2005年の札幌駅前通りを歩く

2025年7月の日曜日。
暑いですな、退屈ですな。

天気が良いし、どこかへ行こうかと思いましたが、どこへ行こうと考えているうちに昼になってしまいました。
ネットの巡回も飽きたし、動画も食傷気味。
そんなときは過去に自分が撮影した画像を眺めたり。

HDD内の画像を見ていたら、2005年撮影の札幌駅前通りの画像が出てきました。
今から20年前に自分が撮影した画像。
2005年と言えば20年前。

10年ひと昔なんて言いますが、私くらいの齢になると10年前は少し前の記憶です。
時計の針を逆さに回せば戻って来そうな感覚になります。

だけど20年前となると、時代が1つ2つ違う、ちょっと遠い時代。

そんな20年前、2005年の札幌駅前通りをちょっと歩いてみましょうか。
画像の撮影日は、特に但し書きがある以外は2005年5月28日です。

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まずは南3条西4丁目交差点から。

手前のアルシュはGAIAというパチンコ屋で、向かいのドン・キホーテはサンデパートビル。
2005年の狸小路近辺は、昔からの老舗店が多くあった一方、新しくオープンした札幌駅の大型商業施設に客を奪われたこともあってか、あまり元気がなかったような感じでした。

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片側3車線の駅前通りはまだ市電はなく、路肩は路駐車両に客待ちタクシー。
歩道の車道側は無法の駐輪場と化していました。

2015年に市電都心線が開業すると、一変してすっきりとした街並みに。
最近はこうした雑然とした街も少なくなりましたね。

狸小路と南1条をすっ飛ばして大通へ。

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大通公園から南側を見てみましょう。

左にちょこっと写っているビルは、建替え前の明治安田生命札幌大通ビル。
壁面の電照式の温度計が南大通りのランドマークでしたね。
建て替え後の現在もこの温度計はデジタル表示になって健在です。

その奥側がみずほ銀行。
元は第一勧業銀行札幌支店だったのを2002年に富士銀行と合併してみずほ銀行札幌中央支店と名を変え、さらに2006年には旧富士銀行だった札幌支店に統合となった。
現在このビルは三越北館として使用されています。

右は道銀ビルディング。こちらは現在建替えのため解体中。

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大通公園とテレビ塔です。
あまり今の時代と変わりはないけれど、テレビ塔の時計が『National』となっています。
これが『Panasonic』になったのは2006年の改装時。
さらに古くはカタカナで『ナショナル』と表示していたそうだ。

えっ?その当時の画像はないのかって?
私はそこまで古い人間ではありませんよ。

あと、2005年はテレビ塔の電波塔の工事で、高さが147mから144mへと3m低くなっています。
この画像は背が縮む前なのか、縮んだあとなのか。
電波塔の上の方が切れているので、これではわかりませんね・・・

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 2005年6月18日撮影。

こんどは北大通に戻って道銀ビル前から北方向を望みます。
この画像は6月のものになりますが、同じ2005年撮影ということでご容赦を。

この頃は高層ビルがまだ少なく、空が高かったねえ。

 ♪ ル〜ル〜
 ♪ さっぽろの青空は限りなく高いよ〜
 (横井弘作詞、札幌の空)

なんて歌も思い出しますね。

 ♪ 牧場から母さんの小包も着くころ〜

牧歌的な風景もまだ残っていたこの頃。

左の『秋田銘酒 高清水』の広告塔があるビルは札幌秋銀ビル。
1階にあった秋田銀行の所有なので、お酒の広告はその繋がりなのだろうか。

このビルは2013年に建替えられて、中世ヨーロッパ風の札幌大通西4ビルになっています。
秋田銀行と言うより、石屋製菓直営店の方が有名かな。

右は北洋大通ビル。旧拓銀本店と言った方がシックリくるかな(2005年当時の人にとっては)。

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北大通から札幌駅方向を見ます。
重厚な造りの旧拓銀本店が北大通のランドマークでしたね。

北海道拓殖銀行が経営破綻し、北洋銀行に営業譲渡したのが1997年のこと。
この拓銀本店は、北洋銀行大通支店と名を変えて営業を継続することになります。
ですが拓銀は拓銀として継続し、債務処理などの清算事務を行っていました。

その後、2007年に清算会社としての拓銀が解散すると、北洋大通ビルも解体されることになります。
現在の北洋大通センターは2010年に完成しています。

話を2005年当時の北洋大通ビルに戻します。

ビルに隣接した歩道にあるメタリック屋根が大通駅7番出入口。
おそらく当時は数ある出入口の中で一番出入りの人が多かったんじゃないかな。
なぜならこの出入口が大通駅では一番札幌駅に近かった。

大通駅から札幌駅へ歩いて行くには、ここから出て北1条、北2条、北3条の交差点を渡り北4条交差点にある、さっぽろ駅9番出入口から地下に潜るのが交差点を渡る数が一番少なかったわけです。

そんなことも、2011年に札幌駅前地下歩行空間が開通すると昔話になってしまいました。

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北1条西4丁目交差点の南側に立つ道しるべ。

国道12号、国道36号、国道230号それに道道札幌停車場線と4方向への道路の起終点となる交差点。
意外と知られていないけど、北1条からすすきのまでの駅前通りは国道36号線なんですねえ。

中央分離帯にある屋根付きのお立ち台は、ここに警官が立って交通整理するためのものだろう。
ここに人が立っているのを昔見たことがあるような・・・
昔むかし、半世紀近く昔の記憶。

なお、札幌ライオンズクラブの寄贈らしい。

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グランドホテルの前から。
片側3車線が札幌駅前まで続いていました。
ですが、路駐や客待ちタクシーなどで実質2車線となっていましたが。

地下歩行空間が完成してから2車線になり、歩道の幅が広げられ地下出入り口も設けられました。
歩道が綺麗になり歩きやすくなったのは良いものの、このまま3車線にしておけば、市電都心線を札幌駅まで伸ばせたのになあ・・と思うのは私だけでしょうか。

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大通と札幌駅の間の駅前通りは、東側の方が歩いてる人が多かったと思います。
西側は1階が銀行だったりするのが多かったのですが、東側は1階がテナントという所が多かったのは通行量の違いなのでしょうか。

味の時計台駅前通り店、なにわ書房グランドホテル前店があった並び。
私はグランドホテル側の西側歩道から撮影しています。

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北2条西4丁目の交差点から。

左側手前は北海道ビルヂング。
新しそうに見えますが1962年建築と古い方のビル。
このビルも2022年に建て替えの為に解体工事が始まったものの、今は更地の状態となっています。
工事費の高騰により着工が遅れているのだとか。

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中央の『HITACHI』の広告塔があるのは、札幌三井ビルディングで1965年建築。
今の札幌三井JPビルディングが完成したのは2014年のことです。
通称『赤れんがテラス』の名が付けられ、テナントビルにもなっています。

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北2条と北3条の間の東側の歩道から。

西側は銀行や高そうな服屋とかそんな店ばかりですが、東側は庶民的な店が並んでいました。

『若草』の看板は元パチンコ屋、『本』の看板はアテネ書房です。
通行人がフラっと入れるような店構えが多かった気がします。

このあたりも2011年の地下歩行空間開通で歩行者が激減したことにより、多くの店が入れ替わってしまいました。
今ではフラっと入れる店は少なくなってしまいました。

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さて今度は北3条西4丁目交差点まで来ました。
いよいよ日本生命札幌ビルです。

なぜいよいよかと言うと、このビルに地下鉄さっぽろ駅11番出入口があったから。
ここからは札幌駅の圏内、サツエキということになります。

地下鉄さっぽろ駅の南北線コンコース南側は、いまは地下歩行空間に繋がっていますが、それ以前は壁でした。
その右側に細い通路が続いていて、そこが日本生命ビルに通じていました。
大通駅から札幌駅に向かう時と違い、札幌駅から大通駅へ歩く際は、こちら日本生命ビルから出ることが多かった気がします。
少しでも大通駅に近かったから。

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 こちらは2006年5月5日撮影、日本生命札幌ビル前。

で、この(旧)日本生命札幌ビル1962年完成というから、これも古いビルです。
駅前通りの並びのビルの中では、一番先に高層ビルに建替えられられていて、上画像のは旧ビルが現役の最後の頃でしょう。

今の日本生命札幌ビルは、西5丁目側の高層棟は2006年完成、その後旧ビルを解体して駅前通り側に低層棟が完成します。
低層棟は商業施設が入居し、noasis3.4の名で呼ばれるようになりました。

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北3条の交差点に面した中央分離帯には瀟洒な時計塔があって、どこか文化的なイメージを醸し出していました。
いつの間にこんなものがと思っていましたが、銘板に『平成六年 札幌駅前通振興会』とあったので1994年に建てられたもののようです。

この時計塔は2008年頃に地下歩行空間工事のために一旦撤去され、工事完了後にまた復活しました。
ですが特に話題になることもなかったようです。
歩いていてもこの時計塔の存在に気付く人も少ないでしょうね。

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日本生命ビルは北海道ビルや三井ビルと違い大がかりなリフォームはされておらず、どこか古さが感じられました。
こうして時計塔と合わせて撮影してみると、歴史的建築物にも見えてきます。

新しいピカピカの高層ビルも良いと思う反面、こうした古い建物をもっと活用してもいいのではとも思います。
だけど地震の多い日本では、古い建物は耐震性に難があるなど、やはり建替えは仕方がないのかも。

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北3条西4丁目交差点の東側歩道から札幌駅方向です。
それにしても通行人が多いですね。
大通駅とさっぽろ駅を結ぶ人の流れ、これがみんな地下歩行空間に潜ってしまったわけです。

こちらの角は大同生命札幌ビル。
2階建てビルの上に柱を立ててのっかっているような変わった建物でした。
ここも2020年に14階建ての新しい大同生命札幌ビルに建て替えられています。

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北3条西4丁目交差点から旧道庁を見ます。
変わらないのはイチョウ並木と赤レンガ庁舎くらい。
北3条通りは歩行者専用道路となり、左の旧三井ビルも右の旧日本生命ビルも建て替わって様変わり。
いや、この交差点の四つ角はすべて建て替わっていて、2005年当時から現存しているビルはありません。

もう変わり過ぎて、札幌に長く住んでいる私ですら浦島太郎状態。
それに、地下歩行空間が出来てから、基本的に地上を歩くことはまず無くなったので、なおさら変わりように驚くばかりです。

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北3条を過ぎると札幌駅がだいぶ近くに見えてきます。
かつては青い札幌駅があって、地下から地上に出ると青い札幌駅を目印にすると方角がわかりやすかったものです。
今なら目印は、ガラス張り円筒状のアピアドームでしょうか。

右手にはレンガ造り風の建物が現われます。

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北4条西4丁目交差点です。
この角にあったのが、忘れもしない札幌西武百貨店。

