石狩鉄道を探しに続編

前記事石狩鉄道を探しに の続編です。
過去に存在した札幌と石狩を結ぶ鉄道計画。その痕跡を探そうというものです。

前回は石狩市親船町の海岸林の中に眠る石狩鉄道の築堤を見に行ったが、今度は石狩駅予定地を探しに石狩本町地区まで行ってきた。
ここに起工式が行われた石狩駅予定地があったのだ。

北海道新聞1959(昭和34)年5月19日の記事から引用する。

“石狩鉄道やっと起工式”

“札幌と石狩を結ぶ鉄道建設の免許はとったものの資金難から着工が危ぶまれていた石狩鉄道の起工式が十八日石狩町浜町の同鉄道石狩駅設置予定地で行われた。”

石狩駅の予定地は石狩町浜町とある。
はて?浜町?・・・

浜町は本町の市街地を過ぎて人家が途切れるあたりから浜町となる。

計画では石狩駅の桑園起点のキロ数は22.520kmとなっていて、地理院の地図上に鉄道建設予定線上に線を引いて行くと、今の弁天歴史公園の裏、あるいは旧石狩展望台のあたりがその場所になった。
誤差はあるだろうが、当時の立地を考えればこの場所で納得がいく。

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 地理院地図上に石狩鉄道予定線を引いてみると。

この場所は、旧渡船場から浜へ向かう道と交差するところ。
当時は石狩河口橋も無く、対岸の八幡町との間は渡船で通っていた。
駅の場所としては申し分ないところ。

しかし、ここの住所は弁天町で、浜町はまだ300m以上も先。
駅舎はここに設けられることになっていたが、機回しや貨物のための引き込み線もこの先まで伸びるはずで、その終端が浜町にだったということになる。

一応終着駅の構内端まで駅構内ということになるが、ここが起点という意味で浜町で起工式を行ったんだろうか。

同記事には、

 “日本海に面した砂丘の石狩駅予定地で神式により行われ”

の一文もあり、日本海に面した砂丘となるとやはりここだなあ。
今は生い茂った林になっているが、起工式を行った当時は海を望む砂丘だったはずで、その後防風林の植林が進んで今のようになっている。

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 旧石狩展望台下の道路から日本海を望む。

石狩市WebGIS で見ると、ここから100mほど北の1区画が新町の飛び地となっていて、その1区画が整地されたような地形になっている。

もしかすると、新町と浜町を間違えた?
まさかね。

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 ここに石狩駅ができるはずだった? 弁天歴史公園から北東方向。

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 坂道を下って突き当りが旧渡船場となる。

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 老朽化のため立入禁止の石狩展望台。

石狩駅予定地については手掛かりになるようなものは見つからなかった。
浜町よりは弁天町のこのあたりの方が辻褄があうんだけどなあ・・・というのが結論。


もう一方、気になるのは札幌側の動き。
石狩と札幌を結ぶ鉄道なので、札幌市側でも当然用地買収や測量が行われていたはずで、それについては旧石狩町内の資料には何も書かれていない。

所詮は幻の鉄道。石狩町内だけの動きで終わってしまったのか。

と思っていたら、意外な所にその記録があった。
その資料は『新川郷土史編纂委員会発行新川郷土史』。

石狩鉄道による鉄道敷設計画の動きがあったとすれば、当然その記録がどこかに残っているわけで、この郷土史に同鉄道による用地取得劇が記載されていた。

石狩町内は海岸林や防風林用地をうまく利用して通り抜けてきたが、札幌市内に入るとそうはいかない。
石狩鉄道が立ち上がり、その役員が新川の地主のもとへに交渉にやってきたのは、まだ起工式も行われていない1958(昭和32)年のこと。

新川郷土誌によると、翌年には買収価格など具体的な交渉が始まったようだ。

この用地交渉も難航したようで、駅舎敷地を寄付とすることや営農に支障が出る北琴似駅手前のカーブ部分の用地取得は特に反対が多かったという。

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 石狩鉄道完成予想図。
(新川郷土史編纂委員会発行新川郷土史より引用)

昭和30年代前半の北区の新川や新琴似はまだ完全な農地だった。
市電の北端もまだ北24条だった頃、鉄道が開通して駅ができると聞いても、農家にとっては半信半疑だっただろう。
相手は国鉄ならばともかく、資金もロクにない地方鉄道。

