北海道医療大学が移転するらしいです

道内の鉄道にとって衝撃的なニュースが飛び込んできました。
それはこちら ↓ ↓ ↓ ↓

【特報】道医療大、北広島へ移転 28年度、新球場敷地に 27日の理事会で判断

“北海道医療大(石狩管内当別町)が北広島市のプロ野球北海道日本ハム「北海道ボールパークFビレッジ」(BP)に移転を検討していることが22日、複数の大学関係者への取材で分かった。2028年度にBP敷地内に新キャンパスを設置、当別キャンパスに加えて札幌市北区の札幌あいの里キャンパスと北海道医療大学病院も集約する。27日の同大理事会で可否を決定する方針。”

(2023,9,22北海道新聞デジタルより引用)

紙の朝刊1面記事にもなっています。
これが事実だとすると、札沼線こと学園都市線、それに当別町にとっても由々しき事態ですね。

大学最寄り駅である北海道医療大学駅は、同大学のために存在する駅といえましょう。
JR北海道ホームページ、域交通を持続的に維持するために から北海道医療大学駅の乗車人員を拾ってみると、平成27年〜令和元年の5年平均で2369.4人

同大学が北広島市へ移転するとなると、この片道だけで2千人以上もの利用客がスッポリといなくなるわけです。
特に当別〜北海道医療大学間など、大学関係者の利用がほとんど。

大学移転後に北海道医療大学駅だけが残されても、この駅周辺は農家が点在するのみ。
当別〜北海道医療大学間は確実に廃止となることでしょう。

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 廃止の危機?北海道医療大学駅(2020年10月筆者撮影)

せっかく電化もして、駅もバリアフリー化工事をして新たな改札口も設け、札沼線代替バスのための交通結節点施設を設けたのに、全部無駄になってしまいます。

北海道新幹線並行在来線を除いて、現在JR北海道の路線で廃止が確定しているのは、根室本線富良野〜新得間、留萌本線深川〜石狩沼田間ですが、札沼線当別〜北海道医療大学間がそれに続くことでしょう。

しかし、ちょっとオヤッ?と思うこともあって、こんな重要なことならば北海道医療大学は当別町やJR北海道にも打診しているはずで、当然そこからは大反対が起こるはずです。

とても大学単独で決められる話ではありませんね。

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 当別キャンパスの画像(北海道医療大学公式サイトより引用)

それに上画像で分かるように、ビル群を形成する大学キャンパスが廃墟となるわけで。
2013年に竣工した10階建ての中央講義棟もまだ新しい。
それを放棄して北広島に新築移転するなど、狂気の沙汰としか思えないんですけど。

しかも移転先は北海道ボールパーク内の敷地だという。
私はボールパークへは仕事で5回行ったことがあり、どこに何があるかよく熟知していますが、大学移転用地なんてあったかな。

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 医療大移転予定地(北海道新聞デジタルより引用)

で、道新掲載の移転予定地の画像をよ〜く見ると、ボールパークの駐車場じゃん

2028年にはJR北海道の北海道ボールパーク駅が開業する予定になっており、その暁にはアクセスも改善されて駐車場も縮小できるとの読みなのでしょうか。

大規模な当別キャンパスを移転するとなるとそれなりに広い敷地が必要となるわけで、駐車場2つ潰したくらいの敷地に収まるのかは疑問です。

上の道新記事引用文で赤文字にした『取材でわかった』という言い回しはどこか引っ掛かりますな。
『わかった』だけでそういう事実があるまでは明言していないわけですから。

まだ決定事項ではないし、それだけで1面記事にするほどのことなのでしょうかね。
個人的には、道新お得意の勇み足記事のような気がしてならないのですが。

過去の道新1面記事にはこんなのもありましたね。

 * 新千歳―旭川に直行列車構想 JR・HAP 追分経由で時間短縮
(2021年1月4日)
“JR新千歳空港駅と旭川駅を乗り換えなしで結ぶ新たな直行列車構想が浮上している。”

詳細は こちら

この記事もど〜んと1面を飾りましたが、その後はトンと話を聞かなくなりましたな。

元旦やエイプリルフールの記事ならばともかく、ネタ記事を1面にするのはどうなんでしょうか。
スポーツ紙が廃刊になり、こんどは夕刊が廃刊となる道新は東スポ化を目指しているのか。

上記の記事は新年の微笑ましいポジティブ記事と言えなくはありませんが、ネガティブな記事は慎重にして欲しいものです。
原発事故や新型コロナでネガティブキャンペーンを張り、マスコミがさんざん不安を煽るのは記憶に新しいところです。

まあそんなわけで、私などネット民はこの道新記事は人騒がせな記事に思ったわけですが、新聞やテレビしか情報源のない、いわゆる情弱と呼ばれる人で関係者の方々はパニックになったことでしょう。

でも、ここまで書いたことは私個人の感想でありまして、本当は北広島への移転検討はあるのかも知れません。
少子高齢化が進む日本社会ですから、大学の機能を縮小してコンパクト化するということはあり得るでしょう。
だからと言って、いままで投資し続けてきた当別キャンパスを放棄して、新たに北広島に新築移転する?

この道新記事を見て、なんだか眉唾感が抜けきらないので記事としました。
外していたらごめんなさい。

posted by pupupukaya at 23/09/23 | Comment(0) | 鉄道評論

エスタ閉店と新幹線工事が始まった札幌駅

2031年春の開業を目指して工事が進む北海道新幹線。
札幌駅でも、新幹線駅や再開発ビルの工事が目に見えるようになってきました。

通勤通学等で毎日札幌駅を利用されている方々にとっては何のことはない光景なのでしょうが、私は札幌駅へ行く機会があまりないもので、日に日に変化する札幌駅を訪れる度に驚くことばかりです。

9月9日に行われた苗穂工場一般公開をちょっと覗きに行った際に、そんな工事が進む札幌駅の様子を見てきました。
8月31日にエスタが閉店となり、エスタ1階のバスターミナルも9月30日を最後に閉鎖となります。

そんな変わりゆく札幌駅の様子をお伝えしたく、また移り変わりの記録として記事としました。
またしばらくお付き合い願います。

まずは札幌駅ホームから。

新幹線工事の第一弾として去年(2022年)10月に11番ホームを新設し、1番ホームを廃止しています。
これは札幌駅南側に建設される複線の新幹線の線路が建設するために、その用地を確保するためのもの。

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2番ホームへの入り口。
ここもエスカレーターの取り換えや階段を狭める工事が始まるところです。

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右側にあった旧1番ホームは仮設囲いで覆われています。
この向こう側では線路の撤去作業が進行中。

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2番ホームの西側ホーム端から見ると、旧1番線の線路はきれいに撤去されていました。
高架橋は左側に拡幅され、ここに2本の新幹線軌道が並んで東京まで続くことになります。

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こちら側は同ホーム東側。
右側のJRタワーの向こうに新幹線の札幌駅が建設されます。
東側はホームからは見えませんが、列車内から見ると一部高架の撤去など工事が始まっていることがわかります。

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苗穂駅方向から進入する1・2番線は配線の変更も行われていて、2番線の線路は3番線へ向かう線路から分岐するようになっていました。
この部分の線路を撤去して、新幹線駅の建設をすることになっています。

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 新幹線工事のために撤去された線路(地理院地図を加工して筆者作成)

これによって、それまで2番線に函館本線から、3番線に千歳線から同時進入できていたのが不可能になります。
特に桑園方向へ直通する列車は2・3・4番の3本しか使わないわけですから、ダイヤ作成上大変そうです。

この代替としてか苗穂側に亘り線が2箇所新設され、一番南側の函館本線上り線からでも全ホームに入ることができるようになったようですが、通常ダイヤで使用されることはなさそうです。
雪害などの輸送障害時に活用されるのでしょうか。

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各ホーム東側では早くも乗換こ線橋の工事が始まっていました。
このこ線橋は通路幅9m、各ホームへはエスカレーターとエレベーターを配して新幹線駅までは動く歩道も設置するという大掛かりな構造物となります。
そのために既存の高架橋も強化工事をしなければならないので、高架下にあったパセオ閉館も致し方ないところではあります。

ちなみに閉店したパセオは現在どうなっているのかはこちら。

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札幌駅旧パセオ東側出入口横の工事車両出入口から東コンコース方向を撮影したもの。
店舗だったものがすっかり取り払われて完全なスケルトン状態。
ここまでしなければならないので、パセオを営業しながら工事は無理でした。

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こちらは北側に新設された11番ホーム。

床や案内看板に新しさを感じますが、北側の壁は仮設パネルのまま。
北口側の壁面と合わせて、現在はこのまま工事がストップした感があります。
現在は新幹線高架増築のための耐震工事が行われており、北口側もその工程に合わせての工事再開となるのでしょう。

基本学園都市線の発着ホームですが、午前中の2本だけ函館本線下り列車が使用します。

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11番ホームの柱に取り付けられた縦型駅名標。
こちらはサッポロクラシックの広告です。

そういえば、従来の『北海道はサッポロビール』広告入りの縦型駅名標が新しいデザインのものに交換されるという話がありましたが、広告がサッポロクラシックになるのでしょうか。

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こちらは11番線の下。
仮設パネルやコンクリートむき出しで、まだ工事中のようにも見えます。

これはおそらく、既存のコンコースも新幹線工事と並行して改装工事が行われると思われるので、それに合わせて内装工事を行うと思われます。

あと気になるのが、11番ホームだけエスカレーターの方向が他のホームと逆だということ。
このエスカレーターの向きは新幹線連絡こ線橋の方を向いています。

ここだけ動線が違うのと、ちょっとした広場のようになっているので、コンコース内でも独立した格好となってしまっています。

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こちらは既存のラッチ内コンコース。
ちょこちょこと改装工事は行われていましたが、基本的には高架開業時から変わっていません。

新幹線開業に合わせて、それに相応しいデザインの内装に一新されるのではないでしょうか。

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8月31日を以て閉店したエスタの地下入口。
北5条通りに出る地上出入口くらいは通すのかと思っていましたが、旧エスタの通路はすべて閉鎖されました。
今はシャッターですが、解体工事が始まれば仮設パネルで覆われることでしょう。
しばらくは寂しい光景となりますね。

