奥津軽いまべつ駅の謎 2

さて、奥津軽いまべつ駅最大の謎とは何か。

それは、駅横に新しく出来た今別町の無料駐車場である。
屋内と屋外の駐車場があって、両方合わせて82台収容できるのだが、結構な台数が駐車してある。

ざっと見で3/2くらいはふさがっている。50台くらいといったところだろうか。

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 屋内外合わせて82台収容の今別町営無料駐車場。

ここに車を停めても駅以外にはどこへも行きようがないので、この駐車場の利用者のほぼ100%が新幹線利用者ということになる。

で、その異様な光景とは何か。

ここの車がやたらと函館ナンバーと札幌ナンバーが多いのだ。

気のせいか? いや、実際多いのだ。両ナンバーの車を数えたら15台もあった。
駐車場の車のうち、これもざっと見だが、約1/3がこれらの車が占めている。

ここは本当に青森県か?

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 なぜか函館や札幌のナンバーが多い。

これはどうしたことか。

北海道の空知振興局の北部では旭川ナンバーになっているので、津軽半島の北部では函館ナンバーが使用されているのかとも思ったが、陸続きならともかく、津軽海峡で完全に隔たれているのであり得ない。

うーむ。
これが1台や2台ならば、青森〜函館間にフェリーがあるので何てことはないが、ちょっと多すぎないかこれは。

どういうことなのか。
確実に言えることは次の2点だ。

1,何らかの事情で北海道から青森県に渡ってきた車である。
2,その車で奥津軽いまべつ駅まで来て新幹線でどこかへ行っている。

これが大間あたりならば函館とフェリー航路があるので、道内ナンバーを多く見かけても不思議ではないが、ここは津軽半島の北端である。
過去には三厩〜福島間にフェリー航路があったが、20年も昔に廃止されている。

函館から青森まで車ごとフェリーで渡って、そこから奥津軽いまべつ駅まで行って新幹線に乗る?

まるでミステリーのような話だ。

気になってしょうがないので、道の駅の事務所へ行って聞いてみることにした。
駐車場の入口に、”宿泊で利用される際は道の駅に申し出てください”との旨の掲示があったから何か知っているだろう。

道の駅の管理人さんに聞いてみると、

「ええ〜、たしかにここの利用者は他県ナンバーが多いんですよ」

函館ナンバーの持ち主がどういう人なのか尋ねたら、

「いや〜、それがわかんないんですよ」
「ここへ停めて、(新幹線で)どっかへは行ってるようなんですがねぇ〜」

と、要領を得ない。

話してるうちに、

「JRの人たちは向こう(北海道)から車を持ってきて乗ってるねえ」

ああ、わかった。

ここは本州とはいえ、北海道新幹線も青函トンネルもJR北海道の管理となる。

新幹線工事こそ終わったが、青函トンネルや新幹線の保守や保線のための人がいるわけで、その職員や関連会社を含めるとそれなりの人数になるはずだ。

札幌や函館から単身赴任や出向という形で来ている人も多いだろう。
そういう人たちが道内から車をもってきて、こっちで使用しているのだ。

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 奥津軽いまべつ駅の南側は保線基地となっている。

休日は奥津軽いまべつ駅まで車で来て、新幹線で函館や札幌へ帰るのだろう。

以上は私の推測でしかないが、ほかに考えられることは無い。
それほど大きく外してはいないと思う。

道の駅の管理人曰く、

「七戸十和田のほうは成功したけどねぇ〜、こっちはさっぱりだね」
「私も新幹線さ乗るときは青森まで行きますよ、高いしねぇ〜」

そうなんだよね、
例えば東京までだと新青森からは特急料金込みで1万6840円なのに対し、奥津軽いまべつからだと1万8550円1710円も跳ね上がる。往復ならば3420円差額×人数だ。

新青森駅の有料駐車場ならば1泊1000円
今別や三厩あたりの人ならば便利だろうが、いくら駐車場が無料とはいえ、蟹田や中里あたりの人は新青森駅へ行ってしまうだろう。

道の駅の管理人さんすら利用しないという奥津軽いまべつ駅。

それにしては駐車場には随分と多くの車が停まっている。
先に50台くらいと書いたが、多すぎじゃないか?