えっ、何だって? 五番舘(ごばんかん)?
あんた齢いくつだい。

五番舘といえば、昔子供の頃に家族でマチに出かけたとき、昼ご飯は五番舘の大食堂でというのが多かったのを思い出します。
食券方式で、駅の窓口のような食券売り場で食券を買ってテーブルに着く。
ウェイトレス(当時)が来て食券をもぎって半券を置いてゆく。

食堂は1つのフロアなんだけど、厨房は専門店ごとに別々になっていて、料理が出来上がると料理人が「チ〜〜ン」とカウンターの卓上ベルを鳴らすとウェイトレスが取りに行って配膳する仕組み。
今でもはっきりと覚えています。

三越や丸井にも同様の大食堂があったはずなのだけど、私の記憶にあるのは五番舘の大食堂。

建物は由緒ありそうなレンガ造りだけど、元々は平凡なビルだったのを1990年の大改装時にレンガ造り風にしたんじゃなかったかな。
同時に五番舘から五番舘西武と名を改めています。

それまでどこか泥臭い感じがある古いデパートというイメージが抜けきらない印象でしたが、一気に最新風のお洒落なデパートに生まれ変わったものでした。
個人的には当時のバブル景気に迎合したようで、当時高校生だったワタクシには少々抵抗感を感じましたが・・・
のちに『五番舘』が取れて西武百貨店となっています。

2003年に大丸が進出しステラプレイスなど札幌駅直結の大型商業施設がオープンすると、人の流れが変わって客足が減るようになり、2009年に閉店することになる。

解体後は長らく更地になっていましたが、2025年になってようやく工事が始まりましたね。
ここも高層ビルになるんだとか。

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北4条西4丁目交差点から札幌駅方向です。
右の西武百貨店以外はあまり変わってないかなと思いきや、いつのまにか向こうのビル3棟は解体されて跡形もありません。

この1区画にド〜ンと高層ビルが建つのだそうです。
それと並行して地下鉄さっぽろ駅のホーム増設工事も進行中。
さっぽろ駅も数年後には様変わりすることになります。

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北5条通りを渡れば札幌駅南口となります。
振り返ってみればこんな感じ。
ごちゃごちゃしていますが、広い通りの両側にビルが立ち並び、政令指定都市の表口という感じはあります。
2005年の札幌駅前の風景。

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 2025年7月5日撮影。

最後に上画像から20年後の2025年7月の札幌駅前。
右側の伊藤ビルや国際ビルが建つ一角は変わっていませんが、それ以外はすべてと言っていいほど変わってしまいました。
左側で工事中の高層ビルが完成すると、ここが札幌?と言うくらいの街並みとなるのでしょう。

  ★    ★    ★

以上20年前の札幌駅前通りをお送りしました。

それにしても20年前の私は何を思って駅前通りの撮影をしていたんでしょうかね。
前年の2004年から始めたホームページのネタにでもしようとデジカメを持って歩いていたんでしょうか。

20年後の2025年の自分自身からしてみれば、よくこんな画像を撮影していたな、偉いぞ自分と言いたくなるような物も数々。
こうして思うことは、20年という年月は嫌でも変わってしまうということですね。
逆に言えば、今のなんでもない風景も撮影しておけば20年間放っておくだけで財産となるということでしょうか。

20年間、生きているだけで財産になるのだから、人生って不思議ですね。

でも今はストリートビューなんてものが出来て、過去の街並みも簡単に見られるようになってしまいましたから。
こんな個人で撮影した街中の画像など財産にはならないのかも知れません。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/07/06 | Comment(1) | 道央の旅行記

2025年台湾旅行記6日目〜帰国・札幌まで

 ■ 2025年5月4日

おはようございます。
いや、こんばんはと言うべきか。

現在午前2時半。
昨夜は部屋に戻って来てシャワーを浴びてベッドに横になった。
酒も飲まず、9時過ぎには眠っていたようだ。

だけど物音で何度も目が覚めている。
日本のカプセルホテルのようにテレビもなく、静寂なのはいいけど、逆に少しの物音でも大きく響く。

目が覚めたりまた眠りに落ちたり、ウトウトした状態だった。
だけど今度は外のゴソゴソした音が気になって目が覚めてしまった。
ちょっと起き上がってトイレに。

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 いつの間にか満室に。

部屋を出ると廊下にはスーツケースを広げている人たちが多数いた。
今時間に桃園空港に着いた人たちらしい。
それを横目で見ながらトイレへ行って、またベッドに戻る。

もうひと眠りしようと横になる。
こんどはどこからかイビキが・・・

もう眠るのはやめて、お茶でも飲んでこよう。

チェックインの時に、カードキーと一緒にお茶の真空パック小袋をくれたのを思い出した。
カウンターにポットと茶器があったけど、それを使って淹れるらしい。

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 カウンターで淹れてもらった台湾茶。

レセプションのお姉さんに茶の小袋を見せ、
Excuse me、How to use?
と聞いてみた。

どうやら淹れてくれるようだ。
お湯を沸かして、ガラスの茶器に茶葉を入れてお湯を注ぐ。

干からびた茶葉がガラスの茶器いっぱいにまで膨らむ。
そんなのを眺めながら過ごす。
最後にガラスの茶碗に注いで渡してくれた。

Please
Thanks

どうも英会話の方がしっくりくるな。

これが台湾茶かあ、と感心して飲んでいると、夜中なのに隣のレセプションは次から次へと客が来る。

やって来る客、みんな日本人ばかり。
日本じゃゴールデンウィークなんだなあと思わせる。

日本からの深夜便で桃園空港に着き、ここは朝まで過ごすには丁度いいと人気なのだろう。

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 5Fのフリースペース。

3時半、もうチェックアウトすることにした。
朝4時前になんて起きられるかなと心配していたが、何のことはない2時半には目が覚めて時間を持て余していた。


 桃園空港 第二ターミナル → 第1ターミナル【シャトルバス】

ホテルを出たフロアは、24時間開放しているようだった。
椅子を並べて横になったり、テーブルに突っ伏して眠っている人がいたり、朝までここで過ごす人を見かける。

怖い感じは全くナシ。
ファミリーマートも24時間営業。
ここのフリースペースで過ごしても良かったかな。

1泊過ごした宿は、1泊9,000円以上と、カプセルホテルにしては高い宿泊代。
だけど安心料だったと思えば腹も立たない。

空港内で夜明かしなど想定外だったし、台北駅前のホテルに滞在していたら、駅裏のバスターミナルから深夜発のリムジンバスに乗るか、レセプションでタクシーを呼んでもらうしかなかったのだから。

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 5Fからの夜景。

人がまばらな未明の飛行場。なんかいいもんだね。

♪ Love is the mystery〜わたしをよ〜ぶの
 (中森明菜の『北ウイング』より)

今夜ひとり北へ旅立つ私。

北へ旅立つと言えば恰好がいいが、今日は札幌へ帰る日です。

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 第1ターミナル行きのシャトルバス。

エスカレーターで1Fへ下り、昨日下調べしておいたシャトルバス乗り場へ行く。
スカイトレインが5時まで運休なので、第1ターミナルへはシャトルバスでの移動となる。

このバス乗り場は本当にわかりづらいので、事前に下調べしてから利用することをお勧めします。

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 シャトルバス車内から。

4時10分発のシャトルバスは、座席はほとんど埋まってしまった。
しょうがないので最前部に立つ。
乗客は、スーツケースを持った旅行者もいるが、空港内職員みたいな人の方が多かった。

空港内道路を走ること3分、第1ターミナルのバス停へ。

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 第1ターミナルに到着。

スカイトレインにも乗ってみたかったけど、貴重なシャトルバスに乗れたから良かったとするべきか。
なお、第1・第2ターミナル間移動は、徒歩だと空港内道路経由で25分程度かかるようである。


 台北桃園空港 6:20 → 11:05 新千歳空港【IT234】

第1ターミナルは1Fがチェックインカウンターが並ぶ出発ホールだった。
どうやって来たのか、ここはあちこちに人だかりが出来ている。

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 第1ターミナルのチェックインカウンター。

どのカウンターもタイガーエアの表示が目立つ。
行先は福岡、札幌、神戸、東京成田、大阪関西など日本行きが多い。

札幌行きのカウンターはどこかと探すと、6番のカウンターに表示を見つけた。
行列は20人ほど。

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 タイガーエアのカウンター。

海外旅行で帰国するときって、日本行きのチェックインカウンターに並ぶ人の多くは日本人で、ここまで来ると半分日本に帰って来たという感じになる。
だけど、この行列には日本人はいない模様だった。

全員が緑色の台湾パスポート。
カウンターでは大きいスーツケースを軽々と持ち上げる。
帰りは日本土産で一杯になるのだろう。

5分ほど並んで自分の番になる。
日本のパスポートを差し出すと、係員は日本語が堪能な人で、すべて日本語でのやりとりだったのはありがたい。

荷物を預け、ボーディングパスを受け取って出発口へ。

出国イミグレーションは自動化されていて、パスポートを読み取り機に置いて顔撮影したら終了。
出国ゲートを出たら、ここからは免税店エリアとなる。

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 出国ゲートの先にある出発案内。

飛行機の出発案内があったので眺める。
早朝から世界各国行きの便が・・・
と思っていたら、ほとんどの便が日本行きだった。

表示されている5:55〜7:25に出発する29便のうち、16便が日本行きの便。
それ以外は韓国、香港、フィリピンなど。

この出発案内は第1ターミナル出発便と第2ターミナル出発便が一緒になっている。
どうも両ターミナル間は、免税店エリア中で繋がっているようだ。
ということは、宿泊していた第2ターミナルから入場しても歩いて移動できたということになる。
なんだシャトルバスに乗ることはなかったのか。

だけど、タイガーエアのチェックインカウンターは第1ターミナルになるので、第2ターミナルではチェックインと荷物預けができない。
このあたりどうなるのだろうか。

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 免税店エリアはまだ営業時間外。

出国手続きが済むと、搭乗時刻まで免税店を見て歩くのが海外旅行の楽しみでもあるが、朝4時台のこの時間では1つも店は開いていなかった。
別に買いたいものがあるわけではないし、普通に街中で買った方が安いものばかりとわかっているが、余った通貨をここで使い切るということができる。

今回はそれが出来ないのだった。

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 自販機コーナー。

唯一やっているのが自販機。
飲料やお菓子など。
クレジットカードも使える。

牛奶花生というのを見つけ、値段は35元。
小銭を使い切ってしまおうと商品を選んでコインを入れるが、足りない。
クレジットカードとの併用はできなかった。

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 自販機で買った35元の牛奶花生(ミルクピーナッツスープ)。

