が並んでいたからだ。
三菱大夕張鉄道があったころは、この貨物線で石炭貨物列車の入れ替えをやっていた。

駅舎からは長い跨線橋で結んでいたが、棒線駅になってからは不要になり撤去された。

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 ホームから見た清水沢駅の駅舎(2002年3月)

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 三菱大夕張鉄道が使用していた0番ホーム跡(2002年8月)

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 改札口を出たところ、奥が信号小屋(2002年3月)

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 駅員がタブレットを持って出てくる(2002年8月)

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 無人駅になった清水沢駅と骨組みだけになった0番ホーム(2015年12月) 

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 交換設備廃止後に跨線橋とホーム上屋が撤去されている(2015年12月)

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 清水沢駅の腕木式場内信号機(2002年8月)

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 腕木式信号機は駅舎からワイヤで操作していた(2002年8月)

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 清水沢駅の腕木式信号機ウラ側、夜はカンテラで灯す(2002年8月)


 ◆ 鹿ノ谷駅

古くは夕張鉄道の接続駅で、ここから栗山・野幌への路線があった。
駅裏の広大な空き地は貨物線がたくさん並んでいた。
駅北側にある、やけに長い跨線橋が広い構内の名残り。

夕張緑ヶ丘実業高校があった頃は通学生で賑わったが、2003年に閉校している。
清水沢に夕張高校と市内に2校だった頃は、朝夕は学生の大移動だったのだろう。
1990年代までは夕張工業高校と夕張北高と2校の通学生で賑わった。

現在は南清水沢への通学生が数人利用するだけの駅である。

駅前は商店街はなく、突き当りの道道沿いが商店街だったようだが、今では空き地ばかりが目立つ。
2000年代は駅正面に日通があったのを覚えている。

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 鹿ノ谷駅の木造駅舎(2013年10月)

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 広い待合室が夕張鉄道との接続駅だったことを思わせる(2015年12月)

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 鹿ノ谷駅のホーム(2013年10月)

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 広大な構内だったが今は草っ原。


 ◆ 夕張駅

夕張駅は2度移転している。
最初の駅は現在より2.1kmほど奥、現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。

それが移転したのが1985年。今の市役所の裏、かつて夕張鉄道の終点だった夕張本町駅だった付近に設けられた。
貨車駅だったが、3両連結の貨車が軌道上に置かれた変わった駅だった。

2度目の移転が1990年。
マウントレースイの客の便のために開設された。
本当は終点を市役所裏としたまま途中駅を設けたかったのだが、勾配の関係でそれが難しいためにやむなく路線短縮、現在の場所が終点となった。

当時はスキーリゾート列車の乗り入れも構想にあったようだが、実現することはなく、本来の目的であったスキー客の利用も少なかった。

主な利用客は本町方面やマウントレースイホテルへの通勤客。
朝の列車は10数人の通勤客がこの駅から各方面に散って行く光景が見られた。

無人駅だが、1998年までは駅舎内にキヨスクがあって乗車券も販売していた。
その後は完全無人となり、市の財政悪化からトイレが閉鎖されるなどを経て、2009年に駅舎を改装してカフェがオープンした。
同じころ駅の横に、ゆうばり屋台村がオープンしている。

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 教会風の駅舎だった3代目夕張駅舎(2009年5月)

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 ホテルマウントレースイと夕張駅舎(2009年5月)

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 駅名標(2009年5月)

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 左のシャッターは元キヨスクで、乗車券も売っていた(2009年5月)

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 キヨスクで売っていた乗車券(1994年1月)

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 ホームに停まる1両の気動車(2009年5月)

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 カフェに改装され、観光案内所も入居した夕張駅(2010年11月)

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 黄色いハンカチ風の紙に応援メッセージ(2015年12月)

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 10数人が通勤ラッシュの朝の夕張駅(2015年12月)


 ◆ 旧夕張駅への廃線跡

現在の夕張駅から先は、廃線跡がサイクリングロードとなっていた。
今のセイコーマートの左横あたりから2代目夕張駅のあった市役所裏まで続いていた。
いかにも廃線跡で、鉄道時代の電線もそのまま残っていた。
しかし、2010年に並行する道道夕張岩見沢線の拡幅工事のため消滅している。

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 2代目夕張駅跡まで続いていた廃線跡のサイクリングロード(2009年5月)

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 2代目夕張駅跡、取り壊したホームの建材が無造作に積んであった(2009年5月)

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 市役所に併設の市民会館は元は夕鉄の夕張本町駅だった建物(2009年5月)

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 道路拡幅前の夕張本町商店街(2003年9月)


 ◆楓駅

夕張支線の駅ではないが、番外編。

石勝線開業により廃線になった登川支線の代替として設けられた駅。
当初はそれなりに利用者があったようで、6往復の列車があったが、4往復→2往復と減らされ、2000年のダイヤ改正では朝の1往復のみ、しかも日曜運休という運行になってしまった。
末期の利用者は1日当たり1人という状況で、2004年3月に信号場に格下げ、楓行の旅客列車も廃止となった。

現在、駅舎とホームは撤去されているが、線路だけは保線用車両の留置線として残っている。

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 本線と分かれて独立したホームだった楓駅(2003年9月)

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 朝の1往復だけ発着だった晩年の時刻表(2003年9月)

こうして過去の画像を見ていると、何だか切なくなってきた。
北海道から鉄道がどんどん無くなってゆく。

江差線の木古内〜江差間、留萌本線の留萌〜増毛間は既に廃止されている。
JRから受け継いだ第三セクター鉄道のふるさと銀河線も廃止という選択を取った。

札沼線の医療大学〜新十津川間も廃止が決定している。
災害で運休中の日高本線の鵡川〜様似間も決定事項ではないが廃止は確実だ。
根室本線の富良野〜新得間も同様である。

留萌本線の残り区間も長くはないだろうし、北海道新幹線札幌延伸とともに函館本線の長万部〜倶知安間は確実に廃止になるだろう。

宗谷線、石北線、花咲線あたりは国の政策次第といったところ。

私自身、仕事上もプライベートも車社会の住人である。
鉄道の廃止について、とやかく意見できる立場にはない。

悲しいが、ただ見守ることしかできない。

  ★  ★  ★

夕張支線の廃止まであと1週間。
もう一度最後に乗っておきたかったが、たぶん行かない。

賑やかに見送られる最終列車は、テレビのニュースあたりで見ることだろう。

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 朝焼けの中、汽笛とともにやって来た始発列車(2015年12月)

廃止後、雪が無くなったらもう一度訪れてみることにしよう。
今度は廃線跡として、ということになるが。

 〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 19/03/24 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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