道の駅は別に駐車場があるので、こちらの車はほぼ100%新幹線利用者である。

あんまり駐車場をウロウロしていては不審者になってしまうので数えたわけではないが、駐車場区画のうち2/3は確実に埋まっている。

駅勢圏と思われる今別町と旧三厩村の人口を合わせても5千人を超えるくらい。
こんなに新幹線の利用者がいるとは思えない。

青森や弘前に行くのにここに停めて新幹線で?
まさかね、車なら直接行くよ。

これはまた謎だなと思ったが、これはすぐに分かった。

先に七戸十和田駅が成功したと書いたが、ここはその逆バージョンなのだ。

つまり津軽半島各地から北海道へ行く人たちがこの駅を利用するのである。
何といっても無料駐車場の存在が大きい。

しかも、新青森から乗るよりも1駅分安くなるというおまけつき。
例えば、新青森〜新函館北斗間は特急料金込みで7260円だが、奥津軽いまべつ〜新函館北斗間だと5480円1780円安くなる。

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 津軽半島と奥津軽今別駅との関係。(地理院地図より筆者作成)

こうして地図を見ると、対北海道となれば津軽半島だけではなく、五所川原あたりまでも軽く駅勢圏に入ってきそうだ。

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 グーグルマップで五所川原から奥津軽いまべつ駅までのルートを見ると。

五所川原から奥津軽いまべつ駅までの距離は53km。
この辺りまで来れば車で50kmの距離なんてどうということもないだろう。

札幌から新千歳空港までだって40km以上あるし、札幌の西部や北部からだと軽く50kmを超える。
それでも空港の駐車場は人気だ。

フェリー以外では新幹線しか北海道へ渡る手段がないので、もっと広域の弘前や、さらに秋田県からの利用者もいそうだ。
件の函館や札幌ナンバーの車も、青森県内に単身赴任している人たちが帰宅する際に奥津軽いまべつ駅を利用しているのかも知れない。

これらは北海道新幹線開業による新たな需要のように見えるが、じつは在来線時代も蟹田駅の駐車場に車を置いて北海道に行く人が多かったようだ。

多かったようだというのは、外ヶ浜町公式ブログに北海道新幹線開業前の蟹田駅駐車場の利用状況についての記事を見つけたからだ。


JR蟹田駅西口の土・日曜日の駐車状況は、ほぼ「満車状態」。
平日でも10台ぐらいは駐車している。
休日には、ほぼ満車状態になる。
車両ナンバーは、「青森」のほか「八戸」「秋田」など、
休日には、遠方の車両も駐車している。JR蟹田駅から北海道に行く電車に
乗るための拠点にしているのでしょう。さすが交通の要所です。
利用者が多くて嬉しいことです。



要は今まで蟹田駅に行ってた人たちが奥津軽いまべつ駅に移って来たということだ。

しかし全体からすれば、北海道へ行く人よりも仙台や東京へ向かう人の方が圧倒的に多い。
奥津軽いまべつ駅の駐車場の利用率が高いとはいえ、現状はニッチな需要にマッチした結果でしかない。

今後この駅の発展はあるのだろうか。

それは北海道新幹線が札幌まで延伸開業したときだろう。

もしかしたら、いままで仙台へ行っていた青森の人のうち、相当数が札幌へシフトするのではないか。
その根拠は青森から仙台、札幌までの距離である。

新青森から仙台までの営業キロは369.1kmとなっている。もう一方で現在工事中の北海道新幹線が札幌まで開業したら、新青森から札幌までの営業キロは360.3kmとなる。

つまり新青森は仙台〜札幌間のほぼ中間点になるのだ。

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 北海道新幹線が札幌まで開業した図。

料金は北海道新幹線が高め設定のため仙台へ行くよりは若干高くなりそうだ。
しかし、仙台の人には申し訳ないが、都市としては札幌の方が色々揃っていると思う。

そうなれば南の七戸十和田駅、北の奥津軽いまべつ駅である。

駅前にもイオンとまではいかないが、コンビニの1軒くらいはできるかも知れない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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奥津軽いまべつ駅の謎 1

