2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記5

◆ 3日目 東萩〜益田〜浜田〜出雲市〜雲州平田

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 東萩〜出雲市〜雲州平田間のルート。(地理院地図より作成)

窓のカーテンを開けっぱなしで寝ていたので明るくなって目が覚める。6時。
10月も下旬になるとまだ日の出前。空はまだ茜色をしている。

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 6時過ぎ、まだ日の出前。空が茜色に染まる。

昨日スーパーで買ってあったアンパンを食べる。
荷造りと身支度をすればあとは特にすることもなく。
朝食付きにしても良かったかな。

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 風情ある純和風の階段と玄関。

そろそろ出発しようと1階に下りて玄関へ。やっぱり誰もいない。
帳場のインターホンを押して板を叩くと奥から昨日の羽織姿のご主人が現れた。
ほかに宿の人らしい人は昨日から見ていない。一人でやっているのだろうか。

もう行きますと言ってカギを返す。
ご主人は玄関の外まで見送ってくれた。

芳和荘は大正時代に建てられた元遊郭建築。近代的な手はほとんど加えられていない、当時の原型を残したままの旅館である。
もちろん古いが故の不便さもあるのは仕方がない。
そんな不便さもひっくるめて、昔の人の生活や思いを馳せながら一夜を過ごすことができたのは、貴重な経験ではなかろうか。

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 裏から見た旅館。どこから見ても風情がある。

7:25に旅館を出発。このまま東萩発7:44発の益田行に乗れば接続も良く、午前中には出雲市に着くのだが、そんなに先を急ぐ旅でもなく、あちこち途中下車しながら行きたい。

早く出たのは、世界遺産の萩反射炉をみるためだった。

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 雁島橋から見た阿武川。

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 山陰本線の列車。

旅館から歩くこと20分。セブンイレブンの駐車場わきに萩反射炉の入口があった。

階段を登ると、石積みの煙突が見えた。
ただの広場というか公園というか。もう少し観光地っぽくなってるのかと思ったが。

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 史跡萩反射炉の入口。

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 石積みの萩反射炉。

萩反射炉は萩藩が海防強化のため鉄製大砲を鋳造するために作った金属溶解炉である。
反射炉では、燃焼室で焚いた燃料の炎や熱を天井に反射させて金属を溶解させた。
現在残るのはその煙突のみ。
しかしこの反射炉は、技術的にも資金的にも難しくなって、試作で終わってしまった。

‟幕末に、萩藩が自力で産業の近代化を目指す中での、トライアル&エラー(試行錯誤)を証明する貴重な遺産です。“
(看板より)

また20分歩いてこんどは東萩駅へ。
列車の発車時刻までまだ30分もある。もう少し遅く出ても良かったかな。

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 東萩駅前にある萩城天守閣1/6の模型。


◆ 東萩 8:41【820D】9:54 益田

8:30に列車が入って来た。またもや1両だけ、キハ40のワンマン列車。
東萩で交換する列車はないのに、なぜか10分間も停車時間がある。

海側のボックスシートは余裕で座れた。

きったねえ窓だな(#^ω^)

窓はホコリや泥で茶色くなっている。
この改造キハ40の窓は、下段ははめ殺しだが上段は上に開く。窓を開けて手を突っ込んでティッシュで窓の外側を拭いたらきれいになった。

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 単行のキハ40が来た。

東萩発の上り列車は、この8:41発の益田行の次は13:54発ということになり、乗り遅れたら5時間以上待たなければならない。
山陰本線ということになっているが、本線とは名ばかりの超ローカル線である。なんでこんなことになっちゃったんだろう。
そんな貴重な列車だが、東萩からの乗客は観光客が数人と、地元客が数人だけ。空きボックスも目立つ。
列車本数が減った理由は、結局利用客が減ったからということに尽きるのだろうが。

利用者が減ったから列車本数を減らす→本数が減って不便になりさらに利用者が減る、の典型のようだった。
鉄道で萩に行きたい観光客がいても、これでは利用のしようがない。

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 日の当たる山側の席は空きボックスが目立つ。

東萩を発車してしばらくすると、さっき行った萩反射炉が一瞬見える。
車内から見るだけで良かったかな、とも思うが、今度萩に来るのはいつかわからないし行っておいてよかったということにしておいた。

しばらく山の中を通っていたが、海際に出る。
昨日とは違って、青空が広がって海面も静か。窓に張り付くようにして日本海を眺める。

停車駅ごとに地元客が1人、2人と降りて、車内はますます閑散としてきた。

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 オーシャンビューその1、長門大井〜奈古間。萩大島が見える。

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 オーシャンビューその2、宇田郷〜須佐間。

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 オーシャンビューその3、宇田郷〜須佐間。入り組んだ須佐湾。

須佐、江崎と地元の人が乗ってきて、車内はだんだん賑やかになる。
益田に向かう列車は、この列車を逃すと次は5時間以上あとになるのだから、この人たちにとっては貴重な列車だ。

車内はおかあさんたちの世間話や、おとうさんたちの経済談義などで賑やか。

ローカル線の旅は楽しいね(^^)

