定山渓鉄道跡を歩く2015年 7回目

藤ノ沢駅跡付近までは地下鉄南北線の将来延伸予定地ということで保留地が多く、廃線跡めぐり的には良い状態を保たれていたと言える。
ところがここから先は札幌市による買収もなされず、宅地用地として切り売りされたらしく地図上でも痕跡をたどるのは難しい。

幸い、今はインターネットで閲覧の地形図に昔の空中写真を重ね合わせる機能ができたために、当時の線路がどこをどう通っているかかなり正確に解るようになった。
ここからはその地図を見ながら、様変わりした線路だった場所を歩いてみようと思う。

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定山渓鉄道の廃線跡地図 藤ノ沢・簾舞間その1(地理院地図から作成)

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藤野沢川を渡る。線路跡だったところは遊歩道の橋が新たに架けられている。(1から西方向)

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藤ノ沢駅があった頃から変わらない「ふじのストアー」と「藤野沢簡易郵便局」。

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バス回転場所は藤野3条2丁目が終点の便が使用する。(2から西方向)

バス回転場所は元は「藤の沢」というバス停で市営バスが使用していた。隣は南消防署藤野出張所でこれも市の施設。地下鉄をここまで延伸した際はバスターミナルにする予定だったのかもしれない。

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線路跡は「カウボーイ」改めトライアルの敷地内に取り込まれてしまった。(3から西方向)
この辺りは藤野地区のショッピングセンターといったところ。最近はちょっと寂れたようだが。

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不自然に斜めになった道路区割りに線路があった名残りを残す。(4から西方向)

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十五島公園駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
画像中央の建物が駅舎だった。

十五島公園へ向かう炊事遠足の小中学校生の団体は藤ノ沢駅を利用していたが、アクセスを良くするため、また定鉄の住宅分譲地のために昭和34年に十五島公園停留所が設けられた。定鉄としては2番目に新しい駅であった。
最盛期は小中学生を乗せた臨時電車も出たが、廃止近くにはバスに移行したという。

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十五島公園の標柱が建っていた。駅舎はもう3軒ほど西側にあったようだが。(5から西方向)

藤ノ沢駅跡を過ぎ、現在のトライアルやホーマックのあたりを過ぎると、廃線跡とわかるものは何もなくなってしまった。
地図上で不自然に斜めになった道路区割りから何となく線路跡を想定できるだけで完全に宅地となってしまった。

廃止になった時代遅れの電車など完全に葬りさられてしまったかのようだが、この地を走っていた定鉄電車を郷土史として残そうという動きが近年出てきたようで、駅跡には地元の人の手によって駅跡を示す標柱が建てられていた。

しかしこの標柱も本来駅があったと思われる場所からはズレた場所に建っていた。駅跡がほとんど民家の敷地内になってしまった今では勝手に敷地内に建てるわけにもいかず、やむを得ずこうなったのだろう。

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駅名は国道のバス停名称に引き継がれている。十五島公園バス停。(6から東方向)

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ここも完全に東光ストアの敷地に取り込まれている。(7から東方向)

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左側の民家がちょうど線路跡になるようだ。(7から西方向)

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藤野郵便局の裏手に河岸段丘の斜面があって、ここを線路が通っていた。(8から東方向)

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はっきりとした形では残っていないが、この辺りから線路跡らしき雰囲気は各所に現れる。(8から西方向)

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藤野みどり公園の南端が線路跡。塀が住宅に対して斜めになっているのが線路の名残。(9から東方向)

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公園の中を通ってきた線路跡はアパートに突き当たる。

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アパート下にある土留めは定鉄時代のもの?(10から東方向)

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アパートの先で野々沢川に突き当たる。

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何の変哲もない住宅地だが、ここは初代下藤野駅があった場所。

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東野々沢川の手前に「下藤野停留所跡」の標柱があった。(12から西方向)
しかし実際は川向うにあったはずだが。

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家が建っているが川縁の擁壁は線路の土手の形をしている。(12から南方向)

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下藤野駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
ピンク丸は下藤野駅の場所、水色丸は旧下藤野駅とおぼしき場所。

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本当の下藤野駅があった場所。(13から東方向)

下藤野駅跡も何の変哲もない住宅地になっている。
下藤野停留所として開業したのは昭和23年だが、当初は約300m東寄りにあった。野々沢川沿いにある人家のために設けられたのだが、定鉄の藤野団地が造成されることになり、昭和34年にこの場所に移転してきた。移転に当たっては賛否があって住民とかなり揉めたようだ。

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ここも河岸段丘の上を線路が通っていたようだ。(13から西方向)
道の反対側には駅裏という雰囲気が無くもない。

8回目へつづく




posted by pupupukaya at 15/04/27 | Comment(0) | 廃線跡を行く
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