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東豊線のさっぽろ駅へ続いていた通路も閉鎖。
平日はここに警備員が立ち、テナントの商品や什器を搬出するための通路として開けていました。

では南北線さっぽろ駅やアピアから東豊線へ行くにはどうするのかというとこちら。

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JRタワーの地下通路は従来通りとなっているのでこちらを通ることになります。
紙出力した案内があるだけなので、ちょっとわかりにくいですね。
こちらはちゃんとした案内看板を設置してほしいところです。

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エスタ閉館にともなう通路案内図も各所に掲げられていますが、紙出力したものをラミネート加工しただけの簡易なもの。
バスターミナルも10月1日から閉鎖となるために、しばらくはこのままとなりそうです。

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エスタは閉店しましたが、バスターミナルは9月30日までは稼働します。
こちらは1階のバスのりばへの出入り口。

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東西の通り抜けができなくなったエスタの通路ですが、東側の南北を結ぶ通路は現在も解放されて、地下鉄東豊線改札口から各方向を結ぶ通路として利用されています。

ただこの通路も来年(2024年)1月で閉鎖され、2月からは新たに設けられた接続口から直接ステラプレイスへ出入りすることになります。
これによって旧エスタ内は完全に閉鎖され、本格的に解体工事が始まるのでしょう。

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 JR北海道『北5西1・西2地区第一種市街地再開発事業に伴うエスタの閉店について』より引用。

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南口広場から2階デッキへの階段は閉鎖されて立入りができなくなっています。
2階コンコースも閉鎖され、そこにあった定期観光バスの案内所は札幌駅西口コンコースに移転、また乗り場は一足早くバスターミナルから北口へ移転しています。

バスターミナルは9月30日までは平常通り発着します。
ですがエスタの閉店により出入口が限られてしまったので、少々不便になりました。

10月からはバスターミナルが閉鎖され、新しいバスターミナルが完成する2028(令和10)年度までは路上のバス停から発着することになり、バス利用者は不便を強いられそうです。

移転する乗り場のうち一番遠いのは北3条の赤レンガ道庁正門前まで行ってしまうので、しばらくは混乱が続きそうですね。

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こちらは主にJRバスが使用する北レーン。
南口広場から平面で接しているレーンですが、狭いですね。

以前はこのレーンを通って南口広場から西2丁目通りへ行けましたが、現在は工事のために通り抜けはできなくなっています。

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各レーンへはかつては地下やエスタ2階から階段を使うしかなかったのですが、いつの頃からか遮断機付きの横断歩道が設置されました。
屋内のバスターミナルに横断歩道というのも他では見ない気がします。
全国的にもちょっと珍しいものでしょうね。

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中レーンから横断歩道を見る。
こちらは高速バスのほか、じょうてつバス、旧市営バス路線が発着します。

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南レーンは主に中央バスの高速バスが発車。
高速あさひかわ号の乗り場は、冬にJRが運休すると長蛇の列ができて階段を登って2階コンコースまで続いたこともありました。

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南レーンの中央バスが発着する乗り場には、バスの発車に合わせて行先の掛札が下がります。
これは中央バスの案内係が発車時刻に合わせてかけ替えているというアナログなもの。

本当は電光掲示にしたかったんでしょうが、不慣れな乗客の案内も兼ねてこうした古いものを残していたのでしょうか。
苫小牧と留萌じゃ行き先がまるで反対ですからね。

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こちらも時代がかった字体の案内板。
地下に下る階段なのに『札幌駅』とあるのは、開業当時は札幌駅は地下にも改札口があったからです。
昔の地平駅時代は地下鉄と直結した地下改札が圧倒的に利用者が多かったですね。

現在バスターミナルからJR札幌駅に行くには、地下に下りずに横断歩道を渡って北レーンから南口広場かJRタワー通路に出るのが正解。

どこからか昭和時代の香りも漂ってきそうなバスターミナル。
これもまた一つ消えてゆく風情ですかね。

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こちらは中央バス案内所の上にある高速バス発車案内。
道内各地に向かう高速バスは、ほぼこのバスターミナルから発車するので30分間に7本ものバスが並ぶのは壮観です。
しかも表示されているのは中央バスとその共同運行便だけで、これ以外に道南バスと沿岸バスも発着しているわけですから、北海道内の交通の中心と言えるでしょう。

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当然ながらエスタの閉鎖された区域への階段はシャッターが閉まっていました。

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こちらはバスターミナルから一斉に出てくるバスを西2丁目通りから見てみます。
特に毎正時と30分は発車するバスが多いので壮観です。

このバスが出てくる順番は一番右のレーンが最初で、そこから左側のレーンへ向かって順番に出る習わしになっています。

昔はこの順番が逆で、一番左の北レーンが先だったのを覚えています。
毎時00分と30分は、JRバスの快速小樽行きという便があって、そのバスに乗っていると信号が青になってターミナルから出るときに、右側のレーンのバスを差し置いて1番で出ていきましたから。

札幌駅発着のバスとしては国鉄バスから引き継ぐJRバスが一番古いわけで、そのさらに一番古い札樽線のバスが1番に出る伝統かと思っていましたけれど。

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上画像は牧歌の像とエスタを一緒に撮ってみました。

牧歌の像は、製作は本郷新氏で、札幌駅開駅80年を記念して1960(昭和35)年に完成したもの。
先代駅舎時代は南口正面に設置してあり、札幌駅の顔でもありました。
先代の南口駅舎が解体されてからこの像も一旦撤去されましたが、工事終了後は南口広場の一角に復元されています。

エスタの閉店、バスターミナルの閉鎖によって、新幹線工事に係る周辺施設の閉店や閉鎖はひとまず完結します。
ここからは新幹線駅と関連施設の建設工事に突き進んでゆくことになります。

一足先に閉店したパセオは、早ければ2025年には再開、エスタの跡に建設される再開発ビルは2028年度完成予定となっています。

この再開発ビルは、資材高騰や人手不足の影響から規模縮小という報道もなされておりますが、札幌の顔であり表玄関でもある南口広場の風景が大きく変わることには変わりありません。

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上の画像は、エスタ地下からの出入口吹き抜けに飾ってあった『1935年頃の札幌駅』。
これはまだエスタ営業中に撮影しておいたもの。

3代目駅舎のモザイク絵ですが、こんな絵があったことに気づいていた人は少なかったでしょうね。
作品の右下に『′78』とあるので、1978(昭和53)年のエスタ開業当初から飾られていたものでしょう。

この明治の時代に建てられたルネサンス様式の木造2階建て駅舎は、当時としてはハイカラな建造物として話題となったほどでした。
長らく札幌の顔となっていたわけですが、長年の風雪にさらされて、また戦中戦後を経て老朽化と乗客増に耐え切れなくなり、1952(昭和27)年に4代目駅舎に建て替えられます。
ボロボロになっていた木造駅舎から4階建て(後に5階建てに増築)の近代的駅舎に生まれ変わったときは、当時の市民はどのように感じたんでしょうか。

その後も地下鉄南北線の開業、札幌駅名店街の開業、エスタの開業と札幌駅は発展します。
この絵は、その発展の中で、昔の札幌駅も忘れまいと描かれて飾られた作品なのでしょう。

エスタ解体後はこの作品の行方が気になるところですが、新しい再開発ビルが完成した暁には、どこかにまた飾って欲しいものです。
今度は4代目駅舎の絵と一緒に。

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これはそごうがあった頃の札幌駅。
撮影時期は1995年夏。まだ20代だった頃の筆者撮影。

札幌駅自体は1988(昭和63)年11月に現在の高架駅になっていますが、それからも長い間5階建ての4代目駅舎とエスタが南口の顔でした。

すでに老朽化していた駅舎はいずれ取り壊されることは確実でしたが、奥のエスタが取り壊されて建て替えられるなど当時は思いもしないことでした。
これを撮影した当時から既に30年近くの時が流れ、この建物がいよいよ無くなるのだと思うと、時の流れを感じます。

話を戻しますが、この新幹線開業の一連の再開発について否定的な意見もあります。
曰く、税金の無駄遣いだとか、少子高齢化で日本は衰退するのだから無駄な投資だなどというもの。

だけどその否定的意見の根底にあるのは、変わりたくない、新しいものについてゆけない、凝り固まった老人の発想の延長のように私は思えます。

私は、昔は良かった今は駄目だ的なことは極力考えないことにしています。
昔は良かったけど、今も良い。将来はさらに良い。
意識してそう考えないと、あっという間に心は老人になってしまいますからね。

人は歳を取ると自然と老いるのではなく、自ら望んで老いてゆく。

また余計なことを言ってしまいましたね。
私自身は、この様変わりする札幌駅が完成するのを楽しみにして待っていようと思います。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 23/09/10 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

有珠山噴火災害による室蘭線不通時の函館山線迂回運転ついて考える

 ◆2000年の有珠山噴火不通時に行われた山線迂回運転

先日こんなものが出てきました。
それは、『JR北海道臨時時刻表』というパンフレット。
5月8日現在とあるのは、2000年5月8日のこと。

ちょうど有珠山が噴火した年で、この年の3月29日から噴火の影響で室蘭本線の長万部〜東室蘭間が運休とななりました。
翌日の3月30日からは、特急列車と貨物列車が通称山線と呼ばれる函館本線小樽経由で運転を再開することになりました。

この山線は、国鉄最後の1986(昭和61)年11月以降は定期の優等列車は走らなくなりましたが、ニセコ〜札幌間はリゾート特急『ニセコエクスプレス』が運転されていました。
過去をさかのぼれば、1993年までは臨時急行の『ニセコ』が運転されていたほか、1996年まではスキーシーズンに臨時寝台急行の『シュプールニセコ』が仙台から山線経由で札幌まで運転されていました。