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 飯浦駅。ここから島根県になる。

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 オーシャンビューその4、飯浦〜戸田小浜間。

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 益田に近づくにつれ、車内は賑やかになって来た。

車内はいかにもローカル線の午前中の上り列車の雰囲気で益田に着いた。

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 益田駅に到着。

益田では乗り継ぎ時間が1時間ある。
一旦改札を出て待合室へ。

益田は島根県西部の都市で、人口は4.7万人。
益田駅は新山口からの山口線が合流する。
特急『スーパーおき』や『スーパーまつかぜ』も発着して、今まで超ローカル線だった山陰本線もここからは本線らしい面目になる。

待合室は10:31発の米子行スーパーおき2号の乗客で賑やかだ。
座り心地の良いベンチが並んで、売店もあって、いかにも昔ながらの駅といったところ。

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 都会では見なくなった有人の改札口。

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 益田駅の待合室。

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 2階建ての、いかにも国鉄といった感じの駅舎。

駅の外に出てしばらく歩いてみたが、これといったものもなく、また駅に戻る。

1番ホームはスーパーおき2号の乗客が長蛇の列。スーツ姿のビジネス客が多い。
みんなどこまで行くんだろう。県庁の松江までか。

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 米子行特急スーパーおき2号が到着。特急は人気。

たった2両の特急は結構な乗車率で発車していった。
また静かな駅になる。


◆ 益田 10:54【348D】11:40 浜田

こんどの列車は益田発浜田行の普通列車。特急とは反対にこちらはホームも車内もひっそりしている。

車両は変わって。ステンレス車体のキハ126の2両編成。
2000年から新車で導入された車両である。

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 益田からのキハ126系気動車。

どうも、ローカル線の新車というものにはあまり期待していない、というかガッカリさせられることが多い。
というのは、最近の車両はロングシート主体で、クロスシートも申し訳程度にしか設けられない残念な車両が多いからだ。

ところが、車内に入るとびっくり。オールクロスシートではないか。
車端部の優先座席だけロングシートになっているが、あとは4人掛けのボックス席。

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 キハ126のクロスシートが並ぶ車内。

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 車端部は優先座席のロングシート。

これは世が世ならば急行用車両としても通用する。
通路幅が広く取られてつり革が並ぶところが一般形ということなのだろう。

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 シートピッチも余裕がある。

ボックスシートに座ると、シートピッチも十分な広さがある。向き合って座っても余裕がありそうだ。
JR西日本さんも随分と粋な車両を作ったものだ。どこかのJR(西日本以外全部)にも見習ってほしい。

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 キハ126の運転台。

車内は悲しいほどにガラ空きのまま発車した。2両合わせて数人というほどの乗車率。

この車両、車内や座席はいいのだが、窓が汚いのは残念。せっかく景色が良いのに、カメラを向けても色あせてしまう。
拭けばきれいになるのだろうが、窓が開かないのではどうしようもない。

ワンマン列車なので後部の運転台は無人になっている。
しばらく立って後ろに流れる後面展望を眺めることにした。さすがに運転台のフロントガラスはきれいだ。

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 後部展望その1、益田〜石見津田間。

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 後面展望その2、鎌手〜岡見間。なかなかスリリングに見える。

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 後面展望その3、折居〜周布間。

トンネルに入って、海を見て、山中に入っての繰り返し。やはり海沿いの区間は素晴らしい。
もう少しゆっくり走ってほしいところだが、特急スーパーおき、スーパーまつかぜが高速化された区間。普通列車ながらも容赦なく突っ走る。

各駅停車ながら、快速アクアライナーと大して変わらない46分で浜田に着いた。

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 浜田に到着。

浜田では迷うところがあって、着いたホームの向かいに1両の列車が停まっている。
この列車は三江線の浜原まで行く列車である。車内は空いているボックスシートもあった。
三江線と言えば、来年(2018年)の3月末で廃止が決定している。

これに乗れば、全線は乗れないが途中の因原までなら往復してこられる。江津から特急に乗れば出雲市着は16:12となる。
江津から因原までの往復と特急料金は別にかかるが。

でも、雲州平田に着くころには暗くなってるな。できれば明るいうちに宿に着きたい。

ここは涙を呑んであきらめることにした。
階段を登って改札口を出る。

〜6へつづく

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記4

◆ 2日目 萩を歩く

JRの駅は東萩が代表駅だが、ここは山口県萩市である。
いまは人口約4.7万人の日本海に面した地方都市だが、江戸時代は毛利氏が治める長州藩の城下町だった。

待合室の奥に観光案内所があって、開いてはいるが中には誰もいない。
地図の載ったパンフレットだけ取って来た。これを見ながら町をあるいてこよう。

当初の旅行計画では萩は素通りするつもりでいた。
博多から出雲市までは、新幹線と特急『スーパーおき』を乗り継げば、半日で着くのである。

それが萩に泊まることになったのは、飛行機が希望日の便が取れなかったことによる。
しかしそのおかげでこうして萩の町に寄ることができたのだった。

旅行の出発前に萩の歴史などを調べていた。
そうしたら歴史の教科書に出てきた伊藤博文、木戸孝允、山形有朋、高杉晋作など明治維新や新政府のメンバーの多くが長州藩のお城が置かれていた萩出身なのだった。
それに気づいたら、何だかすごい所に行く気がしていた。


