2010年サハリン旅行記8

2010年9月9日
■ユジノサハリンスク発 8:20発 ノボジェレーベンスカヤ着 8:53 [6001列車]
ノボジェレーベンスカヤ発 9:10発 ユジノサハリンスク着 [6002列車]

毎朝7:08にノグリキからの夜行急行列車が到着する。
早起きしたので、急行列車の到着を見ようとホームへ行った。

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 朝7時を過ぎたあたりから出迎えの人々がホームにやってくる。

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 ノグリキからの急行列車が到着。ホームはしばし賑わう。 

サハリン北部からの乗客を乗せて到着した列車を見ていると、ノグリキまで往復してみても良かったかなと思った。
せっかくサハリンへ来たのだし、私も鉄道ファンなので、コルサコフ片道乗車だけでなくもう1回くらいは列車に乗りたかった。

ユジノサハリンスク発着近郊列車はエレクトリーチカと呼ばれる。通勤列車という扱いなのか、乗車にパスポートは不要である。
2010年現在ではブイコフ行(旧内淵):1.5往復、ノボジェレーベンスカヤ行(旧奥鈴谷)2往復のみになった。コルサコフまでの近郊列車もたまに復活したとの情報が入るが、2010年9月現在ではコルサコフ-トマリ間の長距離列車1往復しか無かった。

2本ある近郊列車のうちブイコフ行きは18:25発の1本のみ。往復して戻りは22:00と、もっと日の長い時期ならばともかく1人で乗車はよした方が無難だ。

もう1つのノボジェレーベンスカヤ行は8:20と16:45発の2往復があり、ユジノサハリンスクから約16キロ片道33分なので、1時間20ほどで気軽に列車乗車を楽しむことができる。

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 朝食のハンバーグ(?)ライス。

8時前にサッサと朝食を済まして駅の切符売り場へ。窓口で「ノボジェレーベンスカヤ」と言ったが発音が悪いのか通じない。仕方なくメモ帳に駅に掲示の時刻表を見ながらつづりを書いて見せると分かったようだ。

運賃は28.8ルーブル(約110円)。切符はペラペラの小さいレシート。先日のコルサコフ行きの切符と違ってとても記念になるような代物ではないが、そんなことを考えるのは日本人くらいだろう。

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 ユジノサハリンスク駅のコンコース。ベンチに横になる人は夜行で着いた人だろう。

コンコースは、さっき夜行で着いたばかりだが、まだ行き場のない人たちが休んでいる。

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 ユジノサハリンスク駅のコンコースに掲げられた発車時刻表。

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 同じくこちらは到着時刻表。

列車は3番線に停まっている。2番線には貨物列車が停まっているので、地下道を通らなければならない。 
車掌にレシートいや切符を見せて車内へ。意外と乗客があって、客室内の各ボックスは半分くらい埋まっている。

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 D2型4両のノボジェレーベンスカヤ行き。

この列車は4両編成、初日にコルサコフまで乗った列車と同じD2型気動車だ。

サハリンの近郊列車と中距離列車の主力はD2型という気動車が活躍している。車体はステンレス製、4両1編成で、冬季対策のため床上にエンジンを置いているので両端運転室側はエンジンルームになっている。また、中間2両は付随車(トレーラー)になっている。
製造は1986〜87年、日本の富士重工製で、車内各所に日本のJR車両と共通の部品が見られる。

1990年代頃は経済状況の混乱からエンジンの部品入手不能などがあって全車両休車に陥り、JR東日本から供与されたキハ58系に置き換えられたこともあったが、2000年代になるとまたD2型が復活した。現在キハ58系は残念ながら廃止されたようだ。
北海道以上の極寒地サハリンで、暖地向けキハ58での冬季運行はどれだけ過酷だったかは想像に難くない。

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 レザー張りのボックスシート。また手すりは0系新幹線のもの。

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 窓は上段だけ内側に開く。JR北海道にもこれとそっくりな車両が・・・

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 これはJR北海道室蘭本線のキハ150の窓回り。D2とそっくりな構造。てゆうか同じユニット窓?