どうしても欲しかったわけではないが、クレジットカードで買ってみた。
あとで腹が減ったら、オヤツにはなるだろう。

残りの台湾元は100元札5枚、35元に満たない小銭。
もう使うことはなく、日本に持って帰るしかない。

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 B1〜3ゲートのホール。

札幌行きのB3ゲートは通路からエスカレーターで下るホールにあった。
4時40分、まだほとんど人はいない。
ちょっと早く来すぎたかなという気がする。

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 タイガーエア札幌行きB3ゲート。

B3ゲートには『札幌』の文字が。
無事日本に帰れるという安堵感と、海外にいる実感が湧かないという両極端な気持ちになる。
今まで海外から帰国となると、行先は『東京(成田)』とかが多かったので。

まだまだ時間があるので、あちこち見て回ることにする。

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 搭乗ゲートのウオーターサーバー。

トイレ横にウオーターサーバーを見つけた。
台湾では水道水は飲めないことになっているので、こうしたウオーターサーバーは公共の場所に設置してあるのは珍しくない。
台北車站にもあって、持参の水筒に水を入れている人を見かけたものだ。

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 ウオーターサーバーの紙コップ。

私が注目したのはウオーターサーバーではなくて、機械の横に設置の紙コップ。
重ねてある紙を底から引っぱり出して使う。

おおっ、これはかつて日本国有鉄道の特急列車に備え付けの封筒型紙コップと同じものではないか。
ちょっと懐かしく、この紙コップを開いて水を注いで飲んでみる。

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 パンのワゴン販売。

5時半を過ぎた頃、通路の真中に人だかりが出来ていた。
パンのワゴン販売。
ほかにやっている店が無いので、朝食代わりに買い求める人だろうか。

ちょっと覗いてみたが、普通のパンばかりだし値段も高め。
見るだけでやめておく。

5時40分、ホールのB3ゲートの周りも、だいぶ人が集まっていた。
圧倒的に若い人が多い。

台湾はもう真夏のような気温だけど、みんなガッチリと厚着をしている。
半袖姿は私くらいなもの。

みんな北海道の今時期の気温をわかっていらっしゃる。
私はというと、機内持ち込み用のリュックにウインドブレーカーがあるので、新千歳空港に着いたらそれを羽織ることにしている。

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 札幌行きの改札が始まる。

6時ごろ札幌行きの改札開始。
こんな早朝にどうやって集まったのかと思うほど長蛇の列となる。

見ていたらどの人も緑色の台湾パスポートを差し出していた。
日本の赤いパスポートは私のほかは、1組しか見なかった。
それほど北海道に行く台湾の人ばかりだった。

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 さようなら台湾。

予約時に座席を指定していたので、帰りも窓側席。
早朝便なので隣の真ん中席は空席なのではと期待していたが、隣人はやってきた。
隣人に罪はないけど、ちょっとがっかり。

海外旅行で帰国便に乗ると、大体日本人客が多数で、日本語の機内放送を聞いて、ああ日本に帰って来たという気分になるのだが、この帰国便は圧倒的に台湾人ばかり。
機内放送も中国語と英語のみ。

台湾旅行は終わりではなく、新千歳空港に着くまで続いているのだった。

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 狭い座席(隣はトイレへ行ってる)。

出発時刻は6時20分だけど、6時30分になってようやく動き出す。
と思ったら滑走路の手前でまた停止。
窓から見える滑走路からは、次から次へと飛行機が飛び立つ。
どうやら離陸の順番待ちのようだ。

窓の外はというと、離陸すると雲の中に突っ込んで、そのあとは雲の上だった。

日本の上空に差し掛かると、嬉しいことに雲は消えて下界の景色が現われた。

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 8:20、阿蘇山上空。

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 8:34、広島上空。

甑島、阿蘇山、国東半島など眺めながら北上する。
窓の下は日本の美しい風景だったが、機内は眠っている人ばかり。
心の中で、座席ではしゃいでいるのは私くらいだった。

広島の上空から再び雲が覆ってしまった。
ここからは退屈になる。

キャビンアテンダントが税関申告書を持って現れたので、日本語のを1枚貰う。
しかし、ほかには誰も受け取る人がいない。
日本に入国するには、日本人、外国人問わず必要になるものだが、どうしたのだろう。

あとで調べたら、今は『Visit Japan Webサービス』というのを利用すると、事前に入国時の検疫・入国審査・税関申告の手続きをオンラインで行えるのだそうだ。

もちろん飛行機に乗っている時点ではそんなことを知らず、揺れる機内のテーブルで記入する。

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 10:00、北海道長沼町上空。

9時30分頃にベルト着用ランプが点灯。飛行機はだんだんと高度を下げ雲の中へ。
雲を抜けると下界の景色が現われた。
田畑が整然と並ぶ北海道の風景。

毎度ながらこの風景を見ると帰って来たなあと思う。
だけど台湾の人たちには、ああ憧れの北海道と思わせる風景に見えることだろう。

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 雨の新千歳空港に到着。

新千歳空港到着は10時10分。
おっと、もうここは日本なので日本時間に戻さなければね。
台湾時間10時10分は、日本時間11時10分となります。

新千歳空港の天候は雨。気温は9.5℃。
飛行機からボーディングブリッジに出ると、冷蔵庫にでも入ったかのような冷気だった。

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 ようこそ北海道へ。

意外なことに新千歳空港から日本に入国するのは初めての経験。
成田や関空と大きく違うことはないと思うけど、ちょっと緊張する。

最初は入国審査場。
今着いた人たちのほぼ全員は外国人用ゲートへ並び、日本人用ゲートは並ぶ人は誰もいなかった。
出国時と同じようにパスポートを読み取り機に置き顔写真を撮影したらおしまい。

バゲージクレームのベルトコンベア前で荷物が出てくるのを待っていると、ワンコを連れた係員があちこち歩き回っている。
ワンコのタスキには『検疫探知犬』の文字があった。
日本は海外からの肉や肉製品の持ち込みは禁止なので、こうして肉の匂いを嗅ぎまわっているのだった。

私はというと、肉類は一切持っていないのでセーフ。
以前は知らなかったこともあって、肉入りの食品を土産に買ってきたこともあった。
あの時はたまたま見つからなかっただけで、嗅覚の鋭いワンコ相手だと見破られてしまうだろうなあ。

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 新千歳空港国際線ターミナルの到着ロビー。

税関は申告書を渡してパスポートを見せるだけで、ほぼスルー。
2Fの到着ロビーに出たのは11時45分、どこも並ぶところがなかった割に時間がかかったのは、自分の荷物がなかなか出てこなかったから。

ここからは国内線ターミナルまで歩き、地下の新千歳空港駅から快速『エアポート』に乗るだけ。
何だかあっけない旅行の終わり。

  ★    ★    ★

札幌に着くと、いつものように地下鉄に乗り換えて中島公園駅で降りる。

地上に出ると、何やらムッとする香りに包まれた。
今までにない、とても不思議な香り。

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 中島公園は桜が満開。


何だろうと思いながら地下鉄出口から歩き出すと、中島公園の桜、ソメイヨシノが満開だった。

それでわかった。
これは桜の花の香りなのだった。
どうりで桜もちの葉っぱのような匂いなわけだ。

ずっと台湾にいたから、桜の匂いを感じるようになったのだ。
逆に日本にいたら、嗅覚が慣れてしまってこの匂いを感じることがなかったわけだ。

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 台湾みやげ。

最後に台湾で買ってきたお土産。
ドライマンゴー、台湾ビール2本、パイナップルケーキ、プチシュー。

5月4日の支出
費目使用場所台湾ドル備考
牛奶花生桃園空港35 クレ
合 計35(クレはクレジット払い)


 2025年台湾旅行記〜おわりに

今回は、私にとって初めての台湾旅行です。

ずっと行ってみたい国ではありましたが、今更ながらという思いが正直ありました。
日本から台湾に行く人は多いし、逆に台湾から日本に来る人はさらに多い。

敬遠していたわけではなく、行く人が多いのでミーハーな感じがしていたのと、近いのでいつでも行けるからと後回しにしていたという理由からです。

ところが実際旅行してみたら、人も景色も鉄道も魅力的で、なんでもっと早く台湾に行っておかなかったんだという後悔の念が湧くほどでした。

そんな台湾で一番感じたことは、日本から近いと言うことでしょうか。
地理的に近いというのもありますが、そういう近さではなく、例えば鏡の中の世界に飛び込んだらそこは台湾だったという感じ。

街には日本のチェーン店が普通にあって、コンビニもスーパーも日本のパッケージの商品がたくさん並んでいる。
でも中国語の世界というギャップの不思議さ。
何だか上手く説明できないけど、そんな印象を持ちました。

台湾にまた行きたいかと聞かれたら、是非行きたいと答えます。
気に入ったからということもありますが、台湾に行ったことで、行ってみたいところ、見たいもの、食べてみたいものがさらに増えた格好です。

帰国してから、あそこも行きたかった、あれも食べて見たかったという思いというか心残りが次々と湧いてきたのは、他の海外旅行先になかった思いです。

ですが、旅行ってのは心残りがある方が良いのかも知れません。
また行こうという楽しみができますからね。

こんどは一般の旅客列車で台湾を1周したい。
阿里山森林鉄道、サトウキビ列車・・・
それを満たすために、また台湾に行かなければなりませんね。

  ★    ★    ★

最後に今回台湾旅行の総費用になります。
台湾旅行予算の参考程度にどうぞ。

2025年台湾旅行の総費用
費目日本円換算備考
飛行機代50,506タイガーエア
交通費29,541高鐵、環島之星
海外旅行保険
2,220
6日分
ホテル36,2065泊
悠遊カード3,910チャージ分
外食2,425 
食費6,320酒含む
土産4,162 
その他1,511ロッカー、入場料等
台湾元※2,492 約500元
合計139,293 
 ※台湾元の未使用分(再両替していない分は費用として計上)

上の表は事前払いの代金と、台湾で使った分だけで、日本国内の費用(空港までの交通費等)は含みません。
総計は、だいたい14万円といったところ。

うち旅行の基幹となる飛行機代とホテル代の合計は、5泊6日で 86,721円
ゴールデンウィークの旅行としては安く収まったと言えます。

それではこれで終わりになります。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 25/06/21 | Comment(1) | 2025年台湾旅行記

2025年台湾旅行記5日目〜桃園空港まで

11時32分発の列車は、現在十分車站にて足止め中。
11時頃に十分老街で火災が発生し、その消火活動のために不通となっている。

今のところ再開時刻未定だが、待っていればそのうち再開するだろうと、車内で休憩と開通待ちを決め込んだ。
もう歩き疲れたし、ここにいれば涼しいし。

同じ車両内に、私と同じ十分から台北に戻るという老夫婦とその息子夫婦らしい日本人家族が1組乗車中。
言葉を交わしたが、お互い中国語はわからない、フリーWi-Fiがなければネットにも繋がらないというのはどちらも同じだった。

