今年はフィンランドへ行きます

突然ですが、なぜかオーロラが見てみたくなった。

オーロラを見にわざわざ出かける人は、今までは物好きな人くらいに思っていた。
海外旅行を始めてから行ったところが増えたからか、だんだん欲が出てくる。

その一つがオーロラというわけだった。

aorora2354.jpg
 オーロラのイメージ(GAHAG | 著作権フリー写真・イラスト素材集より)

オーロラを見るのなら北極圏まで行かなくてはならない。
行先は、アラスカ、カナダ、北欧、アイスランドといったところ。

あまりお金はかけられないので、飛行機代を調べてみた。
といっても、JALのサイトで検索しただけだったが。

今年はヨーロッパ方面が安いようだった。
カナダは行ったことがないので少々惹かれたが、飛行機代が高め。

それに、カナダは極北まで行く鉄道が1本しかなく、それもクルーズ列車のようなものなので相当高くつく。
北欧ならば、極北まで行く鉄道が何本もあるし、旅客列車も運行されている。


年末の出発で、札幌から成田経由ヘルシンキ(フィンランド)までの最安値の往復が11万円台。
先月(2019年7月)下旬のことだ。

195454.jpg

旅行は、行きたくなったらそれが行く時期なのだ。

JALのホームページを見ていると、8月からサーチャージがまた上がるとある。
サーチャージとは、搭乗日ではなく購入日によって決められる運賃の上乗せ額だ。

つまり、搭乗日は同じでも、購入日によってサーチャージ額が異なるということだ。
ということならば、7月中に買った方がいいに決まっている。

7月31日の夜、決断の最後の日。

ポチ

・・・

202503.jpg

買っちまいました。

JAL札幌〜ヘルシンキ往復。
113,290円(サーチャージ、諸税込み)

行きは成田乗り継ぎだが、帰りは成田→羽田となる。

一方、12月からフィンランド航空が、新千歳〜ヘルシンキ間の直行便を就航する。
新千歳空港から直行というのは便利だが、そっちは片道2万円近くと高かったのと、時間的にさほど有意差は感じなかったのでパスとした。

まだ5か月以上の先の話。
往復の航空券を買うために、ざっくりとした行程は考えていたが、細かいところは秋くらいになったらまた考えよう。

オーロラを見るためにはまず好天なのが条件。
あとは太陽風と地球の地磁気の問題。

こんな運次第なもの、半年前だろうと前日だろうとわからんものはわからん

だから航空券は安いうちに買っておくのが正解なのである。

タグ:海外旅行
posted by pupupukaya at 19/08/14 | Comment(0) | 2019年その他旅行記

旧増毛駅と鉄道廃止後の盛況

留萌本線の留萌〜増毛間に最後の列車が走ったのは2016年12月4日。早いもので廃止から今年で3年になろうとしている。

旧増毛駅の駅舎は、増毛町がリニューアルして保存することになった。
駅前の歴史的建造物と合わせて新たな観光拠点とするため、建物は大正時代の開業当初の大きさに復元して保存するということだった。

新しくなった旧増毛駅がどのようになったのか。
2019年7月6日と7日。機会があったので見てくることにしました。

廃線前は増毛町を車で通るたびに駅に立ち寄っていたものだが、その過去の画像と現在の画像を定点対比でご覧ください。

DSCN4216.JPG
 ↑ 2014年6月撮影。 

DSCN0023.JPG
 ↑ 2019年7月撮影

駅舎正面から。
手前の四角い建物は公衆トイレで、これが建ったのは90年代だったかな。

札幌から国道231号線を車で走ること2時間以上、増毛駅はちょうどよいトイレと休憩場所でもあった。
リニューアル後はこのトイレも含め、一体感のある感じに仕上げてある。

せっかくリニューアルした旧駅舎も、この建物が前面にあるおかげで存在感も半減している気がする。
せめて移設するなどしてほしかった。

DSCN5474.JPG
  2014年6月撮影。

DSCN0026.JPG
↑ 2019年7月撮影 

ホームから駅舎方向を見る。
レールが錆びているのと電柱が撤去されたほかは当時のまま。

上画像は雑草が伸び放題だが、下のは草が刈られて手入れされているようだ。

廃車になった気動車を保存車として展示すれば観光スポットになったかもしれないが、こうしてまた列車が現れるかもしれない雰囲気にしておくのもまた違った良さがある。

DSCN5470.JPG
 2014年6月撮影

DSCN0368.JPG
 ↑ 2019年7月撮影。 

駅舎は倍の広さに増築されていた。

かつては駅事務所や荷物扱い所などがあった場所だが、駅無人化で不要になり取り壊されていた部分が復活したことになる。
増築した部分は鉄道が現役時代の写真などが展示されたギャラリーとなっていた。

DSCN5098.JPG
 ↑ 2016年10月撮影

DSCN0380.JPG
 ↑ 2019年7月撮影

駅舎のホーム側。
上画像は無人駅化から30年以上経ち、荒れた感じが否めない。

リニューアル後は映画のセットのようにも見える。
こうして新旧見比べると、柱は新品に取り換えたらしい。

DSCN1420.JPG
 ↑ 2015年9月撮影

DSCN0378.JPG
 ↑ 2019年7月撮影

屋根の下から線路側を見る。
荒れた感じがするとはいえ、上の画像はまだ現役の頃。1両の列車が見える。

有人駅だったころは、乗客は改札口からこの屋根の下を通ってホームへ向かっていた。

奥の車が駐車してあるスペースは、ここも線路が何本も並んでいた。
無人化で貨物列車も無くなり、線路1本だけの棒線駅となった。

見違えるように綺麗になった駅だが、列車が来ない駅はやはり寂しい。

DSCN1751.JPG
2015年9月撮影

DSCN0033.JPG
↑ 2019年7月撮影 

駅舎の待合室。
映画『駅』でも印象的な、真ん中の銀色の柱はちゃんと残っていた。

待合室と旧事務室を仕切っていた壁は取り払われて広々となった。
個人的には、旧改札口の出入口はそれっぽくディスプレイしてほしかったが。

DSCN1415.JPG
2015年9月撮影

DSCN0371.JPG
 ↑ 2019年7月撮影 

駅前の風待食堂。これも映画『駅』のロケで使用された建物。
観光案内所として活用されている。

2019年に訪れたときは、半分が『駅STATION』で居酒屋『桐子』のスタジオセットを再現した部屋がある。
最初見たときは、なんだ半分はテナントになったのかと思ったほど精巧にできている。

DSCN4209.JPG
2014年6月撮影

DSCN0372.JPG
 ↑ 2019年7月撮影

駅前の通り。
撮影場所は若干違うが、奥の古い建物は旧商家丸一本間家。

同じ休日の画像でも、通りを歩く人の数が全然違う。

   

