定山渓鉄道跡を歩く2015年 8回目

下藤野から定鉄の線路は河岸段丘に沿って豊平川の断崖上へ向かっていた。

藤ノ沢から下藤野まではすっかり宅地化されて定鉄があった頃の形跡はほとんど消えてしまっていたが、ここからは自然に還ってしまった廃線跡をめぐることになる。

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定山渓鉄道の廃線跡地図 下藤野・簾舞間その3(地理院地図から作成)

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線路は下藤野駅から河岸段丘に沿って池見学園の裏へ向かっていた。(1から北西方向)
線路の土手は白川浄水場に向かう市道が通ったために削られてしまった。

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線路跡は池見学園の建物が増築されている。(2から北西方向)

定鉄の線路は池見学園の裏、土手の上を通っていたが、今は増築された学園の敷地が通せんぼして通り抜けることはできなかった。
2万5千分の1地形図には池見学園の裏あたりから破線道が描かれている。そこから廃線跡へ行けるのではないかと土手の下の道を歩いて行くと山の斜面を登って行くけもの道があった。ここから廃線跡へ登れるようだ。(地図3・4の間にある赤破線)

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線路跡へ登るけもの道。(3から南西方向)

けもの道を登ると送電線の鉄塔が建っていた。どうやら送電線の管理用の道だったらしい。
ともかく、ここから東簾舞駅跡までの廃線跡になる。

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登ったところは送電線の鉄塔があって草も刈り取られている。(4から西方向)

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曲線を描くように石垣があってまさしくこれは線路跡。(4から西方向)

地形図では線路跡に破線の道が描かれているが、とても歩けるような道ではなかった。進むにつれて笹やぶや倒木が折り重なり歩くのに難渋する。
それでも左側に続く石垣は定鉄時代のもので、また右側から見える豊平川の眺めも良く、電車からの渓谷沿いの景勝の車窓を想像させた。

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豊平川に沿って走る電車からは渓谷鉄道のような車窓であっただろう。(5から北西方向)

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線路跡はだんだんひどい状態になった。(5から少し西に進んだあたり)

笹やぶをこいで倒木を避けながら歩いてきたが、だんだん残雪が多くなってきた。日の当たらない場所は雪解けが進まないようで、また雪の上に乗ると足が埋まってしまう。スニーカーの軽装ではこの先進むのは難しくなった。
しかし、ここまで来て引き返して遠回りするのも馬鹿らしい。

左手の土手の上は230号線の旧道がずっと並行している。ここから土手をよじ登って道路に出た。
廃線跡と違って道路を歩くのはなんと楽なことか。
道路はほぼ廃線跡と並行しているので、終始確認しながら歩くことができた。ほとんどが笹に覆われていた。

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線路跡に沿った崖の上には旧国道が並行している。(6から西方向)

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旧国道から見下ろすと線路跡と分かる路盤が見える。(7から北西方向)

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旧国道は架け替えられた御料橋付近のT字路にぶつかる。(8から西方向)

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東簾舞駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
画像中央の踏切右側の建物が駅舎。

旧国道と御料橋を渡って国立南病院へ向かう道路が分岐するところに東簾舞駅があった。
昭和26年に国立南病院の便を図るために無人の東簾舞停留所として開業するが、昭和30年に住宅兼駅舎を設けて駅員を配置し停留場に昇格された。

その後定鉄は廃止されるが、定鉄バス路線は今の国道230号線(新道)に移されており、病院最寄りの交通機関が無くなってしまった。その後病院利用者からの要望もあり、市営バス定山渓線が旧道経由で運行されることになった。
国立南病院も無くなり、市営バスもじょうてつバスに移譲されて現在に至っている。

駅と病院を結んでいた御料橋も新しく東側に架け替えられて道路も付け替えられたために、このあたりもすっかり変わってしまった。

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東簾舞駅があった場所。このあたりも道路の付け替え工事で様変わりした。(9から南西方向)
雪山の場所に駅舎があったようだ。

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簾舞の旧国道は街道のような雰囲気が残っている。

ここでちょっと寄り道して旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)へ行く。
通行屋とは、明治時代に開拓のために開拓使が主要道路の要所に設置したもので、早馬の乗継場所として、また旅行者や入植者の宿泊所としての施設であった。

建物の内部は簾舞郷土資料館となっている。
ここでの見どころは、定山渓鉄道関係の展示物で、簾舞駅で使われていたタブレット閉塞機など貴重な品を見ることができる。ちなみに入場は無料。
定鉄の廃線跡めぐりをする際はぜひ立ち寄りたい施設だ。

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旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)。

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簾舞駅で使用していたタブレット閉塞機。

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定鉄の制帽。

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記念きっぷや定期券など。

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電車の側面に取り付けられていたサボ(行先表示板)。

黒岩家住宅を後にしてまた歩き出す。
ここからの廃線跡は完全に道路になっていた。
石山から小金湯まで続いている市道で、混雑する国道230号線のバイパスとして整備された道路だ。信号も無く、国道を行くより断然早い。私もよく利用させてもらっている。

しかし、定鉄の遺構がまた一つ消えたのはそれはそれで悲しいことだ。

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簾舞川にはレンガ造りの橋台がずっと残っていたが、ここも道路になってしまった。(10から西方向)

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定鉄「簾舞川鉄橋」モニュメント。

レンガ積みの橋台があった場所は新しい道路橋が架けられて線路跡など見る影もない。
橋のたもとには橋台のレンガを使用したモニュメントが建っていた。旧簾舞通行屋保存会による建立とあった。
一昔前ならば古い時代の遺物など葬りさられてしまったのだろうが、近年は郷土史を見直そうという機運が高まっているようで、こうした形でも定鉄があった頃の記録を残して行こうという気持ちは嬉しく思う。

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「簾舞通行屋橋」と名付けられた橋の下には橋脚の跡が顔をのぞかせていた。

道路となってしまった線路跡だが、このあたりまで来ると田園風景が広がって、定鉄があった当時と変わらない風景が見られる。

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この辺りは田んぼがまだ残っている。のどかな風景。Jから北西方向)

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道路は右へカーブして砥山橋へ向かうが、線路は緩やかな左カーブで簾舞駅へ向かっていた。(12から西方向)

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簾舞駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
ほぼ中央の建物が駅舎。

線路跡を完全に飲みこんだ道路と別れ、ここからは旧簾舞駅構内となる。
電化される前の汽車時代は給水、給炭設備もあって、定山渓へ向かう列車は乗務員も乗客もこの駅で一息入れてから発車したという。
また、定鉄唯一のホームでの立売があった駅でもあった。電球型をした「発電もなか」はすこぶる好評だったとか。

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定鉄廃止後は長らく原木を積み上げた貯木場となっていたが今は空き地のようだ。



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駅舎があったとおぼしき場所にはゴミステーションの小屋が建っていた。(13から南西方向)

今日の定鉄廃線跡歩きはここで一旦終了することにします。来週改めてここからスタートしたいと思います。
歩いて国道まで出て、簾舞バス停からバスに乗り、車を置いてある石山までもどりました。

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国道にある簾舞のバス停。
訪問日:2015/4/18

9回目へつづく


posted by pupupukaya at 15/04/27 | Comment(0) | 廃線跡を行く
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