国家鉄道博物館準備処の見学ツアー
暑いなあ。地下鉄南京三民駅からテクテクと歩いてきた。
市民大道という名の広い通りに出る。この通りは元々台鉄縦貫線の線路が敷かれていた場所。
1989年の地下化により道路となり、台北車站まで続いている。
行く先に古そうなドーム状の建物が見えてきた。
由緒ありそうな建物が旧台北機廠。
ここは、台北機廠(きしょう)と呼ばれていた、旧台湾鉄路管理局の工場として使われてきた施設。
かつてはここで車両修理や整備を行っていた。
工場が完成したのは、日本統治時代の1935(昭和10)年。
当時の名称は、『台湾総督府鉄道 台北鉄道工場』だった。
この台北機廠は戦後も鉄道工場として使用され、2011年まで台鉄の車両工場として稼働していた。
2012年に桃園市郊外の富岡車両基地が完成すると工場の機能はそちらに移転することになる。
今日の午後の予定は、この旧車両工場を見学となっている。
ここの見学は今のところ完全予約制で、申し込みは国家鉄道博物館準備処のホームページから行うことになる。
このツアーは結構人気のようで、結構先の日程まで満員になっていることが多い。
私も3月中に申し込みを済ませていた。
今日のツアーも満員のようだった。
なお申し込みは無料。
現在は『国家鉄道博物館準備処』という名称で、“準備処”の名の通り整備工事中で、2027年までに国家鉄道博物館としてオープンするのだという。
国家鉄道博物館準備処の入口。
そんな由緒ある施設なのだが、どこから入るんだろう。
正面入り口の奥に歩く人が見えたので、ここから入ろうとすると警備の人に怒られた。
「ガイドツアー」というと入口は向こうという風に指をさした。
よく見ると『参観動線』と書いた垂れ幕があった。
参加のツアー開始は14時から。
現在13時20分。ちょっと早く来過ぎたようだ。
建物に入ると、入口にテーブルが置かれて案内らしいおばちゃんが1人。
「ガイドツアー?」と聞くと、もうちょっと待っててみたいなことを言われる。
それまでこの中でも見物してて、という風に日本語のパンフレットをくれた。
台北機廠・大浴場展示エリア。
入口のこの建物は台北機廠の浴場だった建物。
日本統治下、台湾総督府鉄道時代の1935(昭和10)年完成。
昭和モダニズムを各所に感じる凝った設計に感心する。
なんだけど、浴場じゃあ見ていてもつまらないね。
ちょっと早く来過ぎたようだ。
一足先に修復工事の終わったこの建物だけが一般公開しているエリアのようだ。
13時半ごろ、ツアーのガイドらしい人たちが来た。
再び入口のおばちゃんに言うと、ガイドの人たちに、この人ツアーの参加者だからよろしくみたいなことを言った。
ガイドの人が持つ参加者リストにある自分の名前を指さして、申し込みの時に登録したパスポート番号と持っているパスポート番号が同じなのを確認すると、首から下げる用の『参観證』の札を渡された。
それでもツアー開始まで30分近くある。
また浴場の中をぶらぶら見たり、エンドレスのビデオなんかを見ながら過ごす。
だんだんツアーの人たちが集まってきた。
14時、ツアー開始。
マイクとスピーカーを持ったガイドのお姉さんが、台北機廠の模型が展示されたガラスケースの前に集まるよう呼び掛ける。
ここからツアー開始だ。
平日だが子供を連れた参加者が多い。
古今東西、この手の施設というのは子供が主役というのは同じこと。
やはり日本人の参加者もいて、自分以外に3組いた。
始まった説明は全部中国語。
何言っているのかさっぱりわからないのが悲しいところ。
台北機廠の模型を前にガイドが始まる。
時おり模型内の建物をレーザーポインターで示したり、回る順番を説明しているんだろうか。
もうそろそろ動き出すかな・・と思いかけてもガイドの話は延々と続く。
ひょっとしてここで説明聞くだけでツアーは終わってしまうのではないかと思いかけたほど。
「では出発しまーす」という意味のことを言ったかはわからないが、ガイドを先頭にツアーの人たちがぞろぞろ動き出した。
見学は鍛冶工場から始まって客車工場へ。
中にあった2両の気動車はエンジンのアイドリング音が鳴り響いていた。
動態保存なんだなあ、結構やる気だよ、この博物館は。
熱く説明を続けるガイド。
各コーナーではガイドが熱心に説明を続ける。
当方、相変わらず中国語は全くわからない。
だけど、熱心に説明しているということはわかる。
それでいいんじゃない?
