定山渓鉄道跡を歩く2015年 11回目


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定山渓鉄道の廃線跡地図 一の沢・錦橋間 その1(地理院地図から作成)

さて犬だが、幸いすぐ家の奥さんが気づいて出てきてくれたので事なきを得た。
地図を片手に持っている私の姿を見ていきなり「定山渓鉄道ですか?」と聞かれ、いきなりだったので逆に驚いた。

聞くと、私のように定鉄跡探訪の人が時々現れるらしい。
あそこに一の沢停留所があったんですが行ってみますかと聞かれたので喜んでお願いした。
停留所近くにあったという石垣や、地中に埋まっていたレールなどいろいろ見せてくれた。

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一の沢駅があったと思われる場所。(1から北東方向)
この石垣の上を電車が走っていたという。

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一の沢駅付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真
画像中央が一の沢駅、やや左下に廃止された一の沢発電所も見える。

一の沢駅は一の沢停留所といって、ホームと待合所だけの無人駅だった。
他の停留所は殆どが戦後にできたが、ここの開業は大正15年と古い。一の沢発電所の建設工事のために設置された。

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この辺りを整地するときに「出土」したという軟石。これはおそらく架線柱の土台。

地中に埋まっていた架線柱だったというレールも見せてくれた。
レールには「H.G.R」「CAMMELLS STEEL W 1897」らしき文字が刻まれていた。数字は製造年なので、1897(明治30)年製のレールということになる。

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これも地中に埋まっていたレール製の架線柱を掘り起こしたもの。左側のレールは「H.G.R」の文字が見える。

帰ってからインターネットでレールの製造元を調べてみた。
「H.G.R」は北海道官設鉄道発注、「CAMMELLS STEEL」はイギリスのチャーリーズキャンメル社製ということらしい。
前にも述べたが、これは電化の際にレールを取り換えた際に古いレールを再利用したもので、大正7年の定鉄開業時に使用されていたレールだ。1mあたりの重さが22.5kgさらにさかのぼれば、元々は国鉄(北海道官設鉄道)の中古品である。
国鉄から定鉄に払い下げられ、さらに架線柱として再利用され、廃止後に根元を残して切断され、近年地主によって掘り起こされたという数奇な運命のレールだ。いずれにせよ大変貴重なものに違いない。

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右側のレールには「CAMMELLS STEEL」と刻まれている。

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かすれているが「W 1897」?

家の人はさらにこの先にある鉄橋跡まで案内してくれた。レンガ積みの橋台があった。けっこう深い谷で、ここは築堤で越えるのは無理そうで、鉄橋が架けられていた。横には豊羽鉱山の送水管橋がある。
前に来た人はこの上を歩いて渡って行ったらしいが私は怖くて渡れそうになかった。すぐそばに国道の橋があるので、そちらを迂回することにした。

いろいろ貴重な品を見せていただきありがとうございました。この場を借りてお礼します。

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一の沢川に架けられた豊羽鉱山の送水管。左にレンガ積みの橋台が残る。(2から南西方向)

さて、再び国道230号を歩く。この付近は線路と国道がほぼ並行していた。百松橋付近は拡幅された国道に取り込まれてしまったところもある。わざわざヤブを漕いでまで歩く必要もない。もっとも、歩道は山側にしかなく、線路跡を辿ると車道を歩くことになる。車は結構飛ばしてくるので怖い。なるべくガードレールの外側を歩くようにした。

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百松橋のバス停あたりで線路跡の路盤は拡幅された国道に取り込まれてしまう。(3から西方向)

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歩道のあたりが線路跡だろうか。(4から西方向)右は百松橋。

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電車からは豊平川の谷川は見えただろうか?(5から西方向)

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線路跡は国道から離れるが、この辺りは一面笹に覆われていた。(6から西方向)

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定山渓鉄道の廃線跡地図 一の沢・錦橋間 その2(地理院地図から作成)

定山渓の手前に山が谷際までせり出した個所があって、ここは国道の錦トンネルで抜けているが、昔は山側の崖が迫る狭いところを線路と道路が通っていた。
国道の拡幅工事はここまで進んでいて、ほぼ完成した新錦トンネルも口を開けていた。線路跡も一部道路に飲み込まれたが、以前ここに大量に放置してあった廃車はきれいに片づけられて逆に歩きやすくなっていた。

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新たに拡幅される国道に一部飲みこまれる線路跡。(7から東方向)

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国道4車線化で今の錦トンネルの隣に新しく掘られた新錦トンネル。

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今は国道は左にカーブして錦トンネルに入るが、旧道はまっすぐ行って定鉄の線路と交差していた。(7から西方向)

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現在の錦トンネル付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真)

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豊羽鉱山送水管の施設らしい構築物がある。(8から西方向)

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構築物の上から線路跡を見る。(8から東方向)
右方向から国道が通ってきてこの辺りで線路と交差していたはずだ。

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ここに踏切があったようだ。(9から北東方向)
ここから右(山側)が線路跡、左(谷側)が旧道跡になる。

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ここに線路と道路が2本並んで通っていた。(9と10の間)

錦トンネル横の崖下を通り過ぎると線路は錦橋駅に向かっていたのだが、このあたりも国道拡幅工事や交差点の付け替え工事ですっかり整地されてしまっていた。それでも等間隔で立っている豊羽鉱山の看板があるので、線路跡位置はおおよそわかる。
ずっと辿って行くと、定鉄お馴染みの丸石をセメントで固めた土留めと川水を流す2本の土管があった。

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旧小樽定山渓線との交差点付近も工事で大きく変わった。(10から北東方向)

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眼鏡型の暗渠と石積みの土留めが残っていた。(11から北西方向)

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土留めのコンクリートには「高島土建」の文字が掘ってあった。施工会社が遺したものだろうか?

交差点の工事現場を過ぎ「眼鏡橋」からしばらくは線路跡とわかる路盤が続いている。しかしその先は定山渓温泉病院が建ち、その向こうも住宅が立ち並んでいた。

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錦橋駅跡へ続く路盤。(11から西方向)

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定山渓温泉病院から先は民家の敷地になっていた。(12から北西方向)

住宅地はすぐに途切れ、じょうてつの管理地が現れる。ここがかつての錦橋駅構内であった場所だ。
札幌市雪堆雪場の大きな看板があって、雪山を崩す重機が動いていた。

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錦橋駅の構内だった場所は今でもじょうてつの管理地になっている。(Lから西方向)

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バス停に「錦橋」の名称が引き継がれている。

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錦橋駅付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真)

錦橋の駅名は西方にある豊平川に架かる橋名から採られた。初めは小樽内川流域からの木材輸送のために設けられたが、昭和14年に豊羽鉱山の専用線が敷かれてから鉱石輸送も行われるようになった。
豊羽鉱山の専用線が昭和38年に廃止されると側線も全て撤去され停留場に格下げになったようだ。

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錦橋駅の駅舎は今でも土台だけ残っている。(14から西方向)

12へつづく


posted by pupupukaya at 15/05/10 | Comment(0) | 廃線跡を行く
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