2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記4

◆ 2日目 萩を歩く

JRの駅は東萩が代表駅だが、ここは山口県萩市である。
いまは人口約4.7万人の日本海に面した地方都市だが、江戸時代は毛利氏が治める長州藩の城下町だった。

待合室の奥に観光案内所があって、開いてはいるが中には誰もいない。
地図の載ったパンフレットだけ取って来た。これを見ながら町をあるいてこよう。

当初の旅行計画では萩は素通りするつもりでいた。
博多から出雲市までは、新幹線と特急『スーパーおき』を乗り継げば、半日で着くのである。

それが萩に泊まることになったのは、飛行機が希望日の便が取れなかったことによる。
しかしそのおかげでこうして萩の町に寄ることができたのだった。

旅行の出発前に萩の歴史などを調べていた。
そうしたら歴史の教科書に出てきた伊藤博文、木戸孝允、山形有朋、高杉晋作など明治維新や新政府のメンバーの多くが長州藩のお城が置かれていた萩出身なのだった。
それに気づいたら、何だかすごい所に行く気がしていた。


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 松陰神社は幕末の思想家だった吉田松陰を祀った神社。

まずは松陰神社へ向かう。
ここは幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰を祀った神社である。

日本の幕末から明治維新にかけて活躍した長州出身の人物に大きな影響を与えたのが吉田松陰であった。
駅から松陰神社までは歩いて行ける距離。沿道はドラッグストアやコンビニが目立つ。
15分ほどで着いた。広場の駐車場には観光バスが何台か停まっていた。

境内は修学旅行だろうか、小学生が大勢ぞろぞろと歩いている。
彼らが通り過ぎると静かになった。

吉田松陰歴史館もあったが今回は時間が無いのでパス。

また次回(^^)ノ~~

松下村塾だけはしっかり見ておくことにした。

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 国指定史跡の松下村塾(しょうかそんじゅく)。

この松下村塾で、高杉晋作や初代総理大臣の伊藤博文など多くの倒幕・明治維新にかけて活躍した人材が学んだ。
その師が吉田松陰なのである。
しかし、松陰がここで教育したのはわずか1年間だけ。

”この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕に挺身し明治維新の原動力になった。“とは看板より。

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 粗末な小屋だが、ここから明治新政府の要人が育った。

吉田松陰とは名前は知っていたが、どのような人物かまではこれまでよく知らなかった。
ネットでいろいろ調べてみたのだが、満29歳で亡くなるまで波乱というかクレイジーな生涯を送った人物だったようだ。

松陰の思想や言葉はググればいくらでも出てくる。そのどれもが現代に通用する、いやこの先どうなるかもうだれも予想がつかない現代にこそ必要なことかもしれない。

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諸君、狂いたまえ。by吉田松陰

松陰神社を後にして、今度は町のほうへ歩く。

別にどうということは無い普通の街並み。
だけど、歩いているとそんな中にも一瞬現れるんだよね。これはっていう被写体が。だから町なかは歩くのが一番好き。

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 水路と日本家屋。歩いていればこそ見つかる風景。

パンフレットの地図に『井上勝旧宅跡』というのがあったので寄ってみる。
井上勝は明治維新以来、日本の鉄道発展につくした人物。
鉄道好きとして寄ってみました。奥は普通の民家のようだったが。

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 鉄道の父、井上勝旧宅跡。

松陰神社から松本大橋を渡ってまっすぐ行った突き当りにあるのが唐樋札場跡。
江戸時代はお触書などが掲げられた場所。いまは萩市民憲章が掲げてあった。

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 唐樋札場跡。

この札場の向いにある荒川蒲鉾店に寄る。

旅行前に萩の名物というか、B級グルメ的なものを探していたら魚ロッケ(ギョロッケ)なるものに出会った。
萩市内の魚ロッケといえばこの店が有名らしい。

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 ショーケースに蒲鉾が並ぶ荒川蒲鉾店。

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 荒川商店の『魚(ギョ)ロッケ』は1個65円。

ショーケースに並んでいた魚ロッケ2個と、ごぼう巻きを買う。
歩きながら食べるのも何なので、包んでもらった。旅館で酒の肴にするとしよう。
あとでスーパーの練り物コーナーにも並んでいたので、この辺りではメジャーな食品なのだろう。