そうしているうちに制帽に金線2本の駅長らしい人が来て日本語で、
「この列車は運転休止になります」
と伝えた。

とりあえず一旦降りろということらしい。

DSCN3011.JPG
 十分站にて足止めとなった八斗子行き4817区間列車。

ホームに出て、その家族の奥さんらしい人が、その駅長さんにいろいろ訊ねる。
駅長は、日本語は少し話せるようだ。

駅長は、日本ではすっかり珍しくなったタブレットキャリアーを肩に掛けた姿。
この線はまだタブレット閉塞なんだなあ。
それは今はどうでもいい話。

で、その駅長曰く、
「この列車は運転打ち切りです」
「急ぎなら、あのつり橋の向こうからバスが出ている」

その駅長はやたらとバスバスと繰り返した。
なんだかバスの代行運転でもあるかのような口調。

とにかく車内には居られないようだ。
列車から降りた人たちは、一旦改札を出るように促される。
私は悠遊カードで入場しているので、どうすればいいんだろう。

ほかの人はというと、みんなカードリーダーにタッチして出て行ってる。
私も同じようにカードリーダーにタッチしてみたら、引き落とし額の表示画面にマイナスの金額が表示されたので、入場記録が取り消されたようだ。

DSCN3026.JPG
 静安吊橋を渡った先のバス停。

列車を降り、改札を出た人たちはどこかへ消えてしまった。
そのバスとやらへ向かったのだろうか。
半信半疑でつり橋を渡り、対岸のバス停へ行ってみた。

電光掲示の時刻表があってバス停とわかるけど、知らない行先ばっかり。
瑞芳行きもあって、これなら来るときに平渓線に乗り換えた駅だから間違いない。
だけど次のバスは15時台。
これなら列車の開通の方が早いね。

さっきの家族はというと、さっき坂下のタクシー乗り場へ向かう姿が見えた。
運転再開を待たずにタクシーにしたようだ。

また駅へ戻る。


 十分 13:40 → 14:08 瑞芳【区間・八斗子行】

十分車站へ戻ると、さっき降ろされた運転打ち切りの列車に再び客が乗り始めている。
まさかの運転再開か、と思ったが違った。

改札係は、
「チャーヂャン」
と繰り返す。
チャーヂャンとは菁桐のことで、平渓線の終点。

つまり、菁桐発の上り列車だったこの列車は、十分で菁桐行きとなって折り返すのだった。
火災の消火活動が終わって開通したら、再び菁桐始発の上り列車として運転再開となるに違いない。

ええ、こういう時は鉄道ファンの経験と知識が役に立つ。

13時過ぎ、その列車は菁桐へ向けて発車して行った。

いつの間にか出札口の脇に、
『最近発車時間 13:40』
と書かれた張り紙が出ていた。

ホームの電光掲示板も
『八斗子 13:40 ontime』
となっている。
次の上り列車は13時40分発で間違いないようだった。

それでも発車時刻までまだ30分以上。
また十分老街を歩いてみる。

DSCN3034.JPG
 ホースを片付け撤収する消防隊。

火事は無事に鎮火したようで、消火ホースの撤収が行われていた。

そんなこと何事もなかったかのように、願い事を書いたランタンが次々と飛んで行く。
下から炎を見せて上がるランタンを見ていると、これが火事の原因じゃないのと思えてくるのだが。
わからんけどね。

DSCN3054.JPG
 2本運休となって大混雑の十分站。

再び十分車站に戻ってきたら、今度はすごい人が集まっていた。
11時台と12時台の2本が運休になった再開列車だからそりゃ混むだろう。

改札口からの行列は駅舎の外を出て、駅前の食べ物屋の所まで伸びていた。

DSCN3073.JPG
 13:46、瑞芳発菁桐行き遅れ4818列車が到着。

ホームの床に青色でペイントされた各乗車口は大行列。
朝のラッシュのような光景だが、違うのはみんな軽装だということ。

大きなスーツケースを引いた人は見なかった。
きっと台北からの日帰りの人が多いんだろう。

その人たちに混じって並んでいるが、13時40分になっても一向に列車は現れず。
周りの人はどうしたんだろうという感じだが、やがてカーブの向こうから菁桐行きの下り列車が入って来た。
菁桐発の上り列車もこちらへ向かっているはずだ。
平渓線は単線で、必ず十分車站で交換するダイヤになっている。

菁桐行きは13時46分に到着。
11時26分着だった列車だから、2時間20分遅れということになる。
どこかで足止めになっていたはずだ。

その着いたの列車からは、ラッシュアワーのように乗客が大勢吐き出された。
本当に本当に本当に本当にご苦労さんとしか言いようがない。

しかしね、私がもし1本あとの列車で十分に向かっていたら、間違いなくあの乗客の中の1人になっていたわけで。
つくづく悪運の強さを思い知る。

DSCN3086.JPG
 八斗子行き4823列車が到着。

13時52分、八斗子行きの上り列車も到着。
大勢の乗客とともに乗り込む。
一番駅舎から離れた最後部車両のためか混雑はマシのようで、席にありつくことはできた。
その代わりロングシートなので景色は見えず。

窓に背を向けて30分、瑞芳に到着。
16分遅れの14時24分だった。

この列車は八斗子行きで瑞芳が終点ではないが、台北方面はここで乗り換え。
ほぼ全員がここで降りる。
当初は乗り通して八斗子まで往復するつもりでいたが、それはやめて台北に戻ることにした。

DSCN3092.JPG
 瑞芳車站を通過する貨物列車。

瑞芳からは台北の近郊電車があり、台北へは直通で戻れる。
ひとまず安心ではある。

しかし、ここから何行きに乗ればいいんだろう。


 瑞芳 14:54 → 15:45 台北【区間・嘉義行】

地下道にある電光掲示板には、各ホームごとの時刻と行先が表示されているが、知らない行先ばかり。
台北行きの列車が無いので、どの列車が台北を通るのかわからないのだ。

人の流れは、1月台(ホーム)へ向かう人が多い。
だけど他のホームへ向かう人、出口に向かうらしき人も多い。

1月台階段の電光掲示板の表示は、
嘉義 14:54』
となっていた。

この駅名はどこかで見たなあ。

そうだ、昨日乗った『環島之星(フォルモサエクスプレス)』で停車した駅ではないか。
台南と台中の間くらいにある駅。
それなら間違いなく台北を通る。

しかし行先に嘉義なんて見ても、台湾に詳しい人でないと絶対わからない。
台北から260km以上もある駅だからね。
ここ瑞芳からだと300km近くにもなる運転距離で、しかも各駅停車で行くわけだ。
台湾ではこうした長距離各駅停車がゴロゴロと存在するのだった。

DSCN3100.JPG
 EMU700型電車の嘉義行き区間列車。

14時36分、電車が入ってくる。折り返し嘉義行きとなる電車。
こんどのは8両編成。

私は鉄道の車両に関する知識は乏しいので、Wikiなどで調べたらEMU700型電車というらしいです。
窓の形や座席レイアウトは日本離れしているが、日本製らしいです。

DSCN3103.JPG
 EMU700型電車の車内。

撮影した最後部車両は地下道の階段からは一番離れているのでまだほかに客はおらず。
この間に車内の観察。

クロスシートは背面合わせのが1組2箇所という変わったレイアウト。
ドア横は2人掛けのロングシート。
ロングシートの客は、常にクロスシートの客から横顔を見られるから落ち着かないね。

隅が丸くなったHゴムの窓とか日本離れしているけど、両開きのドアとつり革あたりに日本らしさが見られる。

とりあえず進行方向のクロスシートに座ってみたが、背もたれが低くて前がロングシートなので落ち着かない。
あくまで通勤電車仕様という感じ。

発車時刻が近づくとこの車両も乗客が増えてきた。
日本人観光客の姿も目立つ。

瑞芳は平渓線乗換え駅だけでなく、有名観光地の九份老街の最寄り駅でもあり、観光客の利用が多いのだろう。

DSCN3109.JPG
 八堵(パードゥー/はっと)車站のホームと改札口。

DSCN3111.JPG
 汐止(シーズィー/しおどめ)站から見えた台湾らしい町並み。

瑞芳から台北までは各駅停車で約50分。
日本と似たような鉄道駅風景と、台湾らしい街並みを見ながらの退屈しない時間だった。

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 床に座る人が多い台北車站大ホール。

十分で思いもかけぬ足止めを食らい、台北に戻って来たのは16時近く。
腹が減って来たし、食事は台北駅で世話になることにしよう。

だけど、なんだか胃がムカムカして食欲ナシ。
しかし腹は減る。
脂っこい、独特の香りの台湾の料理に少々食傷気味でもあった。

DSCN3119.JPG
 台北駅2Fの台湾夜市。

台北駅2Fはフードコートをはじめ飲食店が並んでいる。
日本食ばかり目立つし、日本のチェーン店もある。
だけど、台湾に来てそんな店に入ってもつまらないしなあ・・

結局、フードコートの台湾夜市にすることにした。

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 一鼎蚵仔煎の炒麺(55元)。

どの店もセットメニューがメインだが、今回は単品とした。
一昨日と同じ一鼎蚵仔煎という店で炒麺(チャオミェン)を注文する。

出来上がりの麺を皿によそってルーローハンの肉をかけたものだったが、ボリュームは結構あった。
八角の風味が効いた、台湾らしい一品だった。


 台北車站 → 機場第一航廈【桃園空港MRT】

これで台北の滞在も最後になる。
土産物でも買わなきゃなあと、初日に行ったバスターミナル地下の『Mia C'bon』へ。

台湾土産定番のパイナップルケーキ、それにドライマンゴー、台湾ビールなどをカゴに入れてレジへ。
合計858元。
1000元札がこれで1枚はけた。

残りの1000元札はあと1枚。
これは空港で使うしかないのだろう。

DSCN3126.JPG
 賑わう台北車站の大ホール。

台北車站に戻れば、これで台湾旅行も実質終わり。
1Fの大ホールに座り込む人たちに心の中で別れを告げて、エスカレーターで地下へ。

コインロッカーに寄って、預けたリュックサックを出す。

DSCN3143.JPG
 桃園機場捷運の台北車站。

初日にも書いたが、桃園空港MRTの乗り場は台鐵や高鐵の台北車站から離れた場所にある。
だけど駅地下には案内看板があってわかりやすい。
『桃園機場捷運』と表示のある方に歩いて行けばよい。

ちょうど電車が着いたところで大勢の下車客とすれ違う。
車内は満席。
座れなかったら次の電車にしようと思っていたが、一番先頭の車両のボックスシートが1席空いていたのでそこに座る。

