定山渓鉄道跡を歩く2015年 2回目

定鉄の起点は東札幌で、札幌駅までディーゼルカーで乗り入れていたこともあったが、札幌市民は市電で豊平駅まで来てそこから電車に乗り継いでいた。そのせいか定鉄の起点は豊平駅という認識の人も多かったようだ。

ともかく、定鉄のターミナルであった豊平駅跡を出発する。

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定山渓鉄道の廃線跡地図 豊平・澄川間その1(地理院地図から作成)

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旧駅舎があったころは駐車場になっていて線路側といった風情が残っていたが、新しいマンションの車庫となった。

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線路跡の敷地は東光ストアに突き当たる。(1から南西方向)

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ここは定鉄の機関庫があった場所。東札幌の電車庫のように早い時期に跡地が自社系スーパーに転用された。(2から南西方向)

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スーパーやホームセンターが建ち並び、ちょっとしたショッピングセンターのようになっている。

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豊平駅を過ぎると線路はカーブを描いて南進していた。踏切だった場所は道営住宅が建つ。(3から北西方向)

自社系スーパーや団地に転用された線路跡を過ぎると豊園通と交差する。定鉄があった当時ここからは水田や果樹園が広がっていた。

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水田や果樹園の中を行く長閑な車窓であったと想像させる地図。(国土地理院2.5万分の1地形図、昭和25年発行)

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豊園通の踏切からカーブを描いて線路は南進していた。今はどこにでもある都会の公園。(3から南西方向)

ここから平岸までは定鉄廃止後に大規模な区画整理が行われている。一部区間は道路に転用されたが、大部分は宅地になってしまった。当時札幌市は人口増による市域拡大が急ピッチで進んでいて、少しでも多く住宅用地が必要だったことも背景にあったのだろう。
しかし、豊園通を過ぎたカーブのあたりは線路跡と無関係に開発が進み、廃線跡の名残は全くない。現在は住宅やマンションが立ち並ぶ。

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このあたりは線路跡地と道路区割が一致しないのでどこに線路があったか判別が難しい。

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水道局庁舎のあたり。交差する道路には踏切があった。(4から南方向)

水道局庁舎の交差点から地下鉄の高架までの道路は緩やかなカーブを描き、線路跡と推察できる。
線路跡が道路に転用されたと思いきや、実際はそうでもないようで、道路の東側に並ぶ住宅がどうも線路跡だったようだ。
以下に定鉄があった頃と廃止になった後を空中写真で比較してみる。

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日の出公園付近の空中写真。左が昭和41年、右が昭和51年撮影のもの。(国土地理院の空中写真を基に作成)

定鉄線路があった頃は両脇に道路があり、廃止後は線路西側の道路を拡幅したうえで残し、東側の道路は宅地に転用したようだ。

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日の出公園にある並木と道路の間の空間がこの辺りで唯一残る線路の名残。

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腕木式信号機を発見。しかし、定鉄とは無関係のようだ。

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件のマンションのエントランス。ここの大家は余程好きものだと言える。少々脱線しましたが。

米里行啓通と交差するところは十字路とはならず道路は若干ずれている。今まで歩いてきた道路はコンビニに突き当たるが、その横に続く道路は線路跡にできた道路であろう。その証拠に古い住宅は道路に背を向けるように建っている。

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木の花通(現在の米里行啓通)でコンビニに突き当たる。ここから道路は線路跡敷地に移る。(6から南方向)

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地図でわかる緩やかなカーブはまさに線路跡。古い住宅はこの道路に背を向けて建っている。カーブの向こうから電車が現れそうな感じがしないでもない。(7から南方向)

このあたりは定鉄でも数少ない線形の良い区間で、電車は60〜70km/hで快走していたという。

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定山渓鉄道の廃線跡地図 豊平・澄川間その2(地理院地図から作成)


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平岸3条5丁目の交差点。昭和通と呼ばれ、白石中の島通が開通するまではバスも運行される主要道路だった。(8から南西方向)

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白石中の島通との交差点。この道路は定鉄廃止後にできたようで、交差点前後に不自然な勾配がある。(9から南西方向)

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ここから地下鉄が地下を通る。向こうには銀色のシェルターも見えてきた。交差する道路はミッテル道路と呼ばれていた(10から南方向)

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中央分離帯がちょうど線路があった場所。建物に突き当たるのでいつの間にか道路が線路跡ではなくなっていたようだ。(10付近から北方向)

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環状通との交差点には歩道橋があった。信号まで迂回しなくて済んだ。環状通は札幌オリンピック開催のため整備された道路。定鉄があった頃には無かった。当時オリンピック道路と呼ばれた道のひとつ(11から南方向)

ここまでは宅地化や道路転用にされて線路跡とわかるものはほとんど消滅していたが、ここからは地下鉄の高架が姿を現す。
オリンピック開催に向けて建設された地下鉄は、平岸から定鉄線路跡地を利用して高架で建設された。

昭和40年代に入ると定鉄は道警本部から平面交差する踏切は事故の可能性が高いため、立体化か廃止かを求める勧告を受けることになる。
鉄道が見直されている今では考えられないが、年々増加する自動車に抗しきれず、また沿線はバス路線が発展し電車は既に時代遅れになっていた。
そんな中、札幌オリンピック開催に向けて札幌市による高速軌道建設計画が持ち上がった。高速軌道建設のため定鉄用地の買収の打診があったことも廃止への運命を決定した。

そんなわけで、定鉄線路は地下鉄南北線として生まれ変わることになる。

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地下鉄のシェルターが地下から飛び出した竜のよう。ここからは定鉄跡地に地下鉄の高架がつくられた。(11の歩道橋から南方向)

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昭和46年開通当時の地下鉄路線図。(広報さっぽろ46年12月号より)

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地下鉄の線路は43‰という急勾配で南平岸駅まで駆け上がる。札幌の地下鉄がゴムタイヤになった理由の一つがこの急勾配であった。


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もとは霊園前駅だったが縁起が悪いからと今の駅名に改称した南平岸駅。「都心まで9分」の宣伝文句は昔からある。

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高架は白石藻岩通と交差する。昔は今崎道路と呼ばれ、踏切だったところ。(12から南方向)

ところで、定鉄は豊平駅の次は澄川まで駅がなかった。戦後は札幌郊外の宅地として発展していた平岸だが、新駅が設けられることはなかった。
もっとも、新駅ができても都心へは豊平駅で市電に乗り換えることになり、また自社のバス路線が沿線に発展したことで新駅を造ってもさほど利用客は見込めなかっただろう。都市輸送はバスで、こちらは郊外電車という棲み分けだったともいえる。

posted by pupupukaya at 17:16 | Comment(0) | 廃線跡を行く
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