この日増毛を再訪して思ったのは、観光客の多さだった。
7月の休日で天気も良かったせいもあるのだろうが、増毛ってこんなに観光地だったっけ、と目を疑うほどだ。

かつての増毛駅前と言えば、古い建物が立ち並び、ただ朽ちはてて寂れた商店街、それに無人駅で荒れるがままの増毛駅という感じだったのだが、鉄道廃止後のこの変わりようはすごい。

増毛の観光客が増えたきっかけは、やっぱりあれしかない。

そう、留萌本線の留萌〜増毛間の廃止である。

廃止が近くなると多くの乗り納め客があちこちから駆け付けた。
そのころから、増毛の町中に観光客が増えだしたのだ。

鉄道の廃止というのも、マスコミなどで取り上げられて話題になったのも、増毛の名が知られるようになった理由の一つだろう。

DSCN5126.JPG
 休日は多くの乗り納め客が増毛にやってきた。(2016年10月撮影)

もちろんそれだけが理由ではないだろう。

増毛駅周辺に、北海道遺産に指定された古い建物が多数残っていたこと。
もう一つが、旧増毛駅の無料駐車場の存在も大きい。

車で来た観光客はここに駐車することで、歩いて各スポットや飲食店を回ることになる。
町の一番奥にあった駅を駐車場とし、観光拠点とすることで、回遊性が増したことになる。

観光の魅力だけでなく、ここは札幌と留萌を結ぶ国道231号線の途中にあるという地の利もあるだろう。

ともあれ、鉄道の廃止というイベントがきっかけで観光客が増えたとすれば、何という皮肉だろうか。

観光客のそぞろ歩く増毛の旧駅前を見ていると、鉄道ファンとしては悔しいが、鉄道の存続よりも、廃止イベントで観光客への知名度を上げた方が得策ではないかと思えてきた。

具体的な駅名は挙げないが、木造駅舎があって国道からも近く、増毛駅のように整備すればそれなりに観光スポットとなるだろうなと思う駅はいくつかある。
そのどれもが、現役の鉄道駅であるが故に町の整備計画からも外れて中途半端な存在となっているのは残念に思う。

暴言は承知で言わせてもらえば、無理に鉄道の存続にこだわるよりは、廃止後に過去の産業遺産として保存し、観光スポットとした方が町の発展になるのでは、と思われた。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/07/15 | Comment(0) | 廃線跡を行く

2019年稚内とサロベツ原野の旅

2019年7月6日からの土日は稚内まで行ってきました。

花が次々と咲き乱れるこの時期は、宗谷地方の一番良い季節。
晴れて青空が広がり、そこへ黄色いエゾカンゾウの花が一面に咲いて、バックには利尻富士がそびえるというのは絵になる風景である。

しかし、この一番良い季節の頃の宗谷地方は、曇り空の日が多い。
数少ない晴れの日と週末と重なることは少なく、何度行っても曇り空ばかりに当たってしまった。

この週末の天気予報は曇りのち晴れ。なんとも頼りない空模様だが、この晴れに賭けて行くことにした。

札幌を出発したのは土曜の8時半。
途中道の駅などに寄り道しながら北を目指す。

道中は曇り空だが、自分の真上だけは青空がついてくるような天気だった。

これもまたどういうわけか途中の道の駅も食事処も混んでいた。
天気なので皆一斉に出てきたという感じだった。

DSCN0057.JPG
 ひたすら何もない道道稚内天塩線。

天塩の道の駅で一休みして、道道稚内天塩線に入る。
天塩河口大橋を渡ると風景が一変する。

ここはもう日本離れというか北海道でもない。
宗谷海峡で隔たれているとはいえ、ここはもう樺太や遥か北の大陸と同じ空気である。

沖合には利尻富士のシルエットが見えた。

DSCN0055.JPG
 沿道はエゾニュウの花で出迎えてくれた。

乱れた草ばかりが茂る原野の中を1本の道道がどこまでも続く。

駐車帯に車を停めて、この亜寒帯の空気を吸う。
もうここは北海道とは違う空気。

馬や牛の姿はどこにも見つからず、人間の家の影さえなかった。
・・私は遠いロシアの曠野(こうや)へでも迷い入った旅人のような気がした。

とは猿払村にある風雪の塔の碑文からの引用。
もとは藤森成吉『旧先生』の一文で、オホーツク海側の猿払原野の描写だが、このあたりの風景のほうがしっくりとくる気がする。

同じさいはてでも、根室や標津あたりとも違う。
頑として人を寄せ付けない永久凍土の冷たさが、足元から血の中に湧き上がるような感覚は何だろうか。

もうここは北海道ではなく、北極星に吸われる不毛の大地。
しかし私など、時に北海道離れした冷たい空気の中に、無性に身を置きたくなるのだった。

DSCN0059.JPG
 遠くに逃げ水が光る。

今時期は、道の脇に一斉に咲いた黄色いエゾカンゾウが出迎えてくれるものだが、これは一足遅かったようで、今日迎えてくれたのは不気味に咲き乱れるエゾニュウの白い花だった。

DSCN0068.JPG
 レストハウスサロベツの店内。

稚咲内(わかさかない)から内陸に入ってサロベツ湿原センターへ行く。
花は咲いているだろうか。

着いたら花よりもレストハウスに入った。
途中はどこの店も混んでたので、札幌を出てからここまで何も食べていなかったのだった。

サロベツラーメンというのが名物のようだが、いももちと牛乳にする。
もう20年以上昔だが、旧原生花園だったときに、いももちが美味かった記憶がある。

DSCN0071.JPG
 いももち(300円)と牛乳(100円)。

いももちとは、つぶしたジャガイモに片栗粉を加えてよく練って餅状にして焼いたもの。
子供の頃はよく食べたものだった。

さて食べようとしたが、テーブルの調味料立てにはなぜか醤油がない。塩はあるから塩で食べるのかな。
しょうがないなあ、厨房へ行って醤油を借りてきた。

焼きたてで粘りもあって、醤油をつけて食べるとジャガイモの風味の磯辺焼きみたいで美味い。
それに、いももちには牛乳が合う。

なんとか一息ついて、湿原センター裏手の木道を歩いて湿原へ行く。

う〜ん・・・5月の熱波のせいで花は早く咲いてしまったらしい。
黄色いエゾカンゾウの群れを期待していたが、これも遅かった。

遠くの方に、もう終わりかけたエゾカンゾウの黄色い点々が見えているくらい。
その代わりに、紫色のノハナショウブが満開だった。

DSCN0122.JPG
 ノハナショウブが満開のサロベツ原生花園。

サロベツ原生花園からまた道道稚内天塩線に戻って北上する。

DSCN0145.JPG
 うねる道。

続いて立ち寄るのは抜海駅。
ここを通ると必ず寄りたくなる所だ。

抜海駅は、もう数少なくなった木造駅舎が今も残っている。
無人駅だが、冬季は除雪係の詰め所として使われる。

DSCN0157.JPG
 抜海駅正面。

駅の正面側は若干リフォームされているが、ホーム側は昔のままの佇まいが残されている。

かつて映画『南極物語』のロケ地にもなっている。
高倉健さん演じる隊員が、樺太犬リキの代わりの犬を連れて荻野目慶子演じる飼い主の姉妹の元へ現れるというシーン。

映画では駅舎もいい味を出していたが、その当時とほとんど変わっていない。

DSCN0167.JPG
 抜海駅ホーム。

DSCN0158.JPG
 なかなか味わいのある木造駅舎。

駅前は人家が1軒だけ。あとは何もない。
1軒の人家は空き家ではなく、人の気配がある。まさに野中の一軒家といったところ。

駅にいると、レンタカーやバイクの人が次から次へと現れる。
地味に観光スポットとなっている模様。

味のある駅舎なんだし、もうちょっと整えたら観光名所になるんじゃない。
新十津川の駅前のように、売店とかカフェなんか置いて、車を呼び込めばそこそこ繁盛するんじゃないか。

