国道230号 定山渓〜中山峠の旧道

旧道マニアという人がいて、私もその一人だったりする。
地図にこれは旧道だという道を見つけて、グーグルマップの衛星画像や旧空中写真を見て往時を想像したりするのが好きだ。

私がずっと前から気になっていた旧道があって、それは国道230号線の中山峠越えの道路。
これだけ旧道に関するブログや動画が公開されているにも関わらず、この旧道を取り上げているのは喜茂別側ばかりなのである。
喜茂別側は車も通れるし、通り抜けができるというのが理由だろう。
反対の定山渓側は車の進入が不可となっていて、しかも定山渓寄りが廃道となっていて通り抜けができないのも理由の1つと思われる。

そこで今回は、国道230号線の定山渓〜中山峠間の旧道についてのお話です。

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 晴れていれば羊蹄山がきれいに見える中山峠(2018年5月筆者撮影)

国道230号線の中山峠越えの道路は、明治4年に東本願寺が主導となってが札幌と伊達の間に幅9尺(約2.7m)の道路を開削したのが始まりで、『本願寺街道』と呼ばれるようになった。これが中山峠の前後にある国道230号の旧道である。

戦後になると自動車が増え始め、拡幅工事や一部道路の付け替えなどの改良工事が始まり、昭和24年には札幌〜中山峠〜洞爺湖間にバスの運行も始まるなど今度は自動車の時代となる

札幌側の薄別から中山峠までの区間は、道幅も狭いうえに九十九(つづら)折りの急カーブが続いて見通しも悪いことから転落事故が後を絶たないことから『魔の山道』とか『魔の断崖』と呼ばれ、ドライバーから恐れられたという。

そんな本願寺街道も昭和28年には国道230号線に昇格。
昭和32年から始まった改良工事は大掛かりなもので、中山峠への道路は札幌側も喜茂別側も完全に新ルートの道路に切り替えるというものだった。
このうち喜茂別側の新ルートは特に険しい地形ではなかったのか昭和38年に完成している。

地形が複雑で地質が悪い定山渓から中山峠までの区間は特に難関だった。
この改良工事についての概要はWikipediaからの文章を引用させてもらいます。

“ “ “
定山渓から中山峠にかけてのルート選定は、当初予定していた豊平峡経由の案は豊平峡ダムの建設により困難となった。また、旧道を改良する案では元々険しい道路を改良するには多数の橋梁とトンネルを作る必要があり、工事費用が高くなるので却下された。最終的に現在の薄別川から無意根大橋を経由する「薄別峡ルート」に決定した。
” ” ”

昭和38年から工事が始まり6年の工期を経て、昭和44年10月に完成する。定山渓から中山峠までの国道が現在のルートとなったわけである。
日本初のクロソイド緩和曲線が採用された無意根大橋、眺望を妨げることなく雪崩や落石を防ぐ片持ちの覆道など、当時最新の技術が採用された新しい道路に生まれ変わったのだった。
それまで『魔の山道』と恐れられた旧道は林道として使われることになった。

ところで、採用されなかった豊平峡案と現道案がどこを通るはずだったのか気になったので色々調べてみたら、興味深い資料が見つかった。


上記の論文によりと、定山渓〜中山峠間の改良工事は、豊平峡案、現道案、薄別案の3つのルートが選定された。
論文内に『二級国道札幌虻田線(定山渓国道)定山渓―中山峠間工事計画図』というのが掲載されており、それを元にWebの地形図にそれぞれの計画ルートを引いてみた。

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 豊平峡案、現道案を地形図に描いてみると。(地理院地図より筆者作成)

Wikipediaにあった通り、一番有力だったのは豊平峡案だった。
豊平峡から駅逓の沢に入り、そこから2つのヘアピンカーブを経て北斜面沿いに中山峠に至るというもの。
工事費用が3案の中で一番低く、また観光路線という使命からもこれが最適ということになったが、時を同じくして豊平峡ダムの建設が決定により、工費や防災の面から不利とされた。

現道案とは現道(現在の旧道)と同じように薄別川の谷の山腹を登り、登った先からはほぼ平坦な現道をそのまま改修するというもの。
これは並行や交差箇所が多い現道の交通を確保しながらの工事が難しいということから却下となっている。

最終的に採用されたのが薄別峡案で、これが今の国道230号である。

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 豊平峡案だとここを国道230号が通っていた(2019年9月筆者撮影)

札幌から道南方面へ高速道路を使わずに行くには国道230号線中山峠経由が最短距離となるため、この山越えルートは大型車・小型車問わず交通量が結構多い。
私も、仕事でもプライベートでも車で道南方面へ行く際はここを通りことが多く、年に4〜5回は中山峠経由の国道230号の世話になっている。

そんな中山峠を通るたびに気になって仕方がない存在があった。
それは中山峠の旧道。
地形図や空中写真から旧道が現存しているのは知っていた。
中山峠側は林道として使われているらしく、国道から旧道の入口とゲートを見ることができる。反対に定山渓側は廃道となっているようで、国道からは旧道の存在を確認することができない。

『魔の山道』と恐れられていた旧道時代がどんなものだったのだろうか。
この国道230号の旧道時代の画像をネット上に探してみたが全然見つからなかった。

色々検索していたら、喜茂別町内の商店に嫁いでトラックドライバーとして中山峠の旧道をよく通っておられた方の聞き書きを見つけ、その中に旧道時代の記述があったのでここに箇条書きで抜粋させていただきます。
昭和30〜40年頃の話だが、読んでいるだけで『魔の山道』と呼ばれた理由がわかる気がする。

  • 未舗装で道幅も狭く峠の途中には待避所もあったが、バスなどが来るとそこまで行かないと交差できなかった。
  • 交差は普通の自動車でもぎりぎり、トラックどうしのときは大変だった。
  • 途中で車どうしが行き会ったら交差できないからどっちが譲るかでにらめっこになることも。
  • 一応登り優先ということで、下っているほうは待避場までさがって譲ることになっていた。
  • 譲ったときは、お互いクラクション鳴らしてあいさつしていく。
  • 馬車で通る人もいて、合図のためのクラクションでびっくりした馬が馬車ごと谷に落ちる事故もあった。
  • いろんな事故を見てきたが、下へ落ちて転がった車は助けたくてもどうしようもなかった。

 喜茂別町教育委員会発行 
  〜上記リンクより筆者抜粋〜

さて、この旧道はどのようなところを通っていたのだろうか。
一応地形図上に旧道のルートを確認することはできるが、これは平面上でしか見ることができず、等高線を見ながら想像するしかない。
ところが今は便利な時代となったもので、ネット上の地理院地図を3Dで見ることができる機能がいつの間にか加わっていた。
標準の地形図に陰影起伏図を重ね立体的に表示したのが下の画像。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。定山渓側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。中山峠側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

こうして見ると、なかなかシビレる山越えではないか。
特に薄別から定山渓トンネル上部までの道は山腹にピタリと寄せて九十九折で登る様子がよくわかる。
すれ違うのも困難な狭い道をバスやトラックも走っていたというのだから驚く。

旧道についていろいろ探したり、3D地図の作成に熱中しているうちに、旧道がどんなだったのかを実際に見てみたくなってきた。

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 今回中山峠から旧道を歩いたルート。(地理院地図より筆者作成)

9月4日、まずは比較的歩きやすいと思われる中山峠側の旧道を訪れてみた。
中山峠までは車で行き、道の駅の駐車場に車を置いて歩くことにする。

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 道の駅望羊中山の駐車場入口。奥に見える山は尻別岳。

道の駅からは旧道の入口まで国道を歩く。
車を運転していると気が付かないが、谷側の眺めは結構いい。豊平川の谷の向こうに連なる山々は空沼岳だろうか。
歩道はなく大型トラックが多いので歩いていると怖い。それでも5分ほどで旧道の入口に着いた。

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 中山峠から600mほど札幌寄りにある旧道入口。

いつもは車で通るたびに気になっていた旧道入口。
ここはよく車が駐車してあるのを見かけるが、山菜取りの人の車なのだろうか。今日は車はいなかった。

少し奥まったところにゲートがあって、一般車の進入はできない。
一般車両の通行禁止と監視カメラ作動中の文字がやたらとあるので、禁を犯して入ってくる車が後を絶たないのだろう。
ゲートのかんぬきにはカギが取り付けられておらず、開けようと思えば開けられるのでは・・・

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 旧道入口のゲート。

看板と張り紙に石狩森林管理署と林道の文字があるので、この旧道は今は林道という扱いになっているようだ。
熊鈴をしっかりと付けて、ゲートの奥へと進んで行く。

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 しばらくは藪に挟まれたような道が続く。

しばらくは登り坂となる。
車1台分の幅だけの道で、両脇は藪や小枝がせり出していた。
朝は雨が降っていたようで地面は濡れている。新しいタイヤの跡がいくつかあったので、しょっちゅう車は入って来るようだ。
入口から2kmほどは国道と並行していて、林の向こうから車の通る音が途切れなく聞こえてくる。

