長い間親しまれてきた三角屋根の函館駅。
かつて青函連絡船のあった頃は『れんらく船のりば』のネオンが輝き、北海道の本州側からの玄関口であった。
青函トンネル開業後は、本州から札幌直通の列車ができたとはいえ、昼間の特急はすべてここで乗り換えになる。北海道の玄関口であることには変わりなかった。
昭和時代に完成し、平成時代に役目を終えた旧函館駅舎を画像で綴ります。
函館駅5代目、現駅舎(2019年3月撮影)
青函連絡船を模して設計されたという駅舎。
壁面はチタン製で、海風による腐食も受けにくいとか。
2016年3月、北海道新幹線開業によって函館駅は玄関口としての役割を新函館北斗駅にゆずることになった。
本州からの連絡を受け持つことはなくなったが、現在は特急北斗の始発駅として、函館市のターミナルとしての玄関口であることには変わりない。
年号が改められて時が経てば、近代的な平成時代の駅ということになるのだろうか。
しかし駅前に立つと、あの三角屋根の旅情あふれる駅舎を思い出す人も多いのではないだろうか。
この旧駅舎は1942(昭和17)年建築のもので、戦時中にも関わらず鉄筋コンクリート造で建てられたくらいだから、当時の函館駅の重要度がうかがえる。
設計的には切妻の三角屋根を中央に据えただけという特に凝った造りではないが、妙に旅情を感じる不思議があった。
北海道の玄関口として、あるいは背後に港を控えたことや連絡船があったことなどが、この駅舎を引き立てていたのだろう。
長らく風雪に耐えてきた駅舎だが、老朽化のため2003年に現駅舎に建て替えられた。
三角屋根の旧駅舎を惜しむ声も多かったが、長年風雪や海風にさらされた駅舎は老朽化が深刻だったようだ。
鉄筋コンクリート建てだが一部は木造で、しかも戦時中の物資不足の中で建設された駅舎は耐震工事もままならず、建て替えるほかなかったようだ。
旧駅舎跡地は広大な駅前広場の一部になっている。
三角屋根と青い大時計がシンボルだった(2002年3月撮影)
国鉄末期頃から主要駅は格好の広告媒体とばかりに、大看板が掲げられたものだ。
広告の大看板が掲げられるようになってから、駅舎本体が余計に古くさく見えるようになったのだろうか。
正面楼上にある水色の時計は1953(昭和28)年に設置されたもの。
直径2.2mの大時計で、夜には時計盤の目盛と針が光るネオン時計だった。
現駅舎と大時計(2019年3月)
新しい駅舎と調和して開業当初からあるように見えるが、当初時計は設置されていなかった。
乗客の要望が強くあって、2004年に設置されたもの。
市電の走る街に溶け込んでいた三角屋根の駅舎(1999年5月撮影)
右はワコー、左は棒二森屋、それに松風町まで続いていた駅前通りのアーケードも今は無い。
駅の南側には大型商業施設が建設中、棒二跡も商業施設になるらしい。函館駅前もどう変わるのだろうか。
函館駅前を走る市電。上とほぼ同じ場所から(2019年3月)
函館駅前電停と函館駅舎(1999年5月撮影)
駅を出て正面へ進むと市電の函館駅前電停だった。
函館駅舎と並んで、もう一つの函館の顔でもあった。
1999年画像と同位置から(2019年3月撮影)
市電は函館の顔であることに変わりはない。
旧駅より奥に引っ込んだ形になった新駅の駅前広場に乗り入れるという話もあったらしいが実現しなかった。
駅は街から遠くに行ってしまった格好だ。
2002年頃の函館駅略図(メモより筆者作成)
テナントの入れ替わりこそあるが、国鉄末期〜JR化頃には上図のレイアウトになっていたのではなかろうか。
コンコースを取り囲むようにテナントが並ぶようになった。そのほとんどがJR北海道系が運営やフランチャイズの店であった。
これよりもっと前、国鉄時代の函館駅は私はうろ覚えでしかない。昔はもっと待合室が広かった気がする。
『函館驛写真で綴る100年の歩み』に掲載の、1982(昭和57)年の函館駅本屋平面図では、みどりの窓口の場所が待合室、にっしょくとオアシスの場所が一般出札窓口、待合所部分が乗船コンコースとなっている。
