2018年11月27日(火)
◆ アデレード行バスチケットを買う
朝7時、いまオーストラリア内陸に位置するブロークンヒルという町にいる。
外はとっくに明るくなっているが、窓の外を見ると雨が降っていた。
今日はこの町に滞在することになる。
小さな田舎町なので、観光するところも知れている。丸1日どう過ごしたものかというような町だが、雨具合を見ながら歩くことにしよう。
ブロークンヒルで2泊するホテルはパレスホテル。
ボロホテルだが、電気ケトルとインスタントコーヒーと紅茶のティーバッグがたくさん置いてあるのはありがたい。
昨日スーパーで買ったパンと食品で朝食にする。
部屋に備え付けの電気ケトル、コーヒーと紅茶のセット。
昨日19:10に到着したアウトバックエクスプローラーは、今日は7:45発シドニー・セントラル行として出発する。
見送りにでも行こうかと思ったが、雨降りのなかわざわざ行くほどのことでもない。
それにしても雨に当たるとは、アメリカ旅行以来の 晴れ男伝説もここまでか。
とはいっても、この乾燥地帯のアウトバックにとっては植物にも動物にも、ここに暮らす人間様にとっても恵みの雨である。
ただ2晩だけの旅の者に文句を言う権利は無い。
窓の外は小雨模様だった。
9時過ぎ、雨は上がったようなので外に出る。
一応折りたたみの傘は持っている。空は明るいので、回復には向かっているようだ。
ブロークンヒル(Broken Hill)はニューサウスウェールズ州の一番西にある市で、人口は約1万8000人。
この地方の中心都市でもある。
といっても、ここから半径200km以内には町らしい町はなく、アウトバックと呼ばれるオーストラリア内陸の乾燥地帯に位置する数少ない町だ。
一番近い都市がビクトリア州のミルデューラ(Mildura)という町で、直線距離で250kmも離れていることから、いかに人口希薄地帯なのかがわかる。
農業には全く不向きなアウトバック地帯だが、鉱物資源の宝庫であったため、イギリス植民地時代からあちこちに鉱山町が出来上がった。
金が産出された地方は、ゴールドラッシュに沸いた。
特にブロークンヒル付近の銀や亜鉛の埋蔵量は世界最大級といわれ、1880年代からは鉱山都市として繁栄することになった。しかし、鉱業は1952年をピークに衰退を始め、主要な鉱脈は掘りつくしてしまった現在は、細々と銀の採掘を続けているに過ぎない。
どこか暗くて寂しい中心部の商店街。
中心部はイギリス植民地であった19世紀からそのままという感じの古い街並みが続いている。
アーケードの商店街は、まだ10時前で開店前ということもあるのだろうが、道行く人も少なく暗くて、昔の栄華のまま錆びついてしまった印象だった。
とりあえず駅へ行ってみたが、施錠されていた。
アウトバックエクスプローラーが発車して、次の定期列車は来週の月曜日ということになる。
ダッポーから毎日運転されているコーチサービスのバスは、ブロークンヒル駅ではなく。ブロークンヒル・タウン(Broken Hill Town)というバス停が観光案内所にあって、そちらに発着している。
今日は火曜日なので、夕方にシドニー行のインディアンパシフィック号がこの駅に停車するはずだ。
駅へはその時にあらためて行くことにする。
この町でまずしなければならないことは、明日アデレードまでのバスのチケットを買うことだ。
ブロークンヒル発アデレード行のバスは水曜と土曜発の週2回のみ、しかも予約制となっている。
運行会社である BUSES・R・US のホームページには、電話かEメールで予約するか、アデレードの事務所とブロークンヒルの観光案内所で受け付けているとあった。
メールで事前に予約しても良かったのかも知れないが、英文でのやり取りは面倒だし、イチかバチかで直接チケットを買うことにした。
ブロークンヒル観光案内所(Broken Hill Visitor Information Centre)は小さな町のものにしては立派な建物だ。
中は案内所のカウンターのほか、土産物コーナーとカフェが併設している。
