2005年 特急利尻で稚内へ 3

抜海の駅前は家が2軒あるだけで、ほかには何もない。

駅から抜海の町までは結構離れていて歩いて20分くらいかかる。ここから町まで歩いて、そこから海岸沿いを歩いて南稚内まで戻ることにした。

帰りの列車は夕方発なので、時間はたっぷりとある。


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 抜海駅をあとにして歩く。

歩道が整備されている道路は、通る車も人も無くてもったいないほど立派に見える。 

利尻山が見えている方向にずっと歩いて行くと、やがて町に着いた。
抜海港は冬にはアザラシが来ることで有名だが、この季節は何も無く、静まり返った漁村といった感じ。

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 抜海駅から抜海の町まで徒歩で20分くらいかかる。

上に大石を乗っけたような奇妙な小山を見つける。これが抜海の地名の由来になった。

「北海道駅名の起源」(日本国有鉄道北海道総局)によると抜海の起源はこう載っている。 

“アイヌ語の「パッカイ・シュマ」(子負い石)の上部からとったもので、付近の丘の上に大石があり、その形が児を負って立っているのに似ているため、こう名づけたものである” 

近くの小山に登る道路があって、歩いて登ってみると、日本海と利尻岳それにずっと遠くまで続く海岸線が見渡せる。

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 抜海の地名由来となった抜海岩。抜海岩陰遺跡という史跡になっている。左は抜海神社。

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 抜海神社裏の小山から抜海岩と利尻山を見る。

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 南側に広がる無人の原野。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

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 海岸沿いは所どころに花の群落があった。

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 短い初夏を謳歌する花たち。

歩いてる途中で、地元のおばさん2人連れに出会った。

「どこに行くの?」
「抜海から海沿いに稚内まで歩いてみようと思って」
「どっから来たの」
「札幌からです」 

この先に川があって、道道まで出ないと渡れない。この先に道道に出る道がある。
と教えてくれた。

礼を言ってまた歩き出す。

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 海岸を歩いていると行く手を阻んだ川。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

しばらく行くと、その川が現れた。道道に出る道は見あたらなかったが、見落としたかもしれない。

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 道道の橋は見えるのだが。

来た道を戻るのも馬鹿らしいし困ったなと思っていると川幅は3mくらい。歩いて渡れそうだ。スニーカーと靴下を脱いで裾をまくって川に入る。すねまで浸かるくらいの水深。ジャブジャブと渡る。冷たくて気持ちが良い。

後方にはそんな光景を見つめるように利尻の山が立っていた。周りに誰もいないが、一部始終を山に見られていたようで何か気恥ずかしくなる。

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 海岸と秀麗な利尻富士。

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 起伏が激しい海岸砂丘。

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 砂丘に咲くハマナス。

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 さっき列車で通った利尻俯瞰区間の線路に登る階段。保線用?

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 階段を登ると線路があらわれる。鉄道写真の名所でもある。

なんとか昼ごろ南稚内駅まで戻ってきた。まだ帰りの列車までは時間がある。稚内に来たついでの野暮用があったので、済ませてくることにした。

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 南駅近くの繁華街。通称オレンジ通り。


 ◆ 南稚内 16:53 【スーパー宗谷4号】 21:50 札幌

再び南稚内に戻ってくる。 

南稚内駅の開業は稚内駅よりも古い大正11年で、当時はこちらが稚内駅となっていたとされている。

開業当初の南稚内駅は車両基地のある旧稚内運転所の近くにあって、稚内港(現稚内駅)まで開業してからは列車はスイッチバックで出入りしなければならず不便なので、戦後の昭和27年に新築・移転してきた。
実は大正11年開業の駅とは違う新しい駅なのである。 

稚内の新しい市街は南に向かって広がっているため、稚内駅のある北側中心部はすっかり寂れてしまった。地元の人は南稚内駅の利用が圧倒的に多い。
そんな南稚内駅を地元の人は「南(みなみ)駅」と略す。駅前のバス停も「南駅前」となっている。

駅前にビジネスホテルや歓楽街があって一時期は南駅周辺が栄えたこともあるようだが、郊外型大型店舗ができてからこっちも寂れ気味のようだ。

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 地元の利用者が多い南稚内駅。

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 みどりの窓口やキヨスクもあり、ストーブも設置されたままの昔ながらの駅。

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 南稚内駅改札口。

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 改札口の時計と改札案内。

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 札幌行スーパー宗谷4号が到着。

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 2両増結の6両編成。

札幌行スーパー宗谷4号の改札が始まる。ホームで待っていると遠くで踏切の音が聞こえ、列車が入ってきた。
南稚内を16:57にあわただしく発車する。

稚内始発の車内は回送列車みたいな状態だったが、南稚内からはなんとか特急列車らしくなった。それでも名寄まではがら空きだった。

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 天塩川に沿って。

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 18:55、音威子府駅。初夏の長い1日ももうすぐ終わり。

音威子府を過ぎたあたりで暗くなり始める。
名寄のあたりで日が暮れて、ここからは暗闇と窓ガラスに映った車内が車窓の友になる。

旭川で結構乗ってくると、車内は都会っぽくなった。
初夏の小旅行もそろそろ終わりである。

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 札幌到着。

〜おわり


 ◆ リメイク版あとがき

2005年、まだ定期列車だった特急利尻に乗って稚内まで往復したときの旅行記を、ブログにて復活したものです。

この頃は、道内夜行の廃止の噂こそあったものの、まさか廃止になるとは思いもしませんでした。

この頃に札幌駅を出発していた夜行列車は、1日8本(うち定期列車は6本)もあり、特急系統のほぼすべての方面に夜行列車がありました。

北海道新幹線こそ、この当時はまだ夢物語でしたが、石北線系統以外の特急スピードアップも完了し、JR北海道が最後の輝きを放っていた時代かもしれません。

リメイク版を作成していて感じたのは、画像の画質の悪さ。

当時使用していたコンパクトデジカメのスペックは、画素数でいえば2M(200万画素)を少し超えたくらい。
今は携帯やスマホですら普通に10M以上ということを考えると、隔世の感があります。

またこうしてあらためて見ると、音威子府〜稚内間、中でも抜海〜稚内間の車窓は素晴らしいですね。
ここに観光列車を走らせたら楽しいと思うのですが。

もっとも、富良野線や釧網線と違って周遊できる観光地が無いし、既存の観光ルートからは遠すぎるし、なかなか難しいんでしょうかね。
過去に『サロベツトロッコ号』という列車が走ったこともありましたが、長続きしませんでしたね。

これだけのいいもんを持っていながら、ああもったいない、もったいない・・・

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。


【2005年の旅行記(リメイク版)の記事一覧】
posted by pupupukaya at 18/04/01 | Comment(0) | 2005年の旅行記(リメイク版)
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