ここからはアーケード街になる。
シャッター街というほどではないが、人影は無くひっそりとしている。
この辺が萩市の中心部ということになるのだろうが、これといったものは見つからなかった。

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 『ジョイフルたまち』というアーケード商店街。

アーケードが終わったあたりから、萩城城下町ということになる。
長州藩時代からの旧家や武家屋敷が立ち並ぶ一角。

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 旧商家が並ぶ萩城城下町の旧町人地あたり。

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 呉服商・酒造業を営んでいた旧久保田家住宅の玄関。

このあたりも人通りは無い。平日だからこんなものなのか。
しかしそのおかげでとても静かで落ち着いている。

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 木戸孝允旧宅などがある旧江戸屋横丁。

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 日本の道百選の1つになっている菊屋横丁。

たまに観光タクシーが通りかかって、無粋だなあと思うが、これは私の足腰が丈夫だからで、あと40年もしたらああいうタクシーの世話になっているかもしれない。
・・ヨレヨレのじじいになってもまだ旅行してるんかい(^^;)

つぎは萩博物館へ行く。

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 萩博物館は武家屋敷風の建物。

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 入場無料の別棟にあった『昭和のくらし展』で再現された茶の間。

券売機で入場券を買って受付に見せる。
中に入ってから、バックパックを背負ったままなのに気付いた。戻って受付のおばちゃんに荷物を預かってくれないかというと、入口横のロッカーに入れてくださいと言われた。100円玉は出すときに戻ってくるとのこと。

おばちゃん曰く
「軽そうだから声をかけなかったんですが」

・・・いや結構重たいのよ、これ。

ひと回りしてきて、中にあったレストランに入った。客は私一人。
外に看板が出ていた夏みかんソフトを食べた。
ずっと歩き続けだったので、ここで小休止。

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 萩博物館のレストランで食べた夏みかんソフトクリーム。

さて、時刻は15:20.
ここからさらに歩いて、旧武家屋敷の並ぶ堀内地区重要伝統的建造物群保存地区を通って、萩城跡がある指月公園まで行ってみることにした。
堀内地区の街並みは、白い土壁の塀がずっと続く、町人地とは違った道だった。

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 旧上級武家地の道は白い土壁の塀が続く。

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 クランク状の石垣に囲まれた萩城への道。

萩城があった場所は指月公園となっている。萩城は明治7年に廃城令により解体され、いまは堀と土台の石垣が残るだけとなっている。
入口には料金所があって、中に入るには入場料がいるようだった。

もう4時近かったし、途中で買い物をして明るいうちには旅館に着きたい。
写真だけ撮って、引き返すことにした。

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 慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた萩城。いまは土台の石垣が残るのみ。

さっき来た道をまた歩く。
同じ道をただ引き返すとは芸がないが、2回通っても良い道だった。

さっき歩いた城下町地区では、下校の小学生が歩いていた。
ここは観光地というだけでなく、地元の人々が暮らす町なんだな。
そう思うと、萩の町も人も懐が深い所に思えてくる。

有名になったはいいが、観光客相手のお土産屋やカフェばかりになって、反面地元の人が寄り付かなくなったような観光地よりここはずっと良い。

途中でスーパーに寄る。
ここで、今晩の酒と肴を仕入れる。今日の宿は素泊まりだ。

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 旅館近くの水路。

今日の宿は、じゃらんでネット予約してある。
昨日の宿はビジネスホテルだったが、今日と明日の宿は旅館にした。

私はプライベートでも出張でも自分1人で泊まるときは断然和室派である。
和室は立っても座っても寝っ転がっても自由に過ごせるからね。
風呂トイレ共同なのも全然気にならないし。