裏はバスターミナルになっていて、ダッポー行コーチサービスのバス停が立っていた。
アデレード行のバスは何も表示がないが、同じくここから出るようだ。
ビジターインフォメーションセンター(観光案内所)
さっそくカウンターであらかじめ頭の中で組み立てておいた言葉を言う。
「I'd like to buy a bus ticket to Adelaide」
(アデレードまでのバスのチケットを買いたいのですが)
カミカミだし発音も出鱈目だが、通じればいいというのが私流英会話。
「アデレードへのバスは明日あるよ」
「そのバスのチケットを買いたい」
何度かやりとりして、明日のバスのチケットを買いたいというのは分かってもらえた。
カウンターのおっちゃんは奥からチケットの綴りを持ってきて、名前と電話番号を聞かれ、それを書きこんでいる。
カーボン転写式のずいぶんアナログなチケットだ。
そして、どこかへ電話をかけた。バス会社に確認しているんだろう。
案内所の人にやってもらえるので、こういうのは非常に助かる。
満席でした、って言われたらどうしようかと思ったが、無事チケットを買うことができた。
ありがとう、案内所のおっちゃん。
ブロークンヒルからアデレード行きのバスチケット。
ブロークンヒルからアデレードまでバスの運賃は140ドル。距離にして519kmとなる。
途中小さな町に停車しながら、6時間45分の乗車になる。
当然ながらこの区間の移動は飛行機が常識だろう。
じつはアデレードまで飛行機というのも検討した。
一番安いタイプならば片道138.45ドルでバスよりも安いしネットで予約もできる。
しかしここは地上移動にこだわりたかった。
飛行機ならば楽だが、アウトバックの平原を眺めながら移動したかった。
それに、乗ることはかなわないインディアンパシフィック号と同じ道のりで旅をしたかったというのもある。
とにかく、明日のバスチケットを手にしたので一安心だ。
あとはのんびりとこの田舎町を一日見物していればよい。
◆ 鉄道歴史博物館
最初は観光案内所の交差点の向かい側にある、スルファイドストリート鉄道歴史博物館(Sulphide Street Railway & Historical Museum)に向かう。
旧駅跡を利用した鉄道歴史博物館(午後に撮影したもの)。
外から見ただけでもたくさんの車両が保存されていて、エントランスの建物も風格がある。
なんでこんな田舎町に、と思うほど鉄道博物館としては本格的な施設だ。
中に入ると、アダルト $7、コンセッション $5と表示してある。
窓口のおっちゃんに「アダルトワン」というと「コンセッション」と言われる。コンセッションとは学生割引みたいなもので、学生証を見せればということになる。
「アダルト」と言って5ドル玉と2ドル玉を差し出すと、その頑固そうなおっちゃんは「コンセッション」と言って2ドル玉は返してくれた。
何だかよくわからないが、まけてくれたのだろうか。
旧駅舎だった博物館入口の建物。
いや〜、鉄道好きにはなかなかテンションが上がるね (^^;
どれが何なのかわからないが、とにかく写真を撮りまくる。
突然現れた田舎町のこの鉄道博物館は一体何者なのか。
それは、オーストラリアの鉄道史から説明しなくてはならない。
オーストラリアに初めて鉄道が敷かれたのはビクトリア州のメルボルンで、軌間はアイルランドと同じ1600ミリの広軌が採用された。これは隣接するサウスオーストラリア州も同様になった。
一方でシドニーが州都のニューサウスウェールズ州ではイギリスと同じ標準機の1435ミリで建設され、クインズランド州と西オーストラリア州、広軌を採用した南オーストラリア州でも支線では建設費が安いという理由で日本と同じ狭軌の1067ミリで鉄道が敷かれたのだった。
要するに、オーストラリアでは各州や各植民地がそれぞれの思惑で、バラバラの規格で鉄道を建設したのである。
それぞれの目的で完結する輸送ならばそれで良かったのだが、鉄道が延びて他州の線とつながるようになると厄介になる。