空港アクセス鉄道だが、途中駅で下車する人が意外と多かった。
台北近郊に1つ加わった、新しい交通機関ということを思わせる。

DSCN3148.JPG
 機場第二航廈に到着。

台北車站から約40分で機場第二航廈に到着。

ここは台北桃園空港第2ターミナルの駅。
明日帰国するタイガーエアの便は第1ターミナル出発だが、今日泊まるホテルは第2ターミナルにあるのでここで降りる。

DSCN3159.JPG
 エスカレーターで上へ上へ。

ホテルは第2ターミナルビルの5Fにある。
地下の駅コンコースから、エスカレーターで上へ上へ。

夕方の空港ターミナルは人がいっぱい。
このあたりは、チェックインして荷物を置いてからまた探検することにしよう。


 台湾桃園国際空港 第2ターミナル

エスカレーターを5Fまで来たところに予約していたホテルの入口があった。
その名は『町・草休行館』。
日本で予約したときは『チョー・ステイ カプセルホテル』の名だった。

DSCN3162.JPG
 第2ターミナル5Fにある町草休行館。

“町” といい、入口の暖簾といい、日本の宿を模した感じ。
だけど、予約サイトではドミトリーの括りだった。

暖簾をくぐって中に入るとカウンターがあり、そこでチェックイン。
店構えとは裏腹に日本語は通じず、英語でやり取りする。
この辺は台湾あるあるですな。

DSCN3168.JPG
 二段になったベッドルームが並ぶ。

予約時に登録したクレジットカードで支払い。
1泊2000元。
のちの日本円請求で約9,600円。

カプセルホテルにしちゃ高い。
ほかに空港内で泊まれるホテルが無いので、足元見た価格だなと思うが、承知で予約していたので仕方がない。

そんなことより、あとで悔やんだのが、まだ財布の中に2000元以上の現金が残っており、それで支払えば良かったということ。
これはあとで気づいたのでどうしようもない。

DSCN3165.JPG
 下段のベッドルーム。

ホテル内は土足禁止で、下足箱に靴を入れて中に入る。
チェックイン時に渡されたカードキーをかざすと客室へ入れる仕組み。
セキュリティーは万全。

各部屋は16人ほどの男女別の小部屋になっており、上下2段のカプセルホテルのようになっている。
ロールカーテンを下げれば個室となるので、1晩寝るだけならば十分な設備だ。

シャワールームとトイレは共同となる。

チェックインして荷物を置いたらまた外に出る。
まずは明日の第1ターミナルへの移動の確認。

DSCN3177.JPG
 第2ターミナルのスカイトレイン(航廈電車)乗り場。

ここは第2ターミナルであり、明日朝早く出発する飛行機は第1ターミナルからの出発になる。
桃園空港の第1ターミナルと第2ターミナルは微妙に離れていて、この間を移動するにはスカイトレインという無料の電車に乗る必要がある。

グーグルマップで見ると、ターミナル間は通路で繋がっているように見えるが、繋がっているのは国内線のセキュリティーエリアだけで、外側から移動するとなるとスカイトレインに乗るか、外へ出て歩くしかないようだ。

スカイトレイン乗り場へは、3Fの出発ホールから『往第一航廈電車』と表示のある看板に従って歩く。
途中エレベーターに乗ったり、結構面倒くさい。

まあでもこれで第1ターミナルへの行き方はわかった。

DSCN3184.JPG
 スカイトレインの運休を伝える案内板。

明日の早朝はこのルートで行けばいいわけだ。
と思っていたのだが、気になったのが乗り場の手前にある運行状況の液晶パネル。

なんと、明日未明の1時から5時まで運休と表示してあった。
基本24時間運行だが、補修作業のために運休時間が設けられているらしい。

5時の運転再開に乗っても、明日の飛行機は6時20分発。
たぶん間に合わないだろうなあ。

ほかに移動方法はないのかと思い、スマホで桃園空港のHPを見てみる。

空港アクセスのページを見ると、ターミナル間の移動は無料のシャトルバスもあるようだ。
調べると、バスは深夜のみ運行、発車時刻も決まっていて、第2ターミナル1F到着ホール南東側のバス乗り場に発着とあった。

空港内に泊まって、明日早朝発の飛行機搭乗への備えは万全と思っていたのだが、想定外の面倒事になってしまった。
今回の旅行は、どうもこういうのが多いな。

しょうがない、明日の下調べで、そのバス停を探してみる。

DSCN3186.JPG
 第2ターミナルビル1F到着ホール。

第2ターミナルビル南東側は、到着口から左に行き、さらに通路を左に進む。
それらしい表示は全く見当たらず。

南東側はこっちの方だろうなあとグーグルマップで見当を付けて進むと、
『航廈巡迴巴士』の表示を見つけた。

DSCN3190.JPG
 航廈巡迴巴士(ターミナル間シャトルバス)の待合室。

英語で『Terminal shuttle bus』とあるのでここがターミナル間シャトルバス乗り場なのは間違いない。
外に出るとバス停があり、発車時刻も表示してあった。

DSCN3196.JPG
 ターミナル間シャトルバスの時刻表。

本数はあまりなく、23:55〜5:50のみ運転で25分間隔。
明日は、4時10分発か4時35分に乗るしかないようだ。

それでも、バス停への行き方と時刻も分かったし、これで一安心となる。

あとは空港の中を見物して回ることにした。

DSCN3170.JPG
 3F出発ホールにある外貨両替店。

空港の中を歩き回っていると、3Fの出発ホールに外貨両替店が並んでいる一角があった。
カウンターはちょうど空いている。
ふと思い立ち、財布の台湾元の残額を見る。

お札は1000元札1枚、500元札1枚、あとは100元札数枚。
1000元札と500元札は、もう使うことはないだろうなあ。

台湾銀行のカウンターで、「ジャパニーズ・エン」と言って1,500元の紙幣を差し出した。
しばらくやり取りして、両替手数料込みで6,000円、千円札6枚を受け取る。

  ★     ★     ★

そのあと地下のフードコートに行ってみる。
広くて賑やか。
缶ビールだけど台湾ビールを置いている店もある。

再両替したけど、まだ100元札が5枚ある。
台湾元を使ってしまいたかった。
だけど胃の具合が良くなく、漂う匂いだけで胸が一杯になった。

ホテルのある5Fに戻る。

DSCN3161.JPG
 5Fは臺灣玩藝大街というフードコート。

5Fもフードコートになっている。
地下のフードコートの喧騒とは反対に、こちらは落ち着いた雰囲気。
だけど仕舞うのも早い。
どの店も18時で終わりで、閑散としている。

そんな中でまだやっている店もあった。
ここならば落ち着いて食べられそう。
軽そうなメニューを見つけて店員に伝えると何やら言う。

こちらは中国語は分からないので戸惑っていると、店員はスマホに何か打ち込み見せた。
グーグル翻訳で
『ルーローハンのみ』
と伝えた。

「OK」と言うと茶わんに盛ったご飯に煮込んだ肉をかけてすぐに出てきた。

DSCN3202.JPG
 第2ターミナル5Fにある金仙魯肉飯 ノ金食堂。

DSCN3199.JPG
 ルーローハン単品(50元)。

出てきたのは、ご飯に甘辛く煮詰めた豚肉をかけた魯肉飯。
まかない飯のような印象だったけど、胃には優しい。
美味しくいただいた。

DSCN3204.JPG
 黒松沙士は台湾のコーラ。

飲み物が無かったので、5Fにあるファミリーマートで飲み物を買った。
台湾らしいものをと、黒松沙士(ヘイソン サースー)を買ってみた。

ひと口飲むと薬くさい。
まあ、この手のご当地コーラって薬臭いのが定番のよう。
北海道はガラナ、沖縄のルートビア、みんな一口目は薬くさい。

5Fはフードコートだけでなく、テーブルと椅子が並んだフリースペースとなっている。
この時間になると空きテーブルも多数。
そのテーブルで今日の出来事を日記に綴っていた。

部屋に戻っても横になるしかないのでね。
ここ5Fのフリースペースは、ホテルのロビー代わりにもなる。

そんなわけで、就寝時間まではここで過ごさせてもらった。

5月3日の支出
費目使用場所台湾ドル備考
朝食ファミマ58 
悠遊カード台北車站100チャージ
コインロッカー台北車站1509時間使用
昼食台湾夜市55 
水2本ファミマ 40 
土産Mia C'bon858 
夕食金仙魯肉飯50 
黒松沙士ファミマ35 
合 計1,346(クレはクレジット払い)


posted by pupupukaya at 25/06/14 | Comment(0) | 2025年台湾旅行記

2025年台湾旅行記5日目〜十分老街へ

 ■ 2025年5月3日

おはようございます。
台湾5日目。
例によってカップ麺の朝食。

DSCN2723.JPG
 味味A排骨鶏湯麺。

これはさっき外に出てファミマで買ってきた物。
『排骨鶏湯麺(パーコーチータンメン)』という、台湾ではロングセラーのカップ麺らしい。
相当にパンチのある風味で、こういったところが海外旅行の楽しいところでもある。

今日はこのホテルをチェックアウトする日なので、荷物をまとめなければならない。
といっても、持ってきた荷物が少ないし、まだお土産も買っていないのですぐに終わってしまった。
あとはテレビを観て過ごす。

DSCN2732.JPG
 台湾の天気予報。

テレビで天気予報を見ていると、今日は午後から雨らしい。
十分まで行くけど、午後は早々に台北に戻ってきた方がいいのだろうか。

それにしても、こっちの天気予報のキャスターは、邪魔くさい場所に立って解説するなあ・・・


 台北 8:58 → 9:46 瑞芳【区間・瑞芳行】

8時過ぎ、ホテルをチェックアウトして台北車站へ行く。

今日は9時前の列車で、日帰りで十分老街(シーフェンラオジェ/じゅうふんろうがい)まで行く予定にしている。
その後夕方に台北まで戻ってきたら、桃園空港まで行き、空港内の宿に泊まるという行程となっている。

空港内に泊まるのは、明日の新千歳行きの飛行機が朝早いため。
だから今日が実質台湾の最終日になる。

DSCN2763.JPG
 台北車站1Fホール。

さっき部屋を出る前に手持ちの現金を数えたら、まだ3000元以上残っていた。
千元札もまだ2枚ある。

初日に5000元(約2万2千円)キャッシングしたけど、ちょっと多すぎたね。
一昨日から支払いはすべて現金にするようにしているが、困ったことに思ったほど減らない。

この先食事したり、お土産を買ったりくらいはするのだろうが、使い切れるだろうか。
余ったら次回の台湾旅行用にすればいいんだろうけど、勿体ない気がする。

DSCN1480.JPG
 1Fホールの自動券売機。

台鐵は全線で悠遊カードが使える。
今日は十分まで往復して桃園空港まで行くので、チャージしておく。
台北車站1Fホールにある台鐵の券売機は、日本語表示が選べるので使いやすい。