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 新しいタイヤの跡。

国道から入った辺りは葉っぱや枝が車体を擦るような道だったが、次第に道幅が広くなってきた。
藪の中に側溝があって、現役時代は側溝までが車道だったと考えると、この辺りは普通に車がすれ違えるほどの道路幅はあったとわかる。

道路は踏み固められた砂利道。この砂利は現役時代からのものかと思ったが、たぶん違う。
現在の道に付け替えられてから51年にもなる。その間に落ち葉に覆われれば土になるし、雨や雪解け水で流されもするし、これはきっと林道として手入れがされているためだろう。

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 緩やかな下りの直線が続く。

国道から離れるとしばらく直線が続くようになる。
緩やかな下り坂で、国道よりもこちらのほうがずっと穏やかな線形だ。
車の音もこの辺りまで来ると聞こえなくなった。
チリーンチリーンと熊鈴の音だけが響く。

地図で見るとわかるが、国道が豊平峡川の山腹にへばりつくようにして回り込んでいるのに対し、こちら旧道は連なる山の尾根にそって通っているのである。

この直線の途中辺りでスマホは圏外になってしまった。
スマホで国土地理院の地図を見ながら歩いていたので、ここからは地図なしとなる。

しかしクマが怖い。
歩いていると茂みの中からガサガサッと音がして心臓が止まりそうになる。
地面が濡れているので動物の足跡が残っている。シカが多いようだ、あとはキツネかな。クマのものはないようだ。見つけたら速攻で引き返す。

入口から約40分、距離にして3.5kmの地点で分岐点がある。
旧道は直進、左はどこかへ行く林道となる。

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 入口から3.5km、左へ分岐する道。

分岐するほうがメインのようで、砂利もむき出しになったまま続いている。
直進の旧道のほうへ行く車は少ないのか、草が生えて二条のタイヤの轍のところだけ土が出ている道になる。

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 左は国道時代からの側溝。普通乗用車同士ならば普通にすれ違えるほどの幅だったようだ。

草に覆われているとはいえ、元国道らしく道床はしっかりと2車線分あるのがわかる。
と言っても、旧国道とわかるのはそれくらいなもの。道路わきの石垣とか錆びた標識なんかあればグッとくるのだが、そういうものは見当たらなかった。

分岐点から少し行くとブルーシートが見えた。朽ちた木材が積んであって、その上にブルーシートがかけられてある。
その脇から、けもの道が下のほうに伸びて行ってる。
グーグルマップでは中山小屋と載っており、そこへ続いているのだろう。
そっちも見てみたかったが、脇道に入って迷ったら嫌なのと、クマが怖いのでこのまま進むことにする。

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 朽ちた木材にブルーシートがかけられていた。

中山小屋の入口からはさらに草むした道となった。
たまに木の枝に目印をつけたものを見るので、森林管理署の車はたまに入ってくるようだ。

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 草が生えているが歩きやすい。

さっきのブルーシートから300mほど進んだところにゲートがあった。
国道側入り口にあるのと同じ型のものだが、こちらのは壊れている。
これもまた国道側と同じ一般車乗り入れお断りの看板があった。

何のためにこんなところにゲートがあるんだろう。
もしかしたら過去には中山小屋までは車が入れたのかもしれないね。

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 国道入口から3.9km、使われていないゲート。

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 国道側のゲートと同じ看板があった。

ゲートの辺りからまた緩やかな登り坂へ。そしてまた緩やかな下り坂。旧道とは思えないほどの緩やかな道が続く。
しばらく行くと圏外から脱した。進むにつれ電波はバリ4へ。国道と交差するからだ。

国道と交差する辺りに来ると再び車の通る音が聞こえてくる。
国道はトンネルの中を、旧道はその尾根を通って交差する。

中山峠からここまで旧道が穏やかに最短経路で来たのに対し、国道は山腹をへばりつくようにしてまで南側をぐるっと迂回してきたのはなぜか。
その答えがここにあって、この場所の標高は810mに対し、国道のトンネル中山峠側の標高は650m。国道と旧道の高低差は約160mとなる。
旧道の国道入口の標高が835mとすれば、現国道は山腹を迂回しつつ185mも高度を下げていたのだ。
こっち旧道は800mあたりの尾根伝いにダラダラと25mしか下がっていない。どうりで道が穏やかなわけだ。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。新道は南側の山腹を迂回しながら高度を下げている。(地理院地図から筆者作成)

穏やかな地形はここで終わり。この先の山肌は豊平峡の谷か薄別川の谷へ一気に落ち込んでいる。まさに崖っぷちまで来た状態。
旧道はここまでほとんど下っていない分、この先『魔の山道』と恐れられた九十九折と急勾配の狭い道で一気に下ることになる。

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 国道入口から5.2km、定山渓トンネルの真上。

定山渓トンネルの上からは下から登ってきた電線と電柱がしばらく続く。電柱は比較的新しく、古くからあったものではなさそう。

道の両側は背丈よりも高い藪がびっしりで、下を通っているはずの国道を見ることはできなかった。

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 しばらく旧道に沿って電柱が並ぶ。

旧道時代はこのあたりは安江峠と呼ばれていたようだ。
寒地土木研究所の『定山溪トンネルの施行について』という論文にその記載がある。

ここからまた緩やかな下り坂となって、400mほど進むと定山渓トンネル横から登ってきた道と合流する。電柱はこちらの道から運んできたようだ。

最初はこの辺りで引き返すつもりでいたが、もうちょっと進んでみることにした。

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 入口から5.6km、右の道へ行くと定山渓トンネル横に出る。

しばらく電線と電柱が続いていたが、途中でいきなり終わってしまった。
よく見ると電線は地下へ下りて行ってる。
地形図では近くに電波塔の記号があるので、そこへ伸びて行ってるのだろう。

もう少し進むと木の枝や葉っぱの隙間からだが、豊平峡ダムが見えた。
旧道は少しだけ豊平峡川の谷へ回り込んでいるのである。
現役時代は今ほど草木も生い茂っていなかっただろうし、ここは豊平峡を見下ろす景勝地だったことだろう。

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 生い茂った枝の隙間から豊平峡ダムが見えた。

豊平峡ダムをうまく写真に撮ろうとウロウロしていたら小さな石碑を見つけた。
『故二等陸曹内田民雄殉職之地/昭和三八年十月二十日』の文字が見える。
ググってみたが何の碑かはわからなかった。

もしかしたら転落した車を引き上げるのに自衛隊が出動していたのかも知れない。
木が茂って隠れているが、道路脇のすぐ下に豊平峡ダムの水面が見えるほどのそそり立つ場所。
ここで転落事故なんか起こされたら引き上げるのは難儀だっただろうなあ。

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 内田民雄殉職の碑と打ち捨てられたガードレール。

ここから先はいよいよ九十九折で薄別への下り道となるのだが、ここからは坂も急になっていた。
中山峠に車を置いてきているので、また中山峠に戻らなくてはならない。
体力的にも時間的にも薄別まで行けそうだが、そうすると歩いて戻ることは難しいからタクシーを呼ぶことになるのだろうか。

今日はここで引き返すことにした。

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 国道入口から5.9km、この先は勾配も急になっていった。

来た道をまた引き返す。
クマの恐怖さえなければ静かで歩きやすい道だ。

折り返し点から歩くこと1時間15分、また国道入口ゲートへ戻ってきた。
クマに遭遇することもなく戻ってこられてやれやれだ。

またトラックの通る国道を歩くが、クマの心配はないので安心感はある。
もうすぐ中山峠というところで突然喜茂別側からモウモウとガス(霧)が昇ってきた。
一瞬火事かと思うほどだった。
中山峠はあっという間に真っ白になってしまった。やっぱり山の天気ってのはわからんなあ。

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 中山峠まで戻ると完全にガスっていた。

中山峠越えの国道230号旧道の訪問はこれで終わり。
残る定山渓側の旧道も歩いてみたいところだ。そちらが『魔の山道』と恐れられた旧道なのだ。

でも実際行くとなると車がなあ。どこかへ車を置いてもまたそこまで戻らなければならないし。
何とかうまい方法を考えて、近いうちに再訪することにします。

〜今回はこれでおわり
posted by pupupukaya at 20/09/06 | Comment(3) | 旧道を行く

北海道新幹線効果の可能性を倶知安駅に見る

久々に倶知安駅に立ち寄ってみたら、駅の裏側で何やら線路の敷設らしき工事が行われておりました。

もしかして、もう新幹線の軌道敷設工事が始まったのかと思ったものの、工事看板を見ると『北海道新幹線倶知安駅支障移転』とあったので、どうも違うようだった。

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 駅前通りから見た倶知安駅の駅舎。

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 駅の裏側では道床の新設らしき工事が。

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 駅南側の跨線橋から道床工事を見る。

2030年度開業を目指して目下工事中の北海道新幹線。その倶知安駅は現倶知安駅に併設されることになっている。

この工事は新幹線の倶知安駅ではなく、新幹線駅設置工事のために、現在線とホームを西側に移設させるための工事なのだった。
新幹線の線路と駅は、現在の線路とホームがある場所に建設される。
当初は地平駅で建設される計画だったが、高架線に変更されている。