かといって、大型バスが出入りするようになって、観光客がゾロゾロというのも興ざめするが。

さて、稚内市内で給油と買い物。
今夜は車中泊となる。

今夜の宿は宗谷岬とした。
快晴となったので、夕日が拝めるかもしれない。

DSCN0203.JPG
 暗雲立ち込める宗谷岬方面。

宗谷岬へ向かうと、岬のあたりは何やら雲が覆っている。

で、着いたら見事に霧の中。
車を降りたら寒い。

とてもじゃないがこんなところで車中泊などしたくはない。
また稚内へ戻る。

DSCN0208.JPG
 宗谷岬は霧の中。

DSCN0212.JPG
 霧と寒さの中、観光客もご苦労様。

稚内は晴れていた。
どこに泊まろうかな。

道道稚内天塩線の、海岸沿いから山に向かう坂道の途中に駐車場があるのを思い出した。
道の駅でもいいが、どうせなら景色の良い場所で、一杯やりながら夕日を眺めるというのは悪くない。
あそこならトイレもあるし。

DSCN0221.JPG
 夕日が丘パーキング。

駐車場は夕日が丘パーキングという看板があった。
18時30分。

今日の稚内の日没は19:27となっていて、まだ1時間近くある。
夏至からまだ1週間しか経ってないので、まだまだ日が長い。

DSCN0225.JPG
 日が傾くがまだ沈まない。時刻は18時30分。

宇都宮ナンバーのおっさんは、三脚を2台も立てて夕日写真のスタンバイだ。
何でも、写真を撮るために北海道をあちこち回っているのだそうだ。
仕事もリタイアして暇だから、ということらしい。

最近は道の駅なんかでやたらと道外ナンバーを目にするようになった。
キャンピングカーも多い。
そのドライバーは大概が爺さんだったりする。

フェリーにマイカーを積んで来るくらいだから、何週間も車で北海道観光するのだろう。
暇もだけど、お金もあるんだねえ。
貧乏人の私からすれば感心するほかない。

宇都宮ナンバーのおっさんの話は、どこそこの写真のコンテストでこれは入賞したとか、要するに自慢話。
話の腰を折ってしまうとお互い気まずい思いになるし、私も日没までは暇なので、「へえすごいですね」とか言って自慢話に付き合う。

DSCN0227.JPG
 夕焼け空と利尻富士のシルエット。右側には礼文島も見える。

私は写真家ではないので、適当なスナップショットが撮れれば十分だ。
だけど、利尻富士をバックに沈む夕日が撮影できたら最高だ。

だんだん日が傾いて空が赤く染まってきたが、雲も出てきた。

この頃から、駐車場に続々と車が集まってきた。
車中泊組かなとも思ったが、夕日撮影のために来たらしい。

DSCN0243.JPG
 夕日の名所なのか続々と車が集まってきた。

DSCN0245.JPG
 水平線近くの空は雲が覆ってしまって残念。

夕日は完全に雲で隠れてしまった。
撮影隊の人たちは悲愴ムード。

集まってきた車も、ほとんどが退散してしまった。

宇都宮のおっさんは森林公園(稚内公園)に泊まるという。
今度は朝日を狙うんだとか。

私はここで車中泊で、これから一杯やってから寝ることにする。

DSCN0282.JPG
 三日月が浮かぶ夕日が丘パーキングからの夜景。

DSCN0305.JPG
 北斗七星と北極星。

シュラフに潜り込んで、目が覚めたのは午前3時。
普段ならばまだ夜中だが、夏至が近い稚内では3時を過ぎると明るくなってくる。

外に出るとあたりは霧の中だった。
寒い。
宗谷岬の霧がここまでやってきたようだった。

DSCN0309.JPG
 空が白み始めた午前3時、すっかり霧の中。

DSCN0312.JPG
 びっしりと夜露に覆われた車。

すっかり目も覚めたし、ここにいてもしょうがない。
車をノシャップ岬へと走らせる。

もしかしたら朝日が拝めるかもと淡い期待からだった。

途中、道路の真ん中にエゾシカの群れがいてびっくり。
こんな町に近いところでも出てくるのか。
ヤツらときたら油断も隙も無いな。

DSCN0313.JPG
 道道抜海港線に現れたエゾシカ。

ノシャップ岬も霧の中だった。
日の出時刻は3時50分。

だめだねこりゃ。

DSCN0320.JPG
 ノシャップ岬も霧の中だった。

DSCN0321.JPG
 霧に反射する灯台ビーム。

今度は道の駅わっかないへ。
洗面所の用で寄らせてもらう。

ここの駐車場は駅正面とは反対側にあるのだが、その駐車場が完全に満車状態
まだ4時過ぎだぜ。地元の人なわけないから、これ全部車中泊!?

しょうがないから正面側の一般車乗降場に停めて用足しをさせてもらう。

洗面所がお湯が出るのは驚いた。トイレもウオッシュレット完備。
そりゃあ人気の車中泊スポットなわけだ。

DSCN0340.JPG
 低い雲が垂れ込めた稚内駅前。

もう少し日が高くなれば晴れるのかもしれないが、低い雲が垂れ込めて暗い朝だ。

曇り空ならばこんな所に用はない。
明日から仕事なので、さっさと帰りたい。

また道道稚内天塩線を南へと走る。

ところが、抜海あたりまで来るときれいに晴れ渡っていた。
利尻富士も綺麗に見えている。

さっさと稚内を後にして正解だった。

IMG_1028.JPG
 朝日に映える秀麗利尻富士。

これはもしかして、サロベツ原生花園で利尻富士をバックにした花の写真が撮れるかなと思い、もう一度サロベツ湿原センターへ行ってみた。

ここの駐車場とトイレは24時間開放されている。
車中泊するのならこっちの方が良かったかなと思うが、湿原の中だからねえ。
蚊が多そう。

期待して木道を湿原へ向かう。
ところが、ちょうど地平線の部分だけ雲が覆って、山は隠れてしまった。
なんて意地悪な雲。

IMG_1097.JPG
 サロベツ原生花園に着いたら利尻山は雲に覆われてしまった。

IMG_1077.JPG
 原生花園に現れたエゾシカ。

日が高くなれば雲は晴れるのではないか。ちょっとそんな期待をして、しばらく粘ることにした。

お湯を沸かして、カップ麺の朝食。

STVのライブカメラは礼文島に設置されたものがあって、ネットで見ることができる。
8時頃には礼文のライブカメラに利尻山の姿が映っている。
これはいけるかもとカメラを持ってまた湿原へ。