普段はローカル列車が走るだけの路線でしたが、それなりに幹線だった頃の下地が残っていたので、素早く山線への迂回運転の対応が出来たのでしょう。

で、そのパンフレット。

A3サイズの紙を2つ折りにして4ページとしたものですが、有珠山噴火に伴う山線経由の臨時特急のダイヤ、それに伴って運休して代行バスとなる山線の普通列車、乗車券類の取り扱いなど結構詳しく記載してあるので、ちょっとその当時のことを思い出してみることにします。

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 JR北海道発行『JR北海道臨時時刻表』より

表紙兼1ページ目は函館〜札幌(う回小樽・倶知安経由)特急列車時刻表

この期間に運転されていた臨時特急北斗は6往復ありました。
山線区間内は小樽と倶知安のみ停車です。
編成は基本7両ですが、多客時は増結されて最大10両編成で運転されていた模様。

車両は『スーパー北斗』で使用されていた281系ですが、62号,68号,65号,69号の2往復は当時まだ走っていたスーパーの付かない『北斗』で使用されていた183系だったようです。

この臨時特急ダイヤの詳細については後述することにして、次へ行きます。

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  JR北海道発行『JR北海道臨時時刻表』より

2ページ目は乗車券類のについての案内。
特急が小樽経由になったことにより、特急の運賃・料金は距離が短い小樽経由のものに変更されています。

札幌〜函館間で見れば、同区間の営業キロは東室蘭経由の318.7kmに対して小樽経由は286.3km。

当然ならばこれは経路である小樽経由の運賃・料金が適用されるわけで、東室蘭経由の運賃は5,560円でしたが小樽経由で5,250円に、同じく指定席特急料金は3,030円から2,820円と値下がりしています。

一方でRきっぷ等の企画乗車券は値段据え置きで発売されています。
一番下に『払い戻しを行わないことを条件に〜中略〜発売いたします』の断り書きが見えます。

これは、JR北海道旅客営業規則第7条(2)に記載されている『不通区間に対する旅客運賃の払いもどしの請求をしない』ことを条件に不通区間の乗車券を発売する、いわゆる不通特約を適用したものと思われます。

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  JR北海道発行『JR北海道臨時時刻表』より

3ページ目は本州方面への夜行列車時刻表
この当時の札幌〜函館間を走る夜行列車は、『北斗星』2往復を筆頭に週4日運転の『トワイライトエクスプレス』、週3日運転の『カシオペア』、急行『はまなす』、臨時快速『ミッドナイト』と今にして思えばこの頃が本州と道内を結ぶ夜行列車の最盛期でした。
『北斗星』は定期2往復のほかに臨時1往復があり、さらに多客時にはB寝台オンリーの『エルム』なんて列車が設定されていました。

迂回運転でも、夜行列車もしっかりと走らせるところは立派なものです。
もちろん食堂車も平常営業です。

このうち山線を迂回運転していたのは『北斗星1・2号』、『はまなす』それに『カシオペア』と『トワイライトエクスプレス』は共用のスジを走るため、それぞれ隔日で交互に運転されていました。

迂回運転中は、函館〜札幌間はDD51を客車の前後に連結したプッシュプル運転となっていました。
これは札幌運転所に出入りする際、札幌駅で方向転換が発生するので、同駅での機回しを避けるための措置だったのでしょう。

『北斗星3・4・81・82号』とカシオペアと運転日が被る日の『トワイライトエクスプレス』は函館打ち切りとなり、臨時北斗が接続しています。
『北斗星81・82号』は『カシオペア』登場と同時に1往復廃止された『北斗星』が多客時に臨時列車扱いで復活したもの。
臨時列車ながらも定期列車時代と同等に個室寝台も連結され、食堂車も営業していました。

なお、この当時は季節列車に格下げされていた札幌〜函館間の夜行快速『ミッドナイト』は運転されることはありませんでした。

下段には2ページ目にある乗車券類案内の続きが掲載されています。

この中に小さく書いてある注意書きに、

『室蘭線の苫小牧〜伊達紋別間と日高線の勇払〜様似間発着となるお客様は別のお取り扱いとなりますので駅係員までお申し出ください』

の一文が見えます。

これは上記の各駅から函館方面への乗車券は、前述の不通特約に則って不通区間の室蘭本線経由で発売していたからでしょう。
臨時『北斗』運転により、札幌・小樽経由で函館方面へ向かうルートが確立したことにより、JR北海道旅客営業規則第7条3が適用されたのだと思われます。

 *JR北海道旅客営業規則第7条3の引用
『列車の運行が不能となつた場合であつても、当社において鉄道・軌道・自動車・船舶等の運輸機関の利用又はその他の方法によつて連絡の措置をして、その旨を関係駅に掲示したときは、その不通区間は開通したものとみなして、旅客の取り扱いをする』



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  JR北海道発行『JR北海道臨時時刻表』より

4ページ目の最初が札幌〜東室蘭方面特急列車時刻表
特急北斗が山線経由となったために、その代替として臨時特急が7往復設定されています。
ここの詳細は山線迂回運転と直接は関係ないので割愛します。

次が東室蘭〜長万部間普通列車時刻表
この頃の室蘭本線は長万部〜洞爺間、長和〜東室蘭間で普通列車の運転が再開し、洞爺〜長和間は昼間の一部時間帯のみ普通列車と貨物列車限定で運転を再開していました。
長万部〜東室蘭間直通の普通列車も3往復設定されています。

その次が、小樽〜長万部間列車・代行バス時刻表
山線区間は有珠山の被害は直接はありませんが、特急列車と貨物列車の迂回運転ルートとなったことから、輸送力を確保するために一部の普通列車を運休してバス代行にすることが行われました。
網掛けとなっている下り11本、上り8本の列車が代行バスの時刻となっています。

ただこの普通列車の時刻も、基本的には代行バスを除いて平常時の時刻がそのままで、臨時特急運転に対応した時刻変更はなされていないようです。

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  JR北海道発行『JR北海道臨時時刻表』より

この普通列車の時刻もおや?と思うところがいくつもあって、例えば倶知安6:27発長万部着8:26着の列車2926D。
この列車が長万部に着く前の8:20に札幌行『北斗61号』が長万部を発車している。
山線区間は全線単線だし、交換可能駅は黒松内までありません。

時刻表通りに発車したら、途中で正面衝突ですね。
実際は2926Dが長万部に到着しないと北斗61号の出発信号が青にならないし、各種安全装置も働いているから正面衝突など起こりませんが、これはどうしたことでしょう。

おそらく、2926Dは黒松内を定時に発車せず、北斗61号と交換を行ってから発車していたのではないでしょうか。
普通列車に関しては時刻変更を行わず、その都度遅れとして対応していたと思われます。

迂回運転はあくまで災害による一時的な措置で、特急のダイヤもちょこちょこ変更されていた頃ですから、その度に普通列車のダイヤも修正して各駅に告知も行っていたら大変ということもあったのかも知れません。

それにこのパンフレットが発行された頃は、有珠山の災害不通区間も限定的ではあるものの運転再開をしていたから、迂回運転もそう長期化しないからということもあったのでしょう。

実際6月1日から特急は昼間だけ東室蘭経由に戻されていますし、6月8日には完全に正常ダイヤに戻り、山線迂回運転も終了しています。


 ◆ 山線迂回運転時のダイヤを見る

では山線迂回運転だった当時のダイヤはどのようなものだったのでしょうか。
下はパンフレットから起こした時刻表になります。
八雲、森、大沼公園、五稜郭の各駅の時刻は省略していますが、71号が五稜郭と大沼公園通過になる以外はこれら各駅に停まります。

2000年5月函館本線迂回運転時刻表 上り
列車名北斗60北斗62北斗64北斗66カシ・トワ北斗星2北斗68北斗70はまなす
車両281183281281  183281 
札 幌8:3110:5013:5615:2816:2217:1318:1119:2521:56
小 樽9:1711:3414:2816:0516:5917:4818:4320:0022:33
倶知安10:2612:3615:3817:01  20:1221:35 
長万部11:5413:5717:0418:2219:1120:0021:4423:04 
函 館13:1515:3118:3119:4020:5621:4623:150:182:52
所要時4:444:414:354:12  5:044:53 
終 着    
上野・
大阪
上野
9:35
  
青森
5:18

2000年5月函館本線迂回運転時刻表 下り
列車名はまなすカシ・トワ北斗星1北斗61北斗63北斗65北斗67北斗69北斗71
車両   281281183281183281
始 発
青森
23:08
上野・
大阪
上野
17:13
      
函 館1:434:294:477:059:3411:3414:0017:1819:00
長万部 6:076:298:2011:1413:0015:2418:4420:12
倶知安   9:3812:3514:2617:0320:1221:36
小 樽5:568:589:4610:3313:4415:3018:2621:1622:31
札 幌6:319:4310:2511:0214:1716:0219:0321:4522:59
所要時   3:574:434:285:034:273:59

最速列車は下りの61号で、所要時間は3時間57分
この最速列車の区間別の内訳を見ると、こうなります。

 函館〜長万部間・・1時間15分(89.8km/h)
 長万部〜札幌間・・2時間42分(64.4km/h)
  ※カッコ内は同区間の表定速度

ちなみに、1980年の時刻表から特急『北海』の長万部〜札幌間所要時間を拾ってみると、2時間54分でした。
途中停車駅は同じく倶知安と小樽のみ。
最高速度は95km/hで281系の振り子機能も停止した状態で12分もの差がついたのは、途中4つある峠をハイパワーで駆け登る性能の違いでしょうね。

一方で上りの最速列車は66号4時間12分となっています。
列車によって所要時間にばらつきがあるのは、やはり単線区間の山線で、しかも交換駅も限られているからでしょう。
代行バスに置き換えられて本数は減ったとはいえ、普通列車も運転されていますから、その合間を縫ってのダイヤということになります。

DSCN4132.JPG
 長万部駅を発車する281系『北斗』(2021年撮影)

ところで、この時刻表を見ていると、おや?と思うところがあります。

上りの『カシオペア』と『北斗星2号』の時刻が、札幌発時刻が平常時と変わらないのはさておいて、長万部以降の時刻も平常時と変わらないのはおかしいんじゃないかということです。

