石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 1

石勝線といえば道央の札幌や新千歳空港と道東の帯広・釧路を結ぶJRの路線である。いわばJR北海道を代表する路線で、特急「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」が高速で駆け抜ける。

そんな石勝線にも細々とながら小さな輸送を行っている普通列車が走っている。今回乗車するのは、特急のルートである新夕張から夕張川とその支流である志幌加別川に沿って北上し、夕張に至る16.1kmの支線である。行止りタイプの短い盲腸線だが、名称は石勝線となっている。


mapyubari65.jpg
石勝線夕張支線の位置(地理院地図より作成)。

この路線はもともと追分起点で終点の夕張までが「夕張線」と呼ばれていた。夕張線の歴史は古く、1892(明治25)年8月に北海道炭礦鉄道が岩見沢〜室蘭間の路線を開通させ、その同じ年の11月には追分から夕張までが開通している。
鉄道開通後は沿線に次々と炭鉱が開発され、駅から炭鉱までの支線や私鉄が伸びて行った。

夕張線は炭鉱の歴史でもあり、それは炭鉱とともに歩んだ栄光と衰退の歴史でもあった。
石炭は黒いダイヤとも呼ばれ、日本の主要産業として隆盛を誇った。それは石炭を基幹産業としていた夕張市を飛躍的に発展させることになる。最盛期には人口11万6千人、炭鉱も20鉱以上を数えた。鉄道は日夜産出される石炭を運ぶため、運炭列車が休みなく走り続けた。

そんな夕張も、1960年代後半からは石炭産業の衰退とともに炭鉱の閉山が相次ぐ。1980年代に入ると最後まで残った炭鉱も次々と閉山する。1990年に夕張最後の炭鉱、三菱大夕張炭鉱が閉山すると、夕張の石炭は終わりを告げた。主役であった運炭列車も1987年を最後に廃止されている。

DSCN0434.JPG

夕張の衰退とともに沈みかけた夕張線だが、1981年に石勝線が開通すると道央〜道東の新ルートとして生まれ変わることとなった。追分〜新夕張間は夕張線のルートが利用されたため、全線が「石勝線」に編入されることになり、新夕張〜夕張間も石勝線の一部となった。のちに特定地方交通線として多くの路線が廃止されても、ここは石勝線の一部として存続することになった。

現在の石勝線夕張支線は1両の気動車だけが細々と走るローカル線である。1日当たりの輸送密度は2014年度で117人(平成27年度第2四半期決算について【PDF/237KB】)。これは留萌線留萌〜増毛間、札沼線医療大学〜新十津川間に次いで3番目に少ない区間とされている。

そんな夕張支線の支援と輸送実態を見るべく列車に乗ってみることにした。12月中旬の月曜日のことである。

DSCN0011.JPG
 駅舎は教会風の夕張駅。

夕張駅は石勝線夕張支線の終点であり、夕張市の代表駅でもある。それにしては駅前はあっけない所だ。

隣はホテルマウントレースイがそびえ建つが、人影は見当たらない。ホテル以外で駅前で目につくものといえば、駅横にある『ゆうばり屋台村』それにガソリンスタンド、少し離れたところにセイコーマートの灯りが煌々としているのが見える。

夕張駅の駅舎は時計塔が目立つ北欧の教会風で、駅だけ見れば瀟洒な佇まいだが、駅だと知らない人が見たらホテルの施設だと思うだろう。
以前駅舎内にイタリアンカフェが入居していたが、諸事情から閉店となったものの、その場所は別なカフェに変わっていた。待合室には「夕張市観光案内センター」が入っているが、まだシャッターが閉まっている。
駅としては無人駅で、乗車券は売っていない。

DSCN0015.JPG
 駅から北側を見る。

夕張駅は昔からこの場所にあったわけではない。かつては今の位置から2.1kmほど奥にあった。そこから2度にわたり移転してきて今の場所は3代目ということになる。
初代の夕張駅は現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。この公園自体、かつてあった北炭夕張炭鉱であり、夕張駅はその出炭ヤードでもあった。市役所や商店街のある本町をかなり通り過ぎた場所であり、旅客にとっては不便だっただろう。