吹き抜けのコンコース(2002年3月)
天井の高さはあまり活かされては無かったようだ。
出入口を1箇所閉鎖して設けられたキヨスク。右側には駅弁みかどの売店があった。
今ではすっかり姿を消した行灯型の広告も並ぶ。
吹き抜けの改札口側(2002年3月)
当初はこちら側にも明かり取り窓があったが、いく度もの改築工事で埋められたようだ。
吹き抜けと言っても柱2本分だけ。あまり広い空間ではなかった。
現在の駅の吹き抜け(2019年3月撮影)
正面駅舎の煙突部分の内側。
北海道への玄関口としての機能は失ったとはいえ、特急北斗や新幹線連絡のはこだてライナーの始発駅としての貫禄は健在。
改札口前のコンコース(2002年3月撮影)
この頃にはすでに自動改札化されていた。前は銀色のボックスがいくつか並んでいた。
上画像の同じ場所(1999年9月撮影)

改札口前の時刻表(2002年3月)
道内の駅では今は見られなくなった白地の行灯(あんどん)式が最後まであった。
行灯方式の函館本線発車時刻表(2002年3月)
列車時刻が羅列された無機質な表示板だが、こうして見ると味わいというか旅情が感じる。
今のものは、紙にプリントして掲示板に張り出されたもので味気ない。
時刻変更があるたびに手作業で書き換えなければならず、手間のかかるものだった。
そのため、他の駅でも標準的なポスター形式のものに改められている。
駅コンコース改札口側から(2002年3月)
受験シーズンは大型合格祈願絵馬が置かれ、自由に書き込み出来た。
北側はみどりの窓口や旅行センターへの通路(2002年3月)
市松模様の床が時代を感じさせる。
この頃は改札口は1か所にまとめられていたが、昔はこの奥が出口専用の改札口で、コンコースの改札口は入口専用だった。
オープンカウンターのみどりの窓口(2002年3月)
国鉄末期、80年代にすでにこの場所に移転し、オープンカウンタースタイルになっていたようだ。
待合所入口とキヨスク(1999年5月撮影)
キヨスクも深夜まで営業していた。90年代前半までは待合室ともども、24時間営業だった記憶がある。
待合所の風景 改札側から(2002年3月撮影)
待合室の奥には『みかど』や『にっしょく』の食堂がある。いかにも駅の食堂という感じだった。
ベンチが撤去されていた頃(1999年5月)
90年代の一時期、待合室のベンチが撤去されていたことがあった。
当時コンコースは24時間開放され、ベンチはホームレスなどが横になり占領していたためと思われる。
しかし利用者には不評だったのか、青いバケット型ベンチが並ぶことになった。
その代わりに24時間開放を取りやめ、防犯上の理由として深夜は一時閉鎖ということになった。
待合室奥にあった『レストランみかど』(2002年3月)
画像で見ると階段があるので2階にあったようだ。そうだったかな。
レストランの窓からホームと列車が見えた記憶は残っている。
あと、ここで食べたとんかつ定食は、ソースではなく、なぜかケチャップが添えられていた。
現在の函館駅待合所(2019年3月)
旧駅舎時代から変わらず大勢の列車待ち客で盛況だ。
客層は外国人客が多いのは、時代の移り変わりを思わせた。
待合所の奥にあった立食いそば(2002年3月撮影)
『みかど』の立ち食いそば、いわゆる駅そば。夜行で早朝に到着するとよく利用した。
イカ天そば、みがきそばが名物だった。
みがきそばは、駅弁の鰊みがき弁当の甘露煮をそばにのせたもの。しょっぱかったなあ。
立ち食いそばが2店舗あった頃(2002年3月)
函館駅に夜行列車で到着すると、待ち受けていたかのようにコンコースの飲食店は既に営業していた。
函館駅の朝は早かった。
駅そばは『みかど』と『にっしょく』の2店舗が通路を挟んで向かい合って営業していた。
新駅舎には駅そばは受け継がれなかった。
