◆ 出発まで
9月、敬老の日の連休は天気も良く暖かくなったので、久しぶりにどこかへ行きたくなった。
7月の台風、お盆はずっと雨、9月に入ってからはまた台風、それに地震と立て続けにあり、一体どういう年なんだろうね今年は。
そんな出来事も忘れるほど、9月の穏やかな日差しに包まれた札幌。私じゃなくてもどこかへ出かけたくなるだろう。
車で遠出をするのは今年2月の流氷見物以来だ。泊まりの旅行は去年(2017年)10月の山陰旅行以来。それほど旅行から遠ざかっていたなあ。
どこかへ行きたいなあと思えども、これと言って行きたいところも思い浮かばなかった。
何か鉄ネタでもないかとJR北海道のホームページなどを見ていたら、くしろ湿原ノロッコ号がまだ運転されていた。
ノロッコ号は6年前に流氷ノロッコ号は乗ったことはあるが、くしろ湿原のほうはまだ乗ったことはなく、あるうちに乗っておかなきゃなあということで、行先は釧路に決定した。
2018年のくしろ湿原ノロッコ号のチラシ。
ただ単純に釧路往復というのもつまらないので、行きは石北峠、北見経由で美幌峠の道の駅で車中泊。翌朝に釧路まで行き、くしろ湿原ノロッコ号で塘路まで往復してから札幌へ戻るというものである。
◆ 序章は美幌峠へ
というわけで、9月16日の日曜日、札幌を朝出発する。
ひたすら下道経由、途中の比布〜上川間は旭川紋別自動車道を通ったが、上川からは国道39号石北峠経由で北見まで行った。
北見では買い物。
そういえば、車で北見へ来るのはこれが初めてだった。
北見自体、2006年2月のふるさと銀河線乗車以来ではなかったかな。
10年くらい前に仕事で来たことはあったが、プライベートでは12年ぶりということになる。網走に行くときは北見は通らないしねえ。
美幌でガソリンを満タンにして美幌峠に向かう。
ここは屈斜路湖を見下ろす景色の良いところで、道の駅もあって車中泊には最適だ。
前回利用したときは、夜は星が綺麗で、朝方は屈斜路湖を覆う雲海が見られたものだった。今回もそれを期待しての車中泊となる。
美幌峠についたのは薄暗くなった夕方5時過ぎ。
道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠はまだ営業していて、立ち寄る車も多く、あげいもなんかがよく売れている。
私は今日はここが終点。車の窓に目隠しをして車中泊の準備を始める。
展望台はこの間の台風のせいなのか、立ち入り禁止になっていたのは残念。
それでも、道路や道の駅の展望台からは屈斜路湖が見えていた。
6時を過ぎて暗くなると同時に、峠の道の駅は深い霧の中となった。
駐車場の照明が、霧の周りをぼんやりと黄色く照らす。
車を降りた子供が「すごーい、夢の中みたい!」と叫んで自分の車の脇を走って行った。
子供は喜んでも、これじゃ美幌峠で車中泊する意味がなかった orz・・・
◆ 美幌峠から釧路湿原へ
ずっと霧の中だった美幌峠。
翌日、朝になれば霧が晴れるかと思っていたが、相変わらず霧の中。
6時過ぎ、こんな所にいてもしょうがないと車を走らせる。
山を下ると、霧は晴れたが曇り空。それでも、日が高くなるにつれて青空も見え始めてきた。
ノロッコ2号の釧路発時刻は11:06、釧路駅には10時半くらいに着けばよい。
あちこち寄り道しながら行くことにしよう。
車はこういう時に便利だね。
まずは釧路湿原。
あとで列車で来ることになるのだが、それはただ列車に乗って往復するだけ。釧路湿原見物は先にやっておく。
標茶のコンビニに寄って朝食をとってから標茶駅に寄る。
釧網線の数少ない駅員配置駅。
駅に入るとホワイトボードに
『9/15より当分の間 釧路〜摩周間の運転となります』
と書いてあった。
先日の地震による停電からまだ完全復旧していないのだった。
駅員に、列車は時刻表通りに動いているのか尋ねたら、釧路〜摩周間は全列車ダイヤ通りとのことだった。ノロッコ号も通常運行とのこと。
花咲線の厚岸〜根室間も同様に運休中。