これで現金が少し減るけど、今回チャージ額は100元。
このチャージ額も余してもしょうがないしね。

DSCN2754.JPG
 台北車站地下のコインロッカー。

もう1つやることがあって、いま背負っている大きいリュックをコインロッカーに預けること。
さっきチェックアウトしたホテルで頼めば預かってくれたんだろうけど、面倒なのでこのまま持ってきたのだった。

地下の出口専用改札口の向かいにコインロッカーが並んでいた。
ここに預けることにしよう。

使い方は、ロッカー中央の機械にあるタッチパネルで荷物を入れたいロッカーを選択。
おっと、その前に『日本語』の選択ね。
ここのロッカーは日本語表示が選択できる。

次にお金を入れて、暗証番号が印字されたレシートを受け取る。
最後に登録したロッカーに荷物を入れて扉を閉めるとロックが掛かる仕組み。

荷物を出すときは、今受け取った暗証番号が必要になるので無くさないように。

DSCN2769.JPG
 ホームへのエスカレーター。

身軽になって、改札口からホームへ。
乗車ホームは昨日のフォルモサエクスプレスと同じ4月台(ホーム)となる。

DSCN2773.JPG
 台鐵ホームを見る。

台北車站は4面8線の巨大な地下駅。
だけど半分は高鐵の駅なので、台鐵が使えるのは2面4線しかない。

ホーム数が限られているので、昨日乗ったフォルモサエクスプレスを除いて台北が始発や終点となる列車はなく、必ず台北車站を通り過ぎてから終点となる。
このあたりは名鉄名古屋駅に似ている。

DSCN2793.JPG
 ホームに掲示の台北站列車時刻表。

この台鐵の台北車站は、どれくらいの列車本数があるのかというと、ホームに日本と同じような時刻表が掲示してあるのでそれを見ればわかる。

日本の普通・快速列車にあたる区間・区間快は1時間当たり5〜7本。
運転間隔もバラバラで、電車というより『汽車』という感じ。

台北市内の交通は地下鉄がメインで、台鐵は汽車という感覚なのだろう。
何となく日本の国鉄時代を彷彿させる。

それでも8時台後半は優等列車を交えて5〜6分間隔なので、次から次へと色んな列車がやってくる。

DSCN2790.JPG
 花蓮行き自強号。激しく乗りたい。

この地下ホームからは、自強号も普通に発着する。
ホームに結構行列が出来ていたけど、全員乗車しても車内は空席が目立っていた。

「ジリ〜〜〜〜ン」と発車ベル。
そんな光景を見ていたら、無性にこの列車に乗りたくなってきた。
だけどチケットも無いし、今日の予定は決まっているので乗るわけにはいかない。

花蓮行きの自強号を指をくわえて見送って、次の瑞芳(ルイファン/ずいほう)行き区間列車を待つ。

DSCN2802.JPG
 瑞芳行き区間列車。

瑞芳行き区間列車は混んでいた。
混んでいたと言っても満席に立つ人が十数人といったくらい。
土曜日なので行楽といった格好の人が多い。

車内のレイアウトは変則セミクロスシート。
あまり落ち着いて過ごせそうな座席配置ではないなあ。

3つ目か4つ目の駅で窓側の席が空いたので座らせてもらう。

DSCN2822.JPG
 基隆河の谷沿いを行く。

八堵(パードゥー/はっと)では基隆へ行く縦貫線と分かれて宜蘭線へと入る。
ここから谷沿いとなり景色が良くなってくる。

昨日も同じところを通っていた。
同じ景色を見ながら昨日は朝食を食べていたわけだ。

DSCN2827.JPG
 瑞芳に到着。

終点の瑞芳に着くころには空席も出るようになったが、相変わらず乗車率は良い。
何だかこの乗客の多くが、十分まで行くのではないかという気もしてきた。

瑞芳に着くと、こんなにも乗っていたのかというほど大勢の乗客の流れとなった。
電車は10両編成だったので、乗客数は相当なものだ。それが1本の地下道に集中する。


 瑞芳 10:03 → 10:30 十分【区間・菁桐行】

狭い地下道を大勢の人に流されるように平渓線(ピンシーシェン/へいけいせん)のホームへ。
階段を上った3月台のホームは大混雑だった。

DSCN2834.JPG
 瑞芳站に入線する平渓線の菁桐行き。

やがて4両編成の気動車が入ってくる。
この列車は深澳線の八斗子(パードウズー/はちとし)が始発の列車。
地味ながらこうした支線のローカル列車が走っている。

DSCN2836.JPG
 平渓線ホームは大混雑。

どの人も行楽といった格好。
週末の平渓線は、十分老街へ行く観光客が押し寄せるんだろう。

車内はこれもラッシュ並みの大混雑。
壁際の空間を確保して、ここに寄っ掛かって立つことにする。
車内では日本語の会話もチラホラと聞こえる。

そういえば日本では、今日からゴールデンウィーク後半スタートだったな。

窓の隙間から見える渓谷の綺麗な風景が恨めしい。
金網越しだったけど、有名な十分瀑布もチラッと見えた。

やがて商店街の真中をノロノロと進む。
線路わきには人が大勢いて、手を振る人や撮影している人が目立つ。

やがて十分(シーフェン/じゅうふん)に着く。

DSCN2845.JPG
 十分で上下列車が交換する。

4両の乗客のほとんどが十分で降りる。
この駅はローカル線らしく構内踏切で線路を渡るのだが、上りの八斗子行きと交換となるので向こうが発車するまで待つことになる。

私はというとホームの端で列車の撮影をすることにした。
こんな鉄っちゃんらしいことしているのは私1人だけだった。

DSCN2854.JPG
 十分站を後にする列車。

DSCN2865.JPG
 十分站に到着。

今の列車からは200人は降りただろうか。
それが一斉に2箇所の改札口へ向かう。列はなかなか進まない。
押すな押すなと言わんばかり。

そんな行列には加わらずにホームから駅の反対側を眺めていた。
谷に架かるつり橋があって、あそこからの眺めが良さそうだ。
まずあの橋に行ってみることにするか。


 十分老街

ようやく改札口から出たら、列車が到着してから5分以上も経っていた。

DSCN2873.JPG
 駅前の食べ物屋。

駅を出ると線路に沿った細い道に、夜市みたいな屋台風の食べ物屋が並んでいる。

揚げ物とか肉を焼いたりとかの油。
そんなのが混じり合って独特のムッとした匂いが漂っている。

いかにも観光客向けという感じ。
観光客になりきって、こうした店で買って食べ歩くのも楽しいんだろう。
あとで寄ってみようか。

DSCN2876.JPG
 駅裏にある静安吊橋。

食べ物屋の前を通り過ぎ、踏切を渡った先にホームから見えたつり橋があった。

日本統治時代からの物かと思ったが、調べたら1947年と戦後の建築物だった。
当時は炭鉱からの石炭を運ぶ用途だったが、閉山後は歩行者専用橋として整備されたもの。

もともとこの十分は炭鉱町だったところで、炭鉱跡を博物館とした『新平渓煤鉱博物園区』という施設もある。
ちょっと気になった施設だが、駅から歩くと30分近くかかるようで、今回はパス。

DSCN2882.JPG
 静安吊橋からの眺め。

基隆河の谷に架かるつり橋からの眺めは大変良いが、歩く度にゆっさゆっさ揺れるので結構怖い。
私は高所恐怖症なので、さっさと退散することにする。

DSCN2874.JPG
 線路沿いに商店が連なる十分老街。

十分の見どころは、線路に沿って商店街となっている十分老街だ。
線路の中をぞろぞろと人が歩いている、ここならではの光景。

これを見るために、わざわざ十分まできたわけだ。

DSCN2884.JPG
 天燈を売る店。

目立つのは、ここから大きなランタンを空に向けて上げる人たち。
ここ十分の最大の名物が、天燈飛ばしと呼ばれる風習だ。

天燈と呼ばれるランタンに願い事を書いて空に飛ばすとその願いが叶うとされている。
線路上が、その天燈飛ばしの場所となっているのだった。

DSCN2917.JPG
 線路から天燈を飛ばす。

天燈が飛ぶ仕組みは、中で火を燃やして空気を温め、その浮力で上昇するという熱気球と同じ原理。
あちこちのグループが墨と筆で書いたランタンを持って、スタッフが火をつけてスタンバイ。
持っていた人たちが一斉に手を離すと、ランタンが一瞬にしてパパッと上がってゆく。
見ていて面白い。

ここは日本人観光客が多く、日本語で書いた願い事も多かった。
その願い事はというと、

「健康で長生きできますように」
「お金持ちになりますように」
「宝くじに当たりますように」

他愛ないものが多い。

DSCN2902.JPG
 一応通行禁止の看板もある。

こうした線路に自由に立ち入るなんて日本じゃ絶対ありえないし、台湾でもだめだろう。

線路わきに、通行禁止の意味の看板もあるけど、みんなガン無視。
特に事故もないし、観光名所ともなっているから黙認ということになっているのだろうか。

DSCN2991.JPG
 次々と上がる天燈。

炎の上がったランタンが次々に飛び上がるのを見ていると、墜落したりどこかに引っかかったりして火事にならんのかなと思う。
あと上がったランタンは最後にはどこかに落ちるわけで、環境問題にはならんのかなと思う。
こうして続いているんだから大丈夫なんだろうけど。

観光地に来て、こんなこと考えるのは野暮というものだろう。
だからもうやめる。

ここは元々は十分寮村と呼ばれ、日本統治時代に開発された炭鉱町のひとつ。
その石炭の積み出しのために敷設されたのがこの平渓線なのだった。
炭鉱が閉山となると住民が次々と出て行くのは日本と同じこと。

この平渓線も廃線となりかけるも、この路線を観光鉄道として見直し、観光産業を発展させたのが台鐵でもあった。

DSCN2930.JPG
 軒の向こうに見える煙。

この世にも珍しい線路上のランタン上げと十分老街を見て、ここで次の列車の通過風景を見るか、駅に戻って次の列車で戻るかどうか思案どころだった。

ところで、さっきから何だか煤のような臭いが漂っている。
あちこちで飛ばしているランタンの火からだと思っていたが、商店街の裏手の方から煙が上がっているので、あれが原因らしい。

焚き火でもしているんだろうか。
ランタンの種火とか?

気になるので近くまで行ってみる。

DSCN2953.JPG
 商店の裏の家が火事だった。

これは焚き火ではなく、火事なのでは?
そう思うほど黒煙がモクモクと立ち上る。

そのうち近所の人が血相変えて消火器を持って店の奥の方へ走って行った。

なんとリアルの火事。

煙はだんだん強くなって、パチパチと音もするようになった。
これはえらいこっちゃ。

DSCN2951.JPG
 観光客はあまり気にしていない様子。

えらいこっちゃなのだが、そんなもの何するものぞとばかりに観光客はランタンを飛ばし続ける。
ここでは火事は日常茶飯事なのか?