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 ここに新幹線の高架橋が建設される(駅北側の踏切から)

北海道建設新聞によると、倶知安駅を中心とした約1.5kmが移転となる。
現駅舎は残して、新設するホームとは屋根付き廊下で結ばれるようだ。

 2019年08月26日 12時00分 北海道建設新聞

線路切り替えは2021年秋ごろで、現在のホームと線路は2022年に撤去し、そのあとに新幹線の高架橋の建設工事が始まることになる。
最終的には現在の2階建て駅舎も解体され、新駅の駅前広場の一部となるようだ。

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 駅周辺施設整備イメージ(北海道新幹線倶知安駅新駅周辺整備構想倶知安町より引用)

新幹線が開業すれば並行在来線はJRからは切り離されるが、廃止の話はまだ出ていないので、一応ホームと線路は仮設ではなく恒久的なものということになる。

新幹線札幌延伸の並行在来線は、函館〜長万部間は貨物列車の走行のために第三セクター鉄道が経営を引き継ぐことは確実だ。
しかし、山線と呼ばれる長万部〜小樽間はかなり厳しい。それでも余市〜小樽間は利用客もそれなりにあり、朝夕の列車はまとまった乗客もあるので三セクでの存続もありうるが、特に列車本数も利用者数も激減する長万部〜倶知安間はかなり厳しいものとなる。

鉄道の廃止となると沿線町村はまず絶対反対の立場を取るが、倶知安町だけは立場が別のようで、倶知安町のホームページにある『北海道新幹線倶知安駅新駅周辺整備構想』には、倶知安駅周辺の新幹線開業時以降(将来像)をイメージした図面が掲載されているが、在来線廃止の場合と存続の場合の2パターンが用意されているのは興味深い。
高架での新幹線建設が決定したのに、在来線は地平のままとされているので、せっかく新幹線ができても在来線で町が分断されるのを疎ましく思っているフシも見え隠れするのだが・・・

それはともかく、倶知安駅の裏で始まった工事を見ていると、ようやく新幹線が本当に来るんだなと思いが湧いてきた。

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 北海道新幹線概要図(鉄道・運輸機構のパンフレットより引用)

新幹線札幌延伸開業まで予定通りならばあと10年後ということになる。まだまだ先の気の長い話だが、これからぼちぼちと新幹線の形が見え始めるのだろう。

北海道新幹線の新函館北斗開業の結果は散々たるものだが、あれは余りに中途半端な恰好での開業を余儀なくされたからで、やはり札幌まで開通してからが本領発揮であろう。
新函館北斗駅がなぜあんな場所(失礼ながら)に出来たのかというと、北海道新幹線がとにかく札幌を目指したからということに他ならない。

とはいえ、札幌延伸開業が実現したら、東京〜札幌間の所要時間は5時間14分、本数は1日片道17本という計画になっている。
延伸区間の最高速度を260km/hから320km/hに引き上げられることが決定しているが、それによる時間短縮は5分とのこと。
青函トンネルの貨物列車共用走行区間での140km/h走行が260km/hに引き上げられれば4時間台ということも可能になるのだが、物流の要である貨物列車をなくすわけにはいかないし、第2の青函トンネルというのも難しいだろう。

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 北海道新幹線の所要時間。
(国土交通省鉄道局『収支採算性及び投資効果に関する詳細資料』より引用)

東京〜札幌間の最速所要時間は5時間14分。これは少し古い平成24年のデータなので、現在(2020年)の試算では同区間の所要時間は5時間1分とされている。
所要時間5時間超えでは航空機との競争では全く話にならない。
北海道新幹線が悲観的な見方が多いのは、東京〜札幌間の所要時間ばかりに気を取られているからだろう。

これは東京から見るからそうなるのであって、逆に札幌から見てみよう。
上の表から札幌から各地への所要時間を作成すると以下のようになる。

札幌からの所要時間
(最速列車を仮定) 
区間
所要時間
札幌〜新小樽0:11
札幌〜倶知安0:25
札幌〜長万部0:38
札幌〜新八雲0:54
札幌〜新函館北斗1:04
札幌〜新青森2:04
札幌〜盛岡2:52
札幌〜仙台3:32
札幌〜東京5:03
 (筆者作成)

札幌〜新函館北斗間は上記の表から算定、新函館北斗〜東京間は現在(2020年8月)での最速列車に札幌〜新函館間の所要時間をプラスしたもの。

札幌〜東京間ということで見れば不満だが、札幌発着で道南や東北へということで見れば満足のいく所要時間ではなかろうか。
特に札幌〜函館間では、これに快速『はこだてライナー』の所要時間と乗り継ぎ時間を合わせても1時間40分程度となる。
所要時間だけ見れば、札幌からの距離感は旭川や室蘭と同等ということになり、函館から札幌への通勤も可能となる。

現在は札幌〜函館間の航空路線は、千歳・丘珠便合わせて1日片道7〜8便があるが、新幹線開業後は同区間からの撤退は間違いないところだろう。
札幌〜青森・三沢・花巻あたりの航空路線も、休止や撤退とまではいかなくても大幅な減便が考えられる。

その航空機の乗客は間違いなく新幹線へ移行する。本州や九州の新幹線と違って、本州〜北海道間はほかに選択できる陸上交通機関が存在しないのだから。
仙台は微妙なところだが、スピードアップによって3時間台前半くらいになれば完全にシェア逆転にできるだろう。
ただ、上の表は最速列車での想定なので、実際は列車によって10〜20分程度の開きがある。

札幌〜新函館北斗間では320km/h引き上げ化により5分程度短縮されることになる。東北新幹線区間も宇都宮以北で360km/h化することが決定していて、また青函共用区間でも、貨物列車と競合しない列車限定で260km/h運転とすることも検討され、2030年の札幌開業時には東京〜札幌間で最速4時間半台というのも実現しているのかもしれない。

とにかく筆者が言いたいことは、東京からの視点で見れば役に立たない新幹線と判断されかねないが、逆に札幌からの視点で見ると正反対の形で見えてくるということだ。
とかく東京〜札幌間の所要時間だけに振り回されがちな北海道新幹線だが、東北〜北海道間とか道南(特に函館)〜札幌間の時間短縮効果も素晴らしいものがある。

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 途中駅の新幹線ホームのイメージ(新函館北斗駅で2016年撮影)

話を倶知安駅に戻します。

新幹線の倶知安駅は札幌から営業キロで70km、新幹線の所要時間25分は、日帰りの観光地としては最適ではないだろうか。
道の駅的な集客施設も併設すれば、車の観光客も必ず立ち寄る手軽な観光拠点となることは間違いない。
新幹線通勤も可能なので、札幌の新しいベッドタウンとなる期待もできる。

新幹線で倶知安入りが想定される観光客の筆頭はインバウンドだろう。ニセコのブランド名で一番発展している倶知安町山田地区は駅から結構離れているという欠点はあるが、新千歳空港からでも東京からでも便利にはなる。

しかし今回のコロナ禍で、インバウンド・バブルで栄えたところは、これからどうなるかわからなくなってしまったわけで、インバウンドビジネスは、ハイリスクも伴うということがわかってしまったし、あんなバブル的なものは当てにしてはいけない。
今回のコロナが収束しても、また新たな感染病の世界的流行や、あるいは外交問題や戦争といったこともリスクとして想定しなければならない時代になりつつある。

そんな物騒な話は想定しなくても、倶知安町周辺の羊蹄山麓は景色も素晴らしいし素敵な観光地も地味にたくさんある。
ニセコ周辺は温泉が多いし、天気が良い日は羊蹄山を見ながらドライブしていたら気持ちが良いしね。

ニセコや羊蹄山といえばイメージは良いけど、改めてスキー場以外で有名な観光地は何かあったかと考えたが思い浮かばなかった。しかし、新幹線が来ればイメージの良さで観光客が増えそうな気がする。

イメージって大事ですよ

富良野は、平凡な農業町だったのがTVドラマのイメージで、年間100万人以上もの観光客が訪れる道内屈指の観光地にまで成長した例だ。
美瑛は、ただの畑だったところが美瑛の丘というイメージで全国区で有名になった例もある。
イメージだけではなく、関係者の努力でそうなったことは言うまでもないが。

で、倶知安駅である。ニセコや羊蹄山麓周辺だけでなく、少し足を延ばせば南に洞爺湖、北に積丹といった観光地にも事欠かない。
富良野や美瑛と同じように農産物も豊富だし、羊蹄山を源とする名水の産地でもある。

