2010年サハリン旅行記10

2010年9月10日
■ユジノサハリンスク → コルサコフ港 タクシー 

今日は帰国の日になる。ホテルのフロントにコルサコフまでのタクシーを頼んでおいたが、ちゃんと来るだろうか。

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 ホテルの窓から。

7:00、日本ならばまだ5時前で、まだ夜明け前だ。1階に下りるとタクシーが来ていた。なんと若い女性ドライバー。
チェックアウトしてタクシーの助手席へ。
ロシアでは、1人でタクシーに乗る際は助手席に乗るようだ。

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 早朝の国道を飛ばす。

まだ車の少ない市内を抜けて真っすぐな国道を100キロで飛ばす。だんだん明るくなってきて、地平線の向こうに朝日が昇ってきた。

途中で車は速度を落とし、シートベルトを着けるように言われた。
彼女は「ミリツィア」(警察)と言って笑った。

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 起伏の多いまっすぐな道路。だんだんユジノ方面へ行く車が多くなる。

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 運転手の姉さんが通行人に道を尋ねる。

ユジノサハリンスクを出発して40分弱でコルサコフ市内に入った。しかし、運転手はフェリーターミナルへは初めて行くようで、通行人に「ムッシーナ」(おじさーん)と呼びかけて道を尋ねる。

自分は知っているので教えてあげたいが、言葉が上手くないので伝えられない。急いでいないし、メーターが上がるわけでもないので別にいいのだが。

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 コルサコフ市内。ハイウェイ並の国道から市内に入るとデコボコ道。

車はあっちに入ったりこっちに入ったりしながらも、ようやくフェリーターミナルの前についた。
運転手に900ルーブル支払い、「スパシーバ」と言って別れ、車は去って行った。

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 コルサコフ港フェリーターミナル。


■コルサコフ 8:00発 稚内 13:30着 [アインス宗谷]

時刻は8時少し前。10時出港なので2時間前だが、ロシア人乗船客はすでに待合室に集まっている。
前はもっと煤けた建物だったと思っていたが、改装したのか明るく新しくなっている。待合室の椅子の座り心地の良さはさすが。

これも前は無かったように思うが、カフェも営業している。のぞいてみたら、コーヒーのほかちょっとした飲料が置いてあった。お土産用にビールを1本購入した。

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 稚内行フェリーの乗船客が三々五々集まってくる。ロシア人ばかり。

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 カフェも営業している。

8時を過ぎたがまだ動きはない。外へ出てターミナルのまわりを少しうろつく。
向かいには商店というかコンビニのような店があって、この時間から営業していた。

サハリンにはコンビニは無いが、マガジーンと呼ばれる店があちこちにある。
ユジノサハリンスクで買い物ができなかったら、ここでちょっとしたものは手に入りそうだ。もっとも、土産になるようなものは置いていないと思うけど。

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 フェリーターミナル前の噴水と町並み。

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 朝から営業しているフェリーターミナル向かいの店。

8時20分ごろ出国審査場のドアが開かれ、乗船客らがぞろぞろと動き始める。
ここから先は撮影禁止。別にとがめられるようなものは持っていないが、緊張するところだ。

イミグレもすんなり通り、バスでフェリーへと向かう。行きの時と違い、人数も少なくスムーズだった。

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 出国審査場入口。

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 出国審査後にカードをくれる。審査済をしめす整理券のような物。

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 バスの車内。

来たときと同じく、イミグレーションから船まではバスで移動する。船の入口に制服を着た管理官に、さっきもらった青いカードを渡して乗船する。
乗船時に弁当を受け取って、船室の空きスペースに陣取ったらサハリン旅行もほぼ終了だ。

ここはもう日本だ。撮影も自由で、どこへカメラを向けても良い。

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 船に乗ってしまえばもうここは日本。撮影し放題(笑)

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 1台のバスが往復してくるたびに続々と乗船客がやってくる。

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 建物の壁にこんな看板があった。

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 イゴール・ファルフトディノフ号。週2便でコルサコフと北方領土を結ぶ定期便。

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 向こうの岸壁にはにっぽん丸が停泊していた。サハリンクルーズで来ていたらしい。

帰りの船は空いているなと思っていたら、1台で往復しているバスが着くたびに続々と乗船客がやってきて、船室のコンパートもだんだん埋まってきた。
行きの船にいた日本の一行さんもギリギリになってやってきた。
帰りの船でも早めに来ることに越したことはないようだ。

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 全員乗船が終わり、車両甲板のタラップが上げられる。

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 かまぼことパン弁当(仮称)。ビールのつまみには良い。

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 日本製品が並ぶ船内の売店は早くもロシア人に人気。

まずとりあえずは100円ビール。

行きの船で一緒でユジノサハリンスクのバスターミナルで会った学生さんと雑談したり、甲板に出て海を眺めてたり、寝たりして過ごした。

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 サハリンが遠ざかっていく。

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 船内の様子。日本人客の顔ぶれは行きとほぼ同じだった。

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 何やらじっと物思いにふける老人。

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 稚内に戻ってきた。

稚内着は13:30、イミグレーションは日本人用と外国人用に分かれており、並ばずにすんなりと通れた。

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 出口には『サハリンから稚内へようこそ!』とロシア語で書かれた横断幕があった。

無事稚内に戻ってきたので、行きに入れなかったいつものラーメン屋に直行した。

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 青い鳥の塩ラーメン。久々に味わう日本の味。

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 特急スーパー宗谷4号。

稚内から札幌までは約5時間、札幌まで戻れば今回の旅行は終わり。
毎回思うのだが、サハリンから稚内に戻ってくると、フッと何やら夢から醒めたような気持になるのはなぜだろう。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

〜おわり〜
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この記事へのコメント
はじめまして。
サハリンは27年前に行きましたが、非常に良かったですね。
そもそもJTBの幹部だった祖父が部下を連れて北緯50度線の国境まで仕事で行ったという事を祖母と父から聞いていて興味があったから大学の卒業旅行先に選んだのでした。
行きは新潟からハバロフスク経由で、帰りは稚泊航路の戦後復活第一号便でコルサコフから稚内までと・・・
サハリンでは北サハリンもオハ・モスカリポ・二コラスコバと行きましたが、オススメですよ。

その旅の帰路は、かつて祖父が辿ったのと同じルート(大泊−稚泊連絡船−「樺太急行1・2」−青函連絡船ー「東北急行201・202」ー上野)を辿るべくJRで帰りました。札幌から北斗星で帰ったのですが、ロイヤルが取れずソロで(祖父に「俺だって東北急行と樺太急行は特別室とはいえ2等(父曰くマロネ38の個室に乗ったそうです)なんだから孫のオマエが1等だ?バカモノ!!」と怒られたんですね。きっと)・・・今となってはやれない「樺太から船と在来線で東京まで帰る」ということをやれた印象深い旅でした。
Posted by キュア梅盛 at 2018年04月24日 21:14
キュア梅盛様
ありがとうございます。HPも拝見しました。
ソ連時代ですね。当時の旅行記はwebでは希少なので興味深く拝見しました。
当時を知る人から聞いた話では、あの頃は町中に車など殆ど走っていなかったということでした。
私が初めてサハリンへ行ったのが2000年。
その当時で既に車で溢れかえっていました。
この旅行記はその10年後になります。
町中には派手な看板が林立し、郊外には大型ショッピングセンターができた頃です。
サハリンも民主化後の混乱から立ち直って、経済成長が始まったと感じさせる旅行でした。
Posted by pupupukaya at 2018年04月27日 21:51
コメント
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