9月の一番いい時期に襲った台風と地震、観光の最後の書き入れ時と思われる時期だが、とにかく大変だ。
標茶駅の駅舎。
標茶を後に、釧路湿原へ。
釧路湿原で自分としてはオススメなのがコッタロ湿原展望台。
国道391号線の塘路駅から1.5kmほど北側くらいの場所から入って行く道があって、湿原の中を通ってコッタロ湿原へ通じている。
一応、道道クチョロ原野塘路線という路線名はついているが、展望台入口がある約5kmまでの区間は舗装されていない砂利道が続く。
舗装しないのは釧路湿原の生態系を保護するためとかで、湿原が増水すると道路も冠水し、通行止めになるようである。
(道道入口にある看板より)
道道クチョロ原野塘路線のダート入口。
湿原の中を行くダート道。
2車線の幅があるダート道を突っ走っていると、もうここは日本じゃないような気分になってくる。
サハリン(樺太)など、こんな道ばかりだった。
途中に釧路川の河畔に面したところがあって、『スガワラ』と書いた標柱が立っている。
地名なのか人名なのか知らないが、カヌーを川に下ろす場所になっているようだ。
この道道は標茶町営軌道の線路跡だったようで、久著呂線という路線が塘路駅から上久著呂までの28.7kmを結んでいた。
この辺りにその軌道の二本松という駅(停留所?)があったようで、国土地理院の空中写真閲覧サービスで米軍撮影の空中写真を見ると駅舎らしい建物が見える。
なんでこんなところに駅を、と思うほど当時も人家も何もない場所だが、ここから釧路川での水運でもあったのかもしれない。
原始のままの釧路川河畔。スガワラから。
ダート道から見る湿原。
駐車場とトイレがあるコッタロ湿原展望台の入口でダート区間は終わり。
国道391号線からここまで車ならば7〜8分とかからないが、塘路駅から歩けば1時間以上かかるし、車が通るたびに猛烈な砂ぼこりを浴びせられることになる。
車でなければ行くのが難しい、穴場的なスポットということになる。
駐車場からは急な階段が上まで続いている。スロープなどあるはずもなく、足腰が丈夫でなければ展望台へ行くことはできない。
しかし登り切った上からの展望はまた格別である。
駐車場から200mほど登った所にあるコッタロ湿原展望台。
展望台の柵にはリスがいた。
大型バスが入れないので団体客の姿も無く、ここはいつも静かだ。
画像ではお伝えするのが難しいのが残念だが、とにかく広大な眺め。
眼下に見える沼や湿地帯には、エゾシカや丹頂鶴の姿も見えた。
コッタロ湿原展望台から見下ろす広い釧路湿原。
沼には丹頂鶴の姿も見えた。
◆ 釧路まで
次は今回旅行の目的地釧路へと向かう。
釧路と言えばやっぱりこれ ↓
太平洋石炭販売輸送臨港線の石炭輸送列車。春採駅。
釧路にある太平洋石炭販売輸送の臨港線は、第三セクターを除けば道内にただ一つ残る私鉄である。
今は石炭輸送のみだが、1963(昭和38)年までは旅客輸送も行っていた。
釧路コールマイン(昔の太平洋炭鉱)炭鉱のある春採駅から、釧路港近くの知人駅までの4.0kmを結ぶ鉄道で、石炭輸送を行う鉄道も今では全国でもここだけになっている。
春採駅構内の踏切と奥にあるデポ。
一番奥にある石炭積み込み施設。
さっきの列車の先頭側。貨車を前後の機関車で挟むプッシュプル方式。
24両ものセキ(石炭車)を連ね、両端にディーゼル機関車を連結するプッシュプル方式で運転されている。
編成長は200m以上はあるだろうか。炭鉱がまだ道内あちこちで稼働していたころの石炭列車を彷彿するほど堂々とした編成である。
しかし、機関車のエンジンは止まっていて、貨車もカラのようだ。
今日は敬老の日の祝日。炭鉱も日祝は世間並みに休日になるのか、列車も今日はお休みなのだろうか。
うーん、それとも先日の地震による停電の影響なのか。
春採駅の出発信号機も消灯している。
走っている列車を見たければ、また後日、しかも平日に来る必要がありそうだ。
海霧(ガス)がかかる弁天ケ浜に伸びる線路。
次がいよいよノロッコ号。釧路駅へと向かう。
途中で弁天ケ浜の海岸線を通る線路を見る。