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 松陰神社は幕末の思想家だった吉田松陰を祀った神社。

まずは松陰神社へ向かう。
ここは幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰を祀った神社である。

日本の幕末から明治維新にかけて活躍した長州出身の人物に大きな影響を与えたのが吉田松陰であった。
駅から松陰神社までは歩いて行ける距離。沿道はドラッグストアやコンビニが目立つ。
15分ほどで着いた。広場の駐車場には観光バスが何台か停まっていた。

境内は修学旅行だろうか、小学生が大勢ぞろぞろと歩いている。
彼らが通り過ぎると静かになった。

吉田松陰歴史館もあったが今回は時間が無いのでパス。

また次回(^^)ノ~~

松下村塾だけはしっかり見ておくことにした。

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 国指定史跡の松下村塾(しょうかそんじゅく)。

この松下村塾で、高杉晋作や初代総理大臣の伊藤博文など多くの倒幕・明治維新にかけて活躍した人材が学んだ。
その師が吉田松陰なのである。
しかし、松陰がここで教育したのはわずか1年間だけ。

”この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕に挺身し明治維新の原動力になった。“とは看板より。

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 粗末な小屋だが、ここから明治新政府の要人が育った。

吉田松陰とは名前は知っていたが、どのような人物かまではこれまでよく知らなかった。
ネットでいろいろ調べてみたのだが、満29歳で亡くなるまで波乱というかクレイジーな生涯を送った人物だったようだ。

松陰の思想や言葉はググればいくらでも出てくる。そのどれもが現代に通用する、いやこの先どうなるかもうだれも予想がつかない現代にこそ必要なことかもしれない。

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諸君、狂いたまえ。by吉田松陰

松陰神社を後にして、今度は町のほうへ歩く。

別にどうということは無い普通の街並み。
だけど、歩いているとそんな中にも一瞬現れるんだよね。これはっていう被写体が。だから町なかは歩くのが一番好き。

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 水路と日本家屋。歩いていればこそ見つかる風景。

パンフレットの地図に『井上勝旧宅跡』というのがあったので寄ってみる。
井上勝は明治維新以来、日本の鉄道発展につくした人物。
鉄道好きとして寄ってみました。奥は普通の民家のようだったが。

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 鉄道の父、井上勝旧宅跡。

松陰神社から松本大橋を渡ってまっすぐ行った突き当りにあるのが唐樋札場跡。
江戸時代はお触書などが掲げられた場所。いまは萩市民憲章が掲げてあった。

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 唐樋札場跡。

この札場の向いにある荒川蒲鉾店に寄る。

旅行前に萩の名物というか、B級グルメ的なものを探していたら魚ロッケ(ギョロッケ)なるものに出会った。
萩市内の魚ロッケといえばこの店が有名らしい。

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 ショーケースに蒲鉾が並ぶ荒川蒲鉾店。

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 荒川商店の『魚(ギョ)ロッケ』は1個65円。

ショーケースに並んでいた魚ロッケ2個と、ごぼう巻きを買う。
歩きながら食べるのも何なので、包んでもらった。旅館で酒の肴にするとしよう。
あとでスーパーの練り物コーナーにも並んでいたので、この辺りではメジャーな食品なのだろう。

ここからはアーケード街になる。
シャッター街というほどではないが、人影は無くひっそりとしている。
この辺が萩市の中心部ということになるのだろうが、これといったものは見つからなかった。

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 『ジョイフルたまち』というアーケード商店街。

アーケードが終わったあたりから、萩城城下町ということになる。
長州藩時代からの旧家や武家屋敷が立ち並ぶ一角。

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 旧商家が並ぶ萩城城下町の旧町人地あたり。

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 呉服商・酒造業を営んでいた旧久保田家住宅の玄関。

このあたりも人通りは無い。平日だからこんなものなのか。
しかしそのおかげでとても静かで落ち着いている。

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 木戸孝允旧宅などがある旧江戸屋横丁。

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 日本の道百選の1つになっている菊屋横丁。

たまに観光タクシーが通りかかって、無粋だなあと思うが、これは私の足腰が丈夫だからで、あと40年もしたらああいうタクシーの世話になっているかもしれない。
・・ヨレヨレのじじいになってもまだ旅行してるんかい(^^;)

つぎは萩博物館へ行く。

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 萩博物館は武家屋敷風の建物。

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 入場無料の別棟にあった『昭和のくらし展』で再現された茶の間。

券売機で入場券を買って受付に見せる。
中に入ってから、バックパックを背負ったままなのに気付いた。戻って受付のおばちゃんに荷物を預かってくれないかというと、入口横のロッカーに入れてくださいと言われた。100円玉は出すときに戻ってくるとのこと。