郷土史には、その後用地取得に至ったかまでは書いていないが、その後石狩鉄道へ町有地の売却をめぐって町議会からの追及、株主から社有地の不正売却の追及を受けるなど、鉄道工事着工どころではなくなっていた模様。

石狩鉄道株式会社は1963(昭和38)年には社名を札幌臨港鉄道株式会社と改めて、東京の建設会社の手で石狩町側の工事を再開する。
その頼みの建設会社も不渡手形を出して工事からは手を引いてしまうのだった。

この頃は既に鉄道からバス・トラックへという時代になっていた。
石狩鉄道発足時は、札幌からの交通は冬季になるとバスが運行できず、花畔から雪上車や馬橇に乗り換えるような時代だった。
冬季の交通確保という意味でも、鉄道は切実な願いだっただろう。

しかし、あれから数年で道路事情が格段に向上することになる。石狩への国道231号線も舗装工事が進み、莫大な資金が必要な鉄道は必要とされなくなっていた。

もし開業していれば都市鉄道として・・・というのは後出しの結論で、当時は札沼線でもローカル線に過ぎなかったし、この11年後には定山渓鉄道も廃止になっているなど、地方鉄道は凋落の時代だった。

札幌臨港鉄道は同時期に本社を東京に移し、不動産会社として存続することとなった。
この当時の石狩鉄道にまつわる出来事を各資料から拾い出して時系列にまとめると以下のようになる。


昭和31年10月 石狩鉄道株式会社設立 資本金1000万円
昭和32年5月 運輸大臣より札幌北拾条〜石狩間地方鉄道の免許を取得
昭和32年6月 札幌市新川の地主に土地買収の話が来る
昭和33年3月 資本金4000万円に増資
昭和33年7月 新川〜石狩間で分割工事の施工認可
昭和33年9月 払い込み実態のない空株や役員個人名義の借入金を肩代わりなど杜撰な経営が明らかに
昭和34年5月 浜町の石狩駅設置予定地にて起工式を行う
昭和36年4月 資金難で建設目途つかず 工事施工認可期限を7月まで延期
昭和36年6月 高野建設(本社東京)と工事契約
昭和37年5月 株主総会で決算書の不正疑惑の追及
昭和38年4月 社名を石狩鉄道株式会社から札幌臨港鉄道株式会社へ改める
昭和38年5月 高野建設子会社の国土開発工業によって石狩起点側の土盛り工事開始
昭和38年7月 札幌臨港鉄道の本社を札幌から東京の国土開発工業内に移転


石狩鉄道設立から札幌臨港鉄道と名を変え不動産業へと転向するまでの7年余り、鉄道開通の夢は資金調達のための粉飾に奔走しただけで終わったようだ。

鉄道事業免許は新会社に引き継がれたが、社名に託した石狩湾新港の臨港線としての望みも絶たれ、1998年には最後まで残った新川〜石狩の鉄道事業免許も廃止されている。

新川郷土史にあった石狩鉄道完成予想図を基に地理院地図に改めて線を引きなおしてみた。
札幌市内はどのようなルートを取っていたのだろうか。

最初は西札幌駅をカーブして新川と並行する線を引いたが、今度は新琴似1番通りに並行する。
桑園起点のキロ程に当たる場所に点を落として駅の予想箇所とした。

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 石狩鉄道完成予想図より作成のルート図、北琴似〜南線
(地理院地図を加工して筆者作成)

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 石狩鉄道完成予想図より作成のルート図、西札幌〜北琴似
(地理院地図を加工して筆者作成)

最後に石狩鉄道の駅が設置されるはずだった場所の今を見てみよう。

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紅葉山駅予定地。
花川の住宅地を斜めに横切る防風林に沿って鉄道が通るはずだった。
ここは藤女子大学花川キャンパスが近い。あと石狩南高校が1kmほどの場所にあり、きっとこの駅は学生が多かっただろう。

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北琴似駅予定地付近。
場所はスーパーアークスの裏手に当たると思われる。
学校は札幌国際情報高校が近い。ここも学生が多く乗り降りしてたんだろう。

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周りは住宅地になったが、ここだけは牧場が残る。
石狩鉄道はここを斜めに通って、カーブを描いて新琴似一番通りに並行することになる。
今から60年以上前の用地交渉において一番難航したのもこのあたり。

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新川駅予定地。交差点が駅舎が建つはずの地点になる。
新川高校へは1.1km。ここも学生が多かっただろう。