例えば、『北斗星2号』の札幌〜長万部間の所要時間は時刻表によると2時間47分になります。
気動車の臨時北斗でも、同区間の所要時間はおおむね3時間以上掛かっていますから、これはいくら何でも速すぎる。

実はこのからくりは欄外に書いてあって、『小樽経由のトワイライトエクスプレスは90分程度、北斗星2号は50分程度の遅れが生じますのでご了承ください』と注意書きがある。

『北斗星2号』はこの50分が山線迂回運転で生じた遅れ時間のようですね。
どうやら、長万部から先の各駅は時刻変更を行わずに単純な遅れ列車として運転されていたようです。

それにしても『トワイライトエクスプレス』の大阪着遅れ90分は札幌発時刻が2時間以上繰り下がった影響も含んでいるのでしょうが、それを大阪着までに90分遅れにまで取り戻しているのには恐れ入ります。

この時刻変更を行わずに遅れ列車として運行していた理由は、JR他社間またがりの列車なので、ダイヤを設定するとなると色々調整が必要となるだろうし、あくまで一時的な措置ということで容認されていたのではないでしょうか。

ところで『カシオペア』と『はまなす』は何も注意書きがありませんが、この2列車は遅れなしでそれぞれの終点に着いたのでしょうか。
そんなわけは無いと思いますが、どうなんでしょう。

まあでも、この頃はそんな大らかさも許されていた時代だったのでしょうね。

逆に下り列車の場合、長万部までの時刻は平常時と同じですが、札幌着は律儀に24分〜67分遅くなったダイヤが設定されています。
これは逆に自社内なので所定ダイヤが設定できたためだと思われます。


 ◆ 山線迂回ダイヤを作成してみる

この迂回運転時の時刻表を見ていて、実際のダイヤはどのようなものだったのか、どの列車がどの駅で交換(単線区間で列車がすれ違うこと)していたのか、大変気になってきました。
時刻表を基にしてダイヤを作成すれば一目瞭然なのですが、特急の運転時刻は停車駅のものしかわかりません。

しかし、さほど本数が多いわけでもなく、列車の交換ができる駅も限られているため、実際にダイヤ上にスジを引いてみればそれらしい駅の場所でスジが交差するのではないかと思い、ダイヤを作成してみました。

一番上の横線を小樽駅として、距離ごとに交換可能駅の平行線を引けば横軸は完成。
あとは時間の縦軸を、これも平行線を引けば縦軸も完成。
こんなものはフリーソフトのCADを使えば簡単にできます。

で、そこへ特急列車のスジを引いてゆきます。
思った通り、それらしい駅の場所でスジは交差しました。
この交差する駅が交換駅ということになります。
単線だから駅間で交差することはありえないので、微調整すれば上手くまとまりました。

特急列車のダイヤはすぐに完成しました。
次いで普通列車のスジ。

これが結構難解で、特急と違って各駅の時刻はわかるのですが、なんせ臨時特急列車が割り込んでくるもので、交換可能駅で交差させなければならない。
ダイヤ作成者の苦悩がちょっと垣間見ることができた気がしました。

それで完成したのが以下のダイヤです。

yamasendia845.jpg
 (画像をクリックして拡大してご覧ください)

画像のは1時間目ダイヤですが、作成時は分単位の目盛りで行いました。
見づらくなるので分単位の目盛りは消してあります。

特急列車のスジが曲がりくねったり変な交換待ちが発生したり、あまり良い出来ではありませんが、単線でしかも交換駅が限られているために大きくは違わないと思います。
北斗星2号のスジはパンフに記載のある通り、長万部着で50分程度遅れるようにスジを寝かせてみました。

こうしてダイヤにして見ると、どの列車がどの駅で交換しているのか一目瞭然ですね。

所要時間がかかっている列車は、やはり交換する列車が多いからということもわかります。
あとは普通列車の存在も足かせになるようで、特急だけど普通列車とスジが平行している列車も多いですね。

午前中にぽっかりと空いたような列車の空白時間帯があるのは、保守間合い時間として設定したのだと思われます。
このほかに貨物列車が5往復設定されていて、貨物列車は深夜時間帯に運転されていたので、この時間帯が選ばれたのでしょう。

この作成したダイヤを見ると特筆すべきことがあって、それは何かというと、目名駅で列車交換が行われているということです。

yamasendia151593.jpg

ダイヤを拡大したのが上の図。
北斗64号と67号、69号と68号のスジが見事に目名で交差しますね。

このスジを少しずらして蘭越で交差させるとスジがいびつになるし、他の列車との交換もうまくいかなくなるので目名駅で交換していたことは間違いないようです。

何が特筆かといいますと、目名駅の交換設備は国鉄最後のダイヤ改正で撤去されていたのですが、この山線迂回運転の長期化に備えて新設されました。
それまでは熱郛〜蘭越間23.0kmに交換設備がなく、またこの区間は連続20パーミルの勾配が続く峠越え区間だったので、ダイヤ作成上のネックが解消されたことになります。

DSC01486.JPG
 目名駅ホームにて(2005年撮影)

上は目名駅のホームから撮影した画像。
右側の線路が2000年に増設されたものです。
山線迂回運転終了後は増設された線路に列車が入ることはなかったようです。

もし今後再び有珠山の災害で再び山線迂回運転となった場合は、この目名駅での列車交換が見られるのかも知れません。

山線の輸送力増強工事は目名駅だけでなく、ATS設備の付け替え工事が各駅で行われ、これによってそれまで8両編成までしか対応できなかったものが、気動車列車は10両まで、コンテナ貨物列車は10両+機関車2両、寝台特急列車は客車12両+機関車2両まで対応することができるようになりました。

あくまで一時的な迂回運転ですから、そこまでの改良工事は過剰投資ではないかとも思えます。
しかし有珠山は20年から30年の周期で噴火を繰り返している山で、将来噴火災害が再び起こって同様の迂回運転がなされる可能性は高く、それに備えての投資でもあったことでしょう。

それにこの2000年当時は北海道新幹線など凍結状態。
北海道内の鉄道は在来線による輸送が半永久的に続くだろうと誰もが思っていました。


 ◆ 山線は有珠山噴火災害時の代替ルートとなり得るのか

しかし北海道新幹線建設は風向きが大きく変わり、建設へと動き始めます。
16年後の2016年には北海道新幹線が新函館北斗まで開業しました。
2030年度には札幌まで開業することが決定しており、これから札幌駅でも新幹線工事が本格化します。

その一方で、函館本線、長万部〜小樽間は並行在来線という扱いとなり、JR北海道から経営は引き離されることが決定します。
鉄道存続に要する多額の維持費を負担するのが厳しいという理由から、北海道と沿線自治体は山線を廃止しバス転換という決断をしました。

一方で山線は、再び有珠山噴火の災害発生時に備え、貨物列車の迂回ルートとして存続すべきという意見もあります。
これは山線存続論者にとっては、ワンチャン残された論理と言えます。

ところがこの貨物迂回ルート論も、当のJR貨物から函館本線山線は貨物の代替ルートにならないと、あっさり否定されてしまいます

DSC02035.JPG
 長万部駅に入線する20両編成コンテナ列車(2005年撮影)

2000年に実際に貨物列車の山線迂回運転が実施されていたにもかかわらず、このJR貨物の回答は意外とも思えます。

その理由を、有珠山噴火の不通による貨物列車の迂回運転の実績からから探ってみることにします。
この輸送についてまとめてあるホームページがあったので、それを参考に見てみましょう。

 *有珠山噴火災害教訓情報資料集 : 防災情報のページ - 内閣府

2000年当時、有珠山噴火前は最大20両編成の貨物列車が1日片道当たり24本走っていました。
1両の貨車に5トンコンテナが5個積めますから1列車あたりの積載コンテナは100個。
単純計算ですが、1日24本ならば2400個運べるわけです。

それが噴火による不通となり、迂回路となった函館山線は急曲線が多く勾配がきつい線形の悪い路線で、編成は貨車10両編成+機関車2両という制約が発生しました。
単線なのと、迂回する旅客列車も運転されることから、本数も1日片道5本が限界でした。
運転時間帯も深夜に限られての運転でした。

こんな両数と本数では、片道1日当たりの運べるコンテナの数はわずか250個。
輸送力では、平常時の1割にしかなりません。

とりあえず貨物列車も山線迂回運転による運転再開をしましたが、実際には無力といえるほどの輸送力しか確保できませんでした。

五稜郭駅(現在の函館貨物駅)には、室蘭線が不通になってからたちまちコンテナが大量に滞留したといいます。

JR貨物は不通になるとすぐに五稜郭駅〜札幌貨物ターミナル駅間に1日約200台のトラック代行輸送の手配をしました。
同時に船舶による代行輸送も始めて、11隻の輸送船を借りて函館〜室蘭間と青森〜苫小牧間で1日6往復の運航を開始しています。
これらの代行輸送のおかげで、貨物は不通前の7割の輸送量まで回復しました。

函館〜札幌間のトラック代行輸送は、のちに長万部駅に仮設のコンテナホームを設置することで12往復の貨物列車が運行されることになります。
トラック輸送も函館〜札幌間は1日1往復しかできなかったものが、長万部〜札幌間では1日2往復できるようになり輸送効率が飛躍的に改善、輸送力は不通前の8割にまで回復しています。

これらの通り、実際に有珠山噴火不通時の輸送で活躍したのは船舶代行輸送とトラック代行輸送でした。

急曲線が連続し急勾配だらけ、かつ単線の山線は所要時間もかかりすぎ、貨物列車を運転しても不通の室蘭本線の代替を受け持つことはできなかったのです。

だから、山線区間は廃止せず輸送障害時の貨物列車迂回ルートとして存続するべきだとの意見に対し、JR貨物が山線は迂回ルートにはならないとしたのも無理もないことです。


 ◆ 函館本線山線に再び迂回『北斗』が走る可能性

今後、北海道新幹線開業前で山線がJR北海道の路線として営業中に、再び有珠山が噴火して室蘭本線が不通になれば、函館本線の山線区間に特急『北斗』が再び走ることでしょう。