そこで30分くらい待つと、ようやく山の姿が現れた。
でも霞んで薄いシルエットしか見えない。

IMG_1137.JPG
 再び姿を現した利尻富士。辛うじて咲いていたエゾカンゾウと。

この時期でこれだけ晴れたんだから上出来じゃないか。
山の姿が完全に見えたのも一瞬だったようで、また雲で覆われだした。

さて、札幌へ戻るか。

また道道稚内天塩線を南下する。
再び天塩河口大橋を渡って天塩の町へ。
ここからは留萌総合振興局の管内となる。

天塩まで来ると、なぜか人里へ戻ってきたような気になる。

何だか見えない線があるんだよね。
北海道と樺太や大陸へ続く亜寒帯を区切る線。

これが内陸ルートやJRからだと雄信内のあたり、オホーツク海沿いだと浜頓別のあたりだと思う。
この線の向こう側へ行って戻ってくると、海外から戻ったような気分に陥る。

え?私だけですか・・・(^^;

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/07/14 | Comment(0) | 2019年その他旅行記

2004年ロシアサハリン旅行記11

 2004年9月25日

 ◆ 出発の朝 コルサコフへ

6:30、セットした目覚まし時計で起きる。
まだ外は真っ暗で雨が降っている。今日でサハリンはおしまい。7:45にガイドのAさんという人が迎えに来て、車でコルサコフ港まで送ってくれることになっている。 

ほとんどの支度は昨夜のうちにやっておいたので、部屋でテレビをみながらボーっとしていた。テレビ番組はアニメの短編をずっとやっている。7時を過ぎるが、ニュースが始まらない。そういえば今日は土曜日だった。 

7:30すぎ1階におりてチェックアウトする。昨日の電話代を請求される。最初は25Рかと思ったが、2.5Рだった。
“用心棒”の兄さんが1人ウロウロしているほかは誰もいないロビーで、椅子に座って待つ。

雨はだんだん強くなってきている。
暗いし、旅行中ならば滅入るような天候だが、今はようやく帰国できる安堵感ばかりだ。

7:50頃少し遅れてワゴン車が玄関前に停まった。車から女性が降りてきて、ロビーにやってきた。 

「おはようございます。私がコルサコフまで案内しますです」
と日本語で言い、

「まず“電車”のチケットをください」

列車の切符は2枚になっていて、2枚目をもぎ取られて1枚目は返してくれる。旅行の記念に持って帰ろうと思っていたのだが、ガイドの人に渡さなければならないとは聞いていなかった。 

じつは1列車「ユジノ-ノグリキ」と2列車「ノグリキ-ティモフスク」の2枚の切符しかもっていなかったのである。「ティモフスク〜ユジノ」の切符は、車掌が同室の人の分をまとめてテーブルの上に置いていったのだが、同室のおばちゃんがその切符をゴミと一緒に捨ててしまったので持っていなかったのだ。 

2枚の切符を渡すと、Aさんは

「ティモフスクからユジノまでのチケットがありません。全部ください」と言う。
「それは貰ってこなかったです。ダメでした?」と言うと、彼女はしばらく考えて「いいです・・・大丈夫です」と言った。

車は玄関前の駐車場に停めてある。激しい雨の中、玄関を出て車へ向かう。

ワゴン車のトランクに荷物を積み車内に入ると、すでに2人の女性が座っていた。1昨日ティモフスクからの列車内で一緒だったKさんと、もう1人は大阪から来たという女性であった。

ガイドが日本からの3人をそれぞれのホテルで拾い、チャーター車でコルサコフ港まで送り届けるということらしい。

激しい雨の中、車は街中を走りぬけて、コルサコフへの国道へ出る。

PICT0006.JPG
 雨の中をコルサコフに向け車は走る。

40分ほど走って車はコルサコフ市内に入る。昨夜からの雨で道路の排水溝はあふれて、あちこち水びたし。豪快に水飛沫をあげながら市内の道路を走る。9時前にフェリー乗り場に着いた。

車を降り、我々はガイドのAさんと一緒にフェリーターミナルに入る。
入ってすぐの所に窓口があり、そこで港湾税200Рを支払う。事前に知らされていたのは150Рだったが、いつの間にか値上げしたのかも知れない。 

Aさんに、
「ルーブルが余ったのだが、どうすればいいでしょうか?」
と聞いてみた。

「港には両替所はありません、両替は出来ないです」

別に再両替できなくてもいいのだが、ルーブルの国外持ち出しは禁止されているので、税関で没収されるだけだとしたら何とも馬鹿らしい。 

待合室にいるのは、ロシア人が20〜30人と日本人が十数人というところである。 

ここで、偶然にF社のS社長に再会した。F社とは、まだソ連時代にサハリンが開放になって以来サハリン旅行を手がけている札幌の旅行代理店で、2000年のサハリン鉄道ツアーではお世話になった方である。
あの時は社長がほぼ同行となり、ホテル列車の食堂車でウオッカを飲みながらサハリンのことなど色々教えていただいたりした。 

今回は列車でひとり旅してきたと言うと、積もる話は船内でビールでも飲みながらということになった。 

9:00、出国手続き開始となる。
待合室の奥のドアが出国審査室となっていて、1人ずつ中に入れられてそのたびにドアが閉められる。ドアの中の様子は分からない。別に怪しいものを持っているわけではないが少し緊張する。 

前の人の審査が終りドアが開く。自分の番だ。ドアをくぐればサハリンの人たちとはお別れである。ユジノサハリンスクからここまで一緒しただけだったが、Aさんともここでお別れとなる。 

「ダズビダーニャ(さようなら)」と言うと、彼女も笑顔で「ダズビダーニャ」と答えた。


 ◆ アインス宗谷 稚内へ

審査室に入るとドアが閉められる。
パスポートを渡すと、審査官に「おみやげは?」と聞かれる。これだと持っていたビニールの袋を指差す。中を開けて見せろという。ビニールをほどいて中を見せる。中身はカップラーメンやチップスそれにタバコが数箱である。
この日本人はなんでこんなものばかり買込んだのだ?と言いたげであった。 

審査官の1人がタバコを1箱つまみあげて「マリファナ?」と言った。「ノー、タバコだ」と答える。「ピストルは?」「麻薬は?」と聞かれるが「ノー!」と答える。バッグの方を開けられると少々厄介だなーと思う。

別に禁制品が入っているわけじゃなく、荷物をギチギチに詰め込んでいるため、中を開けられると元に戻すのが大変なのだ。
いい加減に次がつかえているので、パスポートを返されて放免になる。バッグは開けられなくて済んだ。 