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ロードサイト店舗がならぶ新川駅予定地付近の新琴似一番通り。
もし石狩鉄道新川駅ができていたら、この辺りは商店街として発展していたかもしれない。
麻生から花川へのバス路線となった四番通り(道道865号樽川篠路線)よりもこっちが栄えていた可能性もある。

昭和30年代初頭の当時と、発展した現在とそのまま対比してもしょうがないが、石狩鉄道の駅予定地を回ってみると、当時のルート選定はなかなか先見の明があったと見える。

90度のカーブで札沼線に寄り添ったところが西札幌駅の予定地だった。
今のJR新川駅の約300m札幌寄り。
ここから札沼線に並行して桑園駅へ向かうことになっていた。

桑園から札幌へは国鉄乗り入れを折衝していたほか、一時期は高架か地下鉄で都心乗り入れという大風呂敷な構想もあったようだ(昭和36年6月8日道新記事より)。

もし、石狩鉄道が実現していたら、現在のJR新川駅や八軒駅、また複線高架化もどのようになっていたのだろうと想像する。
国鉄末期までローカル線然だった札沼線に先んじて複線電化の鉄道となっていたかもしれない。

以上、夢幻に終わった石狩鉄道のまとめでした。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 21/05/03 | Comment(0) | 廃線跡を行く

2021年 桜が満開の札幌

今日は昭和の日。
ゴールデンウィークの入口。
薄曇りでパッとしない天気だが、カメラを持って外に出た。
近所の中島公園でお花見でもしてこようというわけだ。

曇りだけど気温は高い。外の方が暖かいと感じた。
春の陽気に誘われてなのか、中島公園はいつもより人が多い。
ま、しょうがないよね。自分もその中の1人だし。

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歩いて3分で中島公園の豊平館へ。
自慢じゃないけど、うちから徒歩3分で中島公園です。

豊平館前の桜も満開。
豊平館は時計台や道庁赤レンガ庁舎と並んで重要文化財の洋館だけど、知名度は今ひとつのようで観光客の姿を見ることは少ない。

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桜って和風建築よりも洋館のほうが似合う気がする。
鄙びた和風にはド派手すぎるんだろうね桜って。
桜の花は、近未来的な高層ビルを背景にしてもしっかりとマッチする不思議。

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シートを敷いてお花見の人たちも。
さすがにアルコールを飲んでいる人はいなかった。

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公園内の食堂のテラス席では美味しそうにビールを飲む人が。

満開の桜を見ていると、どこかに腰かけてコンビニで買ってきたワンカップでも飲みながら1人で花見をしたい気分になったが、だめなんだろうかね。
やっぱり公園での外飲みは1人でも自粛要請ですか?

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水路と桜。

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こういうしっとりとした一角があるのも中島公園ならでは。

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道立文学館からパークホテルへ向かって続く桜並木。

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菖蒲池の貸しボートは今年も営業中止のお知らせが・・・
6月の札幌まつりは今年も中止。
よさこいソーランも9月延期検討中。
東京オリンピックだけが7月開催に向けて動き出しているが、どうなるんだか。

せっかく歩いて来たので、都心の方に足を延ばしてみることにした。

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鴨々川の桜並木。奥が駅前通りの藻山橋となる。
すすきのの外れにある、あまり知る人も少ない落ち着いた場所。

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ラフィラのビルが姿を消したすすきの交差点。
ヨーク松坂屋→ロビンソン→ラフィラと名前は変わったが、ずっとこの角にあった建物なので、無くなってしまうと別の街の風景のようだ。

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東京以北最大の歓楽街すすきの、コロナ禍がまだまだ続くとなるとどうなってしまうのだろう。

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駅前通り、パルコの前を行く札幌市電222号。

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そういえば、札幌市電都心線開業からもう5年以上経つんだね。
10年前はここに市電が走るなんて思いもしなかった。

始まったばかりのゴールデンウィーク。
今日までは春の陽気に包まれた暖気だったが、天気予報によると明日からは気温が下がり、峠は雪が積もるかもということだった。

札幌の本当に春らしい日は、5月のライラックの時期まで待たねばならない。

posted by pupupukaya at 21/04/29 | Comment(0) | その他

石狩鉄道を探しに

石狩鉄道と聞くと、かつてどこかにあったような気がするような路線ですが、実際に鉄道として存在したことはなく、今回は未成線の話です。

石狩の今の本町地区は、古くから石狩川河口の河港として、また石狩川の水運の拠点として発展していた。
交通の拠点だった町も、道内の鉄道網が発達するとその役目を終えることになる。