東京からは微妙だが仙台以北から倶知安へは十分日帰り圏となるわけで、倶知安駅まで新幹線で来てレンタカーで観光なんてスタイルも定着するかも。
今まではスキーばかりが有名だったが、冬以外も全国的な観光地となる可能性は秘めていると思う。


もう1つ、観光だけではなく倶知安駅付近は新幹線からの車窓が楽しめる数少ない区間となる。
建設中の北海道新幹線は、新函館北斗〜札幌間212kmのうち、8割がトンネル区間というモグラ路線。
そのうち、倶知安駅の前後約9kmほどが数少ないまとまった明かり区間となる。

9kmの距離は320km/hで通過すると僅か1分41秒で通り過ぎてしまうが、天気が良ければ高架橋から羊蹄山が良く見えそうだ。
羊蹄山をバックに走る新幹線てのは、北海道新幹線のシンボルにもなりそうなほど良いアングルだろう。

とにかく、北海道新幹線倶知安駅開業による経済効果は計り知れないものがあると筆者は見ている。

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 倶知安駅から見える羊蹄山(2007年5月撮影)

さて、この倶知安駅まで札幌から新幹線で行くとするといくらになるんだろうか。

これを現在の運賃体系に当てはめてみると、特急料金は距離が近い奥津軽いまべつ〜木古内間と同様とすると2,030円(立席)、運賃は1,490円で合計3520円(2020年現在)とチト高め。
トクだ値の40%割引ならば2,430円。これはもう少し割引してほしいところ。

もう1つ気にかかるのは、倶知安駅の駅名。
最近の新幹線の駅名はやたらと2つ以上のものを合体させたがる傾向にある。
新函館北斗とか七戸十和田などがその例。中には有名観光地をくっつけたり町の特産品をくっつけて駅名としたところもある。
駅名はシンボルとなるものなので、駅名にいろいろ盛り込みたいのはわかるが、長くなるし逆に覚えづらくなって逆効果なのだが。

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 この駅名もすったもんだの果てに決まった(2016年新函館北斗駅で撮影)

いまや世界中から倶知安へ観光客が来るようになったが(コロナ前の話)、彼らが目指して来るのは倶知安ではなくニセコ。
いまやニセコは世界のブランド名となった。
こうなると駅名に『ニセコ』を入れてほしいという勢力が出てくるだろう。

インバウンド目当てであれば新ニセコ(New Niseko)駅というのはあり得るが、これは最悪
倶知安ニセコ駅なんてありえそうだが、個人的には観光バブルに迎合した感があって嫌だなあ。
周辺町村からは羊蹄も入れろと言ってきたりして、倶知安ニセコ羊蹄駅って、観光ガイドの題名ならばともかく、だめだこんな名前覚えられない。

往年のイメージが残る鉄道ファンの筆者としては、函館本線の鉄道の要衝でもあり機関区もあった倶知安の駅名は守ってほしいところだ。

しかし懸念がひとつあって、並行在来線廃止の引き換え条件としてニセコ町あたりが駅名にニセコを入れることを提示してくることは考えられる。

その場合の折衷案としてひとつ筆者の妙案があって、駅名は倶知安として、ニセコの名前は列車名にしたらいい
札幌〜新函館北斗間に区間運転の列車が設定されるだろうから、
その列車名を『ニセコ』とすればイメージもピッタリな気がするのだがいかがだろう。

北海道新幹線ルートを先取りするためか、臨時特急『ニセコ』号も運転されるようになったし。
あのヘッドマークは廃止になった急行『ニセコ』からの流用だが、デザインは倶知安付近から見える羊蹄山をあしらったものだ。

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 『ニセコ』のヘッドマーク(JR北海道のHPより引用)


新幹線初のカタカナ名列車ということになるが、ニセコ駅だって改称した当時は国鉄初のカタカナ駅だったので別にいいんじゃないかね。

以上、倶知安駅で見た新幹線関連工事のついでに、北海道新幹線について思うことを綴ってみました。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。

PS、キーボードに『新函館北斗』と打つのが結構めんどい・・・

posted by pupupukaya at 20/08/15 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

大量輸送時代の遺産 静修学園前停留場

普通は路面電車停留場といえば交差点を挟んで千鳥に設置され、片方が横断歩道に接するようになっていることが多い。
ところが、札幌市電はそうでない停留場がいくつか存在していて、静修学園前停留場もその1つ。

一方の停留場は交差点の横断歩道に接するように設けられているが、もう一方の停留場は渡り線を挟むように千鳥で設けられている。
このような構造は札幌市電特有なのだろうか。他所の路面電車ではこういう停留場の配置は見かけない。

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 渡り線を挟む構造の静修学園前停留場。

なぜこうなったかというと、これは電車の折り返し運転を便利にするため。
交差点の手前に渡り線を設けることで、ここが終点の電車は乗客を降ろすとすぐに転線し、反対側の停留場の乗客をのせて折り返し出発することができるというもの。
反面、一方の停留場は横断歩道に接することができないわけで、乗り降りに危険が伴うデメリットもある。

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 内回り停留場は横断歩道がないので柵に注意喚起がある。

これが、西線16条のように交差点の向こう側に折り返し線があると、乗客を降ろしてから一旦交差点の向こう側まで行って転線し、反対側の停留場で乗客を乗せる。この間に1〜2回の赤信号待ちを余儀なくされるわけで、ダイヤ上は朝ラッシュ時に運行される西線16条折り返し便は、折り返し時間に7〜8分を要している。
これは遅れ時間の吸収など余裕時間を含んでいるからで、それがなくても折り返しに最短でも3〜4分はかかるものと思われる。

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 ポイントの可動部分は曲線側に固定されている。

それがこの静修学園前タイプの停留場ならば赤信号にも左右されず、ものの1〜2分で折り返しができる。
地下鉄開業前、大量輸送時代のラッシュ時の運行には威力を発揮したものだろう。
特に2系統の北24条〜教育大学前は最混雑路線で、ラッシュ時は2系統の臨時として北24条〜静修学園前間に連結車が多数運行されていた。

試しに、当時山鼻線の朝ラッシュ時はどれくらいの本数が運行されていたのかを以下の過去記事から拾ってみよう。


昔の市電は今のように停留場に運行時刻表が掲示されていたわけではないので、どのようなダイヤだったのかはわからない。
『昭和45年度夏季ダイヤ電車系統別配車表』というものに運転間隔が記載されているので、そこから推定してみる。
地下鉄南北線開業が翌46年の12月なので、まさしく札幌市電最盛期のものと言える。

山鼻線のすすきの〜教育大学前(現:中央図書館前)間に乗り入れていた系統は2系統8系統
2系統北24条〜教育大学間の運行、8系統は昭和40年に運行を開始した苗穂駅〜すすきの〜教育大学〜西線〜丸井前という環状線だった。それまで別系統に分断されていた山鼻線と西線を直通するという、地下鉄開業後の短縮路線の前身でもある。

まず8系統11分54秒間隔。意外と間延びしている。
これは、運行区間が長すぎてダイヤの維持が困難なことから、運行開始の翌年には8系統のうち半分は従来通り残して、もう半分は苗穂駅〜すすきの、丸井前〜教育大学という途中折り返し便に分けたことからである。
それでも具合が悪かったようで、昭和45年8月からは苗穂系統を苗穂〜静修間の4系統として独立させ、運行区間は三越前〜教育大〜丸井前に短縮することになった

そんなわけで、山鼻線の主力は2系統だった。
朝ラッシュ時の運行間隔は北24条〜教育大学の便が5分32秒間隔(1h当たり11本)。臨時2系統の北24条〜静修学園の便が3分24秒間隔(1h当たり17本)。
8系統と合わせると1時間当たり33本もの電車が山鼻線に乗り入れ、そのうち17本は静修学園前で折り返していたことになる。しかも臨時2系統の車両のうち半分は連結車が投入されていた。

到着したらすぐに折り返して発車ができる静修学園前停留場の構造は、遺憾なく発揮されたことだろう。

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 路線縮小直前の1970(昭和45)年8月からの札幌市電路線図。(交通資料館にあったもの)

現在のダイヤでは静修学園前で折り返す電車は1本も無い。少なくとも、西4丁目〜すすきの間の路線になってからは、通常ダイヤでここで折り返す電車は無くなり、この渡り線が使用されることもほとんど無いようである。

90年代に今の屋根付きの停留場に改修されたが、移設されることはなかった。この構造は輸送障害時に両方向への折り返し運転が可能ということで残されたのだと思われる。

例えば現在西4丁目停留場にある渡り線は、すすきの方向からの折り返しには対応できるが、逆側からの折り返しには対応できない。毎朝見られる西4丁目折り返しの電車は乗客を降ろしても乗せることができず、やむなく次の西8丁目始発としている。