軌間の違いから列車が直通できないので、鉄道網としての体を成さないことになる。
ブロークンヒルに最初に鉄道が延びたのは1888年のこと。アデレードから延びてきた狭軌鉄道としてである。
南オーストラリア州立鉄道により建設されたが、州境から東側はニューサウスウェールズ州側から建設を反対され、州またぎのコックバーン〜ブロークンヒル間は私鉄のシルバートントラムウェイ(Silverton Tramway)として開通することになった。
余談だが、ブロークンヒルが南オーストラリア州と同じく中央部時間帯を採用しているのは、州都のシドニーよりも距離的に近いアデレードとの結びつきが強いからということになっているが、一番の理由が時間帯を採用した当時、アデレードと鉄道で結ばれていたからだった。
文明から切り離された開拓地において、時刻という概念は鉄道とともに持ち込まれる。ブロークンヒルがアデレードと同じ時間帯を採用したのも当然の成り行きと言える。
一方で、ニューサウスウェールズ州鉄道として建設された標準機の鉄道は、アデレード側に遅れること31年後、1919年にブロークンヒル〜メニンディー間の路線として開業した。
このときの駅は今のブロークンヒル駅ではなく、約500mほど北東側の場所にあったクリスタルストリート駅(後述)であった。
1927年には、メニンディー〜アイバンホー間が開通し、シドニーからブロークンヒルまで全通することになった。
しかし依然としてアデレード方面は狭軌、シドニー方面は標準軌の鉄道となり直通はできない。同じブロークンヒル市内だが、駅はそれぞれ別々に存在することとなった。
ブロークンヒルにおける過去の鉄道関連略図。(筆者作成)
人ならば乗り換えればよいが、貨物は積み替えなければならないので大変だ。鉄道が延びて、各州と接するようになると、当然ながら軌間を統一しようという話になってくる。
とはいっても、レールの幅だけではなく、車両もそうだが、橋やトンネルといった施設も規格に合わせて改築しなければならない。簡単にはいかないのである。
ようやく軌間を標準軌に統一するために改軌が始まったのは第二次大戦後になってからだった。
ブロークンヒルからアデレード側の区間は最後まで狭軌区間として残っていたが、ここも1969年には標準軌に改軌されて、シドニーからの標準軌との路線と直結することになった。
このとき、州跨ぎのブロークンヒル〜コックバーン間は、狭軌をそのまま改軌ではなく新線として建設されたため、それまでブロークンヒルの約26km北西にあるシルバートン経由の旧線であるシルバートントラムウェイと、旧線の終点だったスルファイドストリート駅は廃止されることになった。
これで太平洋岸のシドニーからインド洋岸のパースまで改軌工事は完了したことになる。
その翌年の1970年、シドニー〜パース間に、インディアンパシフィック号が運行を開始する。
由緒も歴史もありそうなオーストラリアを代表する大陸横断鉄道の列車だが、その歴史は意外と浅かったりする。
オーストラリアでは州内や都市近郊の旅客鉄道は盛んにおこなわれているが、州またぎの列車が少ないか行われていないことが多いのは、州ごとに軌間が異なっていたために昔から直通列車が存在しなかったことによる。
改軌が進んで直通運転が可能になった頃には、すでに自動車や航空機が主流の時代になっていた。
で、話を戻すが、廃止されたスルファイドストリート駅の跡は、駅施設を生かして1970年代後半に鉄道歴史博物館として再開することになった。
これがスルファイドストリート鉄道歴史博物館である。
1970年までのの旧線で客車を牽いていたW24形機関車。
1970年まで狭軌だった旧線を走っていた客車。
旧線の客車の車内。
そんなわけで、狭軌だった旧線時代の車両があれこれ展示してある。
外は雨が止んだと思ったらまた降ってきたり。
写真的には晴れて影がはっきりとなるよりもありがたいのだが。
1905年建築のスルファイドストリート駅の旧駅舎と駅名標。