そんな石狩に鉄道を誘致する運動は明治時代からあったようだ。
大正時代、昭和戦前と形を変えて何度も鉄道誘致運動が起こるが、どれも実ることはなかった。

鉄道敷設が事業として動き出すのは戦後になってからのことだった。

1953(昭和28)年に石狩港が地方港湾に指定されたのを契機に、当時の石狩町によって鉄道敷設の動きが始まる。
その年後の1956(昭和31)年には、石狩鉄道株式会社が設立される。
その発起人総代は、当時の石狩町長だった飯尾円什氏だった。

その翌年には石狩鉄道に対し、運輸大臣より札幌市北10条から石狩郡石狩町に至る間に地方鉄道を敷設して旅客と貨物の運輸営業の認可が下る。

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 札幌〜石狩間鉄道免許状。
 石狩湾新港史(財団法人北海道開発協会)からの引用。

これにより、悲願だった石狩への鉄道敷設が初めて具体化することになる。

同社による『札幌−石狩間鉄道計画書』によると、
旅客輸送は1日の運行回数を10往復で1日輸送人員1600人、貨物輸送はディーゼル機関車3両を配置し1日5往復というところまで計画されていた。
貨物の主な品は、当時は年々増産していた石狩炭田から産出される石炭で、これを石狩鉄道経由で石狩港に運び、船で各地に移出するという想定だった。

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 『電鉄予定線』が記された石狩港造成計画図
  石狩湾新港史(財団法人北海道開発協会)からの引用。

動き出した石狩鉄道だが、当初から資金難で工事開始すら危ぶまれる状況だった。

資本金4000万円に対して実際に払い込まれたのは石狩町民が出資し合った270万円と町が現物出資した土地を1500万円に評価して歳入した分だけというものだった。

資金不足で工事着工もできず、工事施工認可の期限切れが迫る中、1959(昭和34)年5月には、石狩町浜町の石狩鉄道石狩駅予定地で起工式が行われている。

その後も幾たびも工事の延期願いを運輸省に申請して免許は継続し、実際に工事着工となったのは着工式から2年後の1961(昭和36)年になってからだった。

一部工事にも着手したものの、その頃には資金面や運営のゴタゴタで行き詰っていたようだ。

鉄道開業の目途が立たなくなった石狩鉄道株式会社は、1963(昭和38)年に社名を札幌臨港鉄道株式会社と改められ、地方鉄道業免許は引き継がれたが、鉄道よりも不動産事業にシフトしてゆくことになる。


さて、計画された石狩鉄道だが一体どのようなルートで計画されていたのだろう。

実は石狩図書館へ行って色々探してみたが石狩鉄道に関しての資料は見つからなかった。

その代わりネット上で 未来鉄道データベース に札幌臨港鉄道(未成線)路線図として略図を見つけ、各駅のキロ程を参考に地理院地図上にルートと駅予定地を入れてみたのがこちら。

予定駅名とキロ程は同サイトからの引用、ルートは筆者の想定です。

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 桑園〜石狩のルートとキロ程1(地理院地図より筆者作成)

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 桑園〜石狩のルートとキロ程2(地理院地図より筆者作成)

 ※注、上のルート図は2021/5/2に差し替えました。

地理院地図の作図機能を使い、ルートと思しき線を引いてみた。
駅(St)の場所は、線引きで営業キロの該当する場所に点を落としたもの。

桑園からは学園都市線と並行し、現:新川駅付近から新琴似1番通と並行し、現在の新川高校付近から北上して花川南防風林に沿う。

道道石狩手稲線と交差してしばらく道道と並行し、花畔手前から防風林沿いに北上。
西浜手前で道道小樽石狩線に近づくルートだったようだ。

石狩本町の砂丘上を通って石狩駅予定地に達するとすれば、旧渡船場からの道と交差するあたりが終点の22.520km地点ということになった。

さて、以上を踏まえた上で以下の画像をご覧いただきたい。

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 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真(1976/8/29撮影)から一部引用。

1976(昭和51)年撮影の空中写真。
道道小樽石狩線に並行して、林を伐採して道のようなものが作られているのが見える。
上画像を拡大したのが下の画像。

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 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真(1976/8/29撮影)から一部引用。

よく見ると、林が切り拓かれて築堤のようなものが作られている。
林の中にカーブを描いている築堤の正体は何だろうか。

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  地図・空中写真閲覧サービスの空中写真(1976/8/29撮影)から一部引用。