次は手荷物のX線検査を通り、出国審査へ。実はノグリキとティモフスクのホテルでは、パスポートにスタンプ(外国人宿泊登録確認済みのスタンプ・・・出国審査の際の確認事項となっている)を押して貰えず、ひと悶着あるのかとヒヤヒヤしていたが、何も言われなかった。

最後にパスポートとボール紙の審査済みの整理券を渡される。そういえば税関申告書はまたしても出さずじまいだった。 

PICT0008.JPG
 出国審査済みの整理券。

Kさんの話によると、行きの入国時の審査の際も申告書を渡すと、必要ないとクシャクシャにして捨てられたそうだ。関税の支払いが無い場合は必要ないのだろうか。
いずれにしても審査官の気まぐれかもしれないし、何せロシアのことなので本当のところは分からない。

審査がすべて終わると、バスでフェリーまで向かうことになる。相変わらず中古の宗谷バスが使用されている。最後にロシア人の乗客が大勢やってきて満員になる。最後に制服制帽の軍人らしい職員が乗り込んで発車となった。 

桟橋への橋を渡るとすぐにフェリーの前に着く。フェリー最後部の車両甲板入口から乗船となる。
入口に軍人らしいロシアの職員が立ち、出国審査の時に渡されたボール紙の整理券を回収される。これで出国手続きはすべて終り。

日本の船員に迎えられて乗船する。車両甲板から狭い階段を2階に登ると船室になっている。ここでフェリーの係員に乗船券を渡す。 
フェリーは『アインス宗谷』といい、東日本海フェリーが運航している。

船室のきれいなこと!売店もある!自動販売機もある! 

PICT0035.JPG
 サハリンとは別世界のような船内。

1週間サハリンを旅して来た身には何もかも清潔すぎて別世界に見える。
ここではすべてが日本語だ。 “水を得た魚”ならぬ日本語を得た日本人となり、急に元気になる。 

我々日本人には船首に近い区画があてがわれた。中の方はロシア人の団体が占めていてにぎやかである。聞くところによると、日ロの文化交流の公演だかの一行なのだそうだ。

そろそろ出港となる時刻だ。出港風景を見るために甲板に出る。外はまだ小雨が降っている。何気に海面をのぞくと馬鹿でかいクラゲがたくさん泳いでいた。 

190701_1035_003.jpg
 市内と桟橋を結ぶ橋。

190701_1035_002.jpg
 見送り人と警備隊が立つ岸壁。

10:00、稚内に向け出港する。数人に見送られ、船は岸壁を離れる。いろいろあったけど大したトラブルも無く無事に旅行できたなあ。最後部の甲板にたたずんで、去り行くサハリンの島影をしばらく眺めていた。 

今度来るのは何年後になるかわからないが、その日まで「ダズビダーニャ(さようなら)」。

190701_1035_004.jpg
 コルサコフ港を出港。女性が2人じっと離れゆく港を眺めていた。

PICT0016.JPG
 港がだんだん遠ざかる。

PICT0036.JPG
 船内の売店。国際線らしく免税の酒やタバコも置いている。

PICT0038.JPG
 ケースにコニャックやブランデーが並ぶ。

PICT0010.JPG
 壁に貼ってあった宗谷海峡の海図。

PICT0011.JPG
 東伏見湾や大泊など旧日本名が併記された海図。

PICT0014.JPG
 海図に見どころなどが記されている。

PICT0040.JPG
 サハリン航路名物100円ビール。水の方が高い。

PICT0037.JPG
 2等船室は基本桟敷席。ロシア人客にも概ね好評のようだ。

寒くなったので船室に戻る。自動販売機で“100円ビール”を買って席に戻ると、杉山さんたちがさきイカと缶ビールを十何本も並べて早速やっていた。桟敷にあがると、ビールとさきイカをすすめてくれる。 

同じ区画だった、ユジノからの車内で一緒だったKさんたち、出張でサハリンに来たという留萌市役所の職員お二人、それにファルコンジャパンの社長さんと囲んで、それぞれの体験談などを話しながらビールで宴会となる。

湾口から海峡に出たのか、船はかなり揺れるようになった。元気なのはこの区画でビールを飲んでいる我々くらいで、あとは皆さんグッタリと横になっている。 

12時を過ぎた頃に昼食の弁当と缶コーヒーが配られる。稚内から積み込んだ『パン弁当』なのだが、パック入りのサンドイッチと真空パックに入ったままのオカズは相変わらずだ。
サハリンから戻ってきてこの弁当を食べさせられるとガッカリするのだが、100円ビールのツマミだと思えば悪くはない。 

PICT0018.JPG
 船内弁当。稚内出港時に積み込んだものなのでビールのつまみ程度。

弁当を食べるとゴロンと横になった。まだ先は長い。

1時間ほど眠って、酔い覚ましに風にあたるため甲板に出る。風が強い。
コルサコフを出港時は雨が降っていたが、いつの間にか青空が広がって良い天気になっていた。 

190701_1035_001.jpg
 クリリオン岬と3つ並んだレーダーサイト。

クリリオン岬(西能登呂岬)の山に白いレーダーサイトが3つ仲良く並んでいる。双眼鏡でのぞくと岬の海岸にはいくつか建物が並んでいる。軍事施設なのだろうか。
山の上に白いレーダーサイトが仲良く並んでいるのを見ると、『またサハリンに来いよ!』と見送られているかのように見える。

反対側には海の上にロウソクの様に建っている灯台が小さく見える。これが二丈岩と呼ばれる岩礁で、濃霧の多いこのあたりは昔は危険地帯として知られており、目印として自動灯火装置が建てられた。1928年にできたというから、日本時代の遺物である。現在はロシア領となっている。 

サハリン時間の腕時計も、日本時間に戻す。
ここからは時計が2時間戻り、14時が12時となる。

190701_1029_001.jpg
 二丈岩(カーメニ・アパースナスチ島)の灯台。※700mmの望遠で撮影

PICT0044.JPG
 青空の下、はためく日の丸も誇らしげ。

PICT0049.JPG
 北海道・宗谷岬の陸地が見え始める。

到着まであと1時間近く。稚内着は予定より30分ほど遅れると放送がある。すでにサハリンの島影は見えなくなっていて、宗谷岬付近の低い山並みが続いて見えている。 

PICT0031.JPG
 宗谷岬沖から。

やがて丘の上にひろがる南稚内の住宅街が見えてきた。ロシア人客は日本旅行に胸膨らませて、みんなはしゃいでいる様子だった。銀色に輝く全日空ホテルや、丘の上にそびえる百年記念塔が見えると稚内に戻ってきたと実感した。14時近く、稚内港に着岸した。 