2016年3月に開業した北海道新幹線。ことしで開業2周年を迎えた。

同時に開業した新函館北斗、木古内、奥津軽いまべつの3駅のうち、特に異彩を放つのが奥津軽いまべつ駅である。

利用者数は1日当たり約60人(乗車人員)とワースト1位。
停車する列車本数は、上下各7本合計14本とこれもワースト1位。
駅のある自治体の人口は、今別町の約2700人とこれもワースト1位。

ワースト三冠王の新幹線駅である。

駅の立地や利用者の少なさから、新幹線の秘境駅 などと揶揄されもする駅。

今回は、なんでこんなところに駅を作っちゃったんだろうということを含めて、この 奥津軽いまべつ駅 についての考察です。

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 JR時刻表(交通新聞社発行)の路線図より。縦向きにしてます。

時刻表の路線図で見る限りは、奥津軽いまべつ駅は津軽半島北部の中心にあるように見えるが、これは時刻表の索引図が鉄道路線に合わせてデフォルメしているからで、実際は次のようになる。

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 実際の奥津軽いまべつ駅の位置。(地理院地図より作成)

上の地図を見るとわかるが、奥津軽いまべつ駅の場所は、津軽半島の北端である。
駅勢圏はというと、駅のある今別町のほかは外ヶ浜町の旧三厩村くらいか。
蟹田や小泊は微妙。

無料駐車場を設けて、上北や下北地方の広域から乗客を集めることで成功した七戸十和田駅とは対照的だ。



この駅は在来線時代は津軽今別駅という駅だった。
当時から駅前は道の駅以外には何もないところで、田んぼの向こうの離れた所に集落が見えるという駅だった。

そもそもなんでこんな場所に駅ができたのかというと、ここは青函トンネルの工事中は新津軽二股信号場として計画されていたからである。

これは、海峡線は当初から新幹線と在来線の併用という前提で設計されたので、本州側と北海道側の出口付近に列車追い越しのための待避線を設ける必要があったからだ。

地元の請願もあったことからホームが設置されて、海峡線開通と同時に津軽今別駅として開業したのだった。

同じように北海道側は新湯の里信号場が設置された。こちらはのちに知内駅となる。

当初は在来線だけの開業ということで、退避設備として使用されることは無かったが、海峡線の本州側の保線基地や列車火災時の消火設備などが置かれていた。

駅ができたとはいえ、停車する列車は快速海峡が3往復のみ。
利用者は少なかったと見え、全列車が特急白鳥化された際には、停車列車は2往復に減らされている。

営業的にはあまり設置したくない駅なのだろうが、ここに駅がないと新青森の次は木古内まで113kmも駅が無いということになるわけで、仕方なく設置した感が半端ない。
北海道側の知内駅は、木古内に近すぎるということなのか駅が設置されることは無かった。

新幹線の駅であるが、在来線も併用している区間なので待避線があり、ここで新幹線が貨物列車を追い抜くことになる。



そんな奥津軽いまべつ駅を実際に見に行ったのが2018年4月の日曜日であった。
『北海道150年日帰り周遊パス』を使っての北海道新幹線初乗車でもあった。

札幌を朝6:00に発車する『スーパー北斗2号』に乗り、新函館北斗駅で『はやぶさ16号』に乗り継いで、奥津軽いまべつ着は10:22。
所要時間は4時間22分で、乗り換えがあるものの、時間距離的には札幌〜釧路間といったところか。

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 奥津軽いまべつ駅のホーム。

ホーム全体は屋根で覆われて、階上の駅舎へはエスカレーターもある。
思いのほか立派な駅だ。

ホーム中ほどには助役帽の駅員が立って、新幹線に発車合図を送る。

駅は橋上駅になっているのは、ホームと駅前の間には貨物列車の待避線と津軽線の線路があるためだ。

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 改札口とみどりの窓口。

駅舎内には自動改札機とみどりの窓口、それにコンコースとはガラス張りの壁で隔たれた待合室がある。
みどりの窓口には指定券の券売機が2台もあるが、使う人がいるのかな。1台は販売中止と表示されていた。