ホームの店舗はみかどの運営で、新駅舎になってからも営業していたが、これもキヨスクともども閉店している。
正面口の裏側にあった西口(1999年5月撮影)
待合所後ろ側あった出入口。裏口のような雰囲気だった。
正面には函館朝市があり、函館市青函連絡船記念館摩周丸へもこちらが近い。
連絡船があった頃はここから桟橋口までアーケードが続いていた。
ラッチ内コンコースから見た改札口と精算所(2002年3月)
自動改札化後は左側の窓を改造した精算窓口は使われなくなり、改札口と統合した精算所が使われるようになった。
跨線橋から0番ホームを見る(1999年5月)
0番ホームは新駅舎建設のため、旧駅舎よりもひと足先に解体された。
跨線橋を渡らずに行き来できたホーム。
元々は戦後進駐軍車両専用のホームだったもの。のちに気動車列車専用のホームとなった。
湾曲したホームと駅本屋との間は、中庭のような雰囲気だった。
0番ホームから見た駅舎(1999年5月)
駅舎正面は何度もリニューアルされて古さはさほど感じられなかったが、ホーム側から見るとやはり老朽化が進行していたと窺わせる。
ドラえもんの機関車と快速海峡(2002年3月)
連絡船桟橋があったために大きくカーブしたホーム。
快速ミッドナイト、快速海峡、それに旧函館駅舎。
この3つが私にとって一番記憶に残っている函館駅。
青春18きっぷで旅していると、必ず接続の悪い函館駅で時間をつぶすことになったからだ。
平成はもうすぐ終わり、新しい時代がやってくる。
北海道新幹線の札幌延伸開業は2030年度の予定。
そのころには函館駅は特急列車の発着もなくなり、第三セクター鉄道に移管となる予定。
どうなるかわからない前途多難な北海道の鉄道。
それでもこの駅は北海道の玄関口としてのイメージは変わらないだろう。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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懐かしいですね
昔の函館駅
ごちゃごちゃした中にも楽しさがあった空間でした
わたしには待合室奥のトイレの前付近に、ウォータークーラーが一台あったことがどういうわけか記憶に残っています
ところで
今の函館駅は旅行客観光客に対して少し不親切なところがありますな
まあ ホームについてですが・・
札幌行きの特急列車ホームには売店がありませんよね(アルコール以外の自販機はあるが)
だから駅弁をはじめとする食べ物類はあらかじめ駅舎内で購入する必要があります
昨今いろいろな事情でそれはそれで構わないのですが
最もマズイことは
そのことが
つまり「ホーム上に売店がないこと」が周知されていないことです
ポスターひとつ改札口に掲示しておけばなあ、と思いますが
(少なくとも昨年末利用したときはそんなのはありませんでした、今4月現在それがあれば素晴らしいことなのですが・・)
事情を知らない利用者が一旦入場してから、遠い位置のホームから駅舎まで戻るのはそして再びホームへは、本当にシンドイです
改善の余地ありと思います
ホームに売店がない、車内販売もない件は、駅の放送ではやっていますが、聞こえなければ、あるいは外国人にはわからないですしね。
不採算と人手不足という名のもとに、サービスの低下、利用者に不便を強いても当然という姿勢には私も疑問を感じています。
無けりゃ無いで通知を徹底してほしいところですね。
ツアー旅行中のかすかな記憶の中の函館駅。。あの記憶を鮮やかにしたいと思いました。
その時の駅舎と周辺の雰囲気がわかり感謝しています。
「乗り鉄」「駅鉄」
pupupukayaさんの足元にも及びませんが、同じく「駅鉄」「乗り鉄」です。
リンクさせて頂いてよろしいでしょうか。
コメントありがとうございます。
当方、現在本業の出張中につきお返事が遅れまして申し訳ありません。
リンクは制限を設けておりませんのでどうぞ。
今後ともよろしくお願いいたします。