ことし(2019年)の3月いっぱいで石勝線夕張支線が廃止になる。
私自身、夕張に縁があるわけではないが、夕張支線はよく乗ったことがある路線だ。
1日散歩きっぷを買っての日帰り旅行や、青春18きっぷの消化などでよく乗りに行った。
接続の悪い新夕張での普通列車と新得方面への特急列車の乗り継ぎに、夕張まで1往復できたりもした。
何だかんだで、思い入れのある路線のひとつである。
廃止前にもう一度乗りに行こうと思っていたが、行けぬまま今になってしまった。
今さら行っても、どの列車も混んでいるだろうし、いわゆる葬式鉄なるものに加わるのも気が引ける。
というわけで、過去の写真をアルバムから見つけ出し、夕張支線を思い出すことにした。
夕張線時代の路線図(交通公社の時刻表1980年8月号より)
この夕張支線はもともとは夕張線という独立した名称を持つ路線だった。
1981年、千歳空港〜追分間、新夕張〜新得間の石勝線が開業すると、間に挟まった夕張線は取り込まれる形で石勝線と名を改めた。同時に、新夕張〜夕張間も石勝線と改称し、同線の支線扱いとなった経緯がある。
で、このたび廃止になる夕張支線だが、JRになってから幹線系では廃止になる初の路線である。(新幹線並行路線を除く)
いや過去に廃止された、函館本線の支線である砂川〜上砂川間、通称上砂川支線も幹線だったが、あれは函館本線の支線扱いだったので、廃止対象線区には選定されなかったし、不当に幹線という扱いを受けていただけだった。
夕張支線だって同じじゃん。石勝線自体が幹線だったから上砂川支線と同じ扱いを受けていただけじゃん。
と言われそうだし、私もそう思っていました。
石勝線に取り込まれなかったら、他の廃止路線と同じく廃止されていただろうと思っていた。
ではなぜ幹線系で初の廃止かというと、実はこの路線、夕張線時代から幹線となっていたからだ。
1981年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)に基づいて幹線と地方交通線に選別されることになった。
旅客輸送量の多い函館線や千歳線、室蘭線、根室線は幹線となったが、夕張線は『貨物輸送密度が4,000t以上である線』という条件をクリアして幹線という扱いを受けた。
他はすべて地方交通線ということになり、さらに基準以下の路線は特定地方交通線に指定され、第1次、第2次、第3次と段階的に廃止されることになる。
同様の運炭路線であった幌内線、歌志内線は2次の指定を受け、JR化後に廃止されている。
もし石勝線に組み入れられず、夕張線のままであっても、時刻表では幹線系の路線として掲載されていたはずである。
とにかく、夕張支線は石炭とともにあった路線だった。
国鉄からJRに移行した頃も、1日4往復の石炭貨物列車があったようだ。
1986年11月改正の貨物時刻表(神田の古本屋で買ったもの)には、清水沢から2往復、沼ノ沢から2往復の石炭列車が、苫小牧操車場へ向けて運転されている。
しかし翌年の1987年7月には清水沢からの三菱大夕張鉄道が廃止、同年10月には沼ノ沢からの北炭真谷地炭鉱専用鉄道が廃止になる。これで、石炭輸送は終わり、あとは細々と旅客輸送を行うだけのローカル線となってしまった。
1990年には夕張最後の炭鉱だった三菱石炭鉱業が閉山し、夕張から全ての炭鉱が姿を消した。
この時点で、鉄道としての役割は終えていたのだろう。
石炭列車が4往復あった頃の貨物ダイヤ(貨物時刻表昭和61年11月ダイヤ改正より)
◆ 新夕張駅
夕張線時代は紅葉山(もみじやま)という駅だった。
駅前広場に夕張線時代の駅名標が立っている。
石勝線開業と同時に今の新夕張に改称した。新たな特急停車駅ということで意気込んで命名したのだろう。
しかし、町名は今も昔も紅葉山のまま。
国道沿いのコンビニの店名なんかも、すべて紅葉山。
鉄道利用でなければあまり馴染みのある名前ではない。
途中駅だが、青春18や1日散歩所持での普通列車と特急列車の接続が悪いのと、直通列車でもやたらと停車時間が長かったので、何かと縁がある駅でもあった。
この駅から楓まで1駅だけの普通列車があったが、2004年に楓駅とともに廃止されている。
新夕張駅正面(2015年12月撮影)
新夕張駅改札口のあたり(2002年8月)
のりかえ表示に『楓』の駅名があった頃(2002年3月)