改札口上の発車案内に表示の列車は上下とも13時台である。
もう3時間以上も列車は来ない駅。
1日に停車する列車が上下それぞれ7本ずつではそうなる。

駅の中をウロウロしているのは私だけで、ほかには誰もいなくなった。
もうここは新幹線ではなく、ローカル線の雰囲気が漂う。

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 奥津軽いまべつ駅に掲示の時刻表。

連絡通路からは新幹線と津軽線の位置関係がよくわかる。
津軽二股駅のホームは従来の場所にあり、新幹線駅の近くに移設とはならなかったようだ。

こちらはJR北海道の駅、あちらはJR東日本ということで、あくまで別ということか。
もっとも乗り換えが便利になったところで、ダイヤは新幹線接続はまったく考慮されていないので、乗り換え客はいないだろう。

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 連絡通路から見た『道の駅いまべつ』と津軽線の津軽二股駅。

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 駅前広場にある奥津軽いまべつ駅案内図。

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 奥津軽いまべつ駅正面。駅ビルに見えるのはエレベーターと階段室。

115段ある長い階段を下りると駅前広場に出た。

駅前はロータリーやバス乗り場が整備されているが、それ以外は津軽今別駅時代とほとんど変わっていない。
変わったのは三厩や平舘方面へ行く巡回バスや津軽中里駅とを結ぶ路線バスが新設されたくらい。

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 駅前広場こそ整備されたが、あとは何もない駅前。

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 今別町巡回バス。

駅前には無料の屋内駐車場が新たに建てられて、道の駅の向こうには『いまべつ総合体育館』の新しい建物が見える。
ただ、新たにできたものといえばそれだけ。

駅前広場の先は田んぼがあるだけになっている。
これ以上整備するつもりも何かを建てる気も無いようだ。

屋内駐車場の中を通り抜けると道の駅いまべつ(半島ぷらざアスクル)があって、土産物屋とレストランが入っている。
道の駅の方は車での客がちょくちょくやって来る。

道の駅の裏が津軽線の津軽二股駅になっている。
無人駅だが、乗車券は新幹線駅のみどりの窓口で買える。

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 道の駅いまべつ。この建物の裏に津軽二股駅のホームがある。

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 津軽二股駅から奥津軽いまべつ駅を見る。

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 奥津軽いまべつ駅の遠景。

駅前通りを200mほど歩くと県道にぶつかる。県道に沿って小さな集落があるが、それだけ。コンビニも無い。

田んぼと残雪、それに川の流れ。
静かな田舎の日曜日である。

それだけに奥津軽いまべつ駅だけが異様にそびえ立っている。
えらいところに駅を作ったものだと思った。

ところがこの奥津軽いまべつ駅で、ひとつだけ異様なことに気づいた。
これがこの駅最大の謎ともいえる。ミステリーと言っても良い。


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2004年 トワイライトエクスプレス旅行記2

富山を発車してすぐ、食堂車のクルーが弁当とお茶を届けに来た。受取った弁当箱は風呂敷に包まれて重厚な感じがする。
まだ5時前だが、早めの夕食にすることにした。

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 食堂車特製 プレヤデス弁当。

プレヤデス弁当の包みを解いてフタを開けると純和風のおかずが並ぶ。

鶏の照焼、天ぷら(アナゴ・イカ・レンコン・ナス・シシトウ)、煮物(タケノコ・フキ・人参・さつま芋・イカ・昆布)、きんぴらごぼう、塩鮭、卵焼、煮豆、ナマス、オレンジが入っている。

どの品も関西風に味付けしてある。天ぷらには塩とレモンが添えてあった。

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 プレヤデス弁当は幕の内弁当風。

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 天ぷらは揚げたてのようで温かい。レモンと塩が添付。

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 これは鶏の照り焼き。

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 鮭、きんぴらなどのおかず。この辺りは作り置きっぽい。

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 個室で1人宴会。

18時過ぎ、直江津を出てしばらくすると列車は海岸沿いを走る。
実はこのトワイライトエクスプレスで海の見える区間は意外と少ない。富山県と新潟県で数ヵ所海が見えるほかは、ほとんど内陸を走るのだ。

