次に向かったのは清畠駅から約800m鵡川寄りにある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁である。
ここは2016年8月に襲った台風10号の高波で橋桁が流された。
2015年の1月以来連続して発生した日高本線の被災箇所のうち、唯一国道からはっきり見える場所でもある。
国道を行きかう車からは、誰の目からも既に廃線跡のように見えるだろう。桁を失った橋脚がむなしく並ぶ。
国道から砂浜へ下る脇道があって、そこへ車を停める。
秋にここを通ったときは、釣り人の車が並んでいた。ここも釣りのスポットであるらしい。
落ちた橋桁が放置されたままの慶能舞川橋梁。
橋脚は低く、地面から1mも無いような高さである。
一番高さのある部分でも、下を通るには身をかがめなければならないほど低い。
この慶能舞川橋梁は、プレートガーダーと呼ばれる形式で、橋台の上に鋼板製の桁を乗せて線路を支える構造になっている。
このため、桁下の空間がほとんど無い状態で、これでは高波や鉄砲水に襲われたらひとたまりもない。
隣にある国道の橋は堤防の高さまで合わせて高い位置にある。
この箇所を復旧させるとしたら、橋梁の前後を盛土して、新たに高い位置に橋を作り直す必要があるだろう。
砂浜に橋脚だけが立っている状態。
鋼板を組み合わせたデッキ・プレートガーダー。腐食も進んでいる。
次に向かうのが、豊郷〜清畠間の路盤流出箇所。
慶能舞川橋梁から約1500m鵡川寄りに駐車帯があって、大型の土のうがびっしりと並べられている。
ここも路盤流出があった箇所で、2015年9月に台風17号による高波によるものである。
被災前から海岸の浸食がひどい箇所で、波打ち際に埋められた鋼矢板で線路への浸食を防いでいた。
この鋼矢板が倒れたことで路盤が流出したということである。
豊郷〜清畠間の路盤流出箇所。
線路があった場所は、路盤も跡形もなく砂浜が広がっている。
かつて波打ち際で線路を守っていたであろう鋼矢板だけが残っていた。
*2016.01.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*
豊郷〜清畠間58k925付近の災害箇所。
当初のJR北海道のプレリリースでは、この箇所の路盤流出と道床流出の区間は181mということだったが、あれからさらに被害が拡大したようで、現在の路盤消失区間は500m以上(Google Earthで計測したら)にも及ぶようだ。
*2015.09.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*
砂地に砂利を敷いた路盤。線路は切断され撤去された。
鵡川方向に歩いて行くと、線路はまた元どおりのまま続いていた。
道床が崩れた箇所を見ると、上の方は砂利が敷き詰められているが、その下は砂である。このあたりは砂地に砂利を敷き詰めて路盤としていたことがわかる。
砂利と言っても、丸っこい玉石。川砂利をふるいにかけて粒をそろえたものだ。
線路は表面上は50kgレールが使われて道床も砕石が敷き詰められているが、軽便鉄道時代からの弱い路盤のままで根本的な改良はされていなかったようだ。
苫小牧寄りの線路から流出箇所を見る。
そもそもが脆弱な路盤のために、高波に対抗することはできなかった。
路盤が完全に洗い流された跡は、すっかり砂地に戻っている。
その向こうでは重機が動いていて、工事が行われている。
真新しい消波ブロックが並んでいるのが見えるので、海岸保全工事である。
あのあたりは人家もあるので、国による事業で行われているのだろう。
JR所有の護岸は基本的にJRが維持管理することになる。
破壊した護岸の復旧工事もJRの負担で行うことになる。
この工事自体が資金的に無理な為に復旧断念となったのである。
ところでこの破壊した護岸から、今でも土砂の流出が止まらないという。
海域が濁り、昆布漁やタコ漁への影響が出たために、日高町村会と日高総合開発期成会は、大狩部−厚賀間の復旧工事を求める要望書をJR北海道に提出した。
*2017年8月6日JR日高線 - 毎日新聞*
それに対してJRは、これ以上の抜本的な工事は厳しいとのことであった。
海岸の保全という面からだけ見れば、日高本線は早々に廃止し、線路跡を国に買い上げてもらうのが最善策になる。
それから国(北海道開発局)の事業として保全工事を行えば良いのだ。
以下にこの区間の空中写真を時系列で並べてみる。
私には、国の海岸保全事業の無策から招いた災害と思えた。

1975年頃(地理院地図の空中写真より引用)
