先日、といっても2017年6月のことだが、仕事で稚内に行く機会があった。
前回稚内に来たのは2年前の2015年8月だった。その時と同じく稚内駅に寄ってみる。
新しくなった駅舎から到着する特急を見ていると、線路わきにキロポストがあるのを見つけた。
あんなところにキロポストがあったかなと取りあえず写真に撮ってきた。
帰ってから前回来たときの画像を見てみたらキロポストは写っていない。やっぱり新しく取り付けられたもののようだ。
旧駅舎時代もたしか無かったはずだ。
このキロポストを見て、ひとつの謎が生じた。
『最北端の線路』標と特急サロベツ。
線路右側にキロポストがある。
259と表示されている。
ホーム側から。
立っているのは稚内駅ホームの駅舎よりの端。
キロポストの数字は『259』。
あれ?稚内駅のキロ程は旭川起点259.4kmじゃなかったのか?
あとの0.4km分の線路はどこへ行った?
2015年8月の画像。キロポストは見当たらない。
キロポストには3種類あって、1つは起点駅からのキロ数を表示した甲号で、これは1キロごとに立っている。2つ目はキロ数に『1/2』と表示された乙号で、これは500mごとに。3つ目は1ケタの数字だけ書かれた丙号で、これは100mごとに立てられている。
キロポストの数字は259、これは1キロごとに立てられている甲号ということになる。
キロポストの場所がずれているにしたって、せいぜい数mだろう。
0.4kmはもちろん駅舎を北に通り越して外に飛び出している線路のことではない。あれはキロポストから70mほどの所までしかない。
それにあれはモニュメントであって、実際に使用されている線路ではない。
『日本最北端の線路』のモニュメント。旧駅舎時代はここまで線路があった。
ところで時刻表を始め、あちこちに表示してある259.4kmというのは、時刻表に載っている営業キロから持ってきた数字である。
時刻表に載っているキロ数は『営業キロ』で、運賃や料金計算を行う際に基になる数字である。
それに対して実際のキロ数は『実キロ』などと呼ばれていて、鉄道施設の場所をキロ数で表わすものである。よく踏切なんかに数字が書いてあるが、それが実キロで営業キロとは別物となる。
この『実キロ』という言葉は正式な名称ではない。キロポストや踏切に表示されている施設上のキロ数をここでは『実キロ』と呼ばせていただく。
たとえば、函館本線の営業キロと実キロはかなりずれていて、たとえば札幌駅の函館起点の実キロ数は286.970kmだが、営業キロでは286.3kmとなっている。これは営業キロは函館駅を起点としているのに対し、実キロは青函連絡船のあった旧函館桟橋を起点としていることから発生している。
話をもとに戻す。この0.4kmの差はどこからきているんだろうか。
隣駅の南稚内から稚内までの営業キロは時刻表で見ると2.7kmとなっている。ところが、地図上で計測してみると約2.35kmとなった。
どうやらこの差分は南稚内〜稚内間で発生しているらしい。
地理院地図(電子国土Web)で南稚内〜稚内間の距離を計測してみると・・・。
いつからこうなったのだろうか。旭川〜稚内間の営業キロを過去の時刻表で見てみよう。
- 時刻表(東亜交通公社)昭和19年12月号・・・258.9km
- 時刻表(日本交通公社)昭和31年11月号・・・259.4km
戦前のキロ程は実キロに近いが、戦後に0.5km加算されている。南稚内のひとつ手前、抜海駅のキロ程は戦前から現在まで245.0kmと変わっていない。
先代の2階建て駅舎は1965(昭和40)年に建てられたものだが、その前の木造駅舎から場所はほとんど変わっていない。もちろん戦前から戦後にかけて稚内駅が移転したということもない。
まずは0.4kmの謎。この答えはウィキペディアにありました。
それは旧国鉄『営業線基準規定』第7条、営業キロの設定に関する規定。
以下Wikiからの引用。黄色マーカーは関係個所。
