9月12日
やっぱり気仙沼でもう1泊して正解だった。朝は眩しいほど太陽が照らしている。まさに台風一過の天気だ。
今日はBRTの大船渡線で盛まで行き、三陸鉄道南リアス線で釜石へ、そこから釜石線で花巻へ出て青森まで行き、急行「はまなす」に乗り継いで札幌へ帰ることになる。運行情報を見てもすべて通常通り運行していて、予定通りの経路で札幌へ帰れそうだ。
天気になった気仙沼駅。
●気仙沼 7:36発 − 奇跡の一本松 8:02着 BRT
まずは盛行のバスで陸前高田へと向かう。乗客は数人で旅行者は私ともう一人、あとは地元の人のようだ。
気仙沼駅を発車するとつぎの鹿折唐桑までは専用道を走り、そこからは一般道に出る。鹿折唐桑のあたりも津波被害が激しかったところで、ここでも造成工事が行われていた。
盛行BRTはノンステップのハイブリッドカー。
気仙沼から陸前高田へのルートは鉄道が山側を迂回していたのに対し、国道45号線は広田湾の海岸沿いを通っている。BRTは海岸沿いの国道を行く。景色が良いところを通るのはうれしいが、この区間の線路は専用道にしないのだろうか。
BRTからは美しい三陸のリアス式海岸がよく見えた。
BRTの運賃表示機。
気仙沼から3つ目、陸前高田の1つ手前に奇跡の一本松駅があって、そこで降りる。
陸前高田の海岸沿いは、高田松原と呼ばれる松林が広がっていた。2011年の大津波は町を壊滅させ、7万本あった松林も消し去ってしまったのである。
その中の1本だけが津波が去った後も奇跡的に生き残って、「奇跡の一本松」と呼ばれるようになった。
BRTは当初この場所を通過するだけだったが、現在は駅が設けられたのでここから歩いて10分くらいで行けるようになった。
奇跡の一本松駅はバス停ポールだけの駅。
バスを降りるとベルトコンベアの高架と人工的な山がやたらと目につく。
津波被害地の土地を人工的に嵩上げして造成する工事は、三陸海岸を通ってきたらあちこちで見たのだが、ここ陸前高田市が一番大規模に行っているようだ。
山を崩した土砂をベルトコンベアで運ぶことで、ダンプカーで運べば9年かかる工事が2年に短縮できるという。街全体を12mも嵩上げするというから壮大な復興事業だ。
今日は土曜日だが工事は休みではないようで、空中のベルトコンベアがガラガラと回転する音が響いている。
工事現場というか、鉱山のプラントにでも迷い込んだ感じがする。
工事現場の仮設通路のような場所を歩いて行く。
奇跡の一本松までは仮設のような通路が通じているのだが意外と遠い。国道からは徒歩でしか行けないので、車で来ても同じように歩くことになる。工事現場のようなところをしばらく歩いてベルトコンベアの下を抜けると一本松が見えてきた。
よくぞ1本だけ耐え抜いたという姿だが今は枯れていて、幹を防腐処理して芯棒を入れ、葉は複製というモニュメントである。
後ろの崩壊しかかった建物は旧陸前高田ユースホステルで、一本松ともども震災遺構として保存される方針だとか。
あれが奇跡の一本松。
下から見上げる。
一本松の足元にあったモニュメント『ヒョロ松君』は、やなせたかし氏の作。
上の絵と同じアングルで撮ってみる。
一本松の高さは27mもあって、近くに行くと見上げるほど高くそびえ立っていた。アングルを工夫しないと1枚の写真には納まらないほど大きかった。遠くからみるとひょろっとしているが、近くで見ると幹も太くて頼もしい。
この木が枯れたとき、保存するかについては賛否両論あったそうだが、やっぱり残されて良かったなと思った。
空中に張り巡らされているベルトコンベア。
また歩いて国道へと戻る。奇跡の一本松駅からは往復で20分くらい、足の遅い人でも30分くらいだろうか。BRTは1時間に1本程度の本数なので、途中下車して一本松まで往復しても次の便に十分間に合う。
さっき降りた便は8:02着だったが、次の便は9:24発。まだ50分近く待たなければならない。