長さは800mくらい、幅は並行する道道と比較すると5m前後といったところ。曲線半径は地理院地図の作図機能で測ってみると約350mとなった。

これを見て真っ先に思いつくのが廃線跡。
先に挙げた石狩鉄道を知っていれば、建設途中で放棄された未成線跡ということになる。

いつ頃作られたものなのか、過去の空中写真から探ってみる。
以下に1961(昭和36)年撮影の空中写真と、1966(昭和41)年撮影のものを比較してみる。

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 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真(1961/5/2撮影)から一部引用。

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 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真(1966/7/7撮影)から一部引用。

1961(昭和36)年撮影の画像には件の築堤は存在しないが、1966(昭和41)年撮影の画像にはカーブを描いた築堤があるのがわかる。
上記の空中写真から推定できるのは、この築堤は1961年〜1966年のどこかで築かれたものだということ。

石狩町誌下巻(平成9年発行)によると、

“分割工事施工認可を札幌陸運局より受けて一部工事に着手したりしたが、同(筆者注:昭和)三六年に至って挫折に終った”

の一文があり、これ以降は鉄道敷設の進展はなかったと読んでとれる。
これにより、空中写真の築堤は謎の物件となる。

じゃあ何だろう。
堤防?防潮堤?にしては貧弱な気も。導水管でも埋まっているのか?

やっぱり石狩鉄道など幻の路線だったのかと思いかけた頃、別の新聞記事を見つけた。

1963(昭和38)年7月9日の北海道新聞の記事。
『いつ走る“石狩鉄道”』の見出しで、記事中に

“五月五日から石狩起点側の土盛り工事にとりかかった”

の一文がある。
だとすると、築かれた年代は上の空中写真と一致する。この謎の築堤は石狩鉄道建設の遺構で間違いない。

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 石狩鉄道の未成線跡と思しき築堤とルート図(地理院地図より筆者作成)

その築堤は今でも残っているのだろうか。

グーグルの衛星画像で見ても、林が開かれて道筋らしきものは確認できるが、築堤があるかどうかまではわからない。
そこで、実際に行って確かめることにした。

雪解けを待って藪が生い茂る前の4月の中旬、そこへ行ってみたのだった。

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道道小樽石狩線側から浜へ伸びている小道を行くと、熊笹に覆われているが築堤らしきものを見つけた。
笹をかき分けて進むと、先は金網の柵でふさがれていた。

よく見ると金網には扉があって、カギは付けられていない。
写真を撮るだけですから、何もしませんからと入らせてもらう。
並行する道道を走るクルマの音がひっきりなしに響くのでクマはいないだろうけど、放し飼いの番犬でも出てきたら嫌だな。

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しばらく進むとはっきりと築堤とわかるようになった。
築堤は笹に覆われて、所々に枯葉をまとったカシワの木が見通しを塞いでいるが、南へ向かっているのがはっきりとわかる。

低い部分には、もう姿を消したと思っていた雪がまだ残っていた。冬は日本海から吹き付ける雪の、吹き溜まりになっていたのだろう。

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築堤の高さは地面から膝上くらいまで。ざっと見で50cmくらい。
築堤の幅は路盤上で4mくらい。
知らない人がこれを見たらまさしく廃線跡だろう。

去年(2020年)春に廃止になった札沼線北部も、あと50年も経てばこうなるのかなあと思わせる。

もし石狩鉄道が実現していたら、電化されて都市鉄道としてここに電車が走っていたに違いない。

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熊笹の途切れた部分は砂があらわになっていた。
この辺りは砂地でカシワの海岸林となっている場所。
カシワ林を切り拓いて、砂を盛っただけの築堤のようだ。

当時、他所から土砂や砕石を持ってくるほどの資金は無かったのだろう。
もし鉄道開業が実現していても、軽便鉄道並みの脆弱な路盤では維持管理もままならず、線路改良工事にまた莫大な資金が必要になっていたものと思われる。

紆余曲折を経て工事着工まで取り付けたが、砂を盛った路盤が一部完成しただけで放棄。
それから58年の時を経て、ここに公開されることになった。

その一方で、年々拡大する札幌のベッドタウンとして大規模な宅地開発がおこなわれ、また石狩湾新港をはじめとする道央の一大工業地帯として年々発展する石狩町。

都市として発展する石狩は、地方鉄道よりも大量輸送ができる都市鉄道を要望するようになる。
1975年頃には地下鉄南北線の石狩町への延伸、1985年には都市モノレールの導入で札幌市と結ぶ構想が出る。