石炭列車が無くなると当然そこが終点である必要性が無くなる。もっと中心部に近い場所に駅を移設すべきとの意見が出るのは当然のことで、1985年に1.2km南側の市役所・市民会館裏に新駅を設置し、そこを終点の夕張駅とした。これが2代目夕張駅である。
新たな夕張駅はホームと貨車を改造して待合室とした簡素なものだったが、中心部や市役所に近くなり、利用者からも好評だったようだ。

そんな夕張駅だが、その5年後の1990年にさらに0.8km南側の現在地へ再移動することになる。

松下興産が既存のレースイスキー場を買収し、100億円以上投じてホテルの建設とスキー場の整備を行いリゾート施設として開業することになった。当時はバブル景気と呼ばれ、各地でリゾート開発が行われていた時代であった。
同社は千歳空港からスキー客を呼び込むためにホテルの前に新駅の設置を要望する。ここに途中駅を設置できればよかったのだが、急勾配の関係で無理とわかり、新駅を設置するには路線をカットし、レースイ前を夕張駅とするしかなかった。

この移転に際しては議会が紛糾するほどの議論になり、市民からもかなり反対があったようだ。
炭鉱から観光へ生まれ変わろうとしていた夕張市としても絶対に駅が必要であるとの考えが勝り、現在の3代目夕張駅が誕生した。

yubaristamap.png
 夕張駅位置の移り変わり。(地理院地図より作成)

DSCN0028.JPG
 朝焼けの向こうから1番列車の2621Dがやってきた。

6:50ごろ、ようやく明るくなってきた。駅舎の待合室はすでに灯がつき、人影が見える。始発列車の乗客だろうか。
無人駅なので駅員はいないし切符も売っていない。昔はキヨスクがあってそこで切符を売っていたが、そのキヨスクももうだいぶ前に無くなったようだった。

yuuticket.jpg
 かつてキヨスクで売っていた乗車券。

ホームで列車を待つ。気温はマイナス5度。ホームの屋根が無い部分は霜が被っている。今年の12月は異例の暖かさで、雪もまだうっすらとしか積もっていない。雪がない分、一層冷え込みがきつく感じる。

しんとしたホームに踏切の警音が聞こえてきた。やがて新夕張始発の2621Dが到着した。6:58着で、折り返し7:08発千歳行2624Dとなる列車である。

ドアが開くと女性客が2人降りてきた。まだ7時前とあっては回送列車同然で乗客ゼロと思い込んでいたので意外だった。
通院には早すぎ、札幌へ行くなら夕張駅には来ない。恰好から判断して通勤客だろう。

DSCN0034.JPG
 到着した2621D。折返し千歳行2624Dとなる。

DSCN0043.JPG
 車番と行先標(サボ)。

一旦ドアが閉じられて、7:03頃再び前部のドアが開く。2人の乗客とともに乗り込む。私は乗車券を持っていないので整理券を取る。これが夕張から乗った証明になり、無人駅で下車するときは運賃と一緒に運賃箱に入れ、有人駅の場合は改札口で支払うシステムになっている。

発車間際にもう1人乗ってきて、私以外の乗客は3人になった。恰好は先ほど夕張駅で下車して行った人たちと似たり寄ったり。やはり通勤客なのか、それとも札幌など遠方まで行くのかわかりかねた。通学生の姿は無い。
1番列車の夕張始発のいつもの顔ぶれという感じでもあった。

DSCN0046.JPG
 夕張発車時の車内。わずか3人の乗客で発車。

DSCN0061-001.JPG
 乗車時に取った整理券。

夕張を発車して次の鹿ノ谷では早速高校生が乗ってきた。わずか5人だけだったが、まぎれもなく夕張支線の常連だ。
南清水沢まで2駅、わずか11分の乗車だがほとんどがボックスシートに納まる。車内は話し声も無く静かなままで、彼らにとっては毎日毎日変わり映えしない通学列車というところだ。

DSCN0056.JPG
 鹿ノ谷ではさっそく通学生が乗ってきた。

鹿ノ谷を発車してしばらくは市街地が続いていたが、次第に人家が無くなって志幌加別川の峡谷へと入って行く。
トンネルや鉄橋の脇には、廃線跡のようなトンネルや橋台が見えるが、これはかつて複線だったころの名残で、昔はいかに石炭輸送が盛況だったかを物語る。

