交通資料館が2年半ほど休館になった。
ここは地下鉄南北線の高架下にある施設で、地下鉄高架の補修工事のため一時的にということだ。
ここは開館しているのが5〜9月の土日祝のみということもあってか、いつ行っても鉄道ファンや幼い子供連れなんかがチラホラ来ているといった感じで、ひっそりとした印象であった。
雪まつりの真駒内会場がなくなってから、ますます影が薄くなったかもしれない。
しばらくは見に行けないことになるので、今シーズンの営業最終日(2017年9月30日)に久しぶりに行ってみた。
最終日なので人が来ているかと思ったが、いつもの交通資料館と変わらない感じ。
まあ、落ち着いて見られるからそのほうがいいんだけど、なんか拍子抜けだ。
交通資料館の入り口。
橋脚工事のため一旦解体されることになった屋内展示場。
まずは市電の屋外展示から見る。外からだけではなく、ここのは実際に車内に立ち入ることができる。
まずは連結車Tc1形から。
混雑解消のために製造された札幌初の2両連結車。両運転台のM101+片運転台Tc1のコンビで『親子電車』と呼ばれた。
親のM101はワンマン化され現在も現役だが、子のこちらは廃車され、いまはここで暮らす。
Tc1の方向幕。『琴』の字が・・・
連結器を備える運転台の無い側。M101にも同じようにあったが、そちらはワンマン化の際に撤去されている。
運転台が無いので展望スペースのようになっている。ラッシュ時はここが特等席だったかも。
昭和32年製造なので320形となった321号。前面に傾斜をつけたスタイルは、現在の丸っこい札幌市電のデザインの原点となった。
曲面ガラスと両側の小窓、方向幕上の前照灯、大型の方向幕、当時はどれもが新方式だった。
昭和24年製造の600形601号。改造に改造が重ねられ、竣工当時とは似ても似つかない姿になった。
601号の車内。車掌台が残る。幅1400mmの乗降口はラッシュ時に威力を発揮した。反面、冬は寒そうだ。
601号の運転台。椅子は無く立って運転するスタイル。コントローラーは大型の直接式。
D1040形1041号。変電所も架線も不要ということで導入された路面ディーゼル車。
ディーゼル車としては最終増備だが、同じく登場したA820型連接車と同じデザインである。
昭和39年製造、地下鉄開業前の路線縮小が行われた昭和46年廃車と短命の車両だった。
前照灯が2灯並ぶ。上から電球がぶら下がるのも斬新だったのだろうか。
最後の札幌版流線形スタイルであったA820形と同様の車体。
D1041は『調整中』の張り紙があって車内に入れなかったので、外から中をうかがい見る。
座席上にはホコリが積もる。前は車内に入れたのだが、不具合でもあるのだろうか。
背もたれが低く、座ると外から腰が丸見えになる座席。窓も上部しか開かないので、夏など暑そうだ。
見た目のデザインとは逆に車内の居住性はどうだったんだろう。
永久連結車A800形。前記の親子電車を参考にして連結部を貫通させた永久連接車となった。
2両連結の大型車両はラッシュ時に活躍した。
この車両もワンマン化はされなかったので車内には車掌台がある。
乗客は後部車両のドアから乗って、前車のドアから降りるというもの。車掌台の前を通る際に料金や回数券を渡すことになる。
走行中に支払いや改札を行うので停留所での乗降はスムーズだった。反面、車内外での移動が発生するので、連結車が来ると面倒だったとは私の母親の評。
連結車の乗車方法。
連結部分から見た車内。混雑時は座席を折りたたむことができた。
エヘ、D1041に追従運転。
DSB1形除雪車は非電化区間の除雪のために製造されたササラディーゼル車(と呼んだかはわからないが)。
昭和42年の全線電化が完成するとお役御免と思いきや、変電所の電力容量が不足するラッシュ時の除雪には重宝したらしい。廃車は路線縮小時の昭和46年。
雪8型は木造の車体。現在現役のトラ縞模様のササラ電車も、もとは同様の木造電車を鋼体化した車両である。
ササラ電車が登場したのは大正9年のこと。札幌に電車が走り始めたのが開業の大正7年の2年後ということになる。