病院で使われていた器具を展示したホスピタル館(Hospital museum)
この博物館の一番の展示車両はシルバーシティ・コメット号だろう。
この列車は1937年から1989年まで使用されていた気動車で、ブロークンヒルとパークスの間を走っていた。パークスからは別の列車に接続してブロークンヒルとシドニーを結んでいた。
昨日乗ってきたブロークンヒル・アウトバックエクスプローラーの前身である。
静態保存のシルバーシティコメット号(Silver City Comet)。
保存されている車両は、サービス用電源車、ファーストクラス車、食堂車、エコノミー車の4両。
オーストラリア初の冷房付き、電化された食堂車の厨房など、豪華なサービスぶりは鉱業都市ブロークンヒルの繁栄を思わせる。
ダイヤは週3回運転で、展示の1956年の時刻表によると、ブロークンヒルは火木土の8:30発、パークスには19:00着。
パークスからはフォーブズ(Forbes)始発のシドニー行夜行列車がパークス19:30発で接続し、シドニー着は翌7:16となっている。
逆方向はシドニーを20:30発で翌朝7:30パークス着。同駅を月水金の8:35発、ブロークンヒル着は18:05着となっていた。
1989年11月の運転を最後にシルバーシティコメット号は廃止となる。シドニー方面からブロークンヒルへの旅客輸送はダッポーからのバス代行サービスに切り替えられた。
一旦定期旅客列車はブロークンヒルから消滅する。しかし根強い要望があったのか、1996年にアウトバックエクスプローラーとして運行を再開することになった。
シルバーシティコメット号のファーストクラス。固定リクライニングが並ぶ。
エコノミークラスは3人+2人の転換クロスシート。
ダイニングカー(食堂車)。
本格的なダイニングカーの厨房。ここから料理を提供していたのだろう。
この窓から「ステーキ一丁上がり!」なんてやってたのかも。
展示車両だけでなく、旧駅舎の建屋内にも様々な展示品がある。
壁面の昔の時刻表などを熱心に眺めていたら、掃除のおばちゃんが「Are you rail fan?」というので「ヤー」と答えたら、好きなんだねえっていうような顔で笑っていた。
1時間ほどで博物館を出る。ほかに客らしき人は見かけなかった。
週末ならば子供連れの客でも来そうだが、平日でしかも田舎町の博物館とあってはこんなものなのかも。
博物館の隣は公園になっていて、鉱山で使われていた櫓(やぐら)が建っている。
その隣はフェンスに囲まれた広場をぐるり1周するようにレールが敷かれている。
何だろうと看板を見ると、昔シルバートンの公園で走っていた子供鉄道ということだった。毎月第3日曜日だけ走るらしい。
シルバートンは前述したが、ここから北西に26kmの場所にある鉱山の町。現在は人口50人のゴーストタウンに近い町になっている。
町中に移してきたやぐら(Kintore Headframe)。鉱山の象徴でもある。
隣にあった子供鉄道の線路。シルバートンの公園で走っていたものだとか。
◆ ボタ山とマイナーズメモリアル
鉄道博物館にいるときは雨が降ったりやんだりだったが、だんだん回復してきたようで、青空も見えるようになってきた。
もう雨は降らなさそうなので、次は駅裏のボタ(ズリ)山へ登ってみることにした。
ボタ山と言っても、高さは54mあって、町から見ると山のようにそびえ立っている。
その上に展望台らしき建物があるのが町からも見える。
あそこまで道はあるので歩く。なんせ、時間だけはたっぷりとある。
駅裏と言っても、駅構内のはずれにある踏切を迂回しなければならず、歩くと結構距離はある。
踏切の脇に『The NSW Railways' First Station in Broken Hill』と書かれた写真付きの看板を見つけた。
町中でよく見かける歴史的な建物の説明看板なのだが、要はニューサウスウェールズ州鉄道のブロークンヒルでの最初の駅ということだ。
写真と同じくホーム跡と小屋があって、あの小屋のような建物が開業当時の駅舎ということだ。