ところで、一時期ちょっと静修学園前折り返し電車を期待したことがあった。
筆者の利用する山鼻線は、ループ化された当初は冬ということもあってか朝ラッシュ時などかなり混雑するようになり、しばしば積み残しも発生するようになった。
そんなわけで、朝は静修学園折り返しの便でもできないかなと思っていたのだが、そこまで混むのは最初のうちだけで、次第に1台で賄えるほどになってしまい、増便の希望も消えてしまった。

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 信号も横断歩道も無く、乗降客からも車からも冷や冷やする箇所。

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 一応電車が停車中は標識に乗降中のサインが出る。

ラッシュ時の折り返し運転には威力を発揮したこのような構造も、すっかり無用の長物となって久しい。
信号もなく横断歩道にも接していない内回り停留場は危険なだけだ。
利用者も危ない思いをするし、逆に車でここを通っても運転していて冷や冷やする場所だ。

何年か前から札幌市電の停留場の改修工事が行われている。
去年(2019年)は中央図書館前の停留場が対象となって、やはり横断歩道のない外回り停留場が交差点側に移設された。

ここ静修学園前停留場も改修工事の番が回ってきたようで、南16条の交差点南側では、新たな停留場(安全地帯)の設置工事が始まっていた。

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 停留場の新設工事が始まった南16条静修学園前の交差点。

これが完成すれば、ここも札幌市電標準の交差点の手前に停留場がある構造になる。

以前に、交差点を通り過ぎた先に停留場を設ければ無駄な信号待ちが無くなって良いんじゃない、と書いたことがあるが、札幌の場合大体400mくらいごとに停留場があるので、前の停留場を青信号でスタートしても次の停留場につく頃にはまたちょうど赤信号という具合になるので、やっぱり今のままがいいのかなという気がする。

この工事と合わせて外回り停留場も改修工事を行うようで、『8月19日より停留場はあちらに移動します』との看板があった。
あちらとは交差点の向こう側。
他の停留場の改修工事と同じように、交差点の向こう側に仮設の停留場を設けて、その間に既設の停留場を新しくするというもの。
工事看板の工期を見ると『令和2年11月24日まで』とあったので完成はその頃らしい。

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 変わった構造は大量輸送時代の遺産なのだった。

ここで連結車が次々に折り返して行ったんだなというのは想像するしかない。
途中折り返しは今でも西線16条や西線11条で見ることができるが、あんなのんびりしているものではない。
1時間当たり33本、2分以下の間隔で電車がやってくる中での折り返しは時間との戦いだっただろう。

だれも気付く人はいないが、路面電車の大量輸送時代の遺物というか遺産がまた1つ無くなるのだった。

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 幌南小学校前停留場も静修学園前と同様の構造。(2017年撮影)

そんな札幌独自の停留場。残るはあと1つ。幌南小学校前停留場。
ここもそう遠くないうちに改修されるものと思われる。

ここはそもそも交差点に面していない場所にあって、改修に当たって南21条交差点側に移設するのか、それとも場所は今のままで新たに信号機と横断歩道が設けられるのか。
南21条側に移動したほうが便利にはなると思う。ショッピングセンターも近くに出来たしね。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 20/08/10 | Comment(0) | 札幌市電

2020年礼文島旅行記7 礼文島から札幌まで

 ◆ 礼文島→利尻島→稚内(サイプリア宗谷)

香深13:25発稚内行のフェリーに乗れば、稚内では1時間26分の接続で札幌行特急『宗谷』に乗り継ぐことができる。

当初は朝8:55発の便でと考えていたのだが、稚内からの特急サロベツがコロナ運休になってしまい、稚内でほぼ半日過ごすことになるなと思ったが、乗り継ぎを調べると午後の便でもその日のうちに札幌に着くことがわかった。

宗谷本線の特急2往復が旭川短縮になったことによる車両繰りの関係で、朝の時刻が繰り上がり、夜の時刻が繰り下がってずいぶん使いづらいダイヤになったものだなと思っていた。
しかし、このおかげで利尻礼文へのフェリーとの乗り継ぎが相当改善されたという思わぬ効果あったことを今回の旅行で発見した。

それまでは朝イチの便で香深を出発して、特急サロベツに乗り継ぐしか札幌へ日着できなかった。しかも稚内で3時間近い接続時間があり、先に高速バスがフェリーの客を乗せて札幌へ向かうのでは、対札幌に関してはJRの出る幕はなかったことだろう。
それが、昼のサロベツの稚内発が繰り上がって接続時間が短くなり、夜の宗谷の稚内発が繰り下がったことにより昼のフェリー便に接続が可能となった。

また、稚内駅が新しくなってから、それまで駅正面から出て踏切を渡って行かなければならなかったフェリーターミナルへの道も大分ショートカットされて近くなっている。

皆様も利尻礼文への旅行の際には、

JR特急の利用も検討されてはいかがでしょうか。

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 稚内からの乗船客が下船。だんだん観光客も増えているようだ。 

13:00に稚内からの便が到着して、乗船客がぞろぞろと出てくる。『どうみん割り』の効果なのかはわからないが意外と多く降りてくる。
フェリーは朝と夕方の便はそれそれの島に直行するが、昼の1往復だけはどちら行も利尻島に寄港する便となっている。
利尻島と礼文島を直接結ぶ唯一の便でもある。利尻空港に着いて1泊してから礼文島へという場合はこの便に乗るしかない。

こんど13:25発稚内行の便も利尻島に寄港する便となる。
直行ならば香深〜稚内間は1時間55分だが、昼間の寄港便は2時間50分かかる。
船に弱い人は敬遠したい便だろうが、基本的に乗り物に乗っているのが好きな私などには楽しい便だ。ちょっとだけど利尻島も見ることができるし。

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 乗船開始。いってらっしゃい!礼文島へまたお越し下さい。

13時15分に乗船開始となる。
船内に入ると、行きに乗った船とは違って椅子席がメインだった。船首のほうにカーペット敷きのスペースもあって、どっちも2等の乗船券で利用できる。
どうせ半分くらいの時間は甲板で過ごすので、空いている席に荷物だけ置いて外に出る。

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 サイプリア宗谷の客室は椅子席がメインだった。

下にはどこかの宿なのかサークルなのか、見送りの人が10人ほどかたまって手を振っている。
名物の桃岩荘の見送りではない。あっちは今年の営業は休止とホームページにあった。

3年前に来たときは『遠い世界に』の熱唱と、ふしぎな踊り(ドラクエかよ)で盛大に見送ってくれたが、残念ながら今年は無し。

もっとも、あの中に加わりたいとは思わないが・・・(^^;

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 どこかの見送りがあった。

誰だかわからない見送り人たちは、小さく見えなくなるまで手を振り続けていた。
これで4泊5日過ごした礼文島ともお別れ、少しセンチメンタルな気分にもなる。

同じ北海道内なのだから、来たくなればいつでも来れるんだけどね。
車なら0泊2日で行くこともできるし。
秋あたりにまた行っちゃうかもしれないね。

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 さようなら礼文島。

礼文島に別れを告げて、船が一路目指すは利尻島。
これもまたこの時期は滅多に姿を現さない利尻富士がくっきりと見える。
しかも船上からは順光。火山の荒々しい岩陰まではっきりとあらわになっている。

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 船は寄港地の利尻島へ向かう。

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 海上から見る利尻富士の秀麗な姿。

利尻富士に見とれているうちに利尻島の鴛泊(おしどまり)に入港する。
意外と下船客が多く、1/3ほどは下船して行った。といっても全体の客が少ないので大した人数ではないが。
代わりに乗船してきた人はそれよりも少なく、香深を出たときよりも船内は空くことになった。
利尻島は利尻空港があり、千歳と丘珠にそれぞれ直行便があるので、そちらを利用する人が多いのだろう。

礼文島にも空港はあるが、稚内から利尻と礼文に飛んでいた飛行機が千歳と丘珠発着に改められてからは礼文空港は休止ということになっている。

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 鴛泊港では25分の停泊。

鴛泊では車を何台か積み込む。車だけはフェリーでしか運べないし、物流の主役はフェリーである。
最後にトラックを乗せたら終わり。車も人も少ないので、作業員は25分間の停泊時間も持て余し気味だ。

それでも早く出ることはしないで、出航時間になると腕時計の秒針がジャストを示すと同時に係船ロープを緩めた。
こんな離島でも1分1秒の正確さを見ていると、ここは日本だなあと思う。

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 利尻島をあとに稚内へ。

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 利尻も礼文もすっかり小さくなった。

秀麗な利尻富士もだんだん遠ざかる。
礼文島を出たときは順光でくっきり姿を見せていたが、利尻を出港すると逆光になってしまい、あとはシルエットとなってしまった。

かわって水平線に見えてくるのが北海道の島影。
北海道ってあんなに平べったかったかなあと思う。道北地方はあまり高い山がないからなのだろう。稚内半島で一番高いところでも200m程度しかない。