今度は山線を走る261系『北斗』が見られることになりますね。

こんな災害を望むようなことを書くと、お前はなんて不謹慎なんだとの声も聞こえてきそうです。
しかし、有珠山は過去に20〜30年周期で必ず噴火している活火山ですので、こういったことも考えざるを得ません。

2000の噴火から今年で早や23年になります。
前々回の噴火は1977年だったから、その23年後に再度噴火していることを考えたら、そろそろ噴火が始まってもおかしくはない頃です。

そうでなくとも噴火災害に対する備えはしておかなくてはならないし、特急『北斗』の迂回運転を考えておくことだって備えの一つになります。

今後2030年度予定の新幹線開業前に有珠山が噴火し、室蘭本線が不通となることは十分考えられることです。
そうなったときは、山線に261系車両による臨時の特急『北斗』が運転されることでしょう。

DSCN4162.JPG
 長万部駅を発車する261系『北斗』(2021年撮影)

運転本数は2000年と同じく1日6往復程度が限界でしょうか。
倶知安駅での列車交換も現在では不可能になっていますから、さらに制約は多そうです。
函館〜長万部間でスピードダウンもしていますから、2000年当時のように所要時間4時間を切ることは不可能でしょう。

一方で貨物列車の迂回運転は実施されずに、100%トラックと貨物船による代行輸送となる可能性が高いでしょう。

前述のとおり、10両編成で1日5往復程度の輸送力では無力に等しく、2000年当時はDD51形だった機関車も現在はすべてDF200形になっており、その入線に伴う山線の軌道強化や車両限界拡大の対応も必要になります。

前回の迂回運転から20年以上が経過し、線路施設の老朽化も進行しているでしょうしね。
僅かな輸送量のため、かつ既に廃止が決定している路線に、貨物列車のための強化工事を行うなど到底考えられません。

だから室蘭本線が不通になる事態が生じれば、JR貨物は真っ先にトラックと貨物船による代替輸送に切り替えるでしょう。

しかしこれは机上の考えであり、トラックドライバー不足が深刻になりつつある現在においては2000年当時と同等の輸送力を確保するのは難しく、さらに人手不足に拍車をかける2024年問題というものもあり、実際に代替輸送が発生すれば正念場となることは想像に難くありません。

だからといって、貨物列車を山線に迂回運転することは、上記の理由からありえないでしょう。
臨時特急『北斗』が細々と迂回運転するだけとなりそうです。

まあでも、山線を迂回する特急『北斗』にもう一度乗ってみたい、今やすっかり落ちぶれたローカル線が幹線時代に戻った姿を見てみたいと思うのは鉄道ファンとして正直なところです。

そんな事態が起こらないことが望ましいことは言うまでもありませんが、もし起こったときは最後の函館本線山線の花道を飾る出来事として話題となるかも知れませんね。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 23/08/13 | Comment(0) | 鉄道評論

2023年夏フィンランド旅行記11 帰国・おわりに

 ◆ 新しくなっていたヘルシンキ・ヴァンター空港

海外旅行終盤、大体は空港へ着けば日本に帰国したも同然なのだが、それは帰りの飛行機が日本の航空会社の場合。
今回は帰りもフィンエアーなので、ここはまだアウェーなのである。

今手にしている飛行機のeチケットはJALのものだが、乗る便はフィンエアーなのでチェックインもフィンエアーで行うことになる。
そこでフィンエアーのカウンターへ行くと、自動チェックイン機が並んでいた。

DSCN3419.JPG
 フィンエアーのチェックインコーナー。

どうもこの機械でチェックインして搭乗券を出し、機械から出てくる手荷物タグも自分で付けるようだ。
見ていると、チケットのQRコードをかざしてから操作している。

日本の国内線でもそうなってきたので、別に驚くことではないが、手にしているのは紙出力したJALのeチケット。
QRコードもないので、まず何をどうしたらいいのかわからない。

幸い近くにフィンエアーの名札を付けたスタッフがいたので聞いてみる。

「エクスキューズミー、アイハブア、ディスチケット・・・」

そのスタッフはeチケットを見ると、最初にチケットナンバーを入力すればいいと教えてくれた。

言われた通り、チケットナンバーを入力すると、チケットの情報と座席の選択画面が現れた。
何のことはない。
いやはや便利になったものだ。

座席はデフォルトで指定してあって、エコノミー前側の通路側席。
これは断然窓側希望なので、空いている列の窓側を選択した。
OKボタンを押すと次は手荷物の選択と思ったら・・

げげっ、支払い画面!?
『SEAT PRICE €34.00

DSCN3416.JPG
 シートを選択したつもりが・・・

そういえばフィンエアーの事前座席指定って料金がかかるんだった。
チェックイン時はさすがに無料だと思っていたが、これも有料だったとは。

それにしても34ユーロって、日本円ならば5千円以上だよ。
たかが窓側に座るだけで5千円札1枚飛んでくのなら通路側でいいわ。

座席指定をキャンセルしようとしたがキャンセルできない。
操作を続けていたら、搭乗券らしきものがプリントされて出てきた。

よく見ると、『not a boarding pass』(搭乗券ではありません)と印字されている。

もう一度初めからやり直すが、座席指定の34ユーロは消されていなく、これもキャンセルできないまま同じ紙が出てきた。
成す術もなく、また別のスタッフに声をかけて出てきた2枚の無効チケットを見せると、向こうのカウンターでどうぞみたいなことを言われた。

1つだけの有人カウンターは前の客は2組だが、対応にやたらと時間がかかる。
そりゃそうで、自動チェックイン機が使えない面倒な客が有人カウンターに来るのだからしょうがない。

自分の番が来たので、JALのeチケットと無効チケットそれにパスポートを渡す。
カウンターの人はキーボードを操作し、

「シートチャージ?」
と言った。
「シートチャージ、キャンセル」
というと「オッケー」と言ってまた操作を始める。

34ユーロは無事キャンセルとなったようで、帰りの飛行機の搭乗券が無事渡されて、手荷物も預けてようやくチェックイン終了。

受け取った搭乗券を見ると、座席指定はさっき機械で指定した窓側席のままとなっていた。

これは一旦座席指定してキャンセルエラーとすれば、好きな席をタダでゲットする裏ワザ・・・?

と思いかけるが、私の場合は本当に間違っただけですから。
いや、マジで・・・(汗

DSCN3420.JPG
 出発コンコースの出発案内。

ようやく面倒な手続きから解放されたので、出発コンコースの中をぶらぶらと。
3年前の前回から比べると、全然違う空港といった印象。
リニューアル工事にしては変わりすぎている。

これは後で調べたら、いまのヘルシンキ・ヴァンター空港の旅客ターミナルは、2021年に新築・移転したものなのだそうだ。
それに伴って空港駅のホームへも新しい連絡通路とエスカレーターが新設されたとのこと。

行きも帰りも、駅からのエスカレーターがやけに新しく感じたのはそのためだった。

DSCN3424.JPG
 保安検査場入口。

出発コンコースは何か面白いものがあるわけでなく、ひと回りしたら保安検査場を通って中に入る。
検査場を出ると免税店エリアとなっていて、ここは見覚えのある場所だった。

DSCN3429.JPG
 シェンゲンエリアの免税店エリア。

このヘルシンキ空港のややこしいところは、保安検査場を出るとすぐに免税店が並んでいるということ。
もう出国したと錯覚するが、ここはまだシェンゲンエリアだということを忘れてはいけない。
まだパスポートを出していないからね。

出国イミグレーションはこの免税店エリアの一番奥にあるので、それを忘れてこの辺りで出発時間ぎりぎりまでウロウロしていると、イミグレーションが混んでいたら乗り遅れることにもなりかねないので注意。

こういった免税店も見ているだけで楽しいものだが、高級品ならばともかく、お酒なんか買っても街中のスーパーの方が安かったりするので特に買うものはない。
免税店を横目で見ながら出国イミグレーションを目指す。

DSCN3432.JPG
 シェンゲンエリアからの出国審査場。

出国審査場は2つあって、1つは有人ゲートでもう1つは自動ゲート。
前回は自動化ゲートが利用できたのだが、今回は利用できないようだ。
なぜかというと、ツアーの旗を持った日本の一行が有人ゲートの方に並んでいたから。

それほど長蛇の列というほどでもないので、こちらの列に並ぶ。
こういう所では、分かっている人の後に付いて行くのが一番安心だ。

ここまで来ると日本人が多くなった。
ヨーロッパ各地から乗り継ぎの人達だろう。
ヘルシンキ空港乗継で帰国する際も、このゲートからシェンゲンエリア出国となる。

あとは飛行機の出発時刻からして、ソウル行きの人たちも目立った。
前の緑色のパスポートの人たちは審査官にずいぶん色々聞かれているようで、こちらもちょっと身構える。

次に自分の番が来て、パスポートを差し出すと審査官は、
「コンニチハ」と言った。

スタンプを押して
「アリガトウ」
と言って返してくれた。

それだけ。
日本人は得だなと思う一瞬である。

DSCN3433.JPG
 シェンゲンエリア外の免税店エリア。

ここまで来ればもう面倒ごとはない。
あとはビールでも飲んでゆったりと待っていれば良い。

こちら側はシェンゲンエリア外。
同じように免税店が並ぶが、同じものでもこちら側の方が高い気がする。

手持ちのユーロは5ユーロ札1枚、2ユーロ硬貨1枚、1ユーロ硬貨1枚、あと20セント硬貨2枚の8.4ユーロ。
これはカフェでビールを飲むことにした。

カルフビールが1杯10.9ユーロ(約1,668円)。
ずいぶんと高いね。
でも、無事帰国できそうなのでお祝いだ。

レジで現金を7ユーロ置くと店員は足りないと言いたげにメニューの値段を指さしたが、クレジットカードを出すと分かったようで、不足分はクレジット払いとしてくれる。

残り1.4ユーロは土産代わりに持ち帰ることにした。

DSCN3434.JPG
 フィンランド最後のビール。

ヘルシンキ初日にスーパーで買ったサラミソーセージが1本余っていたので、つまみに食べてしまおう。
日本国は肉製品の持ち込みが禁止されているので、捨てるか食べるかしてしまわねばならない。
荷物の奥に忍ばせれば税関をスルー出来るのかも知れないが、どう考えてもそんなリスクを冒してまで持ち帰りたいものではない。