おばちゃん曰く
「軽そうだから声をかけなかったんですが」

・・・いや結構重たいのよ、これ。

ひと回りしてきて、中にあったレストランに入った。客は私一人。
外に看板が出ていた夏みかんソフトを食べた。
ずっと歩き続けだったので、ここで小休止。

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 萩博物館のレストランで食べた夏みかんソフトクリーム。

さて、時刻は15:20.
ここからさらに歩いて、旧武家屋敷の並ぶ堀内地区重要伝統的建造物群保存地区を通って、萩城跡がある指月公園まで行ってみることにした。
堀内地区の街並みは、白い土壁の塀がずっと続く、町人地とは違った道だった。

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 旧上級武家地の道は白い土壁の塀が続く。

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 クランク状の石垣に囲まれた萩城への道。

萩城があった場所は指月公園となっている。萩城は明治7年に廃城令により解体され、いまは堀と土台の石垣が残るだけとなっている。
入口には料金所があって、中に入るには入場料がいるようだった。

もう4時近かったし、途中で買い物をして明るいうちには旅館に着きたい。
写真だけ撮って、引き返すことにした。

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 慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた萩城。いまは土台の石垣が残るのみ。

さっき来た道をまた歩く。
同じ道をただ引き返すとは芸がないが、2回通っても良い道だった。

さっき歩いた城下町地区では、下校の小学生が歩いていた。
ここは観光地というだけでなく、地元の人々が暮らす町なんだな。
そう思うと、萩の町も人も懐が深い所に思えてくる。

有名になったはいいが、観光客相手のお土産屋やカフェばかりになって、反面地元の人が寄り付かなくなったような観光地よりここはずっと良い。

途中でスーパーに寄る。
ここで、今晩の酒と肴を仕入れる。今日の宿は素泊まりだ。

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 旅館近くの水路。

今日の宿は、じゃらんでネット予約してある。
昨日の宿はビジネスホテルだったが、今日と明日の宿は旅館にした。

私はプライベートでも出張でも自分1人で泊まるときは断然和室派である。
和室は立っても座っても寝っ転がっても自由に過ごせるからね。
風呂トイレ共同なのも全然気にならないし。

それにビジネスホテルはあまり好きではない。
狭い部屋にベッドが占領して、寝てるか狭いテーブルの向こうにある鏡の自分と差し向いに過ごすしかないではないか。
たっぷりと部屋に余裕のあるシティホテルクラスならば満足だが、少ない予算でそんなところに泊まれるわけはなし。

で、駅から近くて安い旅館ということで探していたら良い宿が見つかった。1泊4,500円、ちょうど千円分のクーポンがあったので3,500円となった。オンラインでクレジット決済済みである。

いやあ、便利な世の中になったね。
反面、町なかの旅行代理店など、あと10年もしたらほとんど無くなっているかもしれないね (^^;)

というわけで旅館の前までやってきた。

うおおお、古い。
ゾクゾクしてくるほど年季がはいった佇まい。

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 旅館芳和荘。建物は遊郭だったもので建築は大正初期。萩市景観重要建造物にも指定されている名建築。

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 古い佇まいの玄関。

本当にやっているのか?と思いたくなる玄関だが、おそるおそる戸を開けて中に入る。
誰もいない。

靴を脱いで上がったところに帳場があって、インターホンがあったので押してみる。
その隣には板と棒があって、これを鳴らしてくださいみたいなことが書いてある。どうしたらいいんだ、こりゃ。
板をカンカンとたたいて見たら、奥から『芳和荘』と書いた羽織姿の番頭さん?ご主人らしい人が現れた。

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 玄関から。セットじゃないよ本物だよ。

宿帳を書くと、羽織の主人が部屋まで案内してくれた。
部屋は2階になる。階段を登ると中庭があって、ぐるりと囲むように回廊がある。

その回廊に面した1つの部屋に案内してくれた。
部屋は畳の和室6畳。窓も手すりも木製。くすんだ色彩に100年の歴史を感じる。
床の間に置かれたテレビと窓の上のエアコンがむしろ異彩を放つ。

いいねえ、いいねえ(・∀・)

ここで歴史を感じながら1杯やるか。

主人「お風呂は何時に入りますか?」と聞かれ、
じゃあすぐに入るかなと答えた。

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 大正、昭和そして平成と百年間変わらない部屋。

主人が去ってからカメラを持って部屋を飛び出す。
もう軽く興奮していた。
いや〜、国内旅行でこんなにテンション上がるのはいつ以来だろう。

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 中庭と回廊。

中庭をぐるりと囲んだ木の廊下に木の手すり。手すりには文字が彫られた板がはめ込まれている。
床も、手すりも柱も綺麗に磨き上げられて、古さはあるが煤けた感じは全くない。

この建物は大正時代初期に遊郭として建てられた、当時としては大型の木造建築物である。
遊郭は、戦後のある時期までは全国各地に存在したが、現存する建物は今ではほとんどないそうである。
しかも、当時の姿のまま残っているのは全国でもここだけ。