いま整備中の国家鉄道博物館や台湾の鉄道に対する情熱は十分に伝わってくる。
その情熱や思いを感じ取ることができれば、日本からやって来た鉄道ファンとして、それだけで嬉しい。
戦車を積んだ35F6000型平車。
日本の旧工場を思わせる佇まい。
くすんだ壁に鉄の匂い、安全第一のプレート。
以前JR北海道苗穂工場の一般公開で見た時と同じものを感じる。
国は違えど、やっている仕事は同じだからね。
そりゃあ、同じようになるか。
2200型通勤客車。
続いては実際に車両に乗ってのコーナーとなる。
日本レトロを思わせるパイプ荷棚、扇風機、つり革。
固定クロスシートの座席に座ってガイドの説明を聞く。
日本でかつて走っていた客車とは似ても似つかないが、車内の内装に使われている部品は日本の国鉄型車両でお馴染みのもの。
天井でブンブン回っている扇風機は、『JNR』マークこそ無いが国鉄型と同じものだった。
ロングシートの通勤電車。
今度は近代的なロングシートの通勤電車。
こちらは冷房が効いていて涼しい。
日本らしさは薄れている。韓国製?
日本車輌製の観光号、SP32773号食堂車。
最後は食堂車。
テーブルには食器やナプキンが並べられて、
「おっ!このツアーは食事付きか?」
なんて思ってしまいそうだが、そんなはずはなく。
食事が出てきそうなナプキンやナイフにフォーク。
この食堂車は、1961年から1978年まで運行されていた『台湾観光号』に連結されていた車両を復元したもの。
この列車は全車特別車で、乗客に西洋料理や中華料理を提供していたんだとか。
手宮の小樽市総合博物館にある “キシ80” も、元の食堂車の姿に復元してくれないかなあ。
ちょっとそんなことを思った。
整備途中のトラバーサー(遷車台)。
客車工場から外に出ると、レールが何本も並べられた空間に出る。
このレールはトラバーサーが水平移動するためのレール。
トラバーサーとは遷車台とも呼ばれ、車両を水平移動させるための装置。
普通は堀になっていて、車両を乗せる台の下に台車と車輪があるのだが、ここのは変わっていて車両を乗せる台が低くなっていて車輪が上に突き出る構造になっている。
珍しい低床トレーラー方式のトラバーサー。
これならトラバーサーための巨大な堀を作る必要はないし、アイデアものだと思う。
おや、この構造は・・・!
いまや路面電車の世界標準となっている、超低床電車そのものではないか・・・!?
おそらく戦前の台湾総督府鉄道時代からのものだろう。
日本の戦前に、すでにその原型が存在していたことになる。
また吹き出てきた汗を拭きながら、そんなことを思い歩く。
ところで、ここには2017年にJR東日本から寄贈されたという “583系寝台電車” があるのだが、今日のツアーではお目にかかれなかったのは残念。
構内線路と修復前の工場の建物。
構内はあちこちほじくり返していて、古びた枕木の匂いが鼻をつく。
まだまだ荒れたままといった建物も多く、修復完了にはまだ時間がかかりそう。
14時から1時間のツアーだったが、少し回って15時15分、参加證の札を返却してツアー終了となる。
ここが国家鉄道博物館として完成したら、かなり見ごたえのある施設となりそう。
グランドオープンした暁には、ぜひまた来たい。
そんなことを思って博物館準備処を後にした。
南京三民站へ戻ってきた。
地下鉄の南京三民站に戻る途中、どうも足の指先が痛い。
朝からずっと歩き詰めで痛めたらしい。
マメになっていなければ良いけど。
ほかに回りたい所はあったけど、一旦ホテルの部屋に戻ることにする。
中山站で淡水信義線に乗り換え。
今度は中山で乗り換えて台北車站まで地下鉄で戻った。
部屋に戻り靴下を脱ぐと、アチャーやっぱりマメになっている。
それでも歩けないほど致命的なものではない。
とりあえずシャワーで足を洗って、しばらくベッドで横になる。
台北の夜・・初心者入門編
1時間ほど横になっていたら痛みも取れてだいぶ楽になった。
また靴を履いて外に出る。
今夜の夕食を仕入れに行かなければならないのでね。
今日はホテルの隣にある三越に行ってみた。
三越といってもこちらは新光三越。
日本と同じ “〇に越” のマークと入口にライオン像があるのは日本と同じ。
地下に、日本と同じようなデパ地下を期待したが、そこは日本とは違ってフードコートと小さいスーパーがあるだけだった。
そのスーパーに並んでいるのは見事に日本の商品ばかり。
ビールは台湾啤酒(台湾ビール)があったので4本買う。
500ml缶で45元。同じものをコンビニで買うと51元。
ビールだけは毎日三越に買いに来ようか。
常に行列が出来ている台鉄便當本舗。
夕食は今日も台鉄便當にした。
ここは常に行列が出来ていて、台鉄便當の人気っぷりがうかがえる。
今日は焼きサバ弁当にしてみた。昨日は肉だったので今日は魚というわけだ。
自分の番になり、
「焼きサバ弁当」というが通じなかった。
日本語で焼きサバ弁当と書いてあるじゃ〜ん。