レールが錆びている。やはり地震以降運行していないのだろうか。
海のほうから海霧(ガス)が立ち込めてきた。
釧路は霧の街。釧路らしい旅情があるといえば聞こえがいいが、今日は勘弁してくれと言いたくなる。
中心部のほうへ車を走らせると、思わずチッと舌打ちが出た。
やっちまった、幣舞ロータリーだ。
釧路市南部や南東方面から中心部へと向かうと、かなりの高確率で遭遇する場所である。
旭川市にも同じようなロータリーがあり、そっちはローカルルールがあって、それさえ頭に入れておけば何とか通過できるのだが、釧路の幣舞ロータリーの通行方法は何回通っても謎だ。
休日で車が少ないせいか、幣舞ロータリーは訳のわからないまま難なく抜けて中心部へと来た。
相変わらず人も少なく、寂しい中心部だ。
寂しい釧路の中心部。
駅前から幣舞橋まで伸びる北大通は釧路市のメインストリートだが、商業施設はほとんどが撤退し、オフィスビルとビジネスホテルばかりが立ち並ぶ。
この辺りが賑わっていたのも90年代初頭くらいまでだろうか。
その後は郊外に大型店舗が進出し、中心部の核テナントだった丸井今井が撤退してからは市民が休日に出て来るようなところではなくなったようだ。
道東の中心といった貫禄がある釧路駅。
で、やってきました釧路駅。
釧路駅は国鉄時代からの4階建ての駅ビルが建つ。
この駅舎からメインストリートの北大通りが伸びて、市内バス路線も駅前がターミナルになっている、名実ともに釧路市の中心の顔である。
もともとは民衆駅といって、国鉄と民間が建設費用を出し合って建設した駅で、地上階がJR(当時は国鉄)、地下が出資した民間の施設とされた。
地下は釧路ステーションデパートとして営業していたが、もうだいぶ前に閉店している。
民衆駅は道内では札幌駅、旭川駅、帯広駅があったが、3駅とも高架化で新しい駅に建て替わっている。
この釧路駅が、道内で最後に残った民衆駅の駅舎ということになる。
釧路駅を高架化するという都市計画もあるようだが、今のところは目立った動きは無いようだ。
しばらくは昔ながらの駅舎が使われることになるのだろう。
ていうか、高架化以前に線路の存続の方が危ぶまれているのが現状だ。
もしかしたら、あと数年後には終端駅になっている可能性が・・・
暗い話はやめにして、本題のノロッコ号である。
釧路駅の改札口。
街の中と違って、駅の中はテナントがいくつもあって活気がある。
道東の中心駅として、また特急の始発駅としての面目は保っているといえる。
広いけどガランとした印象の帯広駅や旭川駅より、釧路駅のほうが活気がある印象だった。
これも、駅の外が何もないから、みんな駅の中で用事を済ますからなのかも知れないが。
改札口向かいにある売店。
四季彩館の冷蔵ケースに並ぶ駅弁。
改札口向かいにある四季彩館の売店に駅弁が並んでいる。
普通列車とはいえ、列車に乗るのも久しぶりだから奮発して駅弁を買うことにした。
釧路駅の駅弁と言えば釧祥館の駅弁で、今は旭川駅立売株式会社の子会社となっているが、前は釧正館という名前だった。
駅弁の種類は釧正館時代からのを引き継いでいて、昔ながらの駅弁が並んでいる。
四季彩館の隣は釧路市水産加工業協同組合の直売店になっていて、そっちには『いわしのほっかぶり寿司』が置いてある。
これはまだ食べたことがなかったので、こちらにした。
みどりの窓口に並んで、塘路までの往復乗車券を買う。
券売機を使わないのはクレジットカードを使いたいから。
実はあまり現金を持ってきていなかったので、できるだけ買い物はカードや電子マネーを使いたかった。
◆ くしろ湿原ノロッコ号
往復乗車券と駅弁を持って改札を通る。
釧路駅の地下道と発車時刻案内。
10:45、ホームに行くとノロッコ号はすでに入線している。
発車まであと20分ほどあってか、車内はまだ閑散としている。
団体客がまだ着いていないのと、札幌からの特急スーパーおおぞら1号からの乗り継ぎ客がまだいないからだろう。
その間に車内の探索と撮影を済ます。