モクモク立ち上る火事の黒煙に混じって、観光客のランタンが次々と飛び上がってゆく。

DSCN2977.JPG
 消防車が来た。

10分くらい経って、ようやくサイレンの音が聞こえてきた。
谷の下を通る道路からの坂道から消防車がやって来て、十分老街の入口に到着。

消防車から消火ホースを引っぱり出し、消防隊員が火事現場へ走る!

DSCN2986.JPG
 線路を横切る消火ホース。

消防隊員は走る!

それはいいんだけど、消火ホースが思いっきり線路を横断してしまっていた。
列車が来たらホースを外して消火は一時中止、てなわけないからね。
これは鎮火まで不通が確定だ。

火事の家は山側にあり、道路が狭くて消防車が入るのが無理っぽいのでどうしようもない。

DSCN2998.JPG
 十分車站。

ずっと歩きっぱなしだったので疲れたし、とりあえず駅に戻る。

11時32分の列車にのり海沿いにある八斗子まで往復して台北に戻る予定でいたのだが、どうなるのだろうか。
最悪、今日中に台北に戻ることが出来ればいいんだけどね。

DSCN2995.JPG
 出札口横に発車時間未定の掲示が。

出札口横にホワイトボードの掲示板が出ていて、次の列車は
発車時間未定
と書いてあった。

とはいえ、消火ホースが線路を横断しているだけの話なので、鎮火して消防隊が撤収すればすぐに開通するのだろう。

DSCN3003.JPG
 八斗子行き4817列車。

もう居場所も無いので、改札を通ってホームへ。

しばらくすると菁桐発八斗子行きの4817列車が入って来た。
火事が終わるまでこの駅で足止めとなる。

DSCN3008.JPG
 DRC1000型気動車の車内。

菁桐から着いた列車は、この駅でほとんど降りてしまったが、乗っている人もチラホラ。
開通まで1時間かかるか2時間かかるかはわからないが、それまで車内で座って待つことにしよう。
それに、ここにいれば冷房が効いて涼しいしね。

私は状況もわかっていて、ガラガラの車内で待たせてもらうからいいけど、反対方向の瑞芳発の列車に乗っている人たちは、とんでもない災難だったろうなあ。
状況もロクにわからず、途中駅でいつ開通かもわからない足止めじゃ大変だ。

そんな呑気に構えていたのだが・・・・


posted by pupupukaya at 25/06/08 | Comment(0) | 2025年台湾旅行記

2025年台湾旅行記4日目〜環島之星(フォルモサエクスプレス)その2

現在台東停車中。

24分間の停車時間は思いのほか長い。
車内に戻ると、台東で降りる人が多かったのか、どの車両もがら空きになっている。
これ幸いと各車両の撮影をさせてもらう。

DSCN2072.JPG
 2+1列座席の車内。クロミ車両。

私が乗っている車両の内装はピンク地で“マイメロディー”が描かれているが、5号車を覗いてみるとこちらは黒地に“クロミ”が描かれていた。
4号車は黄色地の“ポムポムプリン”、6号車は空色地の“シナモンロール”。
キティちゃんはいないようだ。
あれは別物になるのかな。

私は列車で台湾を一周したかっただけで、別にサンリオファンではないのでよくわかりません。


 南廻線 台東 → 枋寮

台東の長時間停車でどこかへ行っていた人たちも次第に車内に戻って来た。
それでもガラガラ。

一番乗っているのがこの3号車で、それでも十数人。
4、5、6号車に至ってはそれぞれ2人か3人という状況だった。

デッキの荷物置き場もカラになっていて、スーツケースを持った人は見当たらない。
ということは、この時点で車内にいる人は、台北まで1周乗り通すということになる。

DSCN2082.JPG
 レトロ列車の『藍皮解憂号』が到着。

もうすぐ発車時刻というころになって、ホーム向かいに古そうな青い客車を連ねた列車が入って来た。
乗客がぞろぞろと降りてくる。

この客車は、2日目に台北市内の国家鉄道博物館準備処で見学した客車ではないか。
台湾西部ではまだこんな列車が走っているのか。

と思ったが、調べたらこれも観光列車なのだとか。
レトロ観光列車『藍皮解憂号(Breezy Blue)』として毎日運転しているようだ。

台湾の観光用鉄道はこのほかに有名どころとして阿里山森林鉄道がある。
そのほか保存鉄道として走っているサトウキビ列車というのも各地にあるようだ。

今回の旅行では日程の都合上どれもパスとなってしまったが、調べれば調べるほど台湾は鉄道好きにとっては宝庫のような所に思えてきた。

DSCN2099.JPG
 肉まんのおやつ。

台東を発車してしばらくするとまたワゴンがやって来た。
配られたのは温かい小さな紙包み。

開けてみると、包子(パオズ/肉まん)だ。
14時前の点心タイムといったところ。

DSCN2137.JPG
 海沿いの高台を行く(多良海岸)。

台東からの路線は南廻線となる。

この線は台湾を1周する鉄道としては最後に開通した路線で、全線開業は1992年と比較的新しい。
さらに全線電化が完成したのが2020年と最近のことだ。
それまではさっき台東駅で見た旧型客車が、ディーゼル機関車に牽引されて走っていたのだから驚く。
つくづくもっと早くに台湾旅行をしていれば良かったと思う。

南廻線は、新しい路線だけにトンネルが多いが景色も良くなった。
海沿いが多いのと、高台を通っているので、眺めが抜群だ。
今日は雨なので重苦しい海が広がっているが、天気の良い日にはすっきりとした青い海が広がっているんだろうなあ。

また長らく鉄道がなかったせいなのか、人家をあまり見なくなる。
雨で暗いこともあって、南国らしい最果て感がただよってくる。

DSCN2170.JPG
 自強号に抜かれる。滝渓站。

列車はしばらく高台の海沿いを走ってからまたトンネルに入る。
トンネルを抜けた谷間のような所に駅があって停車した。
14時18分。

時刻表では停車駅になっていないので、運転停車だ。
瀧溪という駅らしい。椰子やソテツの林の中にある寂しい駅。

しばらくして真っ白な車体の自強号とすれ違う。
しかしこの列車は発車せず。

ずいぶん長い停車だなと思ったころ、後ろからまた自強号が追い越して行った。
14時33分、こちらも動き出す。
またしばらく海沿いの高台を走り、長いトンネルが多くなると山岳地帯へと入る。

  ★     ★     ★

中国語の車内放送があって、乗客たちが一斉にバー車両へと向かう。
また何かイベントがあるのだろう。

デッキからちょっと覗いてみたら、何か作っているようで、DIY体験のようだ。

あんたは参加しないのかって?

子供連れの家族とかカップルばかりなので、一人旅のおっさんが加わったってつまらんよ。

DSCN2219.JPG
 一瞬現われる渓谷。

トンネルばっかりだけど、トンネルとトンネルの合間に一瞬見える風景もまた楽しい。
一瞬だけど、本当に一瞬だけど、はっとするような風景が広がったりする。

これが鉄道の旅の面白いところでもある。

DSCN2248.JPG
 台湾海峡が見えてくる。

長かったトンネルばかりの区間が終わるとまた海が見えてきた。
太平洋側から山越えして台湾海峡側へと来たわけだ。
ずっと雨模様だった東側だったけど、西側は青空が見えるようになってきた。

DSCN2256.JPG
 台湾最南端の駅、枋山のあたり。

枋山の町を見下ろす高台にある枋山站を通過する。
この駅は台湾最南端の駅。今まではずっと南下してきたが、ここからは台北に向けて北上となる。
しばらくは高台から台湾海峡を見下ろして走る。

台東以来、ずっと人家の少ない寂しい所ばかり走って来たが、このあたりまで来ると人家もあり畑もある、人里らしい風景となった。

DSCN2299.JPG
 マンゴー畑。

車窓から海が遠ざかると、もうこの先海沿いを走ることはない。
変わって見るようになったのが袋掛けしたマンゴー畑。

あとは椰子のような木が並んだビンロウ畑。
ところどころにエビの養殖池なども見る。

東海岸から西海岸に来ると景色が一変して、同じ台湾でもこうも違うのが面白い。

DSCN2313.JPG
 枋寮車站。

15時19分、枋寮(ファンリャオ/ほうりょう)着。
台東を出て以来の町らしい駅。
1992年に南廻線が開通するまで、ここが台湾最南端の駅だった。

2分停車で取りたてて何かあるわけではないが、台北から台湾東部を回ってきてここまでの距離は443.1km。
台北まで残りの距離は432.8km。

時間では台北からここまで7時間10分。
ここから台北まで6時間24分。

つまりここで半分まで来たことになる。
ただそれだけ言いたくて枋寮のホームに出てみました。

降りる人も乗る人もなく2分間停車ののち発車する。

台東からここまで乗客は固定のようだ。
この車両の顔ぶれは、子供連れ含む家族4組、台湾の鉄ちゃんらしいのが2名、日本人カップルそれに私といったところ。
一人客は台湾鉄ちゃんと私の3名。
他の車両は台東発車時同様に、ほぼ無人状態。

一方でクルーはというと、バー車両の3名、清掃担当の1名、それに車掌1名の計5名乗務なのだから、それだけで大した豪華列車だ。


 屏東線 枋寮 → 高雄

枋寮からは路線名は屏東線へと変わる。
ここからは1941年開通の日本統治時代からの鉄道となる。

線形も良くなり、スマホで見る速度計も、ここからは100km/hを示すようになった。
相変わらず畑の中というのは変わらないが、駅が近づくと町があるという風景になる。

DSCN2395.JPG
 真新しい高架駅の屏東車站。

次の屏東(ピンドン/へいとう)も2分停車。

駅は真新しい高架駅になっていて、新型の自強号が似合いそう。
わが『環島之星』号はというと、車両の古さが隠せないという感じに見えた。

DSCN2411.JPG
 高屏渓に架かる旧下淡水渓鉄橋。

台湾で2番目に長い川、高屏渓(ガオピンシー/こうへいけい)に架かる鉄橋を渡ると、並行して古いトラス橋があるのが気になった。
これは日本統治時代に建設された屏東線の旧線で、1992年に複線化されるまで使われていたんだとか。

川面を渡る部分だけはちょん切られているが、それ以外の部分は文化遺産として保存しているのだという。
よく見るとトラス橋は遊歩道となっていて、切られた先端まで行けるようになっていた。

鉄橋を渡ると高雄市内に入る。
風景が次第に都会のものになっていった。

地下トンネル区間になって高雄(カオシュン/たかお)に到着。
昨日は台北から高鐵(新幹線)で日帰りで同じ場所まできたのだが、今日ぐる〜っと東回りでやって来た高雄駅は、昨日とは別の次元の高雄駅のようにも感じられた。

DSCN2432.JPG
 地下駅の高雄車站。

高雄市は人口272万人を擁する台湾第3の都市である。

・・と昨日同じことを言った気がするが、とにかく高雄である。


 縦貫線 高雄 → 台北

その大都市・高雄に敬意を表してか、ここでは5分間停車。
ホームに出てみるも何かあるわけでもなく。
高雄の駅名標を見て、ああ高雄だな〜と思うしかない。

でもここまで来ると、安堵感のようなものが出てきた。
この列車に何かあっても、高鐵で台北に戻ることができるのだから。

DSCN2443.JPG
 高鐵乗り換えの新左営車站。

高雄から地下トンネル区間を走っていくつかの駅を通過、地上に出た駅が新左営。
ここは言わずと知れた、高鐵乗り換えとなる駅である。

左営から高鐵に乗れば台北までわずか2時間、対してこの列車だと5時間以上かかる。
だがホームにいた大きなスーツケースを持った外国人がドアが開くと乗り込んできた。

車掌が「チケット!」と言うが、全員チケットを持っていた。
高鐵じゃなくて、わざわざこの列車を選択してのことになる。

確かにこの列車のチケットは途中駅発着でも発売はしているが、値段は高鐵より高いし、台北までなら自強号もあってそちらの方が早いし値段もこちらの半額近い。
何でわざわざこの列車に?