何年か前、北海道の熊が泳いで利尻島に渡って、また泳いで北海道に戻ったということがあったなあ。
あの熊も同じ島影を目指して泳いだのかなあ、なんて思った。

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 ノシャップ岬が近づく。

15時40分ごろ、稚内半島がもう近くに見えてくる。もうすぐ稚内かと思うが、到着までまだ40分もある。
宗谷岬の方の丘の上にはこれでもかってほど風力発電の風車が立っている。
そういえば礼文島では1基も見なかった。
あんなもの立ってれば景観は台無しだな。近くだと騒音も相当なものだし。

いつだったか、風力発電の風車の下でキャンプしてからあれは嫌いになった。

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 稚内へ戻ってきた。

16時15分、稚内フェリーターミナルに接岸し下船する。
コンコースは出迎える人もなくガランとしていた。
フェリーターミナルの出口にはタクシーが下船客を待っていた。あまりタクシーに向かう人はいない。
客が少ないのと、駅が近くなってタクシーに乗るほどの距離じゃなくなってしまったのもある。

札幌行の高速バスはフェリーターミナルから直接発車する。次の便は16:40発で、これに乗れば札幌には22:30着と特急宗谷を待つよりも30分近く着く。こっちの方が安いし、やっぱりフェリーの客はこっちに流れてしまうのだろうか。

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 タクシーが並ぶ稚内フェリーターミナル。

フェリーターミナルから稚内へ向かう人たちも10人くらいはいたようだ。
ここから稚内駅までは700mほどの距離。歩くのが早い人なら7〜8分といったところ。


 ◆ 稚内→札幌 特急宗谷飲み鉄旅

駅に着いたらまず指定席の確保。
持っている切符は6日間有効の『指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)』。
行きは買ったときに座席指定しておいたが、帰りは指定してない状態だった。別に自由席でもがら空きだろうが、せっかくなので指定席にしておく。

こんな稚内駅にも指定券の券売機が置かれるようになっていた。
窓口でも指定券は発行してもらえるが、機械だと自分で座席表で好きな席を選択できるので便利だ。
座席表を見て、なるべく人から離れた席を選択する。
ソーシャルディスタンスというのもあるけど、稚内から札幌まではずっと飲んで行こうと決めていたからだ。

車じゃないから、堂々と飲んで行ける。それに金曜の夜だから許してもらえるんじゃないか。
たくさん飲めば匂いもするだろうし、それには人がいない方が良い。
バスならばこうはいかないしね。

そういうわけで酒とつまみを調達してくる。
駅の向かいにはスーパーがあって、惣菜に食指が動くが、こんなパックを車内で並べたらかえってむなしくなるだろうな。
駅弁があれば一番いいのだが、道の駅の売店キタカラに駅弁は休止中との張り紙が出ていた。
結局セイコーマートとキタカラで酒とつまみを仕入れた。

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 特急宗谷の改札が始まった稚内駅。

17時半を過ぎて改札が始まる。
改札口を通ったのは僅か10数人。これが始発稚内からの乗客全員となる。

特急が全て札幌発着だった頃は17:00発スーパー宗谷3号だったのが、唯一の札幌行となってからは17:46発に繰り下がっている。札幌着が22時過ぎに到着だったのが23時近くになってしまったので、稚内だけの用で来たのなら不便なダイヤという感は否めない。
その前は13:01発のサロベツしかないし、その間は普通列車すらない状態。
反面、利尻礼文からのフェリーが接続できるようになった面もあるのだが。

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 唯一の札幌行になる特急宗谷。

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 稚内発車時の車内。札幌まで乗車率はあまり変わらなかった。

一番後ろの席に陣取っている2人の鉄道ファンらしい兄さんたちの話し声が気になるが、まあこっちも酒を飲ませてもらうのでまあええわい。これはしばらくすると静かになった。

列車は次の南稚内へ。
この駅から何人か乗ってきたが、ほとんどは自由席の方の客だった。
車内はさっき見た券売機の座席表通りにがら空き状態で南稚内を発車する。

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 南稚内は地元の人の利用が多い。

南稚内を出ると、買ってきたつまみをテーブルに並べて1人酒宴を始めることにする。
ビールはぬるくならないように保温袋に入れてきた。

『わっかないし出汁之介』というホッケの燻製は意外とビールに合うな。

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 札幌までは飲みながら。

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 ビールは保温バッグに入れて。

車窓から利尻富士を見ようと進行右側の席を取ったのだが、こっち側は西日がモロに差し込んで来る。
宗谷本線で日本海が見える唯一の場所では、利尻、礼文両島のシルエットがくっきりと見えた。

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 南稚内〜抜海間のビュースポットから見えた利尻島と礼文島。

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 利尻富士のシルエットがずっと追いかけてくる。徳満〜豊富間。

もう食堂車も車内販売も無いが、こうして乗車前に準備しておけば座席は食堂車にも居酒屋にもなる。

ビール2本飲んで飽きてきたから今度はワンカップ。
おいちーずといって裂いたチーズを燻製状にした珍味が意外とワンカップに合うのだった。

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 次はワンカップだ。おいチーズが意外と日本酒に合う。

豊富では自由席から数人の下車があった。高校生の姿も見える。
稚内と豊富の間は町民限定の乗車票というのがあって、それだと特急が普通運賃の10円増しの片道1,140円で利用できるので重宝されているようだ。

かつては稚内発の帰宅時間帯の普通列車は14時台、17時台、19時台だったものが普通列車削減で17時台と19時台に集約され、さらに特急の旭川短縮による特急宗谷の時刻繰り下げにより、17時台だった普通列車は18時台に繰り下げられてしまった。
かつては稚内への通学や通院、買い物などで使い分けられていた稚内からの帰宅列車も、特急を除けば18時台と20時台だけになってしまって久しい。

こんな状況では普通列車の利用者も極端に減って、宗谷本線では利用客の極端に少ない13駅が来年3月で廃止になることが決まっている。

駅とか鉄道の廃止というと、とかく地域住民を切り捨てるような話になってしまいがちだが、実際は廃止が決定すれば代替輸送が用意されることになる。その運営は自治体にしろバス会社にしろ、バスによる運行ならば通学や通院に合わせたきめ細やかな便が設定できる。江差線のようにバス化したほうが逆に利用客が増えた例もある。

地域輸送をいつまでも鉄道にこだわっていると、逆に住民に不便を強いることにもなりかねない。

宗谷本線稚内口の例では、帰宅するには18時過ぎの列車まで待たなければならない不便な鉄道。
思い切って廃止すれば、利用実態に合わせて運行できる代替バスの運行になる。どちらが地元住民にとって便利かは明白だ。

それで考えると、宗谷本線北部の地域輸送はバスなどに譲り、石勝線のように都市間輸送専用の路線とするのも、宗谷本線を存続させる1つの方法かもしれない。

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 西日に染まった黄金色の空と利尻富士。豊富〜下沼間。

礼文島にいるときは観光客気分だったが、また戻ってきて列車に乗ると、いやでもJR北海道の、また宗谷本線の厳しい現実を見せつけられる。

幌延を出るとだいぶ日も傾いてきて夕焼け空になった。もうそろそろ利尻富士も夕日も見納めだ。

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 夕日が傾いてくる。南幌延〜安牛間。

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 天塩川の向こうに月が見え始めた。

雄信内を通過するあたりから山峡を行くので日が暮れたように感じるが、今日の日の入りは19時25分(稚内市)。天塩中川の少し先あたりとなる。
音威子府まで来ると空も暗くなり始めた。

なぜか音威子府の駅名を見ると里まで下りてきたような感覚になる。
急行時代は、この駅に着くとホームの乗車位置には乗客が並んでいたのを思い出す。
ここはオホーツク側の浜頓別や枝幸からのバスが発着していたので、そっち方面からの乗り換え客が多かったのだ。
それも、それぞれ旭川や札幌に直通バスが走るようになってからは過去のものになったようだ。

里らしさを感じたのは、きっと稚内方面とは違う客がたくさん乗ってきたので、ここから車内の空気が変わったからなんじゃないかと思う。
今はそんなことも無くなってしまった。

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 19時50分、音威子府着。空はまだまだ明るい。

美深ですっかり暗くなる。
名寄で少しは乗ってくるのかとおもったが、自由席の方に何人か乗っただけだった。

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 20時37分名寄着。さすがにもう空も暗くなった。

名寄を発車すると眠ってしまい、気が付くと岩見沢だった。
この指定席の乗車率は、旭川で少し入れ替わったようだが、稚内始発時とそう変わってはいなかった。

いまはコロナウイルス禍による需要減少ということで、鉄道に限らずバスも飛行機も乗客減がひどいが、コロナウイルスが収束したら乗客が戻ってくるのだろうか。
需要が戻ればまた乗客は増えるのだろうが、この期間に公共交通機関を嫌って車にシフトした客はそう簡単に戻ってはこないだろう。

自分自身がいい例で、道内完結の移動だけでJRの指定席の特急に乗るのは8年ぶりになる。宗谷本線の特急は10年ぶり。すっかり鉄道の旅とは縁遠くなっていた。
その理由は車を持ったから。