説明文によると、1919年にブロークンヒルからメニンディーまで鉄道が開通した時に、クリスタルストリート駅として建てられた駅舎で、1927年にはシドニーまでの1125kmが全通した。
1957年に現在の駅に移転し、その後数年間は貨物駅として使われていたとある。
スルファイドストリート駅は鉄道博物館になったが、こちらは放ったらかし。
近づいてみたが、どう見ても貨物の小屋のようにしか見えない。
ここからあのシルバーシティコメット号が発着していたんだろうか。
信じがたいが、看板にそう書いてあるので間違いではないんだろう。
小屋のような建物がブロークンヒル駅の旧駅舎。駅東側の踏切から。
1957年まではこちらがシドニー側の玄関口だったようだ。
殺風景な道をトボトボと歩く。
この先に観光地などあるんだろうか、と思うような道だが、頂上までは1本道なので間違いではない。
坂の途中から駅構内を見下ろすことができ、側線が何本も並んでいて、車両のデポらしき施設も見える。鉄道としてはそれなりに拠点となっている駅ではあるようだ。
駅裏からボタ山へ続く道路。
駅構内に停車中の貨物列車。
坂道の途中から駅構内を見下ろす。
今は廃墟になった鉱山の跡。
パークベンチ(The Park Bench)はでっかいベンチのモニュメント。
頂上はビジターセンターが建っていて、景色の良いカフェや土産物コーナーもあって一応観光地ぽくなっている。
周りは、鉱山で使われていた機械などが所どころに置いてあって、テーマパークのつもりなのか、ただ放置してあるだけなのか判別はつかなかったが。
ほかに山も無く、高い建物も無いので眺めは良い。
朝のうちは空を覆っていた雨雲も去って、青空の方が多くなってきた。
町の外に広がるアウトバックの平原を見ていると、レンタカーで走り回ってみたくなった。
国際免許証を準備していれば良かったかな。
一方で、田舎町で1日のんびり過ごすのも悪くないんじゃないかとも思う。
のんびり過ごす割には、歩き回っているけど。
頂上にあるビジターセンターからブロークンヒルの町を見る。
町からも見える鉱山労働者の追悼施設(Line of Lode Miners Memorial)と展望台。
鉱山で殉職した800名の名前が刻まれている。
町と反対側はアウトバックの平原が続く。メモリアルの展望台から。
オーストラリアに何回も旅行したという人でも、ブロークンヒルなんて町は多分知らない。
ちょっと名のある町なら網羅している『地球の歩き方』にすらその町の名は無いのである。
唯一名が知られているとすれば、それはオーストラリアの豪華列車『インディアンパシフィック号』の停車駅としてであろう。西行、東行ともにブロークンヒルでは2時間程度の停車時間があり、オフトレインツアーが行われている。
そんなニューサウスウェールズ州西端の田舎町。
しかし町を歩いていると、知られていないけど妙に魅力的な町に思えた。
ブロークンヒル市も、かつて鉱山町として栄えた町を文化遺産として活用し、観光産業として育成しているようだ。
イギリスの植民地から始まって、内陸のアウトバック地帯に開けた鉱山町として、東西から接続する鉄道の要衝として、このブロークンヒルはある意味、オーストラリア内陸の開拓の歴史を象徴しているといっても過言ではない。
唯一の障害は交通手段が不便なことだが、これは人口希薄地帯なのでどうしようもない。
もし、ブロークンヒルに興味を持たれた方や、オーストラリアの観光地に飽きたという人があれば、一度訪れてみてはいかがだろうか。
高い航空券を買うか、十数時間の地上移動をするかしてでも、この町を一見する価値はあると思う。
あと、この町では中国人らしき人は1人も見なかった。一昨日までのシドニーやブルーマウンテンズでの彼らの喧騒がまるで嘘のように思える。
オーストラリアの歴史を感じつつ、静かに過ごしたい日があれば、この町で過ごすのが最適である。
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