まあとにかく新しいお客が増えて、台北へ向けて発車する。

DSCN2491.JPG
 幹線の貫禄たっぷりの縦貫線。

また最後部デッキから後面展望の客となる。

高雄からは路線は縦貫線となり、複線電化の幹線となる。
スピードも100km/hを超えるようになり、堂々とした走りっぷりになる。

DSCN2494.JPG
 高雄市の郊外駅を通過。

高雄から台北までは、途中台南、台中、新竹といった大都市が連なっており、家並みが切れることなく続く。
列車本数も多く、普通列車に当たる区間車だけでなく『自強号』『普悠瑪号』といった特急列車も多く運行されている。
日本でいえば東海道本線のような路線だろう。

ローカル線の景色の良い所を走る列車も良いけれど、こんなガッシリとした幹線を走る列車も頼もしくて良い。
通過する駅のホームには、赤い帯の制帽をかぶった駅員が必ず立っている。
こんなのも、日本ならばもう30年以上昔の光景だなあ。

そんな後面展望を眺めていたら、子供を連れた次のお客さんがやってきた。
どうやらこの場所は気づかれてしまったようだ。

次のお客に交代して、イベント車両の方に移る。

DSCN2516.JPG
 基本フリースペースのイベント車。

4人掛けボックス席と窓に向いた2人掛け席が並ぶこの車両はイベント車と名前が付いているが、実際はフリースペースのラウンジカーのような存在となっている。

交代で使うというより、こちらの方が居心地が良い人たちが自席から引っ越してきているようだ。
自席同士が離れてしまった家族やグループはこちらが良さそうだ。

DSCN2531.JPG
 夕ラッシュを迎えた台南車站。

17時09分、台南(タイナン/たいなん)停車。

ここは人口185万人の台南市のターミナル駅。
にもかかわらず、他の駅と違ってここはレールを組んだホームの上屋がレトロ感たっぷり。
駅舎も日本統治時代に建てられたものが使われていて、この台南駅を見るためだけにまた台湾に来たいほどだった。

DSCN2522.JPG
 レールを組んだ上屋が堂々と張り出す1月台(1番ホーム)。

だけど、鉄道地下化の波はここ台南にもやってきて、現在の台南駅は地下化工事の真っ最中。
近いうちにこのホームも消えてしまうんだなあ。
なお駅舎の方はリノベーション工事の上、再利用されるんだとか。

DSCN2549.JPG
 高鐵の高架橋と西日。

台南を過ぎたあたりから日が傾いてきて、車内にも西日が差し込むようになってきた。

だんだん近づいてくるのは高鐵の高架橋。
あちらは新幹線車両が来ないかな・・と願ってみたが来なかった。

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 嘉義車站。

17時53分、嘉義(ジアイー/かぎ)停車。
阿里山登山鉄道の接続駅でもある。

この駅もレールを組んだ古い上屋のホームが残っている。駅舎も日本統治時代からのもので、正面は小樽駅にそっくりなのだとか。
見てみたいが、車内からは眺められないのが残念。

だけど駅舎の反対側は工事が行われている。
こちらは高架化工事ということだった。
工事はまだ始まったばかりのようだけど、いずれはこの駅も他の都市と同じようにピカピカの高架駅になるんだろう。

何だかどこも同じような風景ばかりになってつまらなくなるねえ・・・

・・ていうか、台湾旅行初のワタクシに、そんなこと言える筋合いはありませんな。

DSCN2581.JPG
 嘉義で積み込んだ夕食弁当。

嘉義で弁当を積み込んだようで、18時を過ぎた頃にワゴンに積んで配りに現れた。
今度も環島之星柄のボール箱に入った幕の内弁当タイプ。

朝と同じねえさんは飲み物のワゴンを押してやって来る。
こちらが声を発する前に、
ビイル!
と言った。

この列車は18時からハッピーアワーと称してビールが飲み放題となる。
ビールは缶の台湾ビールを開けて、紙コップに注いで渡してくれた。
缶ごと渡してはくれないようだ。

夕食のメインは鶏のチャーシュー飯のような。
それに中華っぽい醤油ダレ。
赤いウインナーが相当に変わった風味だった。
あとは分かりません。

食器は相変わらずプラスチックのフォークとスプーン。
昼の焼きサバほど食べづらいことはないけど、やっぱり箸がほしいなあ。

ビールと一緒に食べ終わって、清掃のおばさんに回収してもらうとまた後面展望へ。

DSCN2599.JPG
 夕暮れの後面展望。

18時30分、もう日は暮れて次第に暗くなり始めている。
ああ長い1日がもうすぐ終わりだなあ。
しばらく眺めていると、また次のお客さんが来たので交代。

戻る途中でバー車両に寄ってビールをもらう。
さっきのねえさんがカウンターにいて、「ビール」というと冷蔵庫から缶ビールを取り出して紙コップに注ぐ。
紙コップ2つに注いで渡してくれた。

昼間は元気だった子供たちも、この時間になるとさすがにぐったりしている様子。

へへ、ここからは大人の時間だよ。

DSCN2610.JPG
 バー車両で貰ってきたビール。

やっぱり汽車の中で飲むビールは美味しいね。
列車の揺れも旅情を誘う。

IMG_0149.jpg
 14系座席車を思い出す車内。

派手派手の内装だけど、こうして眺めていると思い出すのは14系座席車だなあ。
たまに客車列車特有の、前後にガクンと衝撃がある。

結構高速で飛ばすのと座席が車端近くということもあって結構揺れる。
あの空気バネ特有の、下からドッスンドッスン突き上げるような揺れ。

単線でやたらと飛ばしていた、快速『海峡』とかの乗り心地を思い出す。
古くは急行『天北』とか。
とにかく懐かしい。

もうすっかり暗くなって、外の景色を見ることが叶わなくなり、車内を眺めながらそんなことをぼんやりと考える。

DSCN2622.JPG
 彰化車站。

退屈なので、駅に停車するたびにホームへ出て撮影していた。
帰宅時間なので、どの駅のホームも人が多い。

DSCN2667.JPG
 バー車両のカウンター。

席に戻る途中、バー車両に寄ってカウンターでビールを貰う。

さっきのねえさんは、私がカウンターに顔を出すと
ビイル!
と言うようになった。

DSCN2629.JPG
 台中車站。

19時15分、台中停車。
ホームにはスーツケースを持った人が目立つ。
これはこの後に来る19時24分発の『普悠瑪号』を待つ人たちだろう。

ドアが開くとホームにいた5〜6人がこちらへ向かってきた。
誤乗を防ぐために車掌が「チケット!」と叫ぶ。
ところが全員チケットを持っていて、車掌に見せて乗車してきた。

この『環島之星』も台中〜台北間の運賃設定はあるしチケットも買えるけど、なんであえてこちらを選ぶ?
台北ならば次の『普悠瑪号』の方が30分近くも早く着くし値段も安い。
それにもう弁当も終わったしねえ。

この列車に丸1日乗り通す人たちも物好きだけど、台中から乗り込んできた人たちはもっと物好きかも。
台中からの人たちも3号車に収まった。
この車両だけは、朝に台北を出発した時と同じような乗車率に戻った。

DSCN2638b.jpg
 乗車記念の品(上)と記念証書(下)。

また例によってカウンターに寄ると、名前入りの『一日環島記念證書』をくれた。
1周乗車したことを証明するカードだ。
さっき乗客リストのようなものに名前を書かされたが、こういうわけだったのか。

写真を撮ってくれるようなので、スマホを渡して記念証書を持った姿で撮ってもらった。

私は先にバー車両に顔を出したのでそこで受け取ったが、その後に各席にクルーが記念証書と乗車記念品を配って回る。
車内はあちこちで記念撮影となった。
家族連れは楽しそうだねえ。

21時でハッピーアワーは終わりとなる。
21時09分の桃園発車後に3号車と2号車の間の連結路に横棒をかまして締め切りとなった。
各種サービスはここで仕舞いということだ。

DSCN2706.JPG
 終点台北に到着。

21時44分、終点台北到着。
1分の遅れもなく定時の到着だった。

13時間半にも及ぶ乗車時間は大変だけど、台湾の様々な地方の風景に接することができた。
台湾とひと口に語ってしまいがちだけど、地方地方で随分と違いがあるものだなあと、発見があったのは大きな収穫だ。

また乗りたいとは思わないけど、オイオイ (-_-;)
今度は一般の列車に乗って台湾を1周したいなあという気持ちが強くなった。

DSCN2712.JPG
 環島之星よさようなら。

もうちょっと列車の撮影をして、回送列車として発車するまで見届けたいけど、もう遅いので早くホテルに戻りたいという気持ちもある。
撮影もそこそこに切り上げることにした。

おっと、その前に駅のWi-Fiに接続しなくちゃ。
電子乗車券はオンラインでないと表示できないのでね。
改札口で駅員にスマホの画面を見せて出場。今度はすんなり通してくれた。

DSCN2715.JPG
 ライトアップの台北車站。

夜10時前の台北車站。
駅を取り囲むようにホームレスがいるけど、まだ歩いている人も多い。

怖い感じは無いけど、夜遅くに1人で歩くのはあまりいい気持ちではないな。
やはり駅に近いホテルにして良かった。

このホテルも今夜が宿泊の最後。
明日は桃園空港内のホテルに宿替えとなる。

5月2日の支出
費目使用場所台湾ドル備考
  0 
合 計0(クレはクレジット払い)


posted by pupupukaya at 25/06/01 | Comment(0) | 2025年台湾旅行記
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