1998(平成10)年に石狩市は『石狩市軌道系交通等事業化調査(概要報告書)』という冊子を発行し、それによると札幌市と石狩市を結ぶ軌道系交通機関として地下鉄麻生駅または栄町駅から石狩市役所までを結ぶモノレール案が掲載されている。

また同書にはJR発寒駅から分岐して、追分通〜花川南防風林を経由して石狩市役所へ行く普通鉄道のルートも記載されていて興味深い。

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 石狩市軌道系交通等事業化調査(概要報告書)より引用。

石狩モノレール計画は一向に実現する気配がないが、市制を敷いたばかりのこの頃は、発展する石狩市の将来を見据えて本気で軌道系交通機関の導入を考えていたのだろう。

この冊子が発行された同じ年、石狩鉄道から引き継いだ札幌臨港鉄道は、新川駅予定地と石狩駅予定地の間に残っていた鉄道事業免許を失い、会社も解散している。

石狩が夢見た鉄道開業。
しかし現実はそれを許さなかった。

そんな夢の跡が、道道小樽石狩線から200mと離れていないカシワ林の中にひっそりと眠っているのだった。


posted by pupupukaya at 21/04/17 | Comment(0) | 廃線跡を行く

海外旅行は風を感じるもの

1月にSL冬の湿原号に乗りに釧路へ行って以来、どこにも行っておりません。
どこへも行かなければ書くネタもないわけで、ブログの更新もずっとサボっておりました。

気が付けば雪も消え失せて、春になったなあ・・・。

今年も海外旅行はおあずけのようです。
と言っても、楽しみが1つ消えるだけで特に困ることではないし、そのうち復活するだろうGoToトラベルで国内旅行に精を出すつもりですが、でも寂しさはぬぐえません。

過去に4月5月出発で海外に出かけたことが3回あり、その年の今頃は週末ごとに旅行先の下調べ、ホテルや乗り物の予約なんかをやって、毎日ウキウキしていたものです。
秋や冬に出発する海外旅行でも、行先を決めたり安い飛行機のチケットを探していたのも今頃でしたね。

それが今年もナシ。
まあ、今はgoogleマップのストリートビューで世界中の街角の画像が見られるんだから別に行かなくていいんじゃないという向きもありますが、そうじゃないんですがね。
PCで見るのと、実際に身体をそこに置くというのは全然違います。これを何と説明したらいいのでしょう。

昨日車を運転しながらラジオを聞いていたら、『おぎやはぎのクルマびいき』という番組をやっていまして、その中で

「バイクは風を感じるものだ」

という言葉があり、それを聞いてうまい表現だな〜と感心したものでした。
私はバイク乗りではありませんが、そうだな、海外旅行って風を感じるものだなあ・・・と思ったものです。

風、空気、匂い、雑踏・・・

風と言えば私がまず思い出すのはミュンヘンのビアガーデンですかね。

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上画像は2012年6月7日、ドイツのミュンヘンにて。
英国庭園内にはいくつものビアガーデンがあって、これは中国の塔前にあるビアガーデン。

この日は祝日で、昼間から大勢の人がビールを楽しんでいた。
中国の塔ではバンドが演奏していたっけ。

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初夏の青空の下、1リットルサイズのジョッキをグイッと傾けた。
日向にいれば汗ばむが、乾いた風が頬や服の隙間を心地よく通り過ぎる。

この日は旅行最後の日で、飛行機の出発が夜だったので、このあとも午後から夕方までミュンヘン観光をするつもりだった。
ここで大ジョッキ2杯飲んだら、もう観光はどうでもよくなって、別なビアガーデンを2か所回って、結局午後はず〜っとビールを飲んでいた。

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次に行ったヴィクトリアーリエンマルクトは木陰のビアガーデン。ここも心地よい風を感じながら飲んでいると、時おり教会の鐘の音が風に乗って聞こえてきた。

ドイツでビールを飲んでも不思議と酔わないのは何でだろう。
それでも夕方空港に着いたら、まだ人が来ていない搭乗口前のベンチでひっくり返っていた。


もうひとつ風で思い出すのが、米国はウィスコンシン州にあるミルウォーキー。
シカゴからハイワサ号という列車で1時間半ほどの場所にある都市。

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上画像は2014年9月6日、ミルウォーキー川沿いのリバーウオークにて。