線路と海岸の間に採砂場らしきものが見える。右端の建物のあたりには消波ブロックが設置されている。

2004年頃(地理院地図の空中写真より引用)
消波ブロックが延長されている。延長の終端あたりの浸食が始まっている。

2010年(Google Earthより引用)
砂浜が著しく浸食しているが、消波ブロックの延長はされていない。
こんどは日高門別へ向かう。
現在日高本線の列車は、苫小牧〜鵡川間となっているが、これは苫小牧方向からの列車が折り返しのできるのが鵡川駅だったからだ。
日高町は鵡川〜日高門別間20.8kmの先行復旧の要望JR北海道に求めている。
一連の災害でも被害がなかったこの区間は、日高門別駅に折り返しに必要な信号などを整備すれば可能ということである。
費用は約1億円。地元負担になる。
*2016年08月05日 どうしんウェブ*
道道正和門別停車場線の山門別踏切。踏切の遮断竿は撤去されている。
日高門別駅の駅舎。
日高門別駅の待合室。2010年までは画像右奥にキヨスクもあった。
日高門別駅の駅舎もホームもきれいだった。
去年の夏ごろの平日に、この駅に寄ってみたことがあった。
その時は車で巡回するJRの保線職員の姿を見かけた。
やはりここは廃線跡ではない。列車は運行休止中でも、JR北海道の手によって維持管理する必要があるのだ。
列車が走らなくとも経費はかかるのである。しかも復旧の見込みゼロの路線である。
日高門別駅のホーム。鵡川方を見る。
日高門別駅構内の鵡川方。信号の回路を変更すればここで折り返し運転ができそうだが。
さて、鵡川〜日高門別間の復旧について考えてみる。
この区間は災害がなかったとされているが、全くなかったのか。
いまは便利な時代になったもので、家にいながらにして衛星からの空中写真を見ることができる。
グーグルアースでこの区間の線路を追ってみると、汐見〜富川間の海岸沿い区間に路盤の流出箇所がいくつか見つかった。
まずこの復旧工事と護岸強化工事が必要になる。
日高門別駅の列車折り返し設備に1億円という記事があったが、これは同駅を棒線駅とすれば鵡川駅の信号回路の変更だけで済む気がする。
鵡川〜日高門別間の所要時間は23分。往復でも1時間である。将来的に全線復旧させる前提ならば、日高門別駅構内を複線とする必要があるが、無いのならば単線のままで十分だ。
仮に地元負担で復旧させたとしても、この区間にどれだけの需要があるのかは疑問だ。
現在のところ苫小牧〜鵡川間だと、1日当たり乗車人員は459人で、鵡川駅7:12発の2224Dの鵡川始発時の乗車人員が約150人となっている。
通勤通学列車であるこの列車の利用客のほとんどが定期客とすると、鵡川からの乗客は約100人ということになる。残りの50人は鵡川以遠からの入り込みであろう。
*線区データ 当社単独では維持することが困難な線区*
しかし、それ以外の需要は無いに等しい。
ピーク時の50人というのも、バス1台で事足りる人数である。
現在運行している苫小牧〜鵡川間でさえも、輸送密度200人未満の線区として『当社単独では維持することが困難な線区』となっている現状を考えると、かなり難しいといえる。
復旧に関する費用と、復旧後の赤字額を地元自治体で負担するというのならば復旧可能だが、そこまでして鉄道の維持にこだわる必要があるのかどうかは甚だ疑問だ。
富川駅のホーム。ここも線路が錆びていることだけが運休を思わせる。
続いては富川駅。
富川は日高富川高校があり、また国道沿いには中型の商業施設が立ち並ぶ、日高地方北部の商業の中心となっていて、町役場のある日高門別よりも、こちらが日高町の実質中心である。
汐見駅と踏切。
汐見駅は国道から約2.8km離れた所にある。
無人の待合所だけが建つ駅だけを見ていると秘境駅のように見えるが、近くには鵡川漁港があってまとまった集落がある。
JRだけが唯一の交通機関のように見えるが、むかわ町営バスがカバーしているので、日高本線廃止後は町営バスが代替交通機関となるだろう。
汐見駅の待合所。ソファーが置かれ応接間のよう。
汐見駅踏切から鵡川方を見る。運行休止から2年以上経つとは思えないほど線路の状態は良い。
最後は鵡川駅。
鵡川駅の約300m静内寄りにある鵡川大踏切まで来た。
この踏切も遮断竿が撤去されて、踏切としての役目は休止されている。
踏切の鵡川駅構内側には場内信号機が立ち、赤色を点灯している。
踏切の手前の線路には枕木が置かれ、仮設の車止めとなっている。
鵡川駅構内の終端。場内信号機が灯る。
レールの上に車止め代わりの枕木が設置されている。