品書きの『鯖魚焼肉便當』の下に『焼きサバ弁当』と書いてある。
指を差すと店員はその弁当を取ってくれた。130元。
もう1つ買ってみたいものがあって、こちらはビールのつまみ用に。
駅構内に複数あるファミリーマート。
台北車站の構内にはコンビニがいくつかあるが、台湾のコンビニに必ずあるのがこちら。
コンビニには必ずある煮卵。
茶葉蛋(チャーイェダン)と呼ばれる煮卵で、保温器で汁に浸かって売っている。1個13元。
駅の中を歩いていると、常に台湾らしい香りが漂っていると感じていたが、正体はこれである。
考えてみれば、日本のコンビニは常におでんの匂いが漂っているし、一昔前の日本の駅の待合室は立ち食いそばの香りが漂っていたものだ。
ところ変われば品変わるだね。
この卵はセルフサービスで、トングでつかんで取り、下にあるポリ袋に入れてレジへ持って行く。
今夜の肴は茶葉蛋と鯖魚焼肉便當。
今夜の晩餐はまた駅弁。
焼いた塩サバがドンの乗るスタイル。
塩サバは日本で食べるのと同じ普通の塩サバだった。
その下の焼き肉が八角の香りプンプンだった。
台湾にいるとこの香りから逃れられないようだ。
ホクホクして美味しい茶葉蛋。
茶葉蛋(チャーイェダン)はこれも八角風味の煮卵。
見た目ほど味付けは濃くはなく、白身がプリプリでとても美味しい。
ビールのアテにはもってこいですね。
台北の夜2日目なのに侘びしい夕食だが、駅弁とコンビニでそれなりに台湾フードを味わえる。
台湾に何度も訪れている諸兄諸姉からすれば一笑に付するような夕食風景でしょうが、こちとら台湾旅行は駆け出し者の身。
夕食の入門編ということでご勘弁を・・。
台北車站駅前と西門町の夜景
ビールも2本空けて、時刻は19時。
またどこかへ出かけたくなった。
足の痛みもだいぶ引いて、少しなら歩けるんじゃないか。
靴を履いてみる。
うん、何とか歩けそう。
台湾車站の夜景。
本当は夜市まで行って、屋台の店で食べ歩きなんてしたかったけど、この足の調子ではそう遠くへは行けない。
せめてホテル近くを歩いて夜の台北の街を見てこようと出てきたわけだ。
台北車站前のきらびやかなネオン。
台北車站の正面口にあたるこのあたりは台北市内ではどのような位置づけなのだろう。
見た目には雑居ビルが並ぶ、札幌でいえば北3条西2丁目か3丁目あたり?
(札幌の人でもわからんか・・)
昼よりも夜の方が人通りが多く賑わっている感じがする。
昼間は暑いから、こちらの人は夜になってから外に出てくるのだろうか。
夜の西門町歓迎アーチ。
そんなに遠くまで歩くつもりはなかったが、歩いていたら西門町まで来てしまった。
せっかくなので夜の西門町も歩いてみる。
夜の西門徒歩区。
西門町は夜の方が昼とは比べ物にならないほど賑やかだった。
赤いランタンが並ぶ、テイクアウトの店があったり夜市のような雰囲気もある。
屋台風のテイクアウト店。
こんな店で小籠包でも買って食べてみたいところだが、今日はもう食べられません。
さっき食べたばかりなので、食欲が湧かない。
旅行に出て食欲が細くなるのでは旅の楽しみが減ってしまうのだが、こればかりは齢のため仕方がない。
西門町は若者の街。
西門町は若者の街、台北の原宿などと称される。
たしかに歩いている人は若者が圧倒的に多い。
だけどこの夜の街を歩いていたら、2000年前後の新宿東口あたりの雰囲気を思い出した。
あの頃、新宿始発の夜行快速『ムーンライトえちご』に乗るために夜の街をウロウロしていたな。
台北に来てからどういうわけか、昔日本国内を貧乏旅行していた当時の記憶となぜか重なってしまう。
ライトアップされた西門紅楼の八角堂。
ゆるキャラ風の『紅福(ホンフ)』、西門紅楼の接待部長。
ライトアップされた西門紅楼に誘われるようにまた入ってみる。
奥の店はすでに閉店していたが、手前の土産物屋はまだ開いていた。
ちょっと目を引いたのが、西門紅楼を模した紅福(ホンフ)というキャラクター。
日本で言うゆるキャラ。
う〜ん、こんなものまで日本と同じくあるんだなあ。
愛くるしく作るものだなあ。
えらく感心してしまった。
西門站からMRT板南線で台北車站へ戻る。
ちょっと歩いてくるつもりが、結局また歩きすぎた。
台北車站まではMRT板南線で1駅だけど、地下鉄で戻ることにする。
費目 | 使用場所 | 台湾ドル | 備考 |
入場料 | 博物館鉄道部園区 | 100 | クレ |
土産 | 博物館鉄道部園区 | 80 | 絵葉書2枚 クレ |
昼食 | 台北夜市 | 195 | クレ |
お茶 | 台北駅ファミマ | 25 | クレ |
悠遊カード | 283 | チャージ | |
ビール他 | 新光三越 | 206 | クレ |
鯖魚焼肉便當 | 台鉄便當本舗 | 130 | |
茶葉蛋他 | 台北駅ファミマ | 46 | |
合 計 | 1,065 | (クレはクレジット払い) |
〜4へつづく
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