「営業線基準規程」第7条 (1) 営業キロ程の設定は、次の各号に掲げる基準によるものとする。 営業キロ程は、起点から停車場中心までの実測キロメートルによるものとし、キロメートル未満のは数については、二位以下を四捨五入し、一位にとどめるものとする。ただし、線路延長計画のない終端停車場にあっては、おもな線路の終端までとする。 |
つまり延長計画のない終点の駅では、駅を通り越した線路の終端がその駅の営業キロとなるわけだ。
実際測ってみるとこうなる。
稚内駅より400m北の地点。(地理院地図(電子国土Web)より作成)
上記地図の1977年撮影空中写真。稚内駅構内の線路は北防波堤付近まで延びていた。(地理院地図(電子国土Web)より)
昔の空中写真を見ると、稚内駅構内の線路は北防波堤の道路手前まで延びていたことがわかる。
当時の国鉄の規定により、駅構内の線路の終端を稚内駅の営業キロと定めたので0.4km多くなったということだ。
このような例はほかにもあって、根室本線の東根室〜根室間は実キロ1.375kmに対し営業キロは1.5kmとなっている。
逆に同じ終端駅でも日高本線の西様似〜様似間は実キロ・営業キロ共に2.9kmで同じになっている。これは当時は広尾まで延長する計画があったため、通常通り停車場中心(駅本屋)のキロ程を採用したのだろう。
さて、もう一つの疑問。戦前と戦後でキロ数が変わったのはなぜだろうか。
じつは戦前の稚内駅は終端駅ではなかった。
いまの北防波堤ドームの場所に稚内桟橋駅というのがあった。当時日本領だった樺太・大泊まで運航していた稚泊連絡船への乗継のための駅である。
当時の時刻表には営業キロは表示されていないため、正式な駅では無かったのかもしれないが、当時の急行列車はこの駅に発着していた。
その稚内桟橋駅も1945(昭和20)年8月24日の便を最後に稚泊連絡船が停止されると事実上廃止となる。
稚泊航路記念碑がある稚内桟橋駅跡地。
その後、1932(昭和27)年に南稚内駅が今の場所に移転している。移転前の南稚内駅はスイッチバックで出入りしなければならないという面倒な駅だった。スイッチバック解消と現稚内駅に近すぎるという理由から今の場所に引っ越したのである。
それまで南稚内〜稚内間の営業キロは1.2kmとなっていたが、これを機に駅構内の線路終端までの延長を含む2.7kmに改められたようだ。
稚内桟橋駅も無くなったし、これ以上北に延長する計画などあるはずもない。営業キロも他の終端駅同様の扱いになるのは当然のことだ。
今回の疑問の答えはこうなる。
稚内駅の営業キロは、昔は400mほど先まで延びていた線路終端のキロ数と定めたので、この距離の差が実キロと営業キロの間に出た。
現在駅舎から先の線路は使用されなくなり撤去されているので、実際の線路長より0.4km長い営業キロとなっている。
現在駅舎から先の線路は使用されなくなり撤去されているので、実際の線路長より0.4km長い営業キロとなっている。
昔は右側の空き地まで稚内駅の構内だった。
新たに設置された259kmのキロポストは日本最北端のキロポストである。そのうちまた新たな名所になるんだろうか。
そのおかげで宗谷本線は時刻表の営業キロよりも実際は約0.4km短かったことがわかった。
それにしても0.4kmである。しかも既に存在しない線路。
たとえば名寄〜稚内間の運賃は実際のキロだと182.8kmとなって3,670円になる筈だが、現在の営業キロで算出すると183.2kmになり3,990円と320円余計に高くなっている。
今は存在しない線路のために余計にお金を取るのはどうかと思う。
しかし、こんな例は全国にいくらでもありそうだし、これで営業キロを0.4km改定したら、全国からの運賃が変わってしまうので。難しいところなんだろう。
〜最後までお読みいただきありがとうございました。
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