PICT0002.JPG
 稚内の街が近づいてくる。

PICT0003 (2).JPG
 稚内港に着岸。ロシア人客は日本への第1歩だ。

しかし、サハリン旅行はこれで終りではなく、まだ日本の入国審査と税関が控えている。
稚内から札幌まで5時間もの列車移動も控えている。

そんなことより、日本に戻ったらまず何を食べようかということで頭が一杯だった。


 ◆ おわりに サハリンを旅して

サハリンへ行くのは3回目だったが、ツアーによらない個人単独では初めての渡航である。
ロシア語しか通じない土地で、ひとり旅行するのは苦労や冷や汗の連続であった。

そんななか旅行中に感じたことは、サハリンは北海道と同じでないかと思った。木々も海岸も湿原も、それに街角の何気ない光景も、あちこちで出会った人たちも。言葉や習慣こそ違うものの、いや、彼らが日本語を話したとすればここは紛れもなく昔にあった北海道である。 

北海道に生まれ育った私にとって、本州の古い町並みや風習のほうが、むしろ外国の風景にみえてしまう。そういう意味で今回の旅行は海外旅行と言うより、私が生まれる前の故郷・・・北海道を旅しているような感覚だった。

機会があればまた1人で旅行したいと思う。最北端のオハへ、間宮海峡越しに大陸をのぞむ西海岸へ。厳しい冬のサハリンも訪れてみたい。いずれは大陸へ、シベリア鉄道へと夢がふくらむ。

そのためにはお金を貯めて、ロシア語をもっと勉強して・・・何よりも暇をどうやって工面するか。

最後に、今回の旅行でお世話になったT社、サハリンのガイドの方々、忙しい中私に休暇をお与えくださった『会社』には深く感謝する次第であります。

おわり



 ◆ 2019年リメイク版あとがき

この旅行記は2004年9月に、ロシアのサハリン州を旅行したときのものです。

私が海外を1人で旅行するのはこれが初の経験、インターネット上で旅行記などをアップするようになったのも同年からでした。
この後、海外1人旅をして旅行記をHPやブログでアップすることになる原点となった旅行でもありました。

リメイク版作成に当たって、社名や個人名は伏字にしました。
また、HP立ち上げから日が浅い頃の文章なので、今読み返すと恥ずかしいような表現は勝手ですが改めさせてもらいました。

あと、当時使用していたデジカメの性能と、併用していたフィルムカメラ撮影の写真からコンビニでスキャンした画像もあり、画質が悪いのはご容赦願います。

  

このリメイク版を作成して、グーグルマップなどで近況のサハリンの様子を見ていると15年の歳月を思わせます。
街中はどこも見違えるようになり、派手な広告看板が目を引きます。

2004年当時は、まだソ連時代の面影を濃く残していたものでした。
残していたというより、ソ連時代の町に型落ちの中古日本車が走り回っているのが当時のサハリンだったような気がします。
どこへ行ってもモノトーンな街並み、それに埃っぽかった記憶が蘇ります。

その後、2006年と2010年に再びサハリンへ行きましたが、年々整備され整ってゆく街並みに驚かされたものでした。


またいつかは再訪したいところではありますが、私自身は他に行きたいところも沢山あって、しばらくは海外旅行の行先候補となることはなさそうです。

最後に、旅行記中に出てくるもので、現在は無くなったものをいくつか挙げてみます。


【東日本海フェリーのサハリン航路】

2008年にハートランドフェリーと社名を改めたが、2015年を以て同航路から撤退。
その後第三セクターの北海道サハリン航路が引き継ぐことになった。

しかし今年度(2019年)の運行は必要な船が確保できないという理由から休止となっている。
次年度以降に復活するかは未定。おそらくこのまま廃止になる可能性が大。

一方でサハリンへの航空路だったサハリン航空は『オーロラ航空』と名を変え、現在は成田空港と新千歳空港からユジノサハリンスクまで定期便を運航している。
運賃は一番安いタイプのもので、成田からも新千歳からも往復52,100円。

フェリーだと、稚内までの移動や交通費が別途かかるほか、稚内での前泊が必要になる。
稚内とサハリンの直接的な往来はほとんどないことを考えれば、すでにフェリーの出る幕ではないのだろう。


【ノグリキのクバンホテル】

グーグルマップにはこのホテルの名前は見当たらず。衛星画像で見るとホテルがあった場所は倒壊した家屋らしきものが見えるだけ。
ググったらロシア語のニュースサイトがヒットした。
2014年6月に発生した火事で全焼とのこと。死傷者はいなかったのは不幸中の幸い。

個人的にはまた泊まってみたい宿だったので残念。


【ノグリキの朽ちた橋】

これも衛星画像では既になくなっていた。
2012年撮影のものは相当危なっかしくなっているが辛うじて確認できる。2016年撮影のではきれいさっぱりなくなっている。
流されたのか撤去されたのかは不明だが、いくらロシアとは言え、あんな橋を放置しておくのは危険だし問題だっただろう。

私がHP上で画像をアップしたからかどうかは知らないが、ノグリキの隠れた名所にはなっていた模様。


【ノグリキ〜オハ間の軽便鉄道】

Wikiによると2006年12月に廃止、翌2007年には線路は撤去とある。
ソ連時代末期には国鉄線をノグリキからオハまで延伸する計画があり、一部は完成したもののソ連崩壊から頓挫したままになっていた。
線路跡は、市街地の一部では道路に取り込まれたほか、あとは原野に還っていったようだ。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

2004年ロシアサハリン旅行記10

 2004年9月24日

 ◆ ユジノサハリンスクを歩く

長かったサハリン旅行もついに終りに近づいてきた。今日は何も予定は無し。1日中ユジノサハリンスクの街中をぶらぶらと過ごすことにしている。

8時半ごろ起きる。外はどんよりと薄暗く、曇り模様で雨が降り出すかもしれない天気だ。
テレビをつけて、ニュースを見ながらダラダラと支度する。映像と断片的にわかる単語で大体の内容を理解する。

9時近く、朝食券をもって2階のレストランに降りる。
時間が遅いせいか客はほかに1人いるだけだった。

朝食のメニューは、カニサラダ・目玉焼き・ソーセージそれにパンとバターとチーズ。相変わらずバターはこれでもかというほどたっぷりある。今日は牛乳ガユは付かなかった。コーヒーが飲み放題なので3杯もおかわりした。

PICT0002.JPG
 目玉焼きとウインナーがメインのこの日の朝食。

10時少し前頃、ホテルを出て、とりあえずガガーリン公園を散歩する。公園の向こう側は山になっているのは、地理的に札幌の円山公園に良く似ている。そういえば、ラーダホテルや正教会のあるコムソモリスカヤ通りも、なんとなく円山あたりの雰囲気に似ているような気がする。

まだ開店前のキオスクや屋台の建ち並ぶ遊園地の中をまっすぐ歩いて行くと、子供鉄道の線路に突き当たる。
線路に沿ってまっすぐ行くと駅があった。コムソモリスカヤ駅と表示してあり、切符売り場もありその上に時刻表も表示してある。
ちょっと乗ってみたかったが、10:30から営業でまだ30分近くあるのであきらめる。