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 トイレ部分の客室側は掲示版になっている。

ユジノサハリンスク〜ノボジェレーベンスカヤ間は気動車列車が2往復するだけの盲腸線となっているが、もともとは南部横断線としてユジノサハリンスクとホルムスク(真岡)を結ぶ路線だった。
日本時代の昭和3年に、樺太庁鉄道の豊真線として全通した由緒ある路線でもある。

戦後はソ連時代になり、鉄道連絡船を介して大陸側の大型貨車が運ばれてくると、トンネルの多かった豊真線では貨車が通過できない。そのため、約100km北のアルセンチェフカ(真縫)〜イリインスク(久春内)間に新線を建設して、貨物列車はそちらを迂回することになった。

1990年代にはトンネルの崩壊が起こって不通に、ユジノサハリンスク側とホルムスク側それぞれで区間列車は存続することになったが、中間部分は復旧せず実質廃止となっている。

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 側線が分岐する。ダリニー(西久保)付近。

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 ススヤ(鈴谷)平野の西端を行く。車窓は単調。

車内は車が普及したせいか平日だからかは分からないが、年配客が多い。

発車して市内を抜け、20分くらいはススヤ(旧鈴谷)平野の西端を走る。人家も無く、雑木林や牧草地が続く単調な風景。
平野が終わり山岳地帯に入って行くと2か所の停留所に停まる。昔の国鉄の仮乗降場みたいなものだろう。そこで2〜3人下車して行く。

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 途中2か所ある停留所。低床ながらちゃんとホームもある。

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 途中から山の中に分け入って行く。

終点ノボジェレーベンスカヤ駅は無人駅。ここはユジノサハリンスク郊外のダーチャ村で、町からダーチャへ通う人たちのための列車のようだった。

ダーチャとは、日本では『別荘』と訳されるのがほとんどだが、実際は大分違う。
簡単にいえば別荘と家庭菜園を合わせたようなものだが、ロシアのはもっと本格的で、都市部で生活をしながら郊外で農耕生活をするというものだ。週末や夏休みになるとロシア人は家族でダーチャ生活をする。

作物は基本的には自家用だが、余ったものは町の自由市場で販売する。
ソ連崩壊後、経済混乱で賃金の遅配などが相次いだ頃は、本来の仕事よりもダーチャでの農作業に精を出した人も多かったらしい。

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 33分で終点に到着。乗客たちは自分のダーチャ(別荘)へと向かって行った。

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 コンクリート敷のホームと立派な上屋も設置されている。

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 駅の入口には立派な駅名標もある。

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 ホーム西側から。

南部横断線(旧豊真線)としてホルムスク(旧真岡)まで通じていた路線だが、駅ホームから100mほど行った所に車止めがあり、その先は草木が生い茂って廃線跡とも分からないような状態になっていた。 

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 かつては南部横断線としてホルムスクまで通じていたが、車止めがあってここが終点。

戻りの列車は、空いていて各車両7〜8人程度。2つの停留所を発車後2人1組の車掌が車内を回ってきて切符を売る。すっかり近代的になって、JRの車掌と同じような機械で発券する。ただし、切符は行きと同じレシートだった。

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 発車すると車掌が回ってきて切符を買う。

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 ユジノサハリンスクに到着。

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 2段ステップだが、お年寄りは低床ホームの駅での乗り降りが大変。

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 ユジノサハリンスク駅前。

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 駅前から延びるコムニスチチェスキー通り。初めて来た10年前と比べるときれいになった。

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 駅前を見守るD51。なんか色あせたような。

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 駅横の倉庫。日本時代の遺物で、前に見たときは朽ち果てていたがきれいに復元されている。

駅横の貨物積み降ろし施設だった場所は、過去に走っていた鉄道車両が保存・展示されている。
鉄道歴史博物館もオープンしたようだが、場所が分からず行けなかった。残念。

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 駅横には過去の車両が展示されている。

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 いかにもソ連型ぽい機関車。ゲージはナロー、炭鉱で使われていたものか?

こんどは路線バスに乗ってユジノサハリンスク市内見物をする。

→9へつづく

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