さて、上ノ国駅を後にしてこんど道道江差木古内線を中須田駅へ向かう。道道沿いはずっと人家が続いていて、代替バスは新しい停留所も設けられている。
代替バスは鉄道時代より乗客が増えていて、毎日新聞の記事によると平均利用者数が1日当たり30人だったのが100人に増えたとのこと。こまめに停留所を設けたり利用者の多い江差病院や江差高校まで延長できるのはバスならではで、終点の江差駅の場所など考えると鉄道輸送には向いていなかったということなのだろう。
道道に立っている中須田駅の看板。
中須田駅は貨車を改造した待合所が使われていた。ここも内側から板が張り付けてある。駅名が書かれた部分は白く塗りつぶしてあった。
貨車駅の中須田駅。駅とホームはそのままだが、横の踏切は撤去されていた。
この辺りは水田地帯。青森県の私鉄駅という感じがしないでもない。
続いて同じような貨車駅だった桂岡。ここも駅名は塗りつぶされ、看板類はすべて外されているがそれ以外は変わっていない。ここの窓ガラスもやはり内側から塞がれている。外側から塞がないとガラスの破損を防ぐ役割は果たさないと思うのだが、おかげで廃墟然としたむごたらしい姿にはならずにいられるのだが。
中須田駅と同じく貨車駅の桂岡駅。出入り口部分は塞がれておらずホームへ自由に出入りできる。
桂岡駅のホーム。
道道に立つ桂岡駅入口の看板。踏切以外は何もかも江差線があった頃のままになっている。
天ノ川の谷がだんだん狭まってきて、このあたりから山間部になる。途中で脇道に入った橋の手前に宮越駅はあった。
駅横の踏切は道路部分こそレールが剥されて舗装されているが警報機はそのまま残っていた。踏切の手前にある道路標識も残ったままだ。
宮越駅には木造の待合所があるが、ここはなぜか板で塞がれることも無く、施錠もされておらず中に入ることができた。時刻表やポスターはすべて撤去されているので納屋のような感じになっているが、ベンチはそのまま残っていた。バス停は道道にあるのでバス待合所として残っているのではなさそうだ。
宮越駅は天ノ川の川岸にあって、木造の待合室がポツンとあるそんな駅だった。
他の駅と違い、宮越駅は施錠も窓も塞がれておらず自由に出入りできた。
ホームと待合室。
踏切の部品が無造作に積まれている。
使われなくなった線路は自然へ還ってしまう。
宮越駅跡から次は湯ノ岱へと向かう。ここからは山間部になり人家はほとんど無くなる。
途中の道道沿いに『天ノ川』駅を見つける。駅ではなくモニュメントなのだが、一応寄ってみた。
天の川駅。といってもこちらは駅を模したモニュメントだが。踏切は撤去されたが、カーブミラーの「踏切」の文字はそのまま。
JRの所有ではないので、駅名票も残されている。
五稜郭から64kmのキロポスト新旧。ポールの方は雪に埋もれても見えるように後から立てられた。
江差線代替バスがやってきた。
4時半を過ぎたばかりなのに薄暗くなってきた。日の長い季節なのに曇り空と山間部のせいだろうか。廃線跡と並行する道道も車はほとんど通らない。静かなのはいいが、熊が出そうでなんだか怖くなってきた。
再び車を走らせ、天ノ川きららトンネルを抜けると谷が開けてきて湯ノ岱に着く。
ここも道道沿いには「湯ノ岱駅入口」の看板がそのまま残っていた。
湯ノ岱駅の広場にはさっき天ノ川駅で見た木古内行きの代替バスが停車していた。バスはここで5分間停車するダイヤになっている。トイレ休憩のためだろう。
湯ノ岱の駅舎はバス待合所になっていた。やはり看板やポスターはすべて撤去され、きっぷうりばだった所は板で塞がれていた。壁のポスターの跡が痛々しい。
それでもベンチの座布団には少し温もりを感じた。
湯ノ岱駅の駅舎はバス待合所として使われている。
ベンチと座布団は残されたが、きっぷ売り場は板で塞がれ寒々とした印象。
去年のGWは大勢の名残客で賑わったホームだがすっかり寂しくなった。
うっすらと湯ノ岱駅の文字が浮き出ている。
駅舎と代替バス。バスの乗客はゼロ。
舗装の隙間から生えた草の生命力はさすが。
冬期間使われていた乗務員の宿泊所。
出発信号機とポイント。湯ノ岱は線内で唯一の列車交換駅だった。
ポイントはローカル線でよく使用されるスプリングポイント。トングレールを足で押してみたがびくともしなかった。
今日はここ湯ノ岱でおしまい、次の神明からはまた明日スタートします。
せっかくなので湯ノ岱の国民温泉保養センターで一風呂浴びてきました。
お湯は茶褐色の炭酸泉でタオルが茶色くなります。入浴料は350円と安いですが、銭湯と同じく石鹸やシャンプーの備え付けが無いので持参する必要があります。あと、ドライヤーは備え付けがありました。
上ノ国の「トライマート」で買ったからあげ。ここのからあげは一風変わっていて、衣がサクサクしている。
この日は道の駅「上ノ国もんじゅ」で車中泊しました。
【廃線跡・未成線の記事一覧】
- 旧手宮線と小樽運河を歩く
- 石狩鉄道を探しに続編
- 石狩鉄道を探しに
- 廃止半年後の札沼線
- 旧増毛駅と鉄道廃止後の盛況
- 廃止1年後の江差線4
- 廃止1年後の江差線3
- 廃止1年後の江差線1
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 12回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 11回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 10回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 9回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 8回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 7回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 6回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 5回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 4回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 3回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 2回目
- 定山渓鉄道跡を歩く2015年 1回目
廃線後の江差線の様子を知りたくて検索していた結果、こちらの記事に辿り着きました。
各駅の様子、やはり、駅名は看板等が外されて、踏切も線路が切られていて、廃線後の姿は悲しいものですね。
私は江差線の途中駅には、木古内駅以外は降りたことがないのですが、車窓に眺めた各駅の様子を思い出すに、その廃れてしまった様子は残念の一言です。
ご記載のように、江差線の実態では地域交通の役割も果たせない状態だったのだろうと思います。ゆえに、DMVなどの新しい技術に期待していたのですが、叶わぬまま廃線になってしまいました。
来春の北海道新幹線の開業の折には、江差線の名前自体が消えてしまいます。
時代の変化、としか言いようがありません。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
ローカル線については、いままで先送りに出来ていた問題がこれからどんどん出てくる気がします。
廃止は残念なことですが、風旅記様の仰る通り「時代の変化」としか言いようがないかもしれませんね。
時代の変化に対して私は何の力もありませんが、せめて今あるうちに、今ある鉄道の記録を残していければと思っています。