それにビジネスホテルはあまり好きではない。
狭い部屋にベッドが占領して、寝てるか狭いテーブルの向こうにある鏡の自分と差し向いに過ごすしかないではないか。
たっぷりと部屋に余裕のあるシティホテルクラスならば満足だが、少ない予算でそんなところに泊まれるわけはなし。

で、駅から近くて安い旅館ということで探していたら良い宿が見つかった。1泊4,500円、ちょうど千円分のクーポンがあったので3,500円となった。オンラインでクレジット決済済みである。

いやあ、便利な世の中になったね。
反面、町なかの旅行代理店など、あと10年もしたらほとんど無くなっているかもしれないね (^^;)

というわけで旅館の前までやってきた。

うおおお、古い。
ゾクゾクしてくるほど年季がはいった佇まい。

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 旅館芳和荘。建物は遊郭だったもので建築は大正初期。萩市景観重要建造物にも指定されている名建築。

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 古い佇まいの玄関。

本当にやっているのか?と思いたくなる玄関だが、おそるおそる戸を開けて中に入る。
誰もいない。

靴を脱いで上がったところに帳場があって、インターホンがあったので押してみる。
その隣には板と棒があって、これを鳴らしてくださいみたいなことが書いてある。どうしたらいいんだ、こりゃ。
板をカンカンとたたいて見たら、奥から『芳和荘』と書いた羽織姿の番頭さん?ご主人らしい人が現れた。

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 玄関から。セットじゃないよ本物だよ。

宿帳を書くと、羽織の主人が部屋まで案内してくれた。
部屋は2階になる。階段を登ると中庭があって、ぐるりと囲むように回廊がある。

その回廊に面した1つの部屋に案内してくれた。
部屋は畳の和室6畳。窓も手すりも木製。くすんだ色彩に100年の歴史を感じる。
床の間に置かれたテレビと窓の上のエアコンがむしろ異彩を放つ。

いいねえ、いいねえ(・∀・)

ここで歴史を感じながら1杯やるか。

主人「お風呂は何時に入りますか?」と聞かれ、
じゃあすぐに入るかなと答えた。

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 大正、昭和そして平成と百年間変わらない部屋。

主人が去ってからカメラを持って部屋を飛び出す。
もう軽く興奮していた。
いや〜、国内旅行でこんなにテンション上がるのはいつ以来だろう。

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 中庭と回廊。

中庭をぐるりと囲んだ木の廊下に木の手すり。手すりには文字が彫られた板がはめ込まれている。
床も、手すりも柱も綺麗に磨き上げられて、古さはあるが煤けた感じは全くない。

この建物は大正時代初期に遊郭として建てられた、当時としては大型の木造建築物である。
遊郭は、戦後のある時期までは全国各地に存在したが、現存する建物は今ではほとんどないそうである。
しかも、当時の姿のまま残っているのは全国でもここだけ。

歴史的な建物を保存して、観光化しているところは全国にいくらでもあるが、ここは現役の旅館。
しかも私のような貧乏人が泊まれる安宿 (^^;)

廊下から中庭を見下ろしていると、昭和も戦前、いや大正時代にいるような気分になってくる。
いや、伊藤博文や木戸孝允が向こうから姿を現しても違和感がない気がする。
なんだか軽いめまいがしてきた。

文章ではこれ以上言い表せないので、興味ある方は泊まってみては。

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 狭いけど趣のある風呂。『武者風呂』と呼ばれているそうだ。

風呂もずいぶんと手の込んだ造りになっていた。
安宿にしとくにはもったいない。

すっかり温まって風呂場から出ると主人が出てきて、お風呂の間にお布団を敷いておきましたからとのこと。
上げ膳据え膳だねえ。

さてと、部屋のテーブルにスーパーで買ってきた酒と惣菜を並べて宴会するか。

 〜本日の献立〜
魚ロッケとゴボウ巻き(荒川蒲鉾店製)
萩市沖産 ヤズ刺身
鯨カツ

 〜お飲み物〜
エビスビール1缶
長門峡 上撰 4合瓶


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 スーパーで買ってきた酒と惣菜。

エビスビールから。さんざん歩いてきて一風呂浴びてきたからビールうまい。
まずは魚ロッケから。魚のすり身にパン粉をつけて揚げたもの。コロッケならぬギョロッケ。
軽く塩味があるので、酒の肴ならばこのままいける。おかずにするならソースか醤油をかけたい。