一応昭和26年製となっているが、wikiによると『電動客車40形を改造して局工場で8両が製造され』とある。
車体や窓回りはたしかに40形だなと思える。
こちらは雪11号。ササラではなくプラウ式の除雪車。軌道敷外の拡幅除雪に使われた。
看板には『製造:昭和33年(改造)』とあるが、正確な製造年月は不明という謎の車両。
種車は札幌初の電車である10形という説もあるようだ。
様々な改造が加えられて、車体は上記の雪8と同じく40形のを流用したと見える。
10形とは札幌で初めて走った22号木造電車と同じくして名古屋電気鉄道から購入された電車である。
ということは22号より古い電車だった可能性もある。
いやあ懐かしい。地下鉄南北線と言えばこの顔だった。保存車両は1000形だが、増備の2000形とほぼ同じもの。
市電のA820形が原型とされている。前面中央に貫通路を設けたために見事なバッタ顔となった。これぞ大刀イズムの最終完成版であろう。
デザインもさることながら、ゴムタイヤ方式、プロペラシャフト駆動、車輪配置など名車とするか迷車とするかは意見が分かれるところ。
このデザインはどこかで復活することはないのだろうか。
あちこちに描かれた市章に当時の札幌市の意気込みを感じる。
「Nan-Poku Line」の表記。当初南北線は『なんぽくせん』と読んでいた。新しい交通資料館になった際にも引き継がれるのだろうか。
ところは変わって屋内展示場。東西線の6000形。
残念ながら張りぼてに本物のライトやドアを取り付けたもの。
それにしてもこの車両を保存できなかったのは涙涙・・・
北海道の形とSをかたどったエンブレム。東西線の象徴だった。
市電の模型コーナー。市電のマスコンとブレーキハンドルで運転する。子供が来なけりゃいつまでも遊んだろう。
戦前の市電市バスの路線図。
昭和45年の電車運転系統案内図。路線縮小前最後のもの。
保存車22号は愛知県犬山市の明治村に里帰り中。向こうでは『名電1号形』として展示されているとか。
いまは線路のみ。
平成32年3月に戻ってくる予定だが。
これは交通資料館にあったころの22号電車(2012年筆者撮影)。
札幌市電の前身である札幌電気軌道株式会社が開業時に名古屋電気鉄道(名鉄の前身)から中古車両を購入した札幌で走った最初の市電。
またこの姿で戻ってくるのだろうか。
できればまた走る姿を見てみたい。
今シーズン営業最終日、小さい子供連れの家族客が目立った。
こうして昔の車両をみていると、今からするとユニークな車両も多いが、当時としては苦労の産物だったに違いない。
増え続ける乗客、電車が数珠つなぎになるほどの台数を走らせても捌き切れなかった乗客。そして冬は雪。
これを解決するために、大勢の乗客を輸送できる親子電車や連結車が投入され、拡大を続ける市域に安価で路線を延長するために考えだされた路面ディーゼル車だった。
あの車両たちを見ていると、当時の関係者の夢を感じる。
その夢とは、市民に愛される市電にしたいという願いだったのか情熱だったのか。
あの当時の人の夢と、いまこの時代に生きる人の夢は同じものではない。
ただ、その夢の先にあるもの、それはいつの時代に生きても変わらないと思う。
新たな展示物も増えて地味にリニューアルしていた交通資料館だが、保存状態が悪いためか撤去されている車両や展示物もある。
屋外展示の市電車両も、保存状態が良いとは言えない。
限られた予算や人員では仕方がないのかもしれない。
平成32年のリニューアルオープン後は、入場料を取ってもいいからもっと充実した施設にしたらいい。
あと50年もしたら代を譲ったポラリスことA1200形がA800形やD1040形の隣に展示されているかもしれない。札幌初の低床電車として。
そのころには今では想像もつかない形で市電が生き残っ・・いや、発展していることだろう。
まあ、夢だね。そのころ私は生きていないだろうけど。
〜さいごまでお読みいただきましてありがとうございました。
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