北陸地方はずっと曇っていて所々で雨も降っており、夕日は見られないとあきらめていたのだが、ちょうど水平線の部分だけ雲が無く、夕日が差し込んでくる。

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 しばらく日本海を見ながら北上する。

サロンカーへ行ってみたがどういうわけかガラ空き。貸切状態のサロンカーの大きな窓で日本海に沈みかけた夕日を堪能する。


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 水平線の向こうに大分傾いた太陽が見えた。

まさに「トワイライト」がふさわしい。食堂車ではフランス料理ディナータイムの真っ最中で、あちらでもフルコースを食べながら夕日を見ているのだろう。 

柏崎でふたたび内陸へ。わずか十数分のすばらしいトワイライトシーンは終わったのだった。

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 サロンカーから見た日本海に沈む夕日。

19:40、本州最後の停車駅、新津を発車する。

外は、日はすでに沈み、真っ暗だ。室内の明かりを消してみた。
今まで窓ガラスに室内の明かりが反射していて何も見えなかったが、それらが消えて車窓には夜景が広がる。過ぎ去る駅や町の灯かり、山の稜線まではっきりと見える。

部屋の明るさも自由に出来るので、車窓から夜景を楽しむのも個室寝台の旅ならではの楽しみである。

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 夜のサロンカー。

21時からは食堂車ではパブタイムの営業開始との案内があった。なんとなく小腹がすいてきたし、パブタイムも体験しておきたかったが、富山で買った駅弁があった。

だいぶぬるくなってしまった缶ビールを開ける。駅弁は山菜ごはんにエビフライや煮物がついている。生ぬるい缶ビールはまたたく間に飲んでしまい、次は富山で買ったお酒、立山の封を開ける。

食堂車ではパブタイムでグラスを傾けている頃だろう。しかし、こっちだってそう悪くは無い。

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 富山駅で買った「佐々成政弁当・黄金伝説」。

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 駅弁とビールでひとり酒宴。

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 上段寝台は気持ち跳ね上がる。

眠くなってきたので、そろそろ寝台をセットすることにする。

向かい合っている両方の座席を引き出せば、背もたれが水平になりベッドとなる。
狭い部屋で結構面倒な作業だ。

下の椅子はそのままにして、上段のベッドで寝るという手もある。上段は昔の3段式寝台並みに狭くて圧迫感がある。
やはり下で寝ることにした。散らかったテーブルを片付けるのもまた一苦労だったりする。

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 シングルツインの説明書き。

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 上から見た座席の状態。

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 座席の状態。

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 座面を前に出すと、背もたれも倒れてフラットになる。


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 向かいの席も同じように倒すとベッドになる。

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 寝台にして寝具をセットした状態。

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 上段はかなり窮屈。

お酒もだいぶ飲んだのでぐっすりと眠った。


 ◆2005年5月6日

目が覚めると青函トンネルを既に抜けて五稜郭駅に停車していた。
5時前だがすっかり明るくなっている。

札幌まであと4時間半もかかるが、長旅を終えて家の近くまで来たような気分になる。

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 五稜郭で機関車交換のため停車。

木々も新芽が出たばかりで、すっかり冬に戻ってしまったかのように見えた。

6:43、北海道内最初の停車駅である洞爺にとまる。有名観光地だが、温泉街なのでこんな早朝に降りる人はいないと思うが、なぜか停まる。

食堂車でモーニングタイムが始まっている。昨日予約しておかなかったので朝食は無しだ。朝は終点札幌まで何も売りに来ないので、用意していなければ前日に予約しておいたほうが良い。私は札幌に着けば自宅に戻るだけなので朝食は特に必要ない。


東室蘭、苫小牧と過ぎるが、町付近以外はどこも似たような風景が続く。これが北海道なのだと改めて認識してしまった。

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 おかえりなさい北海道へ。

南千歳を発車すると、札幌の通勤圏に入る。
駅前こそ団地や大型スーパーが建って本州と変わらないが、駅間は北海道の風景が延々と続く。

山間部を抜けると突然市街地になり、札幌市内に入る。豊平川を渡ると数分で終点だ。

〜おわり


 ◆ リメイク版あとがき

この旅行記は2004年のゴールデンウィークに、周遊きっぷを使用した四国旅行の帰りに利用したトワイライトエクスプレスの乗車記です。

このトワイライトエクスプレスは2015年3月、北陸新幹線開業で、金沢〜直江津間が3つの第三セクター鉄道に分断されたことや、青函トンネルの新幹線工事などを理由に廃止されています。