PICT0005.JPG
 ガガーリン公園と子供鉄道の線路。

PICT0069.JPG
 ガガーリン公園のガガーリン像。意外と目立たない。 

公園名の由来になったユーリイ・ガガーリンは人類初の友人宇宙飛行をした人物である。
その銅像が公園の入口にひっそりとあった。

やはりここは観光名所のようで、日本人の学生らしい人が記念写真を撮っていた。

ガガーリン公園を抜けて、サハリンスカヤ通り歩く。道路を走る車はほとんどが日本の中古車で、荒っぽい運転が多い。交差点を渡るときなど戸惑ってしまうが、地元の人の後について渡る。

PICT0018.JPG
 通りはどこも日本車の中古車だらけ。

PICT0005.JPG
 交差点の交通信号。日本とはだいぶ違う。

市内の通りにはバス停がある。ベンチが置いてあって、何人か人が立っていればそこがバス停である。
車の前面に系統番号を掲げた車が次々とやってきて人々が乗り込んで行く。

しかし、バス停に時刻表や路線図は無く、どの車がどこへ行くのかは全く分からない。

ユジノの市民ならば広報かなんかで周知されているのかもしれないが、旅行者に使いこなせるものではない。

PICT0034.JPG
 市内のバス停と系統番号を掲げた車。

これに乗ることができればもう少し行動範囲が広がるのだろうが、乗り方も行先も不明とあっては歩くしかない。

PICT0037.JPG
 大型バスは主として郊外路線のようだ。

市内はソ連時代の同じようなコンクリート5階建てアパートが建ち並ぶ。どの建物もかなり老朽化している。表通りに面した建物は、1階がカフェや食料品店になっているのが多い。

入口には頑丈な扉があり、店名を記した看板が1枚表示してあるだけなので、どこが何屋なのか営業中なのか判別できない。しかしそれが逆に街全体をにシックに見せている面もある。

PICT0008.JPG
 ソ連型箱型アパート。

レーニン通りとサハリンスカヤ通りの交差点を中心とするあたりが、ユジノサハリンスクで一番賑やかなところだ。
ここからレーニン通りはレーニン広場まで、サハリンスカヤ通りは踏切の先にある市場までが繁華街となっている。

PICT0023.JPG
 サハリンデパート前の雑踏。

PICT0029.JPG
 サハリンデパートからサハリンスカヤ通りを見る。


 ◆ 市場、買い物、警官たち

繁華街の角にあるサハリンデパートに入ってみる。

店内は専門店別に店舗が別れていて、それぞれ対面販売だ。洋服屋でも靴屋でもやはりカウンターの中に品物があって対面販売なので、試着などさせてくれるのだろうか。

店に並んでいるのは、韓国や中国製品がほとんどである。

とある店のケースに、『ザ・フライパン』が220Р(約880円)で売っていた。ほかの店でも日本の100均商品が200〜300Рで売られていた。

日本の100円ショップがロシア人船員に大人気だという話は聞いたことがあるが、彼らが日本で仕入れて持ち込むのだろう。
日本ではほとんどガラクタのようなものが、サハリンでは8倍以上の値がついているのだ

サハリンデパートでは、みやげ物になるようなものは見つからず店を出る。次に踏切横の市場(ルイナク)へ行ってみる。

PICT0018.JPG
 市場横、サハリンスカヤ通りの踏切と線路。

市場はまだ平日の午前中なのに多くの人で賑わっていた。

ここは犯罪が多いので、観光客が1人行っては行けないところとされているのだが、スリや詐欺にさえ気をつければ、強盗や殺人などの重犯罪に対しては人混みの方がかえって安全なのでは・・・などと勝手に解釈して市場に足を踏み入れる。

PICT0021.JPG
 市場の内部。ここは魚屋。 

売っているものは食料品や日用品が中心だが、衣類や電気製品もある。
中には、明らかにそこらから拾い集めて来たような物を並べている店もあるが、色々なものが雑然と並べられて、見ていて飽きない。

毛皮のロシア帽を売っていて、ちょっと欲しくなったが値段を見てあきらめる。

色とりどりのフルーツを並べている屋台がひときわ美しく見える。
野菜やパンの販売トラックが停まっていて行列ができている。工場からの直売だろうか。

観光名所よりも、こっちの方がよっぽど面白い。

PICT0016.JPG
 市場の雑踏。

自由市場ということになっているが、それぞれの露店や屋台は場所が割り当てられているように整然と並んでいる。誰かがきっちり場所を仕切っているのかも知れない。

市場の中を巡回している警官の姿が見える。
気のせいかこちらを見ているような気がする。
異色の外国人らしいのがこんな所をうろついているのは不審者に見えるのか。

しかし何だか気味が悪い。
別に買うような物もないし、市場から立ち去ることにした。

市場から、スーパーマーケットの中を通り抜けるとレーニン通りに出た。
この通りを行くとレーニン像があるレーニン広場になる。

PICT0017.JPG
 レーニン広場とレーニン像それに車の列。

広場の道端にピロシキ売りが出ていたので、おばちゃんからピロシキを1つ買ってみる。

1個18Рで、保温箱の中から取り出して、アツアツなので持ちやすいように紙を添えて渡してくれた。
中には炒めたひき肉が入っていて、けっこう大きくてボリュームがある。

歩きながら食べるとこれがまたおいしい。3食付のツアーもいいけど、こうして買い食いできるのも自由旅行の楽しみだとおもう。

PICT0024.JPG
 露店のおばちゃんから買ったピロシキ。温かい。

PICT0030.JPG
 レーニン通りにある本屋『ヴレーミャ』。

レーニン広場の前を通り本屋へ入る。本屋も当然ながら対面販売だった。本の中身を見てから買うかどうかを決めることはできない。

ケースの中にサハリン州とユジノサハリンスクの地図を見つけたので買う。『ユジノサハリンスク120年誌』という写真集があったのでこれも買った。

本や地図は結構高いが、ルーブルを使い切るには手っ取り早い。
本が入ったカバンは、だいぶ重たくなったので、荷物を置きに一旦ホテルに戻ることにする。

水を買うためにホテル近くの店に寄ると、クワスのペットボトルを見つける。
これは珍しいと1本買い、ホテルの部屋で飲んでみた。黒パンやライ麦を発酵させて作る飲み物で、味は甘いビールといったところ。独特の風味はいかにもロシアという感じがする。

PICT0096.JPG
 黒パンを発酵させて作るクワス。ロシア版コーラみたいな物。

ところで、あした日本に帰る予定であるが、実は明日の朝、コルサコフ港まで車で送迎してもらえるか、自分でタクシーを呼ばねばならないのかとの確認をしていなかったのである。

1Fのフロントで、最初の日にガイドのSさんに教えてもらった電話番号を書いたメモを見せ、「ここに電話したいのだが・・・」と片言のロシア語で言うと、最初に“9”を押してからダイヤルするのだと教えてもらう。

部屋に戻り、教えてもらった電話番号に掛けるが、当然ながら昼間なので留守だった。

代理店のT社から送ってきた日程表には、現地連絡先として、『インツーリスト・サハリン』の電話番号が記してある。サハリン側のホテルやガイドの手配はここで仕切っているはずで、ダメモトで電話してみることにした。

