定山渓鉄道跡を歩く2015年 6回目

先週末は東札幌駅跡のイーアスから石切山駅跡まで歩いてきました。
あれから1週間、今回は近くのショッピングセンターまで車で来て、そこから石切山駅跡までやってきました。

さて、ここから定鉄跡歩きをリスタートします。

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石切山駅裏の公園には汽車の形の遊具があった。電化前の定鉄の汽車を模したものだろうか。

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定鉄廃止直前、藤野・簾舞あたりはまだ農地が多い。定鉄廃止後に宅地化が進み国道の渋滞も慢性化するのは皮肉な話。(昭和43年発行国土地理院5万分の1地形図)

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定山渓鉄道の廃線跡地図 石切山・藤ノ沢間(地理院地図から作成)

出発する前にちょっと石切山について語ってみる。

石山地区の鉄道は定鉄が初めてではない。「札幌石材馬車鉄道」の馬車鉄道が明治43年に札幌から現在の石山通を南下し、今の硬石山バス停のあたりから豊平川を渡って石切山駅のあたりまで開通していた。現在の札幌市電の前身である。石切山はそのころ穴の沢と称していたようだ。
札幌市内へ運ぶ軟石はこの馬鉄と呼ばれるトロッコを馬に牽かせていたが、大正7年に定鉄が開通すると石材の積み出しは鉄道に移り、道内で広く販売されるようになり建築業界に大きく貢献することになる。反面馬車鉄道は廃止になった。
昭和19年、千歳飛行場の滑走路強化のため対岸の硬石山から砕石を輸送するために豊平川を渡る引込線が設けられた。終戦の日まで1日も休むことなく千歳まで砕石を積んだ貨物列車を送り出していた。このころが石切山駅のピークであったのだろう。

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石切山駅付近の空中写真(国土地理院昭和23年米軍撮影)

戦後、駅舎が増改築されているが、コンクリートに押された軟石は用途を失ってゆく。当然石材の輸送もなくなってしまった。
札幌軟石を切り出していた山は現在石山緑地として公園になっている。

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旧石切山駅前後は市道になっている。(1から西方向)

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市道は石山小学校手前の川で終わっている。(2から西方向)

真駒内から藤ノ沢までは地下鉄延伸予定地として札幌市が保有している。しかし、延伸計画が白紙状態のままなので道路に転用されたり、学校敷地になったりしたほかは未使用の空き地となっている。

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石山小学校の北側は札幌市水道局の所有地で芝生になっている。(3から西方向)
左側の一段高いところを線路は通っていた。

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未舗装の道になるがここに面した家は無い。道ではないのかも。(3と4の間)

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水道局敷地から続いた未舗装の道は国道230号線石山通の擁壁に突き当たる。(4から西方向)

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230号線から廃線跡を見る。今にも電車が現れそうな雰囲気。(5から東方向)

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230号線は線路跡と交差する部分だけ中央分離帯が設けられてある。(5から南西方向)
地下鉄を建設したらここに高架の橋脚を立てる予定だったのかもしれない。

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国道から先も廃線跡とわかる空き地が続いている。(5から西方向)

石山通を超えると線路跡は雪山が結構残っている。道路わきの空き地は格好の雪捨て場になるのだろう。
ここからオカバルシ川までの区間は特に良い廃線跡だった。河岸段丘の縁に敷設された線路の跡は土地の再利用も難しいようで、それが却って廃止から今まで手も付けられずに路盤が残ってこれたようだ。

しかし線路跡の脇には真新しい杭が打ち込んであるのを各所で目にした。近々遊歩道でも整備されるのだろうか。
ずっと空き地のまま放置しておくのは勿体ないし、あまり好ましいこととは言えないが、風情ある廃線跡がどこにでもある遊歩道になってしまうのもどうかと思う。

どっかから古レールを持ってきて、小樽の手宮線跡地のような遊歩道にすればいいのになと思った。そんなカネどこにあるんじゃー!という声が聞こえてきそうだが。

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うーんいかにも廃線跡。いいねえ。(6から東方向)

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線路跡は河岸段丘の斜面にそってじわじわと登って行く。(7から西方向)

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5から8までの区間は特に良い状態で廃線跡が残っていた(8から東方向)

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8の位置からは道路が並行することが多くなり、線路跡は花壇などにされていたりする。(9から西方向)

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すっかり宅地化されたが、定鉄の跡地だけはずっと連続して空き地になっている。(10から南西方向)

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この先にあるオカバルシ川で一旦途切れる。(11から南西方向)

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オカバルシ川からさっき歩いてきた線路跡を振り返る。(12から北東方向)

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オカバルシ川を越えても線路跡は続く。(12から西方向)

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ここからは藤野東公園の遊歩道となる。柵で仕切られたが、石垣はそのまま残されていた。(13から西方向)

定鉄跡を歩いていて気が付いたが、土留めに用いられている建材は丸石が本当に多い。
大正7年に開業した定山渓鉄道は当時財政事情は良くなかった。定山渓までの山岳地帯の複雑な地形は工事費が掛かりすぎた。費用を切り詰めるために曲線や勾配だらけの路線となってしまったこともあるが、土留めにしても費用を切り詰めたことを窺わせる。

当時高価であったコンクリートを極力使わず、豊平川の河原でいくらでも採取できた丸石を資材として活用したのだろう。

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野球場では早くも少年野球の練習試合が行われていた。(14から西方向)

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藤ノ沢駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
画像中央「消防」文字の下の建物が藤ノ沢駅舎。

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公衆トイレがあるところが駅前広場で、その奥に駅舎があったようだ。(15から北方向)

藤ノ沢駅のあった辺りは藤野東公園として整備されている。
国道沿いもこの辺りは山と公園に挟まれたパッとしない場所だが、地図を見ると山の方から坂を下ってくるとこの辺りに出てくるような道路区割りになっていて、駅があれば案外発展していたかもしれない。

戦前は付近の農家からの豊富な農作物や果物の輸送で、戦後は藤の沢女子高(現在の北海道文教大学・明清高校)の通学輸送の駅だった。東札幌や豊平からこの駅まで通学専用電車も運転されていたようだ。

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「藤ノ沢駅跡」の標柱が建つ。

7回目へつづく

posted by pupupukaya at 15/04/26 | Comment(0) | 廃線跡を行く
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