なぜか札幌と同じ風だなあと思った。
そしてそれは、夏から秋に移行しつつある、この時期独特の寂しさを漂わせる風。
涼しくなるのはありがたいが、ああ夏は終わったんだなあ・・・今年も仕舞いに向かうんだなあと思わせる風。

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この日はシカゴから日帰りでミルウォーキーにあるミラービールの工場見学ツアーに参加していた。
最後にビールの試飲会があり、これはその後に帰りの列車の時間まで酔い覚ましにリバーウォークを歩いていて感じた風。

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この時の旅行は、翌日から大陸横断鉄道の『カリフォルニアゼファー』号でシカゴからサンフランシスコに向かっていて、こっちが旅行のいちばんの目玉なのだが、どういうわけかミルウォーキーで感じた風が一番鮮明に覚えている。


最後はここですな。
ここの風はあつい、うるさい、くさい。
どこへ行っても人人人の熱気。

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2017年5月1日、インドのバラナシ。
バラナシはガンジス河に面したヒンドゥー教の聖地として知られる。

とにかく暑かった。暑いじゃなくて熱いと書きたくなるほど暑かった。
泊まったホテルもエアコンなし。
熱風から逃れることはできないのだった。

フラフラになって日本人が経営するエアコンの効いたカフェで、チキンカツ丼とアイスコーヒー2杯で生き返った心地になり、ホテルに戻ろうとして道に迷ったときのこと。

狭い路地があっちこっちに伸びていて、もうグーグルマップも役に立たず、どこも人人人の狭い路地をウロウロ歩き回っていた。

熱風に色々入り混じった生活臭、人混みに入り込んでくるウシ、スクーターのクラクション。
40℃近い暑季の風がまとわりつくので、汗が止まらなかった。

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この日の夜半から腹を壊して、翌日はレセプションに頼んでレイトチェックアウトにしてもらい、夕方までずっとベッドに横になっていた。

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そんな部屋では、ガンガーに面した窓から、川風と共に下の喧騒も入って来た。
渋る腹を抱えてベッドでうずくまって窓から入って来る喧騒を聞いてると、惨めな気持ちになったものだった。
幸い午後には体調も回復し、夕方には出発している。

というわけで、海外旅行は風を感じるものということで思い出した海外旅行を3つ挙げてみました。
早く海外旅行ができるようになってほしいですね。

今回はこのへんで・・・

posted by pupupukaya at 21/04/04 | Comment(0) | その他

2021年 雪まつりの無い札幌を見る

今日は2月11日建国記念の日(2021年)。
例年ならばさっぽろ雪まつり最終日で多くの観光客でにぎわうのですが、今年は中止。

観光客が戻ってきたGoToトラベルキャンペーンも去年の暮れから中止に。緊急事態宣言も北海道は対象外だが3月7日まで延長、旅行などすっかり自粛ムードになってしまいました。

この時期に人がいない大通公園も珍しいよね、なんて思っていたら雪まつりのやらない大通公園がどんなものか気になって、見てくることにしました。

ちょっとした札幌観光に出かけます。

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自宅から市電で大通へ向かう。
やってきた電車は運よくポラリスだった。

市電は雪まつりとは直接関係ないが、毎年この時期に藻岩山へ行く観光客や外国人が乗っているのを見ると、ああ雪まつりだなと毎年思ったものだ。

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西4丁目で市電を降りて、歩いて大通公園へ。

市電に乗って都心(まち)に来るのは随分と久しぶり。
散歩の延長でブラブラ歩いてくることはあるが、市電に乗ってわざわざ来ることはあまりない。

私は中央区民だが、休日の買い物は車で南区へ行くことが多い。
実は休日は隠れ南区民だったりする (^^;

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大通公園の3丁目。人いなさすぎ。
雪まつり開催中はジャンプ台が設けられる場所だ。

毎年行われる雪まつりの喧騒が嘘のように静寂の世界。

しかし、例年雪まつりが終わった後も春まではこんなもの。
札幌の都心部は地下街が発達しているので、市民は暖かくて歩きやすい地下を歩く。
冬は好んで地上を歩く人は少ない。

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去年の同じ日は大勢の人がここに集ってだんだな〜としみじみ思った。

しかし私は人混みが苦手だったりするので、今年のような静かな大通公園もまた捨てがたいと思うのだった。

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大通公園3丁目からなぜか時計台へ来てしまった。
交差点角にある撮影台はいつもなら次から次へと記念撮影をする観光客がいるもんだが、今日はだれもいない。