鵡川からは胆振振興局となり、苫小牧との結びつきが強くなる。
高校の通学区域も胆振東学区となり、苫小牧への通学需要も多い。
一方、ひだか町門別地区は日高学区となり、通学生の需要は少ない。
このあたり、日高本線の列車が鵡川止まりになった事情がわかる。
鵡川駅の駅舎と列車代行バスの案内看板。
鵡川駅は旅客営業的には無人駅だが、室蘭保線所鵡川保線管理室が置かれ、日高本線の拠点駅になっている。
新しい駅舎は、この駅から分岐していた富内線の廃止による転換交付金によって建て替えられたものである。
1998年から2006年までは駅員の配置を復活し、有人駅であった。
その後は駅舎内にあったキヨスクで乗車券の販売をしていたが、これも2009年に閉店となったようである。
駅員が配置され、窓口の上には道内各駅までの運賃表が掲げられている。2006年5月筆者撮影。
2018年1月、完全無人化された鵡川駅の掲示。
折り返し列車が入る2番線の線路だけが光る。
1980年10月、国鉄再建法が成立すると、輸送密度が4,000人/日未満である路線はバスによる輸送を行うことが適当であるとして特定地方交通線に指定し、廃止対象となる。
これでいけば、日高本線も富内線同様廃止線区となるはずであった。
しかし、これには条件を満たせば除外された。
その条件の一つに、平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上という項目があって、その条件を満たすということで廃止を免れたのである。
ただしこれは、1977〜79年度の数値である。当時は急行えりもが札幌から様似まで3往復あって、乗客も多かったことだろう。
しかし、1986年11月をもって急行は廃止される。
同時期から道南バスによる札幌〜浦河間で、特急ペガサス号の運行が始まる。
鉄道よりも廉価で、札幌まで直通とあっては、この頃から日高本線相互内の需要しか無くなってしまった。
この時に廃止を選択していれば、国から営業キロ1kmあたり3,000万円を上限とする転換交付金(補助金)を地元市町村に交付されていたし、転換後5年間は赤字額の全額を代替事業者に対して補填されていたのである。
いま鉄道を廃止しても国からは1円の交付金も無い。
日高本線に限ったことではないが、JR北海道の多くの線区が『当社単独では維持することが困難な線区』として挙げられている。
これらの線区がすべて廃止になるとは思えないが、バス転換を含めた総合的な交通体系を考えると、むしろこの当時に廃止していたほうが良かったのではないかと思えてしまう。
JR北海道は日高本線の復旧断念、『沿線自治体の皆様のご意見を充分に反映し』としてバス等への転換の協議開始を求めている。
それに対し、沿線自治体は鉄道としての完全復旧こそ断念したものの、頑なまでにJRによる存続を要望している。
今のところ、JR北海道としては沿線自治体の同意なくしては廃止したくない意向だが、いざとなるとそれを待たずに廃止する可能性もある。
路線の廃止に対して、地元自治体の合意を必要とする法的根拠は無い。
日高線(鵡川・様似間)の復旧断念、並びにバス等への転換に向けた沿線自治体との協議開始のお願いについて【PDF/287KB】より引用。
JR北海道の経営状態を鑑みると、どういう形態であれ、日高本線の存続は無理と思われる。
いま必要なことは、鉄道廃止後の沿線の交通体系をどうするかということになるだろう。
国や道による、税金を投入した上下分離方式であるが、都市間輸送や貨物輸送のある線区では検討すべきところだが、バス輸送で十分なローカル輸送まで適応するのは難しいところだろう。
以上、沿線住民でもないし、全くのド素人による私見である。
私自身札幌に住んでいて、すでに車社会の住人である。
だから、交通弱者の側から見れば、正反対の意見も出るだろう。
しかし、日高本線の問題に関しては、沿線自治体が現実に直面せず、夢物語を語っているだけというようにしか見えない。
一番の当事者はJR北海道なのである。
運休中の路線を維持するのにもコストがかかっている。
沿線自治体は路線としての存続を主張しているが、復旧しても僅かな利用者だけ、しかも赤字必至である。
筆者の私見として言わせてもらえば、日高本線の鵡川〜様似間については、早々に鉄道以外の正式な代替交通機関に置き換えるのが妥当であると思われた。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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