歴史的な建物を保存して、観光化しているところは全国にいくらでもあるが、ここは現役の旅館。
しかも私のような貧乏人が泊まれる安宿 (^^;)

廊下から中庭を見下ろしていると、昭和も戦前、いや大正時代にいるような気分になってくる。
いや、伊藤博文や木戸孝允が向こうから姿を現しても違和感がない気がする。
なんだか軽いめまいがしてきた。

文章ではこれ以上言い表せないので、興味ある方は泊まってみては。

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 狭いけど趣のある風呂。『武者風呂』と呼ばれているそうだ。

風呂もずいぶんと手の込んだ造りになっていた。
安宿にしとくにはもったいない。

すっかり温まって風呂場から出ると主人が出てきて、お風呂の間にお布団を敷いておきましたからとのこと。
上げ膳据え膳だねえ。

さてと、部屋のテーブルにスーパーで買ってきた酒と惣菜を並べて宴会するか。

 〜本日の献立〜
魚ロッケとゴボウ巻き(荒川蒲鉾店製)
萩市沖産 ヤズ刺身
鯨カツ

 〜お飲み物〜
エビスビール1缶
長門峡 上撰 4合瓶


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 スーパーで買ってきた酒と惣菜。

エビスビールから。さんざん歩いてきて一風呂浴びてきたからビールうまい。
まずは魚ロッケから。魚のすり身にパン粉をつけて揚げたもの。コロッケならぬギョロッケ。
軽く塩味があるので、酒の肴ならばこのままいける。おかずにするならソースか醤油をかけたい。

ヤズは珍しい魚かなと思って買った。30%引きだったし。
どういう魚かと調べたらブリの出世魚名だった。

今回のスーパー惣菜で一番のヒットは鯨カツ。札幌あたりでは目にすることがないので買ってみた。
鯨の刺身は何回か食べたことがあるが、正直あまりうまいとは思ってなかった。
肉は叩いて薄くしてあるようだが、これが柔らかいし、感覚としては魚っぽい牛肉(?)というところ。
これがめちゃ旨かった。ビールより日本酒に合うな。

と思って日本酒も買っておきました。
部屋にあった湯飲み茶わんで飲む。

日本酒は、ぐい吞みでもグラスでもなく湯飲みで飲むのがツウの飲み方なのである(嘘)。

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 萩の地酒『長門峡』を友に。

買ってきた惣菜は多かったかなと思ったが、全部食べてしまった。
あとは古き良き時代に思いを馳せながらチビチビやってようか。

あー、くたびれたーと布団にちょっと横になる。

ZZZ・・・

目が覚めたら10時過ぎ。
電気つけっぱなしで寝ていた。最近寝オチが多いよヾ (^^;)

あーおしっこしたい。

外に出ると中庭はライトアップされて、これが昼間とは違う幻想的な光景だった。
トイレから部屋に戻って、カメラを持ってまた廊下に出る。

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 回廊と中庭の夜景。今自分はいつの時代にいるのだろう。

夜景を撮るのはお手の物だ。持っているカメラはニコンのコンデジ。レンズの口径比は広角側で1:1.8。手持ちでもバシッと決まる。
でももう売ってないんだよね、このカメラ。

廊下でカメラをもってウロウロしてると、羽織の主人が階段を登ってきた。

やべっΣ( ̄▽ ̄)、見つかった?
でも何も悪いことしてないよ。

主人「いい写真を撮れましたか」

「ここ、昔は遊郭だったんですってね」
から始まって、ご主人との話が止まらなくなった。

「古いままだから、あまり女性向ではないですかね」
と言うと、意外や意外、女性のファンが多いという。

この建物のこと、萩のこと、札幌のこと、話は明治維新の志士のことまでに及んだ。

私も寝起きとはいえ酒がまだ残っていたので結構饒舌だった。
なんだかんだ知ったかぶったつもりで、倒幕から明治維新の話をしたような気がする。

「松下村塾から始まって萩から明治新政府の要人がたくさんいたのに、萩の町はどうして小さな町のままになってしまったんですか?」

今にして思えば愚問だったかも知れないが、ご主人はたぶんご自分の言葉で答えてくれた。

「うーん、あの頃の人たちは、新しい日本を作る信念があったので、萩だけを発展させるということは頭になかったのでしょうね」

小1時間くらいずっと廊下で立ち話していた。
まだ半分酔っぱらっている自分の話を、物静かに受け答えするご主人はとても優しかった。

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 すべてが本物。

築100年にもなる古い建物を維持するのは大変なことだろうと思う。お金だってかかるだろうし。
ただ1泊の客である私にとやかく言う権利はないが、いつまでも今の形で残っていれば良い。
そして、また萩を訪れることがあればこの宿に泊まりたい。