現在は、夜行列車は東京発のサンライズ1往復と多客期の臨時列車であるムーンライトだけを残して、あとはきれいさっぱり無くなりました。

一方で、寝台列車はあちこちでクルーズトレインとして復活しています。
トワイライトエクスプレスも新車になり「トワイライトエクスプレス瑞風」として復活しました。

料金は2泊3日で30万円以上。
まあ乗ることはないでしょうね (^^;

 〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/04/07 | Comment(0) | 2004年の旅行記(リメイク版)

2004年 トワイライトエクスプレス旅行記1

 ◆ 2004年5月5日

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 トワイライトエクスプレスの特急券・B寝台券。

11:20頃、大阪駅10番線ホームに立つ。発車は12:00なので、少々早すぎるのではないかと思われるだろうが、トワイライトエクスプレスの大阪駅入線は、発車33分前の11:27となっている。

豪華列車の乗客をホームで待たせてはいけないとの配慮なのだろう。大阪駅を正午ジャストに発車するのも長距離列車らしい貫禄である。

早めに来た人たちも、列車をバックに記念撮影したり、車内をのぞきこんだりしている。

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 トワイライト、札幌の表示も誇らしげ。

トワイライトエクスプレスは、大阪・札幌間を日本海沿いに結ぶ列車で、所要時間は約21時間。運転距離・所要時間どちらも日本最長である。話の種に・・・あるいは一度乗ってみたかった、という理由で乗車する人がほとんどなのだろうが、一方で鉄道ファンに限らず、何回も利用するというリピーターも多い。 

テレビも新聞も無く、世間との交流を一切絶って旅情を楽しむ。列車の旅は車や飛行機と違い、そういうところがあるようだ。忙しい現代に置いては非常に贅沢な時間である。忙しい俗世間から逃げ出して、長距離列車で異次元の世界を堪能したい人が増えているのだろう。そういう人にはうってつけの列車である。

かく言う私もこの列車に乗るのは3回目になる。

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 トワイライトエクスプレスが入線。 

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 最後尾では記念撮影する人が多い。

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 客車後部は最上級の個室であるスイートになっている。


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 大阪駅の乗車口案内札。

車内の入り口にはトワイライトエクスプレスのマークの入ったマットが敷かれ、通路もすべてじゅうたんが敷いてあり、ホテルのようだ。

車内は壁も床もピカピカに掃除が行き届いており、登場から15年経つが車両の古さは微塵も感じられない。
北斗星などはさすがに古さを隠せない状態となっているが、JR西日本のこの列車に対する意気込みが伝わってくる。

さて今回用意した寝台券はB個室「シングルツイン」である。通路を通り指定された部屋に入る。

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 入口にはマットも敷かれホテルのよう。 

部屋に入り、第一印象は狭いの一言に尽きる。上段に補助ベッドが固定してあり、これが圧迫感を与えるようだ。
しかし扉を閉めて椅子に座ってしまえば、終点札幌までの21時間は自分の城となる。

この部屋は1人使用が原則だが、追加料金を払えば補助ベッド使用で2人でも利用できる。寝具は2人分置いてあった。

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 B個室のシングルツイン。

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 テーブルにあった営業案内。

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 個室らしくオーディオや室内灯のボタンが並ぶ。

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 サロンカーはフリースペース。

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 サロンカーにある自動販売機。

12時ジャスト、列車は動き出した。

京都を過ぎてから食堂車のクルーが各部屋までディナータイムの予約の確認と明日の朝食のオーダーをとりに来た。
ディナーは乗車前にクーポン券が必要だが、朝食はこのとき予約する。

ディナーの予約はしていない人は、食堂車の弁当の予約が出来る。食事の用意はしてこなかったので、1つ注文することにした。1500円である。

食堂車はダイナープレヤデスと言い、1万2000円のフランス料理コースディナーが目玉である。
日本海に沈む夕日を眺めながらのディナーには心を惹かれるが、1万2000はちょっと手が出ない。
それ以上に、気ままな一人旅なので、一人で食べてもあまり楽しくなさそうだ。こういうときは連れがいれば良いと思う。