夕張支線唯一のトンネル(稚南部トンネル)では25km/hの速度制限があって、列車はゆっくりと通過する。

DSCN0057.JPG
 志幌加別川の谷あいを行く。山影から遅い朝日が出てきた。

狭まった谷間も開けてきたところが清水沢である。鹿ノ谷から乗車した1人が下車した。高校生っぽい感じだが、ここから歩くのだろうか。乗客はゼロ。


DSCN0063.JPG
 清水沢駅に停車。

車窓は再び市街地が続く。次の南清水沢が近づくと車内の乗客は一斉に席を立ち、出口へと向かう。
南清水沢には夕張市内唯一の夕張高校があり、高校生は上り下りともこの駅の利用となる。
夕張駅から乗車の3人のうち2人はここで下車して行った。定期券を出していたので通勤客ということになる。

南清水沢からの乗客は2人あり、私を除いては3人となった。乗客はここでほぼ入れ替わったことになる。

kako-fJHsoCytBsW8blxK.jpg
 南清水沢で一斉に下車があった。

DSCN0068.JPG
 南清水沢駅横の踏切。下車客はそれぞれ散って行く。

南清水沢の発車時刻は7:22。下り列車の同駅時刻は7:59、バスの同駅付近のダイヤも8時前後に設定されており、あまりにも早い登校だ。バスより不便な鉄道を使うのは、通学定期運賃がバスと比べ格段に安いからだ。

高校生下車した車内は閑散としている。乗客の内訳は夕張からの1人、南清水沢からの2人、そして私となる。
この先、追分までは一応通学列車ダイヤということになるが、新夕張には学校は無く、追分駅のある安平町は胆振総合振興局ということになり高校の学区が違うため、夕張市内からの通学生はいないと思われる。

DSCN0075.JPG
 南清水沢からは車窓に農地も現れる。

沼ノ沢の乗降はゼロ。ただ、下り列車に乗る乗客だろうか、待合室のベンチには人影が見えた。

DSCN0078.JPG
 沼ノ沢駅に停車。乗降ゼロ。

DSCN0088.JPG
 2度目の夕張川を渡る。木々が霧氷でうっすらと白い。

沼ノ沢を発車して夕張川の鉄橋を渡ると左側から石勝線の線路が近づいてくる。まもなく新夕張に着く。駅手前ではポイントをいくつも通り過ぎ、広い駅構内に入線する様を見るとそれなりに主要駅に見える。

新夕張到着は7:31、南清水沢からの1人を残して全員下車、入れ替わりに3人が乗車するとすぐに発車して行った。

DSCN0092.JPG
 新夕張に到着。

すでにこの時間から新夕張駅の営業は始まっていて窓口も開いている。
改札口で夕張からの運賃360円を整理券と一緒に渡す。

DSCN0095.JPG
 電光掲示の発車案内もある新夕張駅。

新夕張駅は夕張市の実質的な代表駅だろう。特急「スーパーとかち」、「スーパーおおぞら」が上り7本、下り8本が停車する。札幌へは最速59分で結んでいる。

みどりの窓口でこれから乗る夕張までの往復乗車券と、夕張までの片道乗車券を買う。これで夕張へ戻り、また夕張から新夕張までもう1往復しようというものだ。

DSCN0141.JPG
 新夕張駅で買った乗車券。フリーパスと違い乗客数としてカウントされるはず。

DSCN0100.JPG
 新夕張駅の改札とホームを結ぶ地下道。

こんどは新夕張7:48発の2623Dで夕張へと向かう。

2へつづく


posted by pupupukaya at 15/12/27 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
この記事へのコメント
コメント
ニックネーム: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
Powered by さくらのブログ
最近のコメント(ありがとう)
2023年 ことしはフィンランドへ行きます2
 ⇒ こおたん (05/13)
2004年ロシアサハリン旅行記11
 ⇒ xingtsi (04/29)
 ⇒ ガーゴイル (12/05)
2022年新幹線工事開始前の札幌駅を見る
 ⇒ もと (02/08)
ノスタルジック空間、20年前の2002年篠路駅
 ⇒ 鈴懸の径 (01/21)
不思議の駅だった張碓駅研究
 ⇒ RIE (09/13)
 ⇒ 深浦 (10/23)
 ⇒ ひろあき (08/09)
 ⇒ うりぼう (04/15)
 ⇒ pupupukaya (01/12)