今日1日を振り返ると、萩に来て本当に良かったと思った。

吉田松陰、萩城下町、そしてこの芳和荘

もしかしたら
「素通りは無いだろ、ちょっと寄ってけよ」
と、萩の町に呼ばれたのかもしれない。

飲みかけだったお酒をまた飲んだ。4合瓶が1本空いたところで、こんどは電気を消してちゃんと寝ることにした。


ところで松下村塾のことを私めはまつしたそんじゅくとずっと言っていました。
 ( ̄∇ ̄;)
それに気が付いたのは札幌に戻ってからだったorz


2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記3

◆2日目 博多〜小倉〜門司港〜下関〜長門市〜東萩

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 博多〜東萩間のルート。(地理院地図より作成)

旅先の朝は早い。今日は6時前に起きた。

7:28発の快速に乗る予定なので、7時過ぎにはホテルを出たい。
8時半過ぎの列車でも山陰本線の列車には乗り継げるのだが、門司港へ寄ってみたいので1時間以上も早く出るのだった。

昨日、博多駅のスーパーで買っておいたパンといなりを朝食にする。

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 朝食の九州風味いなりとロングホイップ。

ホテルをチェックアウトして博多駅へ。

改札口に着いたのは7:16だった。
改札口上の発車案内を見ると、小倉行快速は7:18発とあった。時間を間違えた?

あとで時刻表を見たら乗る予定にしていた7:28発の快速は『土曜・休日運転』とあった。

最初からこれで大丈夫なのかオイ ヾ(--;)

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 成田空港までの長旅は博多駅北改札口からスタート。

気付いたときに走れば間に合ったかも。

まあいい、7:31発の特急にちりんシーガイア7号があるので、それで小倉まで行く。
改札口横にあったみどりの窓口で小倉までの特急券を買った。510円。
余計な出費になったが、小倉には予定より早く着くので門司港での滞在時間が増える。

時は金なり。


◆ 博多 7:31【にちりんシーガイア7号】8:31 小倉

ホームに行くと、特急の乗車口はどこも長蛇の列ができている。この列車の小倉着は8:31、時間からして通勤特急といったところ。並ぶ人もいかにも通勤という人ばかりだった。

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 にちりんシーガイアの自由席は長蛇の列。

列の最後につく。小倉までは1時間。立ちっぱなしも覚悟したが、窓側の席に座れた。
発車間際に続々と乗ってきた。
吉塚、香椎と停まるごとに大勢乗ってきて満席になった。デッキには立つ人も見える。

赤間を発車したあたりで車掌が車内改札に来た。
特急の定期券を持っている人がほとんどで、隣の人も定期券を見せていた。

停車駅の多い特急なので、案の定特急券を持たずに乗っている人が多い。
その度に車掌さんは行先を聞いて端末を操作して特急券を売る。次の駅が迫っているので車掌さんもやきもきだろうな。

折尾で降りる人が多いが、乗ってくる人も多い。隣の人も入れ替わった。
次の黒崎も降りる人が多い。小倉まで乗り通す人は意外と少数派だった。
考えたらこの区間は新幹線なら僅か16分。こちらは1時間かかる。博多から小倉までなら断然新幹線だろう。

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 小倉に到着。


◆ 小倉 8:36【1150M】8:52 門司港

小倉では門司港行普通列車に乗り換える。
こちらはラッシュも終わったのか、乗客は数えるほどしかいなかった。

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 門司港行はがら空きだった。

門司から門司港までは、時刻表の路線図で見ると支線のように見えるが、こちらがれっきとした鹿児島本線である。

門司で分かれる関門トンネルが開通したのは1942(昭和17)年。それまでは関門連絡船が本州側の下関と九州側の門司を結んでいた。門司とは今の門司港駅のことである。トンネル開通とともに今の駅名に改められ、それまで大里駅であった駅が九州側の新たな玄関口として門司と改められた。

このように由緒ある路線なのだが、車内も車外もなんだか錆びついてしまったような印象を持った。
北海道ならば室蘭に似ているなとも思った。

小倉から16分で終点門司港に着く。車内の乗客は私一人になっていた。

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 門司港に到着。


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 門司港駅の頭端式ホームと0哩標。

門司港駅は終着駅らしく頭端式のホーム。
ルネッサンス風の木造駅舎は1914年(大正3年)に現在の駅舎に建て替えられたときのまま使われている。

私の持っている乗車券では門司〜門司港間が区間外乗車になるので、改札口で210円を払って出る。

駅の外に出ると、木造駅舎は工事のために完全に覆われていた。
駅舎は2019年まで保存修理工事中なんだとか。

残念(´・ω・`)

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 門司港駅の木造駅舎は残念ながら工事中。

2019年完成したら、大正時代の姿が復元されるそうだ。
また次回ね。

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 旧駅の面影を残す駅入口。

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 関門連絡船通路跡。

駅舎は見ることができなかったが、駅前は古いビルが健在で、大正ロマンを感じるような街並みになっている。
駅から歩いて一回りしてきた。

通りは人も車も少なくて静か。
ここは九州の玄関口としてすべての拠点だったところ。
戦時中に関門トンネルが開通してから拠点は小倉へ、博多へと行ってしまい、すっかり錆びついてしまったかのようだ。
そのおかげで、今になって門司港レトロという観光地となった。