さっきバスを降りた交差点の角に一本松茶屋というのがあったが、この時間ではまだ開いていなかった。
ほかに何もない場所で、こんなところでじっとしていてもつまらないし、次の陸前高田駅まで歩くことにした。BRTの陸前高田駅は元の鉄道駅ではなく、ここから3kmほどの所にある仮設の市役所が建つ高台に設けられた。時刻表を見るとバスならば5分だが、歩けば30分くらいかかる。
奇跡の一本松駅そばにある一本松茶屋。
鉱山のプラントのような風景。
奇跡の一本松駅からBRTの陸前高田駅までの国道340号線。
県立陸前高田病院があったあたり。ここにかつて町があった。
あの盛土の上に新しい町ができるらしい。
直射日光が照らす道を歩いているとだんだん暑くなってきた。
人家も人通りも無い道は思いのほか長く感じる。町の人はどこへ行ったのだろう。ベルトコンベアのおかげで工期が短縮なったとはいえ、この盛土工事はまだまだかかりそうだ。
嵩上げ工事の看板を見ると工期は平成30年までとあった。新しい町が盛土の上に出来上がるのはまだまだ先のようだ。
奈々切跨線橋から見た大船渡線の線路跡。カーブの向こうに陸前高田駅があった。
道は途中から上り坂になる。だんだん人家が現れるとなんだか安心した。
旧市街地だったところから大分登ってきた。
坂を登りつめたところにプレハブの陸前高田市役所があった。新築の消防庁舎やセブンイレブンも目立って、ここが新しい中心部といったところだ。
バス停はあったがBRTのものではない。BRTの駅が見当たらないのでもしかして場所を間違えたかなと地図を見るがここで間違いない。
もう少し行くとセブンイレブンの裏にBRTの新しい駅が見えた。
仮設の陸前高田市役所。
市役所向かいのセブンイレブン。
新しい陸前高田駅の駅舎。
駅なので一応みどりの窓口もある。ただし営業は日・月・水・金だけ。
●陸前高田 9:29発 − 盛 10:20着 BRT
陸前高田からはまたBRTで盛へと向かう。ここから乗ったのは私と地元の高校生らしい1人だけ。バスの乗客は8人となって発車する。半分は観光客風だった。
盛行のバスが到着。
こんどのバスは観光や旅行者も乗っていた。
バスはさっき歩いてきた国道の坂を下って、途中で旧市街地だったところを通る。路面にうっすらと横断歩道のペイントが残っているので、ここが町だったことがわかる。今は無人でほとんど工事中となっているので駅は無くバスは通過するだけ。今走っている道路もいずれ盛土の下に埋まるのだろう。
高田高校前、高田病院とBRTになってから設けられた駅に停まり、地元の客が乗り降りする。
途中で仮設住宅も多く見かけた。震災から4年、大規模すぎる復興工事が完了するまで仮設暮らしをせねばならないのか。千年に一度の大津波と言われた災害だが、人工的に盛った地盤が次の千年まで持ちこたえるのか・・・おっと、これは旅人のいらぬお節介。
バスはちょうど町の中心部だったあたりを通る。
高田高校前を過ぎると水田があって稲穂が実っていた。この辺りの復興は進んでいるようだった。
高田病院前駅。市内各地で乗客をこまめに拾えるのはバスならでは。
新しくできた駅に寄るためあっちこっちの脇道に入りこんで行くような走り方だったが、小友の手前からはほぼ専用道区間になってBRTらしくなった。
小友から大船渡までほぼ専用道となる。
線路跡というより国道の狭隘区間のようだ。
車窓からはきれいな入り江も見えた。
大船渡駅周辺は、ここも津波被害があったところで、盛土工事が行われている。しかし、新しい建物が建ちはじめていて、復興は進んでいるようだった。
大船渡の次が終点の盛になる。
大船渡線の終点は盛駅に着いた。ここから三陸鉄道南リアス線に乗換となる。
気仙沼〜釜石間のルート
タグ:鉄道旅行
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