ヤズは珍しい魚かなと思って買った。30%引きだったし。
どういう魚かと調べたらブリの出世魚名だった。

今回のスーパー惣菜で一番のヒットは鯨カツ。札幌あたりでは目にすることがないので買ってみた。
鯨の刺身は何回か食べたことがあるが、正直あまりうまいとは思ってなかった。
肉は叩いて薄くしてあるようだが、これが柔らかいし、感覚としては魚っぽい牛肉(?)というところ。
これがめちゃ旨かった。ビールより日本酒に合うな。

と思って日本酒も買っておきました。
部屋にあった湯飲み茶わんで飲む。

日本酒は、ぐい吞みでもグラスでもなく湯飲みで飲むのがツウの飲み方なのである(嘘)。

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 萩の地酒『長門峡』を友に。

買ってきた惣菜は多かったかなと思ったが、全部食べてしまった。
あとは古き良き時代に思いを馳せながらチビチビやってようか。

あー、くたびれたーと布団にちょっと横になる。

ZZZ・・・

目が覚めたら10時過ぎ。
電気つけっぱなしで寝ていた。最近寝オチが多いよヾ (^^;)

あーおしっこしたい。

外に出ると中庭はライトアップされて、これが昼間とは違う幻想的な光景だった。
トイレから部屋に戻って、カメラを持ってまた廊下に出る。

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 回廊と中庭の夜景。今自分はいつの時代にいるのだろう。

夜景を撮るのはお手の物だ。持っているカメラはニコンのコンデジ。レンズの口径比は広角側で1:1.8。手持ちでもバシッと決まる。
でももう売ってないんだよね、このカメラ。

廊下でカメラをもってウロウロしてると、羽織の主人が階段を登ってきた。

やべっΣ( ̄▽ ̄)、見つかった?

でも何も悪いことしてないよ。

主人「いい写真を撮れましたか」

「ここ、昔は遊郭だったんですってね」
から始まって、ご主人との話が止まらなくなった。

「古いままだから、あまり女性向ではないですかね」
と言うと、意外や意外、女性のファンが多いという。

この建物のこと、萩のこと、札幌のこと、話は明治維新の志士のことまでに及んだ。

私も寝起きとはいえ酒がまだ残っていたので結構饒舌だった。
なんだかんだ知ったかぶったつもりで、倒幕から明治維新の話をしたような気がする。

「松下村塾から始まって萩から明治新政府の要人がたくさんいたのに、萩の町はどうして小さな町のままになってしまったんですか?」

今にして思えば愚問だったかも知れないが、ご主人はたぶんご自分の言葉で答えてくれた。

「うーん、あの頃の人たちは、新しい日本を作る信念があったので、萩だけを発展させるということは頭になかったのでしょうね」

小1時間くらいずっと廊下で立ち話していた。
まだ半分酔っぱらっている自分の話を、物静かに受け答えするご主人はとても優しかった。

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 すべてが本物。

築100年にもなる古い建物を維持するのは大変なことだろうと思う。お金だってかかるだろうし。
ただ1泊の客である私にとやかく言う権利はないが、いつまでも今の形で残っていれば良い。
そして、また萩を訪れることがあればこの宿に泊まりたい。

今日1日を振り返ると、萩に来て本当に良かったと思った。

吉田松陰、萩城下町、そしてこの芳和荘

もしかしたら
「素通りは無いだろ、ちょっと寄ってけよ」
と、萩の町に呼ばれたのかもしれない。

飲みかけだったお酒をまた飲んだ。4合瓶が1本空いたところで、こんどは電気を消してちゃんと寝ることにした。


ところで 松下村塾 のことを私めは まつしたそんじゅく とずっと言っていました。
 ( ̄∇ ̄;)

それに気が付いたのは札幌に戻ってからだった orz

〜5へつづく


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