テーブルでしばし今日の日記を綴る。
短い旅行だったけど、ヘルシンキに着いて以来の出来事を思い出す。

また長い旅行記になるんだろうなあ・・・
夏ごろには書き終わるかなあ・・・
今からちょっとうんざりしてくる。

6月9日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)円換算備考
昼食マーケットスクエア162,453鮭スープとビール
土産物Kスーパーマーケット31.354,807ナプキン、チョコ、チーズ
交通費ヘルシンキ駅4.1629ABCシングルチケット
ビールヴァンター空港10.91,6797€現金払い
合計
62.35
9,568 
 ※ 7€以外はクレジットカード払い


 ◆ ユーラシア大陸横断の旅へ

便名出発地発時刻到着地着時刻
AY067ヘルシンキ17:45関西空港12:35(日本時間)

大阪行きAY67便の搭乗ゲートは51B。

このゲートはコンコースからエスカレーターを下りた場所にある地上と同じ高さ。
つまり、ボーディングブリッジから搭乗するのではなく、バスゲートなのだった。

16時55分に改札が始まるが、中にまた待合所があってバスが来るまで待つことになる。

いわゆる沖止めってやつで、バスで移動して機内へはタラップの階段を登るというもの。
LCCなんかではおなじみだが、国際線ではそうそうないんじゃないかな。

やがてバスが到着して乗り込む。
バス目線から空港の中を見物出来たり、飛行機を下から見上げたりと沖止めならではの体験ができるので面白いっちゃあ面白いけど、格下の扱いを受けているようで良い気分はしない。

DSCN3448.JPG
 エアバスA350-900を下から見下ろす。

バスはタラップに横付けされて、降りてから階段をえっちらおっちらと。
荷物の多い人は大変だ。

階段を登る途中どこからか、
「だから安いんだな」
の声が聞こえてきた。

DSCN3477.JPG
 2便目のバスで着いた人たち。

結果的にタダで手に入れたも同然の指定された席に着く。
10分ほどして、2便目のバスが到着し機内にまた乗客が乗って来る。

3列席の通路側には新たな客は来なかった。
嬉しいことにこの席は貸し切り状態で行ける。

DSCN3456.JPG
 日本まで12時間50分世話になるシート。

帰りの便の搭乗率はというと、目見当で30%台といったところ。
3列席に平均1人というくらい。

3列席貸し切りは快適すぎるほど快適。
ビジネスクラスも目じゃないぞと言いたくなるほどだ。

出発時刻が過ぎても動かない。
「ただいま機内整備中です」との放送。

17時58分、飛行機は動き出して滑走路へと移動。
その間に機内放送。

「大阪までの所要時間は12時間40分を予定しております」

離陸すると、フィンランドの大地を下に見ながら飛行機は高度を上げる。

さようならヘルシンキ、さようならフィンランド。

また来る日までさようなら。

でも3度目にまた来ることはあるかな。
ヘルシンキ乗継で来ることはあるかも知れないが。

DSCN3501.JPG
 さようならフィンランド。

前列の人は水平飛行になるとCAに断わって、荷物を持って移動していった。
それ以外にも、荷物を持って席を移動する人が目立った。

これはどうやら連れの人の隣の席に移動して行ったらしい。
というのは、さっき自動チェックイン機であったように、有料の座席指定をしないと自動で席が指定されてしまうためのようだ。

だから連れと一緒になるためには、34ユーロの座席指定料が必要となることになる。
何でも商売にするのは結構なことだ。
だけどフィンエアーさん、ちょっとガメツイのではありませぬか。

DSCN3523.JPG
 エストニアのタリン上空から再び陸上。

平時ならばヘルシンキ空港を離陸するとロシアのシベリア上空を目指すが、現在はロシア上空は通過できないので飛行機は一路南へ向かう。
ヘルシンキ湾の洋上を南下し、しばらくすると対岸のエストニアの陸地が見えてきた。

バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアの上空を通過、ロシアの飛び地とベラルーシを避けてポーランド上空に入る。
なかなか楽しい空の旅だ。

DSCN3533.JPG
 ラトビアのリガ上空。

バルト三国はかつてはソ連の構成国だったこともあるが、今はEU加盟、NATO加盟、シェンゲン協定加盟、通貨はユーロと、紛うことなき西側国の一員だ。

こんどの海外旅行は、空路でヘルシンキ入りをして、フェリーでエストニアに渡って鉄道旅行なんてのもやってみようかな。
物価も安いだろうし。
またヘルシンキ空港の世話になるか。

DSCN3542.JPG
 東欧の西側諸国内上空を南下する(フライトマップより)。

そんな下界の景色に見入っていると、後ろのギャレーから美味しそうな匂いが漂ってくる。
そろそろ機内食の時間も近いようだ。

行きのときのメニューからして、あまり期待できるものではないのだろうが、搭乗時間の長い国際線では機内食も大きな楽しみであったりもする。

DSCN3551.JPG
 雑穀のチキンカレーとマカロニサラダ。

ポーランドに入ったところで機内食と飲み物を積んだワゴンがやって来た。
やはり1種類だけ。何も聞かれずにトレーだけ渡される。
こんどはアルミシートに包まれた熱々のホットミールがあった。

開けると、チキンカレーライス。
付け合わせは温野菜。
ライスは雑穀米のように色々な粒が混じりあって、しかも固くてルーと混ぜ合わさないとボロボロとこぼれる。

何だか素直じゃないなあ・・・
と思いつつ、これもカルチャーショックと思えば腹も立たん。

もう1つのボール箱はマカロニサラダ。デザートはチョコバー。
ドリンクは赤ワインを貰う。

この辺りから厚い雲が覆うようになって、下界は見えなくなってしまった。

DSCN3566-001.JPG
 まもなく就寝タイムとなる機内。

食事タイムが終わると窓のシェードを閉めさせられて、機内は暗くなる。
食ったらさっさと寝ろと言わんばかりだ。

まだ午後8時前、北緯47度のハンガリー上空はまだ明るい。
たまにこっそりシェードを上げて外を眺める

午後9時、黒海上空で日が暮れる。雲の向こうに夕焼雲が見えた。
白夜の国で三日三晩過ごし、長かった1日がようやく終わったような気分にもなる。

DSCN3580.JPG
 雲が覆う黒海上空で日が暮れる。

この辺りからだいぶ揺れるようになってきた。

そのうちに、
「この先気流の悪いところを通過します」
とアナウンスがあって、シートベルト着用サインが点灯した。

このしばらく後に、アトラクションかと思うほどの大きな揺れがやってきた。

DSCN3612.JPG
 トルクメニスタンの夜景。

揺れがおさまると、いつの間にか眠っていたようで外も真っ暗になっていた。
無人になっていた前のシートはいつの間にかフィンランド人らしい乗客が、ひじ掛けを跳ね上げて3列シートに横になっていた。
私もひじ掛けを跳ね上げて足を投げ出す。

しばらく外を眺めていたら、どこかの町の夜景が現れては流れ去って行く。
フライトマップを見ると、カスピ海は通り過ぎていて、トルクメニスタン上空らしい。

中東というか、どうもこの辺りの地理は苦手で、ニュースなんかで国の名前はよく聞くけど位置関係はいまいちよく分からない。
飛行機で通るのも初めてだし。

時おり下に流れる弱々しい街灯かりを見ていると、人々の暮らしはどんなだろうと思いを馳せる。
飛行機ながら、夜汽車の旅情。

DSCN3614.JPG
 黒海、カスピ海、カラクム砂漠上空を通過(フライトマップより)。

足を投げ出して楽な姿勢になったのに、眠気は飛んでしまった。
変な姿勢で体が痛くなると眠れるのに、楽な姿勢になると眠れなくなってしまうのはどういうわけか。
それでも、ウトウトしたり目が覚めたりの繰り返しだったようだ。

気づくと空は白んできて、地平線近くの空が赤く染まり始める。

DSCN3738.JPG
 新疆ウイグル上空で朝日を迎える。

午前1時半、日の出。
とはいってもこれはフィンランド時間なので、現地時間(新疆時間)だと4時半ということになる。
日本時間だと7時半。

国際線の機内で時刻の話をしてもあまり意味はない。そもそも時計なんてないし。
出発地と到着地の現地時間だけがすべてだ。

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 標高4000m級の山々が続く天山山脈。

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 ゴビ砂漠上空。

夜が明けて中国上空に入ってから風景は一変し、天山山脈やゴビ砂漠が眼下に現れる。
西遊記の三蔵法師一行は、ここを西へ西へと歩いたのだろうか。

そんなことに思いを馳せながら、シェードを少しだけ上げて毛布で覆った隙間から顔を出して眺める。

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 中国上空の山岳地帯や砂漠を東へ(フライトマップより)。

中国には行ったことはなく、今のところ行く気もないけれど、上空を通過していると中国に行ったような気分になってくる。
行きの飛行機だって北極上空を通過しただけだが、北極に行ったような気分になった。

富士山に登らなくても、新幹線の窓から富士山を眺めただけで富士山に行ったような気になるものだ。
あまり堅苦しく考えることはない。

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 天津上空。

5時、真っ暗だった機内に照明が灯る。
CAが朝食のワゴンを押して出てくる。

そろそろ日本の味が恋しくなるころで、いつもならばおにぎりと味噌汁が出てくるところだが、こちらはフィンエアー。
ここはまだフィンランドなので。

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 オムレツとフライドポテト。

今度はボール箱1個だけの配膳だった。
開けるとケチャップがかかったプレーンオムレツとサイコロ状のフライドポテト。
このあとにきっとパンが配られるんだなと思わせる中身だが、主食はポテトということなのか、これだけ。