今回は駐車場とガソリン代を考えたらJR利用と差額が少なかったからということでJRを選択したが、それがなければ車の一択だっただろう。

旅行前に、宗谷線の特急に乗るのもこれが最後になるかもしれないねなどと冗談を言っていたが、残念ながら案外現実のものとなる日も近いと言わざるを得ない。
これが前回乗った10年前と比較した、宗谷線特急の変わりようと現実見て思った率直な感想である。

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 22時57分札幌着。

岩見沢発車時でも1両あたり10人に満たない乗車率のまま札幌へ。自由席の方は知らないが、到着しても人は疎らだったので似たようなものか。

なんだかわびしい旅の終わりだった。もう礼文島も遠い出来事である。

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 礼文島で買ってきた土産物。

久しぶりに慣れないことをすると何か失敗するもので、家に着いてからスマホがないことに気づいた。
いくら探しても見つからないので、どうやら車内に忘れてきたらしい。無意識に背もたれのポケットに入れてしまったかな。

これは明日札幌駅に電話するしかない。
もしやと思い、自宅のPCで、グーグルマップのタイムラインを見ると簡単にスマホの居場所が見つかった。


7月3日(金)の費用
費目場所金額(円)
レンタカートヨタレンタカー礼文店6,600
食費(外食)炉ばた ちどり(現金分)1,500
土産物代マリンストアー香深2,900
土産物代加藤商店1,460
食費(酒つまみ)セイコーマート1,562
食費(つまみ)ワッカナイセレクト972
7/3 合計14,994


 ◆ 7月4日(土)

翌日公衆電話で札幌駅の忘れ物センターに電話すると、
「もしかすると折り返しで稚内へ向けて出発したかもしれませんね」
「そうしますと稚内駅に着いてから捜索しますので、見つかっても送料がかかりますよ」
とかさんざん言われたが、とりあえず捜索をお願いして電話を切る。

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 昨日グーグルマップのタイムラインで見るとスマホの居場所が・・・

昼にまた電話を掛け直すと、スマホは無事苗穂運転所に駐泊中の車内で発見されたようだ。
これは月曜日に苗穂駅に取りに来てくださいということになった。

受け取りが苗穂駅なのはともかく、なんで月曜まで待たなければならないのかと思ったが、事務関係が土日は休みになるからだろう。
思わぬところで鉄道のタテ割り組織を知ることになった。

そもそも悪いのは車内に忘れてきた自分なので分が悪い。
それはそれで経験と思うことにした。

〜おわり

2020年礼文島旅行総費用
費目金額(円)
宿泊費26,200
交通費(JR)13,310
交通費(フェリー)5,700
交通費(島内バス)2,380
レンタカー6,600
食費14,555
土産物4,360
その他費用610
合計73,715

最後に今回の旅行の総費用をあげます。
礼文島へ旅行するときの参考にしていただければ幸いです。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/07/26 | Comment(0) | 2020年その他旅行記

2020年礼文島旅行記6 最終日はレンタカーで

 ◆ 7月3日(金)

5時過ぎ、明るくなった窓から空を見ると隣の建物の隙間から青空が見えた。
外に出てみると雲ひとつない快晴。港の海面はさざ波ひとつない鏡面のようになって漁船や周りの建物を映していた。利尻富士もくっきりと見えている。

出発前は2日くらいは雨を覚悟していたが、来てみれば雨に当たることもなく、火曜日以外は午前か午後のどちらかは青空に恵まれた。野球ならば完全試合といったところ。

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 鏡面のような海面の香深港。

スマホで今日の天気予報を見ると完璧に晴れ、降水確率も終日0%になっていた。
このまま帰るのは勿体ないな。

朝の船で出れば夕方には札幌に着くが、昼の船で出ても夜遅くなるが今日中に札幌に着くことができる。
歩いていると、レンタカー屋の立て看板に、『キャンペーン特別料金/3時間6600円』というのが見えた。
車を運転するつもりはなかったが、今日はこれで島をもう1回りして来たくなった。

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 フェリーターミナル向かいのレンタカー屋。

レンタカー屋が開く8時に宿をチェックアウトする。チェックアウトと言っても1Fの店には誰もいないのでカウンターにキーを置くだけ。せめてキーボックスでも置いたらどうかと思うが、それはさておき。


 ◆ 礼文島をレンタカーで回る

まずはレンタカー屋へ。
表の看板の車を借りたいのだがというとすぐに対応してくれた。

3時間6600円は本土と比べるとずいぶんと高いが、礼文島は離島料金が適用されるので、事前予約して普通に借りれば3時間7920円。これは軽自動車の場合で普通車なら9000円以上になる。
観光シーズンの今時期ならば予約なしで行っても予約一杯と断られるだろうが、今年ならばようこそいらっしゃいましたといった状況だろう。

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 レンタカー屋でくれた礼文島の地図。

店の親父がレンタカー客用の地図を持ってきて、島の見どころをあれこれ説明してくれる。
月曜にこっちに着いて、歩いて行ってきたところばかりなので知っているが一応聞いておく。
これ全部3時間で回ってこれるのかというほど盛沢山だったが。

表に停まっている軽自動車へ案内される。時刻は8時を少し過ぎたところだが、8時10分から3時間ということにしてくれた。
料金はガソリン代込みとのことで、そのまま返せばOKとのこと。
さっそく出発する。

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 3時間レンタルしたダイハツ・ムーヴ。

まず最初に向かったのは澄海(スカイ)岬
さすがに車だと早い。香深のレンタカー屋前からここまで距離にして20km以上あるが、30分とかからずに着いた。

船泊の礼文荘に泊まって、歩いてここまで来たのは火曜日のこと。3日ぶりの再訪となる。
あの時は曇っていて山にはガスもかかっていたが、今日は快晴で文句なしの青空。どんな風景が待ち受けているのだろう。

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 晴れの澄海(スカイ)岬。

おおスカイ岬。おおブルースカイ。この海の明るさよ〜。

誰が呼んだか知らないが粋な名前を付けたものだ。
晴れた空の下に見る海は透き通って青く光るようだ。

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 澄海岬の入り江。

澄海岬というのは展望スペースから見下ろす入り江の通称名で、国土地理院の地形図で見ると入り江の反対側の岩が『岡田ノ崎』と載っている。
この入り江は中島みゆき『銀の龍の背に乗って』のプロモーションビデオの撮影地になった場所。
昔からTVオンチなので詳しくは知らないが、この歌はドラマの『Dr.コトー診療所』の主題歌に使われたらしい。

今日は入り江よりも岡田ノ崎側の方が海の色がきれいなブルーだった。

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 澄んだブルーの海。礼文ブルー。岡田ノ崎。

あれこれ写真を撮ったりしていると小1時間は過ぎたような気がしたが、車に戻ったらまだ15分しか経っていなかった。

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 ベタ凪の西上泊漁港。

次に向かうのはスコトン岬。
真直ぐ岬へは向かわず、レンタカー屋の親父に言われた通り、そこへ向かう途中で山へ登る小道へ入り、トド島展望台に寄る。
これも火曜日はスコトンから歩いて登ってきた場所。
展望台からはその時は見えなかった利尻富士のシルエットが見えた。

これだけ晴れていれば樺太(サハリン)も見えるかもと目を凝らしたが、水平線の上にそれらしい島影を見つけることはできなかった。

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 トド島展望台から利尻富士が見えた。

こんどは坂道をスコトン岬へ下る。
途中に黄色い点々をちりばめたような見事なエゾカンゾウの群生が・・・・
あああ〜!、通り過ぎちゃった。
車だとせわしない。

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 スコトン岬と海驢(トド)島。

スコトン岬へ。ここも誰もいなかった。

レンタカー屋でくれた地図に、
『スコトン岬は風が強いので、車を停めるときは風に向かって停めてね!』
との注意書きがあるほど風が強い所らしい。

そういえば礼文島は風が強い所だが、今回の旅行で強風に当たることもなかった。
なんと穏やかな週だったんだろう。

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 スコトン岬は最北限の地。

スコトン岬は最北限を名乗る。北端では宗谷岬に負けているので、最北端は名乗れないらしい。
岬の先には海驢(トド)島があって白黒ツートンの灯台が見える。昔は人が住んでいて、観光船も出ていたらしいが、今は無人島になっている。
それでも漁船をチャーターすれば行こうと思えば行けるので、ここが北限と言うわけではない。

1つ気づいたことがあって、礼文北部に行くときは、最初にスコトン岬に行ってから次に澄海岬へ行くべきだろう。
さきに澄海岬の青い海を見てしまうと、最北限の地もただのつまらない磯浜に見えてしまうのだった。

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 海驢(トド)島と灯台。

島の北部を後にして、また道道礼文島線を香深へ戻る。
今度は、歩いては行かなかった島の西海岸へ行くことにする。レンタカーを借りたのはそっちへ行きたかったのがメイン。