ノロッコ号は客車4両編成、ディーゼル機関車のDE10が先頭について、4両の客車を牽引する。
客車の4号車後部にも運転台があって、戻りはここで運転し、機関車は後押しする格好になる。
くしろ湿原ノロッコ号。先頭はディーゼル機関車のDE10が務めます。
客車の後部。塘路発はこちらが先頭になる。
ノロッコ号の客車と時代がかったホーム上屋と駅名標。
編成の2〜4号車は木製のボックスシートとベンチシートが並ぶ、床面を18cm嵩上げした展望席の指定席。
窓が大きく開放的な造りの客車は釧路湿原を車窓から眺めるのに相応しく、この列車の売りでもある。
残り1両は昔ながらのボックスシートが並ぶ自由席車となる。
ノロッコ号の客車の車内。
釧路湿原側は木製のボックスシート、山側はベンチシートが並ぶ。
2号車の販売カウンターは準備中。弁当や飲み物類を販売している。
デッキに貼ってあった販売カウンターのメニュー。酒類は置いてなかった。
1号車の自由席は普通のボックスシート。
しかし、鉄道マニアの私にとっては指定席の展望車両よりも自由席のボックスシートに惹かれる。
じつは今回ノロッコ号に乗りに来たのは、この自由席車両に乗るのが1番の理由であった。
このノロッコ号の車両、かつては道内各地で走っていた普通列車の客車であった50系51形客車の改造車なのだが、1両の自由席車だけは塗装こそノロッコ号仕様だが、内装は現役時代そのままで残っているのだ。
1号車車内は昔ながらのボックスシート。50系客車のほぼ原形を留める。
車内に入ると懐かしさがこみ上げる。
90年代初めまでは札幌近郊の通勤列車でも頻繁に走っていた。
もう40代以上の人であれば、この車両で通勤や通学をしていた人も多いだろう。
この50系客車は、国鉄時代の1970〜80年代にかけて、老朽化した旧型客車の置き換えとして新製された客車である。
内装が一部ロングシートの近郊型仕様となったのは、通勤通学ラッシュの使用を主眼に置かれたものだからだ。
当時ですら時代は電車や気動車が主流になっていた。旧客の置き換えとはいえ、そんな中なぜ国鉄は大量の客車を新製したのか。
朝夕ラッシュ時は一時的に車両がたくさん必要となる。
ただそのためだけに高価な電車や気動車を増備して、その多くは昼間や夜間は基地で過ごすのは無駄になる。
反面、客車は動力を持たないトレーラーなので、安価で製造することができた。
当時は夜行列車や貨物列車、荷物輸送兼用の長距離鈍行列車があって、機関車は1日中フル稼働していた。
その機関車を朝夕のラッシュ時に通勤列車の牽引に充てれば、安価な投資で通勤用車両を確保できるというわけだ。
1号車の入口。塗装は変われど車体は原形のまま。
ところが、それから数年して国鉄を取り巻く状況が大きく変わる。
まず、貨物列車が大幅に削減されることになる。これによって機関車が大量に余剰となり、運用が限定的となった。
次いで電車や気動車の短編成化による列車本数の増発。
客車列車はどんなに量数を減らしても必ず電車以上に高価な機関車が1台必要となる。
ラッシュ時の経済性を重視して配置された50系客車も、この頃からお荷物扱いとなり始める。
極めつけは、1987年の分割民営化だった。
これで旅客会社と貨物会社は別会社となり、貨物列車と旅客列車の機関車が共用されることはなくなった。
これが、JRにおける客車列車の運命を決めることになった。
ところが札幌圏だけが異なり、国鉄末期の普通列車大増発に際して、それまで朝夕ラッシュと長距離普通列車に限定されていた客車列車が日中も活躍することになった。
増発に当たって、当時すでに旅客列車限定となっていた電気機関車ED76と、地方線区で使われなくなって余剰になっていた50系客車に白羽の矢が立てられ、711系電車に交じって札幌近郊列車の役に就くことになったのである。
これが私を含め札幌周辺の人がこの客車が懐かしく思う所以である。
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