3・4番ホームの夕張側にあった0番ホーム(2002年8月)
新夕張→夕張の乗車券(2015年12月)
◆ 沼ノ沢駅
かつては北炭真谷地炭鉱専用鉄道が真谷地炭鉱まであって、石炭を搬出していた。
2000年代前半くらいまで、錆びた側線が何本か残っていたような気がする。
駅周辺はまとまった町になっていて、朝は夕張行の列車に数人の通勤通学客が乗ってくる。
レストランが入居する沼ノ沢駅の駅舎(2015年12月)
沼ノ沢駅の待合室(2015年12月)
ホーム側からの駅舎(2003年9月)
◆ 南清水沢駅。
こじんまりとした駅舎で駅前広場も無いが、新夕張以外の夕張支線で一番利用者の多い駅。
夕張高校の最寄り駅だからだろう。
委託管理のおばさんが窓口できっぷを売っている。
駅と集会所を兼ねているような、そんな雰囲気があった。
駅員がいても、何となく役所的な感じの清水沢駅とは対照的な感じがした。
開業は1962年と、夕張支線では一番新しい駅。
当時は女性駅員の駅として話題になったようだ。
〜駅員が全部女性という変わった駅(北海道駅名の起源より)
夕張市はそれぞれ炭鉱ごとに町があって、その市内の町を鉄道が結ぶといった、鉄道の経営的には望ましい都市形態といえる。
しかし、夕張市としては町がバラバラに存在するとあっては経費がかかりすぎるというので、清水沢地区に集約したがっているようである。
夕張高校への通学生のほか、団地や住宅が多く、ここから夕張までの通勤客も少なからずある。
駅前はスーパーとホームセンターがあり、川向うには生協と市内唯一の小中学校があるので、このあたりは夕張の実質中心といえる。
この駅の少し南側に、子育て・教育、交通結節点、公共施設の役割を持つ拠点複合施設がつくられ、市内交通の拠点にもなるようだ。
鉄道廃止後に中核施設がつくられ、町の中心として発展するというのも皮肉な話だ。
南清水沢駅の駅舎(2015年12月)
待合室ときっぷ売り場の窓口(2015年12月)
きっぷ売り場、たまに留守になるようだった(2015年12月)
本は列車待合用に利用者が持ち込んだのだろう(2015年12月)
まだ廃止が確定していなかった頃(2015年12月)
南清水沢駅発行の乗車券(2015年9月)
南清水沢駅のホームから(2015年12月)
◆ 清水沢駅
三菱大夕張鉄道がこの駅から発着していた。
南大夕張からの石炭列車はこの駅でスイッチバックし、石勝線へと乗り入れていた。
駅舎とホームが離れているのは、この間に何本もの側線があった名残り。
いまは棒線駅だが、2004年3月までは構内が複線になっていて、列車交換が可能だった。
当時は全国的にも珍しくなっていた、タブレット閉塞と腕木式信号機がそれまで使われていた。
しかし貨物廃止後は、定期列車ではこの駅で交換する列車は無かったようだ。
臨時のリゾート列車でも乗り入れることを想定していたのだろうか。
棒線化されてからも駅員は引き続き配置されたのは、定期券の販売などそれなりに営業の拠点と判断されたからなのか。
しかしその当時の営業成績は、乗車人員で1日当たり80人、10年後の2014年度には1日当たり12人と激減。
これでは合理化の対象になるのも無理はなく、2015年の10月には無人化されることになった。
夕張高校へは徒歩圏内なので、通学生は乗ってこない。
夕張へのわずかな通勤客だけが利用していたようだ。
駅前は商店街になっていて、炭鉱があった頃は賑わっていたのだろう。
有人駅だった頃は駅前にタクシーが常駐して駅前らしくなっていたが、無人駅になってからはタクシーもいなくなってしまった。
無人化される直前の清水沢駅(2015年9月)
清水沢小学校への人道橋から見下ろす(2002年3月)
清水沢駅と商店街(2002年3月)
駅員常駐だったころの清水沢駅の待合室(2002年8月)
冬にはストーブが燃えていた待合室(2002年3月)
きっぷうりば(2015年9月)
無人化され、窓口には板が張られ、外された時計の跡も寒々しく(2015年12月)
昔の住宅地図と付箋の思い出書き(2015年12月)
『清水沢駅の思い出展』として貼り出された過去の写真(2015年12月)
清水沢駅からの乗車券(2015年9月)
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