この時計台は、日本三大がっかり名所のひとつと言われている。
何ががっかりかというと、周りがビルに囲まれているということ、意外と小さいからということらしい。

そうはいっても、札幌と言えば時計台というくらい札幌市のシンボルだしね。
がっかり扱いは札幌市民としてはちょっとやるせない。

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中に入るつもりはなかったが、入ってみることにした。
入場料は200円。安いものだ。

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時計台のエントランス横の窓口でチケットを買う。

入口は正面だが出口は裏側となる一方通行。
毎年雪まつりシーズンは押すな押すなの大盛況だったのだろうか。

そういえば時計台の中に入るのはこれが初めてだ。
札幌市民でわざわざ入場料払って観光客と一緒になって時計台に入る人もそういないだろう。

かくいう私も、もう40数年来札幌市民をやっているが、入るのはこれが初めて。
このあたり、肝心の札幌市民からは離れた存在になってるということになる。

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屋根裏がむき出しになった2階の演武場。
講堂っぽく椅子が並べられていた。

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時計台の時計板の実物大レプリカ。
後ろの機械は時計台の時計装置と同じ型のものだという。

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一般客は立ち入ることはできないが、この上に時計台の時計がある。

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時計台の窓から。
いわゆる上げ下げ窓が並ぶ。

趣のある眺めだが、奥の現代風のビルとの妙な対照はどうしたものか。

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お金を入れると明かりが点灯するイルミネーション募金箱。
画像は募金して点灯した状態。

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入口側の上には『演武塲』と書かれた額とその下はステージになっていた。

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時計台の座っているクラーク像。
なおプラスチック製とのこと。

このあと1階に降りて展示物を見学する。

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どこも観光客がいなくなって大変だというニュースを毎日見るけれど、札幌の観光客も大変減っているようだ。

どのくらい減っているかというと、こんな飛び石連休の祝日で札幌を代表するような有名観光地時計台で、もうここへ来て20分以上経つけれど、ほかに客が誰もいなかった

このあたりに、いかに観光客が減っているかということをお分かりいただけると思う。

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北3条の道庁旧庁舎は改修工事のため閉館中。
こちらは入場無料だったので何度も中に入ったことがある。

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ヨドバシカメラ所有という旧西武デパート跡の空き地。
ここに複合商業施設が入った高層ビルが建つという計画が進んでいる。
ここからJRタワーやエスタが見えたということも過去のものとなるんだろうか。

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国旗掲出と札幌駅ステラプレイスとJRタワー。建国記念の日のため国旗がはためく。
2月11日は、紀元前660年に初代天皇の神武天皇が即位した1月1日を現在の太陽暦に置き換えた日。

神武天皇説の真偽はともかく、日本という国が有史以来2000年以上も国体を保っていることを、日本人はもっと誇りに思うべきだ。
これは、世界各国を何度も1人で旅行するごとに強く思うようになった。

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札幌駅から地下歩行空間を通ってふたたび大通公園へ。

雪まつり開催中は『道新雪の広場』として飲食コーナーの屋台が並び、その奥は大雪像がそびえる場所。
当然ながら今年は人影もなくひっそりとしている。

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誰が作ったのか雪だるまの雪像が・・・
これこそが雪まつりの原点じゃないだろうか。

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雪まつりをやらないかわりにホワイトイルミネーションが2月28日まで延長されている。
暗くなるときれいに光るのだろう。

こんど会社帰りに寄ってみようか。

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狸小路3丁目。

狸小路はここ数年前から某外国人観光客ばかりになってしまい、それ目当ての店ばかりになってしまった。
二条市場のように市民は行かない観光名所になったのかと思ったが、今年は若い人を中心に市民が戻ってきて、それなりに賑わっている。

それにしても皆どこへ行くんだろう。
私は狸小路の業スーで買い物をしてから市電で帰ります。

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コロナ対策で市電も窓を開けて走るので、車内が寒いこと。

  ★  ★

中国の武漢から始まった新型コロナ禍。
もう1年以上になるが、最近はワクチン接種のスケジュールが報道されるなど、収束へ向けた動きが出てきた。

札幌も夏には東京オリンピックのマラソン会場となり、来年の今日は雪まつり最終日で大通公園も賑わっているだろう。

そうであって欲しい。

もう自粛自粛にマスク生活。

もうカンベンして〜 (T_T)

posted by pupupukaya at 21/02/11 | Comment(0) | 道央の旅行記
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