塩味の効いたシンプルな味付けはビールのつまみを思わせる。
食べているとビールが飲みたくなってきた。
もちろんそんなものは無し。

いつもはJALかANAを利用していたので、いろいろ比較してしまうのはよろしくない。
こういうものだと思わないと、旅がつまらなくなってしまうよ。

飛行機のルートは中国から黄海に出て韓国上空を飛ぶのだが、朝鮮半島近くになると再び雲が覆ってしまい、下は見えなくなってしまった。
韓国に行ったつもりにまでは、させてもらえなかった。


 2023年6月10日(土)

フィンランド時間午前6時は日本時間お昼12時。
ここからは日本時間とします。

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 鳥取県米子上空から日本に上陸。

12時20分、日本海から鳥取県上空に上陸。
中国山地を飛び越えて瀬戸内海へ出て、そのまま四国まで行ってしまった。
なかなか大胆なルートだ。

鳴門大橋を下に見ながら東に旋回し、関西空港を目指す。

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 ヘルシンキ〜大阪間のフライトルート(フライトマップより)。

着陸が近くなると、フライトマップにも全飛行ルートが表示されるようになる。
あらためて見るとすごいね。
ユーラシア大陸を横断したことになる。
距離にして1万1000km以上

行きはベーリング海峡から北極海へ抜けるルートで、帰りはユーラシア大陸横断とルートが異なるのはどうしてかと思い、調べたらジェット気流があるからとわかった。

ジェット気流とは地球上空に吹く偏西風のうち特に強く吹いているもので、この西から東へ強く吹くジェット気流の追い風を利用することで所要時間の短縮や燃料の節約ができるわけだ。
逆に日本発の場合は逆風となるので、それを避けるために北極経由となっている。

この措置はロシア・ウクライナ戦争によるものだが、今後どうなるのかは誰にもわからない。
ロシアが白旗を上げて世界はまた元通りになるのか、冷戦時代のように世界は再び分断してしまうのか。

グローバル化が進んだ世界が、再び分断することなどあり得るのか?
うーん、無いとは断言できないね。
古今東西、人間なんて所詮その程度の存在よ・・


 ★ 関西空港に到着

関西空港に着陸して駐機場に泊まったのが13時15分だった。
定時刻より40分遅れての到着。

ヘルシンキ空港を出発してから13時間15分。
なかなかの乗り応えだった。

それでも疲れもストレスも少なかったのは、やはり空いていたからだろう。
これが満席の中で過ごしていたら、もうぐったりだったかも。

出国時同様に自動化された入国イミグレーションはすんなり通過。
預け荷物も無事出てきた。
税関もすんなり通過できた。

無事日本に帰ってきました。

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 関西国際空港に到着。

フィンランドでの3泊4日は、向こうにいるときは長かったけれど、こうして帰国すればあっという間の出来事だった。

まず帰国祝いにビールでもとイートインコーナーを覗いたが、中国人と思しき人たちで混んでいる。
さっき、バゲージクレームで香港と台北の表示がある所が人だかりがしていたので、その人たちだろう。

今度は国内線カウンターでチェックインして荷物を預けて、また保安検査場へ。

中にあるカフェでビールを飲んだ。
サッポロ生ビール1杯550円がものすごく安く思える。
ビール1杯飲んだら、どっと疲れが出てきた。


 ◆ 札幌まで

便名出発地発時刻到着地着時刻
JAL2505関西空港15:15新千歳空港17:10

これでフィンランド旅行は終わり・・・と言いたいけれど、今度は札幌まで帰らなくてはならない。
今は大阪にいるわけで、大阪から札幌までというのがまた大移動になる。

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 札幌行JL2505便の搭乗口。

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 大阪上空を飛ぶ。

札幌行の機内は混んでいて、狭い座席に詰め込まれたような恰好の2時間となる。
離陸してしばらくすると眼下に広がる大阪の中心部が見えたが、しばらくすると雲の中に突っ込んで、あとはずっと雲の上だった。

着陸態勢に入る前に機内アナウンスが、
「新千歳空港は小雨、気温は15℃」と伝えた。

ヘルシンキとあまり変わらないね。
札幌に着いても、今まで遠いところに行っていた実感があまり湧かなかった。

6月10日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)備考
サッポロ生ビール関西空港-550クレジット
新千歳空港→札幌 JR 
-
1,150
KITACA使用
合計-1,700 


 ◆ おわりに

フィンランドは2回続けての旅行となるため、出発前はあまり気乗りしないというか緊張感にも欠け、正直楽しみと言えば『サンタクロースエクスプレス』の名で呼ばれる夜行寝台列車に乗車することくらい。
これといった観光地もなく、今回の旅行先は退屈になるかもと思ったくらいでした。

しかし実際行ってみると、ハプニングあり交渉ありの連続。
一番心配していたケミヤルビでの滞在も結果的に解決してしまいましたね。

現地滞在3泊4日は、今までの海外旅行では一番短い滞在でしたし、これといった観光もしていませんが、中身は濃い旅行だったように思います。

今回の旅行は、行く先々で出会ったフィンランドの人たちに助けられました。

英会話を忘れ、ただ単語とフレーズだけ並べるだけの日本人に親切に対応してくれたフィンランドの方々には本当に感謝しています。
この場を借りてお礼申し上げます。

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 フィンランド土産(ていうかほとんど食料)。

最後の最後に、今回の旅行の総費用を公開します。
もし旅行される方がいましたら参考にどうぞ。

2023年夏フィンランド旅行記の総費用
費目摘要
往復航空券223,530 
ホテル13,475ケミヤルビ1泊
列車・バス36,989日本で購入
現地交通費2,313ヘルシンキでの電車代
外貨両替4,63230ユーロ分
食費(外食)4,232現金支払分(4,416円)は含まず
食費(購入)11,740 
入館料5,208 
土産4,807 
雑費5,300保険、コインロッカー等
日本国内使用3,350国内移動中の交通・飲食
合計315,576 

3泊6日の旅で30万円を超えてしまいましたね。
飛行機代が223,530円に対し、それ以外(交通費、ホテル代、滞在費等)が92,046円となりました。
円安ユーロ高というのも滞在費の旅費の増加の一因となっています。

しかし何と言っても高いのが飛行機代。これが前回の2019年の水準だったら、総費用は20万円を切っていたでしょう。
次回以降の海外旅行は、以前のようにロシア上空ルートが復活するまでは、ヨーロッパ方面はお預けですかね。

 〜それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
   また世界のどこかでお会いしましょう。

posted by pupupukaya at 23/07/30 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記10 再びヘルシンキ

 ◆ マーケットスクエア

3日ぶりに戻ってきたヘルシンキ。
時刻は午前11時半を回ったところ。
さてどこへ行こう。
行きたいところは初日に回っているので、今日は駅から歩いて行ける範囲内での観光となる。

駅前に発着するトラムの電車を見ていると、また乗りたくなってきた。
しかし乗るにはチケットを買わなければならないし、24時間有効のデイチケットを買っても、ヘルシンキ市内滞在はせいぜい3時間程度なので勿体ない。

とりあえず歩くことにした。

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 トラムの電車が行き交うマンネルヘイミン通り。

石畳の電車通りであるアレクサンテリン通りをずっと歩いていると、初日に来たマーケット広場に出た。

テントが張られて、露店の飲食店や果物屋、土産物屋がずらりと並ぶ。
昔は自由市場的なものだったのだろうが、得てしてこの手の市場というものは観光客相手となってしまったものが多い。

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 露店のテントが並ぶマーケット広場。

露店の飲食店を眺めていると、「サーモンスープ」の呼び声がかかった。
初日マーケットスクエアと昨日のレストランカーで無いと断られたサーモンスープ。
呼び声につられて中に入ってしまった。
まあいい、今日の私はお上りさんだ。

サーモンスープを頼んで、ドリンクに瓶ビールも付けた。
サーモンスープ11ユーロ、オルヴィビール小瓶が5ユーロと露店とはいえ外食は高い。

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 サーモンスープ(lohikeitto)とオルヴィ(olvi)ビール。

紙のカップに入ったスープとスライスしたパンを受け取ってテーブルに着く。

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 サーモンやジャガイモがゴロンと入る。

スープはサラサラしているけど、生クリームやバターがたっぷり。
汁物なのに冷たいビールが合う。

こんな屋台で出すものなので、サーモンの切れ端が入っている程度だと思っていたら、結構大きなサーモンの塊が出てきた。
ジャガイモも大きくて、ボリュームがある。
これだけで十分な昼食となった。

マーケットスクエアでの目的を果たし、あとは近くを見て回って過ごすことにした。


 ◆ ライラックの花咲くヘルシンキ

日差しは夏のものだが、風は涼しい。
こちらでは札幌よりひと月近く遅いライラックが満開だ。

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 ウスペンスキー寺院と満開のライラック。

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 ウスペンスキー寺院の祭壇。

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 マーケット広場を見下ろす。

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 ライラックとヘルシンキ大聖堂のドーム。

人々をロマンチックの世界に誘い込むかのようなライラックの香りが漂うと、長かった冬もようやく終わったと誰もが感じ取る季節だ。

季節は夜の長い冬から白夜の初夏へ。
もうすぐ短い夏がやって来る。

今年の夏は何をしようかと色々思いめぐらすのもこの頃。
北国の人が1年の中で一番幸せに感じるのは、このライラックの時期ではなかろうか。

冬に来たときはコートを着てうつむき加減で歩いていた人々も、この季節は上を向いて歩いているように見えた。

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 水路と街並み。

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 フィンランド海軍音楽隊のパレード。

3年前の冬にも同じところを回っていたが、冬と夏とでは印象がまるで違う。

コロナ明け海外旅行が、前回と同じところになってしまったが、そんなことは悔やんではいない。
むしろ同じところを旅行して、季節が違えばまったく違う印象を得ることができることが、逆に新鮮だった。