ダイヤルすると、女性が電話に出た。
「インツーリスト・サハリン?」と聞くと「ダー(はい)」と返事があった。

たどたどしいロシア語で必死に自分のことを説明する。なんとかT社を通じて日本から来た旅行者だと分かってもらう。
ガイドブックのロシア語会話を棒読みで、「日本語の分かる人はいませんか」と聞いてみると、たまたま運良く日本語の話せる人がいたようで、その人に替わった。

流暢な日本語を話す男性が出て、明日はホテルから港まで迎えに来てくれるということを確認できた。明朝7:45にAさんというガイドの人が迎えに来ますとのことだった。

やれやれ、初日の自分の不手際からとはいえ、とりあえず最後の懸念はこれでなくなった。

1杯やってお祝いでもしたいところだが、まだ時刻は2時前。
部屋にいるのはもったいないので、また市内見物に出る。


 ◆ 両替・買い物・警官

さっき本を買ったので、所持金がだいぶ少なくなってきた。みやげ物も買いたいし、少しルーブルに両替した方がよさそうだ。

レーニン広場から少し南側のほうに、みちのく銀行の支店があった。
くすんだ町並みの中に建つ新しい建物は、近未来の世界のように見える。日本語で「みちのく銀行」と書いた緑色の看板が建っている。

入口には制服を着た警備員が立っていた。中に入り、受付らしいところに近づいていくと「こんにちは」と日本語で挨拶された。

カウンターはサハリンでは珍しくオープンカウンターで、昼間でも照明をつけて眩しいくらいに明るい。なにか自分の格好が場違いに思えるほどである。

「両替したいのですが」と日本語でいうと、奥のドアを入った所だと言う。
そこに入るとまたドアがあり、2つくらいの個室になっていた。ガラスで仕切ったカウンターがあり、中に係の女性が座っている。
カウンターに箱があり、向こう側で箱をスライドさせて受け渡しする仕組みは、初日のアエロフロートの両替所と同じである。

1000Р(約4000円・30ドル)ほどを両替したかったのだが、何を勘違いして計算したのか150ドルも両替してしまった。
中から渡されたのは4300Рの大金

このときに間違えたと言えば良かったのだろうが、言いそびれて全額受け取る。急に金持ちになってしまった。

一応ロシアルーブルは国外への持ち出しは禁止されているようで、出国時に没収されることもあると聞く。
私も長く生きてきたが、お金が多すぎて困ったというのはこれが人生で最初の体験である。

銀行を出て、今度はミーラ通りにある『ドーム・タルゴーリ』へ行ってみる。
最近できたショッピングセンターで、ここへ行けば土産物も手に入るのではないかと思った。
お金もできるだけ使い切ってしまいたい。

PICT0042.JPG
 『ドーム・タルゴーブリ』デパート。 

ミーラ通りを歩いて行くとデパートが見えてくる。2階建ての大きな建物で、郊外の大型スーパーという雰囲気である。デパート横の広場はここもルイナク(自由市場)となっていて、さまざまな露店や屋台が並んでいる。
この日は近所の買い物客がちらほらいるほかは閑散としていた。

中に入ると結構広く、サハリンデパートよりも商品は豊富だ。1Fの奥が食料品店となっていて、惣菜やランチボックスのような物も豊富に並んでいる。その隣にはカフェと両替所があった。当然ながらここも全ての店が対面販売方式となっている。

入ってすぐの所に“ロシアのおみやげ”と日本語の貼紙をしてある店があり、カウンターの中には民芸品やお酒が並んでいた。この店でお土産のマトリョーシカとウオッカと絵ハガキを買う。あとなぜかユジノ市内のバス路線図という物が売っていたので買ってしまった。

デパートを出て、横の市場をのぞいてみる。踏切横のバザールを小さくしたような感じで、ここにも色々なものが売っているが、デパートの門前町という感じがしないでもない。

PICT0038.JPG
 どの店もテント張りで、お祭りの露店という感じ。

PICT0043.JPG
 野菜の移動販売車。人だかりができる。

市場をあちこち物色してると、後ろから3人連れの警官に呼びとめられた。午前中に踏切横の市場にいた警官たちだった。

あんまりウロウロしていたので不審者に見えたかもしれない。警官は何か言うが分からない。片言のロシア語で「私は日本人だ」と言ってみる。どうも職務質問だったようだ。

「パスポルト(パスポートを見せなさい)!」
パスポートとビザを確認して、
「名前は?」とか「住所は?」、
「ガスチニッツァ(ホテル)は?」とかあれこれ聞かれる。

デパートや市場で買い物した袋も中を見せろという。デパートで買い物したお土産のほか、市場で買ったカップラーメンがたくさん入っている。これは珍しかろうとお土産に買ったものなのだが、「シトー(これは何だ)?」と聞くので「ラーメン」と答えた。

単なる旅行者だと分かったようで、パスポートを返してもらった。
警官の1人が「アパースナ(危ない)」と言った。「危ないからこんな所を1人で歩き回るんじゃない」と言われた気がした。

そうだった。ここは日本ではないのだ。年々治安が悪化する一方といわれるロシアの国なのである。

警官たちに尋問され、街歩きはもう嫌になった。ホテルに戻ることにする。


 ◆ サハリン最後の夜

ホテルにレストランがあるので、そこで少し豪勢な夕食にしようと思った。
両替しすぎたルーブルも少しは消化できるだろう。

PICT0003.JPG
 2Fにあるレストランの入口。

席に着くと、ウエイトレスがやってきて何やら言う。
日本人だと分かると彼女は「オヘヤ」と言った。どうやらレストランは貸切になるらしく、食事はルームサービスでということらしい。

メニューを見せられ、適当なのを指さすと、肉はビーフかポークか、ライスにするかポテトにするかときかれる。それにビールを1本つけて、代金は399Р。
現金で支払って部屋に戻る。

しばらくすると、ウエイトレスがワゴンを押して部屋にやってきた。
運ばれてきた料理は、ポークステーキ・サラダ・パン。
ステーキの上にはケチャップソースがたっぷりとかかり、フライドポテトが添えてある。

PICT0055.JPG
 ルームサービスの料理。

味は日本の町中にある洋食店のものといったところ。

窓際に料理とビールを並べて、景色を眺めながら食べた。
まずくはないが、格別うまいわけでもない。
それでも1人で食べるのは味気なく、寂しい夕食だった。

ロシア最後の夕食は、レストランで豪華にやりたかった。
しかし、昼間の警官の一件もあって、もう外に出る気はしなかった。

PICT0049.JPG
 街歩きで買ってきた土産物。

PICT0013.JPG
 本屋で買った絵葉書き。

明日は朝が早いので今のうちに荷物をひとつにまとめておく。本やウオッカの詰まったカバンはものすごく重くなった。

部屋でテレビを見ながらウオッカを飲んで、サハリン最後の夜は更けて行った。


Powered by さくらのブログ