香深の町へ戻り、長い新桃岩トンネルを抜けると元地の漁村に出る。
かつての旧道は桃岩やユースホステル桃岩荘の方に出たが、今の新道は元地の町とダイレクトに結ぶようになった。

メノウ浜の看板が立つところに駐車場があったので、車はそこに置いて歩いて地蔵岩まで行く。

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 地蔵岩が立つ元地海岸。

お地蔵さまが手を合わせて拝んでいるように見えるからその名がついた地蔵岩

いかにも昔の日本人が好きそうなネーミング。
そのためか礼文島のシンボルでもあったこの地蔵岩も、トレッキングコースからは外れているのと、今は澄海岬や桃岩といった景勝地に押されて影が薄くなってしまったようだ。
昔宗谷本線に走っていた急行『礼文』のヘッドマークもこの地蔵岩をデザインしたものだった。

道路は地蔵岩の200m手前で終わり、そこには立入禁止の旨を掲示した看板が立つ。
柵で囲まれているわけではないので行こうと思えば行けるが、危険を冒して近づいたところで何かあるわけではない。
昔はここから地蔵岩〜礼文滝〜ウエンナイと海岸を辿るのが8時間コースとなっていたが、事故があってから礼文林道を迂回するコースに変更されている。

この海岸は映画『北のカナリアたち』のシーンにも出てきた見覚えのある場所。
映画では、この地蔵岩の下で起こったある事故がきっかけで、吉永小百合演じる教師が島を追われることになるのだった。
20年後に、バラバラになっていた教え子たちは全員この事故にかかわっていたということを告白する。
あんまり言うとネタバレになるのでもうやめます。

この映画には札幌市電も出てきて、見覚えのある沿線風景に親しみを感じたものだったが。
いや、もうやめます (^^;

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 お地蔵様が拝んでいるように見える地蔵岩。

駐車場の向かいはメノウ浜。
メノウが拾えるのでこの名がついたらしい。
もしかして拾えるかと思って浜を歩いてみたが、それらしい石は見つからなかった。

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 地蔵岩近くのメノウ浜。

こんどは西海岸を南に行く。
西海岸は道が狭いので軽自動車が走りやすい。

そういえば、レンタカー屋の親父が、
「今日は観光バスが走るみたいなので注意してくださいね」と言っていたな。
幸いまだ観光バスは見ていない。
今日だったら原付でも良いのだろうが、あいにく私はバイクに乗ったことがないので・・・

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 桃台猫台展望台から見た桃岩。

西海岸の道路の南端は桃台猫台展望台の駐車場。その先は『桃岩荘利用者以外立入禁止』の看板が立っている。
ある意味礼文島のシンボルともいえる有名なユースホステルだが、車に入り込まれて見世物にされてはさすがに迷惑なのだろう。
今年の営業は断念せざるを得なかったようだ。

駐車場から階段を登った高台が展望台になっている。
香深側から登る桃岩展望台は見下ろす格好だが、こちらのは反対側から見上げる格好。
頭が尖がった、桃太郎に出てくるような桃の形に見える。

その反対側の南側に見える小さな岩が猫岩。
猫が反対を向いているような恰好。

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 桃岩荘の赤い屋根と猫岩。

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 猫岩の望遠。猫背の猫岩。

ここもほかには誰もいなかった。
10時10分を過ぎたところ。車を返すまであと1時間近く。あとはどこに行くか。

新桃岩トンネルを出ると、町とは反対方向に車を走らせた。
また桃岩展望台に行こうと思ったわけだ。

最初に来たときは香深の町から歩いて登り、次は礼文林道から大型バス駐車場のある桃岩登山口から登り、今日は桃岩展望台駐車場まで車で行ってそこから登ることになる。
車で行くと途中から片側1車線の狭い道を通ることになるが、対向車が来たらどうしようかと冷や冷やした。

駐車場まで来たら、小学生の遠足なのか知らないが、大賑わい。
それとは別のトレッキングの人も一昨日来たときよりも増えていた。

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 桃岩展望台駐車場を見下ろす。

駐車場から桃岩展望台までは200mほど歩いて登る。一昨日は香深から40分かけて歩いて登ってきたのにあっけない。

桃岩展望台まで往復するだけならば車でも来られるが、そこから知床までトレッキングするのなら車は不要、ていうかむしろ邪魔。
なぜなら、向こうへ通り抜けてもまたこの駐車場まで車を取りにいかなくてはならないから。

今日は桃岩展望台へ行って写真を撮るだけで引き返す。
展望台に登る途中、今日もイブキトラノオのピンクの穂が一斉に風にそよいでいた。

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 桃岩展望台から利尻島の俯瞰。

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 桃岩展望台からの桃岩。

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 さっきの桃台猫台展望台を見下ろす。

小学生やトレッキングの人たちが知床の方へ去ってしまうと、展望台は人がいなくなった。
今日観光バスが走ると聞いていたので、観光バスの人たちだったんだろうか。

イブキトラノオの花に見送られて、また駐車場へ戻る。
もうそろそろ車を返す時間が近づいてきた。

レンタカー屋の前に着いたのが10時56分。なかなか上出来な回り方だった。
島の観光地をいくつか回ってくるだけだったら3時間で十分だった。
火曜から木曜まで3日かけて歩いてきたところも車ならば3時間なのだからあっけない。
しかし、礼文島の本当の良さは車じゃ絶対わからないと思う


 ◆ 礼文島の終わりはうに丼で

昼には少し早いが、つぎはうに丼が食べたい。
昨日ちゃんちゃん焼きを食べるのに入った店で、『うに丼4500円』という張り紙を目にして、たかが丼もの1杯にこんなお金を出すのは勇気がいるなと思っていたのだった。
しかし、礼文島まで行ってうに丼を食べなかったのかと後悔するのも嫌だしねえ。

幸い初日に買った礼文島プレミアム商品券がまだ3千円分残っている。これは土産物を買って使い切ろうと思っていたが、うに丼に使うことにした。こういうのを最初に買っておけば心理的な負担を減らすことができる。

向かった店が『海鮮処かふか』。
ここはマリンストアーの2階にあって、漁協による直営の店。ここなら間違いないだろうと思ったからだ。ところが店は閉まっていた。定休日ではなく、『当分の間は夜営業のみとさせていただきます』の張り紙が・・・。

仕方ない、昨日と同じ『炉ばた ちどり』に入る。焼き物ではないと言うとカウンター席に通された。
ちゃんちゃん焼きが名物の店だが、うに丼もまた名物となっていて、観光客は両方注文する客も多いらしい。
観光シーズンの今時期ならば行列のできる店なのだろうが、今日も余裕がある。
席に着くなり迷うことなく「うに丼」と言った。

それでも席に着いてから次第に客が増え始めた。
ほかの客がうに丼を注文すると、うに丼は1組1品だけということだった。
昨日が時化で、ウニの入荷が少なかったという。そういえば昨日は波が高かったもんな。

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 また入った炉ばた ちどり。

さて出てきました。うに丼4500円

「まずは醤油をかけないで召し上がってください」
同じことを礼文荘でも言われた。

礼文島に限らず、うに丼にまず醤油をかけるなど愚の骨頂ですぞ。

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 時価4500円也のうに丼。

あ〜ウニがとろける・・・甘〜い・・・

しかもここのうに丼は、ご飯の間にもウニが挟まっているんですね。ウニの2段重ね。
最初はウニだけを味わい、2段目が出てきたら醤油とわさびでいただくという2度おいしさが味わえる。

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 エゾバフンウニのとろけるような甘さ。

商品券3千円分と現金1500円。
プレミア分を引けば実質3千円でうに丼を食べられたことになるな。

旅行中でもこういうセコイ性格が抜けないのは困ったことだ。

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 歩道に寝そべっていた猫。

またマリンストアーに寄って、土産物のムラサキウニの蒸しウニ缶と礼文島香深産昆布の昆布しょうゆを買った。
こういうものは土産物屋で買うよりスーパーの方が安い。これは実家へのお土産としよう。

まだ船の時間があるので、フェリーターミナル向かいの土産物屋を物色する。
いくつか欲しいものがあったので買うことにした。全部調味料ばかり。
さっきマリンストアーで買ったのと同じ昆布しょうゆが置いてあって見ると、ゲッ、マリンストアーより安い。
またしてもやられた。ロシア人もびっくりのマリンストアーだった。

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 フェーリーターミナル向かいにある礼文おみやげセンター。

土産物屋のレジで申し訳なさそうに「袋は有料なんですがどうなさいます」と聞かれる。
そうだった、7月から全国一斉にレジ袋有料化がスタートしたのだった。
全部自宅用だし、裸で受け取ってバックパックに押し込んだ。

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 香深港に入港する稚内からのフェリー。

これで礼文島はおしまい。
あとはフェリーの乗船開始を待つだけになった。




posted by pupupukaya at 20/07/26 | Comment(0) | 2020年その他旅行記
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