13時から16時まで食堂車ではランチタイムの営業となる。敦賀を過ぎたあたりで食堂車に行く。
ビーフシチューセットの「プレヤデスランチ」はすでに売切れだそうで数に限りがあるようだ。

ビーフカレーを注文する。メニューはほかにスパゲティとサンドイッチがあった。
カレーは辛口と甘口が選べ、辛口を食べたら辛かった。(あたりまえか)

昔は特急や新幹線にはほとんど食堂車が連結されていたが、現在日本国内で、ランチタイムに営業している食堂車は、この下りトワイライトエクスプレスが唯一となってしまった。

カレーひと皿で引き上げるのは惜しいが、自分の部屋へ戻る。

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 富山では売店に人だかりが。

16:22、富山到着。ここで8分停車する。
ホームにはキヨスクと駅弁の売店、立食そばがトワイライトエクスプレスを待っていたかのように店を開いている。

大阪から4時間以上、ちょうど良い気分転換にもなるのだろう、ホームの各売店には人だかりが出来る。
また、夕食の用意をしていない人は、ここ富山で駅弁を買っておかないと終点まで食事にありつけないので大変だ。

私も思わずつられて、売店で駅弁とお酒を買ってしまった。
夕食は車内の弁当を予約してあったので、この駅弁はどうなるのだろう・・・。

あっという間に発車時刻がせまり、急いで車内に戻る。


posted by pupupukaya at 18/04/07 | Comment(0) | 2004年の旅行記(リメイク版)

2005年 特急利尻で稚内へ 3

抜海の駅前は家が2軒あるだけで、ほかには何もない。

駅から抜海の町までは結構離れていて歩いて20分くらいかかる。ここから町まで歩いて、そこから海岸沿いを歩いて南稚内まで戻ることにした。

帰りの列車は夕方発なので、時間はたっぷりとある。


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 抜海駅をあとにして歩く。

歩道が整備されている道路は、通る車も人も無くてもったいないほど立派に見える。 

利尻山が見えている方向にずっと歩いて行くと、やがて町に着いた。
抜海港は冬にはアザラシが来ることで有名だが、この季節は何も無く、静まり返った漁村といった感じ。

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 抜海駅から抜海の町まで徒歩で20分くらいかかる。

上に大石を乗っけたような奇妙な小山を見つける。これが抜海の地名の由来になった。

「北海道駅名の起源」(日本国有鉄道北海道総局)によると抜海の起源はこう載っている。 

“アイヌ語の「パッカイ・シュマ」(子負い石)の上部からとったもので、付近の丘の上に大石があり、その形が児を負って立っているのに似ているため、こう名づけたものである” 

近くの小山に登る道路があって、歩いて登ってみると、日本海と利尻岳それにずっと遠くまで続く海岸線が見渡せる。

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 抜海の地名由来となった抜海岩。抜海岩陰遺跡という史跡になっている。左は抜海神社。

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 抜海神社裏の小山から抜海岩と利尻山を見る。

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 南側に広がる無人の原野。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

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 海岸沿いは所どころに花の群落があった。

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 短い初夏を謳歌する花たち。

歩いてる途中で、地元のおばさん2人連れに出会った。

「どこに行くの?」
「抜海から海沿いに稚内まで歩いてみようと思って」
「どっから来たの」
「札幌からです」 

この先に川があって、道道まで出ないと渡れない。この先に道道に出る道がある。
と教えてくれた。

礼を言ってまた歩き出す。

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 海岸を歩いていると行く手を阻んだ川。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

しばらく行くと、その川が現れた。道道に出る道は見あたらなかったが、見落としたかもしれない。

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 道道の橋は見えるのだが。

来た道を戻るのも馬鹿らしいし困ったなと思っていると川幅は3mくらい。歩いて渡れそうだ。スニーカーと靴下を脱いで裾をまくって川に入る。すねまで浸かるくらいの水深。ジャブジャブと渡る。冷たくて気持ちが良い。

後方にはそんな光景を見つめるように利尻の山が立っていた。周りに誰もいないが、一部始終を山に見られていたようで何か気恥ずかしくなる。

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 海岸と秀麗な利尻富士。

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 起伏が激しい海岸砂丘。

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 砂丘に咲くハマナス。

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 さっき列車で通った利尻俯瞰区間の線路に登る階段。保線用?