また3年前は、どこかの団体さんに散々イライラさせられたが、今回はそれもないので穏やかな気分でいられる。

そんなことを思いながら、また元老院広場に戻ってきた。

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 アレキサンダー2世像とヘルシンキ大聖堂。

マーケットスクエアから路地を通って元老院広場へ。
ヘルシンキ大聖堂を下から見上げて、大階段に腰かけて一休み。

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 ヘルシンキ大聖堂と大階段。

静かだなあ。
日向ぼっこをしながら、初夏が始まったばかりの風を感じる。
強い日差しに汗ばむが、その汗を一瞬で乾かせてしまうような心地よい風が頬を伝う。

不思議だなあ。
いまこうして、日本から遥か遠い外国の北欧にいる。
ライラックの香りにつられて、遠い世界に迷い込んでしまったのだろうか。

夢中であちこち巡っていたときは忙しくてそんなこと思う暇もなかったのだが、旅行の最終日になると、日本に住んでいるはずの自分が、何でこんな遠いところにいるんだろうと、ふと我に返る瞬間が訪れる。

風に吹かれて、こんなことを考えている一瞬が今回の旅のすべてだったのかも知れない。


 ◆ ヘルシンキ鉄

いつまでもボーっとしているわけにはいかない。
帰りの飛行機の時間にはまだまだ余裕があるが、土産物の買い物くらいはしたいし、そろそろヘルシンキ駅に戻ることにする。

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 複雑なレールの上を行く電車。

大階段から広場を見下ろしていたら、ちょっと気になるものがあったので近くに行ってみる。

元老院広場の角はトラムの線路が3方向に分かれるところで、石畳の道路上に複雑な線路がカーブを描いている。

電車が近づくと「カーン!」と大きな音を発してポイントが切り替わり、電車が曲がって行く。
石畳に埋め込まれた二条のレールが幾何学模様のように分岐したり交差する上を電車が平然と通り抜ける様は、見ていると感心する。

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 石畳に幾何学模様のように交錯するレール。

複雑に交錯するレール。
このレールを見ていると、どこか美しさというかエクスタシーとも取れる感情が湧いて来る。

何が美しいのか聞かれても困るが、それがマニアってもので・・・

鉄道ファンと言っても色々あり、車両が好きとか乗るのが好きとか、あるいはダイヤが好きという人もいる。
中には線路が好きという変わり者もいて、タレントのタモリ氏は自身を線路マニアと自称するほどの線路好きなのだとか。

私は線路の中でも、路面電車の線路というものが大好き。
線路マニアの中でもかなり少数派だと思われるが、その原点は幼いころから馴染みのあった札幌市電だということは言うまでもない。

お気づきでしょうが、このブログのヘッダー画像も石畳にレールというもの。
これもヨーロッパの某都市で撮影したもの。
この画像だけで、どこで撮影したものか言い当てることができる人がいたら、筆者顔負けの相当なマニアですな。

変わったものに興味を持ち、マニアとかオタクとか、他人様から後ろ指差されるのは仕方がない。
だけどね、私は仕事が無くても、お金が無くても、家が無くても、これだけあれば生きて行けるというものがある。

他人様から何と思われようが関係ない。
これだけあれば自分は楽しんで生きて行けるってものが、なにか1つでもあった方が人生は楽しい。
長く生きていると、そう思えるようになった。

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 アレクサンテリン通りは4つのトラム系統が通る。

アレクサンテリン通りを歩いてヘルシンキ駅へ戻る。
この通りと交差する通りは歩行者天国となっていて、ヘルシンキで一番の繁華街となっている。
次から次へと通り過ぎて行く電車を見ていると、最後にもう一度乗りたくなってきた。

空港までのシングルチケットを買うと1時間半有効となり、時間内はトラムもコミュータートレインも乗り放題となる。
ヘルシンキ駅から空港までの所要時間は30分程度。
チケットを買ったら空港に向かう前に、どこか1往復してこようか。

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 ストックマンデパート前。

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 3人の鍛冶屋像(Kolme seppää)。

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 ヘルシンキ名物のパブトラム(SpåraKoff)。

アレクサンテリン通りを歩いてヘルシンキ駅に向かう途中、1両だけの赤い電車を見かけた。
他は連結車ばかりなので、単車の電車は珍しい。
思わずカメラを向ける。

この電車は何なのか調べたら、パブトラムと呼ばれる電車で、ビールを飲みながら車内から市内観光ができるというもの。
乗車時に料金を払えば誰でも乗れるらしい。

いいなあ。
この次ヘルシンキに来たら、白夜の街を車内から見物しながらビールを飲んでみたい。

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 5つのトラム系統が集まるヘルシンキ駅前。

電車を見ながら歩いてきて、ヘルシンキ駅に戻ってきた。
帰りの飛行機の時刻は17時45分。15時半までに空港へ着くとすると。
14時ころにシングルチケットを買ってトラムの電車に乗って軽く1往復。再び駅に戻り空港へ向かうことになる。

まだしばらく時間があるので、ちょっと駅の中を見物する。

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 ホーム側から見たヘルシンキ駅。

ヘルシンキ駅の駅舎は1909年建築の石造りの建物。
正面側はドーム状の屋根や時計塔が目を引くのに対して、ホーム側は装飾がない直線的な造り。

コンクリート製の壁に縦長の窓が並ぶ様は、どこか昭和戦前的な感じがしなくもない。
旧函館駅舎や広小路口側から見た上野駅なんかを連想させる。

ガラス製の上屋がホーム全体を覆っているのが、ヨーロッパの鉄道らしく見える。
しかし、この屋根が完成したのは2001年と新しく、それまではホームはすべて吹きさらしだったようだ。

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 駅舎に近い側は長距離列車用ホーム。

駅舎に近い5面9線のホームは長距離列車用、駅舎から遠く構内からはみ出したような格好となっているホームがコミュータートレイン(近郊電車)用として使用されている。
空港へ行く電車ホームがやたらと遠いのもそのためだ。

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 コミュータートレイン(近郊電車)用ホーム。

駅舎や長距離列車用のホームだけ見ていると旅情あふれる風景だが、発着する列車はどれも2階建ての同じような車両ばかりなので、日本の私鉄のターミナルのようで少々味気ない。

10面19線という、ヨーロッパでも有数の規模ともいえる構内を抱えるヘルシンキ駅。

まさに首都の中心駅に相応しい姿だが、どこかローカル線の雰囲気を拭えない駅でもある。
これは地理的な制約もあって、EU諸国からの列車が乗り入れできなく、国内の列車だけが発着しているからなのか。

国際列車は、ロシアとを結ぶアレグロ号という高速列車が唯一の存在。
だけどこれは現在ロシア・ウクライナ情勢から現在運休中となっている。


 ◆ さらばヘルシンキ

駅見物はこれくらいにして、駅横のKスーパーマーケットで最後の買い物。
ここはフィンランドの土産物コーナーもあって、時間がないけど空港へ向かう前に買い物したいというときには便利なスーパーだ。

買ったのはパンとチーズをいくつか。
あとはチョコレート、マリメッコの紙ナプキン。
ほかに欲しいものも特になかった。

土産物として買いたいものは、ご当地の食料品それに消耗品など。
人に頼まれれば買ってくるが、そうでなければ他に買うものは無し。

それに、置物や飾り物ってのは見るとつい手が伸びてしまうが、この類の物は旅行するたびに買ってたら溜まる一方になってしまうので。

スーパーの店内を歩き回っていたらあっという間に時間が経つ。
再び駅に戻ったら14時を大きく過ぎていた。
トラムの電車に乗るのは無理かなあ。
かといって、今から空港へ向かうには早すぎる気もするし。

そう思いながら、ホームの券売機の前でチケットを買おうと財布を出した。

券売機の横のベンチに座っていたおばさんが突然立ち上がり、
「エアポート?」と言った。
「イエス」と答えると、

この機械は違うから、こっちの機械の方で買いなさいみたいなことを言って手招きする。
そして、エアポートはこのボタン押して・・・
英語なのでいちいち細かいことは分からないが、言わんとしていることは分かる。

それにしても親切だな。このおばさんは何者?

服を見るとヘルシンキ交通局のマーク入りだったので職員なのだろうか。

買い方は分かっているので、ちょっとお節介な気もするが、言われるままに操作してクレジットカードで購入する。
ABCゾーンシングルチケット4.1ユーロ。

今度は電光掲示板の時刻表の前に連れていかれ、
『14:26 18 P』
と表示されている列車を指さし、Pの列車に乗りなさい、18番線は駅を一旦出て右に行った所ね、というようなことを言った。

なぜ『というようなこと』と分かるのかというと、聞き取れる単語を頭の中で繋ぎ合わせるとそうなるから。
会話というか、人との意思疎通ってのは面白いやね。

こちらも「イエス」とか「ヤー(yeah)」と繰り返す。

英会話学習といえば、発音から始まって単語やフレーズの暗記。そして文法。

学生時代はロクに勉強せず、いい歳こいてから始めた英会話学習。
私は頭が悪いので、覚えては忘れ覚えては忘れの繰り返し。

だけど、もう真面目な英会話なんてクソくらえだ。

ソースは俺。

現実にこうして意思疎通が成立しているではないか。
フィンランドに着いてから、ずっと片言の英語で現地の人とやりあっている。

だけどこれがフィンランド人の親切さだったのかも知れない。

最後に「サンキュー!」と礼を言って、おばさんと手を振って別れる。

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 別の駅のような15〜19番線のホーム入口。

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 18番ホームに停車中のP系統電車。

というわけで再びトラムに乗ることは叶わなく、さっきのおばさんにせかされるようにして18番線へと来てしまった。

P系統の電車は席が埋まっていて、次の電車でもいいかなと思って先に進んで行くと、前の方の車両はがら空きだったので乗ってしまう。
これにてヘルシンキ観光は終了となった。

15時前に空港に着くのはちょっと早い気もする。
もうちょっとヘルシンキの街にいたかった。

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 6人掛けボックスシート。

次のパシラからたくさん乗ってきて、酒臭くやかましいオッサンの集団と相席になった。
やれやれ、このまま空港までこの状態かと思っていたら、オッサンたちは途中で降りた。
金曜の昼間からご機嫌な人たちだ。

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 ヘルシンキ空港駅(Lentoasema)に到着。

空港(レントアセマ:Lentoasema)駅に着けば、フィンランド旅行もそろそろ終わり。
あとは帰りの飛行機に身をゆだねるだけとなる。


posted by pupupukaya at 23/07/23 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記
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