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 レトロな建物が並ぶ門司港駅前。

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 大正ロマンを醸し出す街角。

昭和戦前から時が止まったような一角が現れて立ち止まると、ふと昔の白黒映画の中を歩いているような気持になった。

人を見ないのになぜか人懐っこい。門司港はそんな不思議な空間だった。
門司港は次回来ることがあればもっとじっくりと歩きたいと思った。

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 関門海峡と関門橋。

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 バナナマンの人形。門司はバナナの叩き売り発祥の地なんだとか。

30分ほどでひと回りして駅に戻って来た。
駅近くには九州鉄道記念館や門司港レトロ観光列車の乗り場があるのだが、今回は時間が無くて行けなかった。
次回来た時に。


◆ 門司港 9:40【2335M】9:47 門司港

こんどは門司まで戻り、そこから下関まで行く。
久留米行4両編成の列車はオールロングシート。この車内はすいていた。
バックパックを背負ったまま腰掛け、わずか2駅。

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 門司港から出発する。



◆ 門司 9:53【5144M】10:00 下関

門司で乗り換える。ここから下関までの1駅は山陽本線になる。

ホームに入って来た下関行の電車は、なんと国鉄形の415系電車。九州電化の際から走っている交直両用電車である。
北海道の711系電車ですら既に廃車になっているのに、こんなところで国鉄形電車に出会うとは思わなかった。

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 門司からは415系電車で関門トンネルをくぐる。

乗るのは1駅7分間だけだが、ボックス席が空いていたのでそこに座る。
走りだすと音といい振動といい、うーん国鉄形。あまりにも堂々とした走りっぷりに感動してしまった。

考えたら九州は交流電化、関門トンネルと本州側は直流電化で、その交直セクションが門司駅の手前にあるためにこの区間は交直両用電車である必要がある。
高価な交直両用電車などあまり新製したがらないのだろう。

同じように駅間にセクションのある羽越本線村上〜酒田間では電化区間だが普通列車はすべて気動車である。
この次来るときは関門トンネルの列車は気動車に置き換わっていたりして。

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 下関に到着。

下関からは山陰本線になる。
向かいのホームには岩国行の2両編成が停まっていて、この電車から乗り換える人が多かった。
妙に鮮やかな黄色一色。この黄色い電車は115系でこれも国鉄形だ。

黄色い岩国行2両編成に立ち客を乗せて発車していった。ずいぶんとケチくさい電車を走らせること。

下関の乗り換え時間は35分、外に出ようと思ったが、大したものもなさそうなのでホームで待つことにした。
地下道のところにセブンイレブンがあったので何か買っておこうと入る。
『とらふくひれ酒』というのがあって下関らしいので1つ買った。515円。

山陰本線のホームは9番。まだ30分も前なので、ホームには3人くらいしかいない。
ホームでぼんやりと列車が来るのを待つ。

昔、ブルートレインのさくら号に乗って長崎へ行ったときに、下関で機関車交換の停車中にホームの売店で駅弁を買ったっけなあ。そのホームの売店は今は無く、駅弁すら無くなってしまった。

ホームは少しずつ人が集まって来た。ホームの乗車口のところに立っていると、自分の後ろに何人かの列ができた。



◆ 下関 10:35【828D】12:31 長門市

10:25に仙崎行の列車が入って来た。

1両だけって(-_-;)

車両はキハ40のワンマン列車。昔ながらのボックスシートだった。
それでも車両はリニューアルされていて、冷房が付けられたほか、窓のサッシが新しくなっていて、上段は開くが下段が固定窓になっている。

しかしこの車両、一番新しいものでも製造から軽く30年以上も経っている。
JR北海道ですら、そろそろ取り換えの話が出てきている。

JR西日本はまだまだ使うつもりなのかね(^^;)

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 下関からの仙崎行828Dはキハ40単行だった。

車内はすべてのボックスと車端のロングシートに何人かというほどの乗車率。
次の幡生で結構乗って来た。ジャージ姿の中学生が多い。

幡生からは山陰本線になる。単線でローカル線といった雰囲気。『本線』と言っても、幡生から益田までの区間約160kmは普通列車しか走らず、実質ローカル線でしかない。

2003年に今回と全く同じルートで博多から東京まで移動したことがあって、その当時は小倉から米子まで特急『いそかぜ』に乗ったのだが、その特急もいつの間にか無くなっている。

停まる駅ごとにジャージ姿の中学生(それも男子ばかり)が乗り込んでくる。部活動なのかわからないが、車内は賑やかになってきた。
彼らは相席を嫌って、通路に立ったままボックス席には座ろうとしない。ひじ掛けに腰掛けたりするくらいなら座ればいいのに。それにしてもうるさいこと。

そんな彼らも吉見で全員降りた。車内は静かになる。
ここから先は降りる人ばかりで、車内はだんだん寂しくなっていった。

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 駅ごとに乗客が減って行く。小串駅。

小串を過ぎたあたりから海岸沿いを走るようになる。
昨日までの台風の影響か波が高い。空も雲が覆っていて、冬のような風景だ。

それでも手付かずの自然の海岸は美しい。
山陰本線はずいぶんと良い所に線路を敷いたものだ。

それに海の見え方が良い。

山の中を走っていて、突然オーシャンビューが開けるのが憎い演出だねえ。

日本海はオーシャン(大洋)ではないけどね(^^)