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 階段を登ると線路があらわれる。鉄道写真の名所でもある。

なんとか昼ごろ南稚内駅まで戻ってきた。まだ帰りの列車までは時間がある。稚内に来たついでの野暮用があったので、済ませてくることにした。

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 南駅近くの繁華街。通称オレンジ通り。


 ◆ 南稚内 16:53 【スーパー宗谷4号】 21:50 札幌

再び南稚内に戻ってくる。 

南稚内駅の開業は稚内駅よりも古い大正11年で、当時はこちらが稚内駅となっていたとされている。

開業当初の南稚内駅は車両基地のある旧稚内運転所の近くにあって、稚内港(現稚内駅)まで開業してからは列車はスイッチバックで出入りしなければならず不便なので、戦後の昭和27年に新築・移転してきた。
実は大正11年開業の駅とは違う新しい駅なのである。 

稚内の新しい市街は南に向かって広がっているため、稚内駅のある北側中心部はすっかり寂れてしまった。地元の人は南稚内駅の利用が圧倒的に多い。
そんな南稚内駅を地元の人は「南(みなみ)駅」と略す。駅前のバス停も「南駅前」となっている。

駅前にビジネスホテルや歓楽街があって一時期は南駅周辺が栄えたこともあるようだが、郊外型大型店舗ができてからこっちも寂れ気味のようだ。

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 地元の利用者が多い南稚内駅。

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 みどりの窓口やキヨスクもあり、ストーブも設置されたままの昔ながらの駅。

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 南稚内駅改札口。

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 改札口の時計と改札案内。

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 札幌行スーパー宗谷4号が到着。

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 2両増結の6両編成。

札幌行スーパー宗谷4号の改札が始まる。ホームで待っていると遠くで踏切の音が聞こえ、列車が入ってきた。
南稚内を16:57にあわただしく発車する。

稚内始発の車内は回送列車みたいな状態だったが、南稚内からはなんとか特急列車らしくなった。それでも名寄まではがら空きだった。

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 天塩川に沿って。

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 18:55、音威子府駅。初夏の長い1日ももうすぐ終わり。

音威子府を過ぎたあたりで暗くなり始める。
名寄のあたりで日が暮れて、ここからは暗闇と窓ガラスに映った車内が車窓の友になる。

旭川で結構乗ってくると、車内は都会っぽくなった。
初夏の小旅行もそろそろ終わりである。

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 札幌到着。

〜おわり


 ◆ リメイク版あとがき

2005年、まだ定期列車だった特急利尻に乗って稚内まで往復したときの旅行記を、ブログにて復活したものです。

この頃は、道内夜行の廃止の噂こそあったものの、まさか廃止になるとは思いもしませんでした。

この頃に札幌駅を出発していた夜行列車は、1日8本(うち定期列車は6本)もあり、特急系統のほぼすべての方面に夜行列車がありました。

北海道新幹線こそ、この当時はまだ夢物語でしたが、石北線系統以外の特急スピードアップも完了し、JR北海道が最後の輝きを放っていた時代かもしれません。

リメイク版を作成していて感じたのは、画像の画質の悪さ。

当時使用していたコンパクトデジカメのスペックは、画素数でいえば2M(200万画素)を少し超えたくらい。
今は携帯やスマホですら普通に10M以上ということを考えると、隔世の感があります。

またこうしてあらためて見ると、音威子府〜稚内間、中でも抜海〜稚内間の車窓は素晴らしいですね。
ここに観光列車を走らせたら楽しいと思うのですが。

もっとも、富良野線や釧網線と違って周遊できる観光地が無いし、既存の観光ルートからは遠すぎるし、なかなか難しいんでしょうかね。
過去に『サロベツトロッコ号』という列車が走ったこともありましたが、長続きしませんでしたね。

これだけのいいもんを持っていながら、ああもったいない、もったいない・・・

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/04/01 | Comment(0) | 2005年の旅行記(リメイク版)
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