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 オーシャンビューその1 小串〜湯玉間。

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 オーシャンビューその2 阿川〜長門粟野間。曇り空なので色彩はいまいち。

手付かずの海岸線が多いということはそれだけ人口が少なく過疎ということで、鉄道の経営的には厳しいところなのだが。
これだけの景色がありながら特急列車も無く、観光列車も走らせず、遅くて不便な普通列車ばかりというのは勿体ないなあ。

TWILIGHT EXPRESS 瑞風(トワイライトエクスプレスみずかぜ)はこの路線を走るが、普通の人が乗れねーじゃん。

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 1両なのでこれが全ての乗客。

混んでる列車には乗りたくないが、あんまり空いているのもちょっと寂しい。
空きボックスばかりが目立つ1両だけの列車は長門市に着いた。
この列車は仙崎行で、長門市から1駅だけの支線に乗り入れる。仙崎まで往復してきても良かったのだが、何となく長門市で降りてしまった。

長門市からは東萩行の臨時列車があるので、それに乗り換える。

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 長門市に到着。

改札口で乗車券を見せると、駅員は券面の経由地を指でなぞって確認した。

駅員「すごい切符ですね」
私「ええ、サンライズ出雲に乗ってみたくて」

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 長門市駅の駅舎。

長門市駅からは美祢線と仙崎支線が分岐する。
ジャンクションとなるので、それなりに大きな駅かと思っていたが、意外と小じんまりした駅で、待合室にはベンチがいくつかと売店があるだけ。
駅前も何も無いところだった。

今日はたまたま臨時列車がある日だったが、そうでなければこの駅で2時間も過ごすことになっていた。

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 長門市駅の待合室。


◆ 長門市 12:57【8594D】13:34 東萩

腹が減って来たので、売店でお茶と『バナナン』というお菓子を買って改札を通る。
12:57発の列車は改札口上の発車案内では益田行と表示されていた。

今度の列車はキハ47のワンマン2両編成。
列車の行先表示は、ここも益田と表示されている。東萩行じゃなかったのかこれは。

もしかして東萩から先は時刻表に載っていない臨時列車か。

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 益田行き臨時列車8594Dはキハ47の2両編成。

長門市と益田の間は、山陰本線の中で一番の閑散区間である。

長門市から東萩まで行くのに、1日に普通列車が8本しか運転されていない。
しかも長門市発の上り列車は9:10発の次が14:34である。

北海道のローカル線もびっくりの閑散ダイヤ。

当初乗り継ぎの計画を立てていた時は長門市で2時間もどうしていようかと思っていたのだが、新しい時刻表を見たらちょうど旅行日の日にだけこの臨時列車が運転されていた。

2017年10月の運転日は、10/10〜15・21・23〜26となっている。平日だったり休日だったり、どういう人を対象にしているかよくわからない列車だ。

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 車内はこのとおり。

2両編成の車内は悲しいほどにガラ空き(ノ_・、)

1両目は数人乗っているが、2両目は私一人だけ。まるで貸し切り列車だね。

折角だからビールでも飲みながら駅弁を食べたいところだが、そんなものは売っていないし。
山陰本線は、この先出雲市まで駅弁を売っている駅は無い。

売店で買ってきたバナナンはバナナの香りがする饅頭だった。
初めて見たので買ってみた。このあたりで作っているのかと裏をみたら、住所は大阪府門真市とあった。

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 長門市駅の売店で買ったお茶とバナナン。

さっき下関駅で買った、とらふくのひれ酒を飲んじゃおうかなとも思ったが、さすがに平日の昼間だし、それに萩では歩いてあちこち回るのでやめておく。

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 オーシャンビューその3 飯井〜三見間。青空が出てきた。

長門市からの車窓は、またまたオーシャンビュー。
1両貸切列車からの風景なのである。

ある意味トワイライトエクスプレス瑞風よりも贅沢かもしれない。

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 オーシャンビューその4 玉江〜萩間。

東萩の1つ手前の萩駅は立派な木造駅舎。
駅舎が登録有形文化財に指定され、中は鉄道の父・井上勝記念室となっているので鉄道旅行ならば立ち寄りたいところだが、今回は時間が無いのでパス。次回は必ず・・・

次回ばっかりだな(^^;)

東萩に到着。萩市の代表駅はこちらの東萩になる。
東萩駅のホームにはそこそこ乗客が立っていて、私と入れ替わりに乗り込んで行った。

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 東萩に到着。

改札口で乗車券を見せる。今度はなにも言われなかったが、駅員に頼んで下車印を押してもらった。

さて、東萩から先は時刻表に無い臨時列車のはずなのだが、と思って待合室にあった時刻表を見ると13:54発益田行とあった。
この列車は東萩が終点とばかり思っていたが、東萩からは列車番号を1568Dと変えて、そのまま定期列車になるのだった。



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